東日本大震災の約1年後、岩手の建設業者さんに縁あって被災地を案内してもらった。
その数日前、その方と初めて電話で話をしたときの言葉が今でも忘れられない。
「はじめまして」で始まり当日のことなどを約したあと、その晩の一献を彼は提案してくれたのだが、仙台市を拠点として動こうとしていたわたしはすでに宿泊先を予約していたし、連れの若い衆との予定を立てていたこともあり、岩手での一献という申し出を受けることにためらい、「また今度」と丁重に断ったのである。
思い直したのはその何分後だったか。
今となってはしかとは覚えてないが、そんなには経ってなかったはずだ。
電話をかけ直し、提案を受ける旨を伝えたわたしに彼はこう言った。
「”また今度”、なんていつくるかわかんないですから」
まだ一面識もない人間に言うにしては、やけに強く、そして切実さを帯びた口調に若干の驚きを覚えつつ、「そうですよね」とアタマを掻きながら詫びるわたしだったが、そのときは彼の言葉を皮相でしか理解してなかった。彼の言葉に込められた重さを理解してなかった。
「また今度」が「次はいつ」なのかわからないこと、「また今度」が明日になればないかもしれないことを彼の地の人たちは経験した。だからこそあれは、真の意味で身体性をともなった言葉として彼の口から発せられた言葉だったのだろう、と気づいたのはそれから何年も経ってからのことだ。
気づくなり、「ああ、そうだったのだ」とおのれの不明を恥じた。
「また今度」があるとはかぎらない。だから今というときを、今というときに生まれた「縁」をたいせつにして「今を生きる」。そのあとつづく彼との「縁」とそこからつながった「縁」の数々を思い起こし、あのとき彼はそういうことを伝えたかったのだと、勝手にわたしはそう思い込むようにした。
「”また今度”、なんていつくるかわかんないですから」
受話器の向こうのあの声がよみがえる朝。
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