答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

われ未だ「正しいオジさん」たりえず

2018年03月09日 | ちょっと考えたこと

不満、悩み、うまくいかなかったことなどなどを自分以外の人に聞いてもらえただけで気分が楽になることがある。

この場合、受ける側の態度や心持ちとしてたいせつなのは、「聴く」という行為と態度がそのメインロードだということを認識し、ヘタに「解決」しようなどという色気は持たないことだ。聴いてるうちに相手がその気になり、「ではどうしたらいいのか?」という段階になったとき、はじめて解決への方法を模索すればよい。少なくとも、それぐらいの心持ちでいることがたいせつだ。

ところが、ゆめわすれてはならないそのことを、ついつい忘れてお節介オヤジになることが往々にしてある。きのうもそうだった。

解決の糸口すら見つからない会話に業を煮やし、やれ「イメージが共有できてないからだ」とか、やれ「もっと具体的な絵とかものとかで示してくれないと解決法は見つけられない」とか、聞いてるコチラのイライラが増幅して心中の風船がパンパンになった段になってふと、「あれ?」「もしかして?」と気がつき、相手に問うてみた。

「ひょっとしてオレに答えを求めてたわけじゃなかったのか?」

「ひょっとしてこの場合のオレは、聴いてるだけでよかったのか?」

しばし考えたあとに出た答えは、「半分半分」だという。その言葉を聞いたわたしはこう解釈した。

「でき得れば答えは欲しい。だがとりあえずは聴いてほしい。聴いてもらっただけでアナタに話したという行為の主たる目的の半分以上は達成される。解決策が見つかるか見つからないか。あとはオマケのようなものだ。」


あゝ、またやってしまったようだ。

だが、ピークを迎えたイライラを抱えてしまったわたしのココロはすぐには元に戻れない。

「笑え。元に戻すんだ。」といくら脳が命令しても、ココロは引きつったままイライラという回路を解きほぐすことができない。そうこうしているうちに、自家撞着な自分への悔悟の念が自家中毒を産み出したのか、アタマが痛くなってきた。

 

あゝ、われ未だ「正しいオジさん」たりえず。

道程はるかなり、なのだ。

 

 

 

 

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