答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「当事者」としての「おとうさん」

2018年03月15日 | ちょっと考えたこと

「このあいだ、みやうちさんのブログって最近 ”おとうさん目線” ぞなあ、ってNと話ししたところなんですよ」

と皮肉めいた笑顔でわたしに話すのはUさん。Nくんは、10年前彼がわが社の下請けをしてくれたとき、Uさんの部下として来てくれていた技術屋さんだ。

この場合、彼が言うところの「おとうさん」とは「優しいお父さん」的な「おとうさん」ではなく、オヤジチックという意味での「おとうさん」だろうか。。。説教臭い、とでもいうような。。。と、聴きながら想像をめぐらすわたしにかまわず話をつづける彼。

「あのころは ”当事者” やったのに・・・」

「最近のはおもしろうないよなあ、ってNに言うたら、あいつもウンウンって」

不思議と腹は立たない。

たしかに当たらずと言えども遠からず、そんな受け取り方もあっていい。

なにより目の前の彼は、まごうことなき読者さん(のひとり)なのだもの、「おもしろうない」と言われて気色ばむようではバチがあたるというものだ。そして、面と向かって拙ブログに対しての感想を言ってくれる人などそうそういるものではない。

そんなこんなも織りまぜながら、昔話や近況やビジネスやらをひとしきり話し、彼が帰ったそのあと、「さて・・・」と思い起こしてみた。

「あのころのココはどんなだったろうか?」

ということで、バックナンバーから、ちょうど10年前のブログを紐解いてみた。

 

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【迷路に入ったこと】

どうやら迷路へ入ったようだ。

思考がである。

ない頭(毛が無いという意味ではない、念のため)で難しいことを考えすぎるからよ、といわれそうだが、止めるわけにはいかない。

ことは、ワタシたちの仕事のやり方の基本部分にかかわることなのだ。

ひとつのことだけを信じて、自分の頭で考えずに、それを教科書にしていれば楽なのかもしれない。しかしそんなやり方は、いっときは楽かもしれないが、すぐに壁にぶち当たる。そして、当たると逃げるしかない。自分の頭で考えてないからだ。

自分の頭で考えた答えだったら、壁に当たった時も、すぐには逃げない。いや逃げられない。

だからワタシは、ない頭で考える(しつこいようだが、毛が無いという意味ではない、念のため)。

 

思考はあっちへ行っては行き止まり、こっちへ行っては行き止まり、かと思ったら向こうへ振れたり、さらにその向こうへ振れすぎたり、あげくの果てには菜の花とレンゲの間をふらふらしたり。

それはたぶんに、受け売りの継ぎはぎなのかもしれないが、

ああでもない、こうでもないと考えるうちに、迷路へ入ってしまい、今は少々辛かったりする。

逃げることは簡単だが、少なくとも、今まで悩んで行動してきて、うっすらとでも光が見えかけてきた道だ。おいそれと、降りるわけにはいかない。

 

どうやら春は時間がたっぷりありそうだから、焦らないで考えてみようと思う。

簡単に出口が見つかったらおもしろないわな。

 

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文中、「菜の花とレンゲの間をふらふらしたり」と出てくる。

わたしには思い当たるところがあるが、読んでる人には何のことかさっぱりわからないだろうから、その2日前のブログを転載してみる。 

 

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【田んぼの菜の花(じつはレンゲ)】

  

 

ここは奈半利町内の田んぼの工事現場なのだが、ごらんのとおり菜の花が満開だ。

子供の時分、こんなところで寝転ぶことが、何故かやけに気持ちよかったような記憶がある。

近頃は、都会に住んでいる方はご存じないかもしれないが、子供たちは田んぼで遊んではいけないことになっていて、「よその田んぼに入るな」とばかりに叱られてしまうのだ。

こんな田舎に住んでいて、なんとも味気のないことではある。

ワタシたちの子供のころは、田んぼも遊びの中心的なフィールドだった。

 

 

そんなボンヤリとしたワタシの頭の中が、簡単に現実にひきもどされた。

隣りの田んぼを隣りのオジサンが耕しだしたのだ。

そう、この時期に田んぼの工事をまだやっているということは、田植えに向けての施主さん(ここは民間工事だから施主さんとなるが、公共農業土木でも事情は同じだ)のタイムスケジュールをにらみながらの、「そわそわ」した気分での仕事なのである。

こんな時に何も考えずに行き当たりばったりやっていると、1日雨がふれば、その次の日も、下手をするとまたその次の日も仕事が出来なかったりする。

明日あさっては雨の予報。それに向けての準備は昨日今日で済ませて、簡単には現場が止まらないように手はうった。

うってはいても、それは雨の降りようしだいで何ともならなくなったりするのは、いつもながらに不確実性を友にして生きていくワタシたちの仕事の宿命なのだ。

 

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ふむふむ。。。

Uさんが残していったキーワードを反芻してみる。

まず「当事者」。

たしかに、「あのころは ”当事者” やったのに・・・」という指摘はわからないでもない。

だが、お言葉を返すようだが、今でもわたしは立派に「当事者」のつもりである。

「当事者」としてブログを綴れなくなったとき、そのときはジ・エンドだとも思っている。

次に「おとうさん目線」。

これについては自覚している。「土木の仕事人」として残された時間が限られてきた以上、「あえて」という部分もある。

♪ 父ちゃんはな 父ちゃんはな おまえたちより年上だぞ! ♪

(『正調おそ松節』細川たかし歌)

てなもんである。

 

であればこれからは、

「”当事者”としての”おとうさん”」的な立ち位置で行くべきか。

To be, or not to be, that is the question.

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。(ウィリアム・シェイクスピア)

 

なんて大層な問題ではないのだケド。

 

 

 

で、最終的に目指すのはこのへんかな (^_-)

 

  

ツル多はげます会(青森県北津軽郡鶴田町)』フェイスブックページより

 

 

 

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