答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

私はどんなものをつくればいいの? ~ 『おとなの小論文教室。』(山田ズーニー)を読んで考えた

2018年03月05日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

「私はこれからどこへ行けばいいの?」

「それはどこへ行きたいかでちがうさ」

 

『おとなのための小論文教室。』で紹介されていた『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル)のなかの一節だ。

 

おとなの小論文教室。 (河出文庫)
山田ズーニー
河出書房新社

 

不思議の国のアリス (角川文庫)

ルイス・キャロル

河合祥一郎訳

角川書店(角川グループパブリッシング)

 

読むと同時にそのセンテンスは、わたしの脳内で次のように置き換えられていた。

 

「私はこの場合どんなものをつくればいいの?」

「それはどんなものをつくりたいかでちがうさ」 

 

もちろん、公共建設工事という、辺境の土木屋たるわたしのメインフィールドでの話、しかもそのなかで主たる位置を占めているはずの現場技術者の話である。

こんなことを書くと、業界の構成員以外の人には奇異に映るのかもしれない。「”どんなものをつくればいいか”を理解せずにモノづくりに携わっている人がいるのか?」と。そして、構成員にも訝しがられるかもしれない。「そんなやつおれへんやろ」と。

いるのである。

現にわたしは、そういう人を数多く見てきた。

施工プロセスチェックの一項目に「設計図書の照査」というものがある。そのため発注者は、「設計図書を照査してますか?」とわたしたちに問う。失礼ながらそしてはなはだ勝手ではあるけれど、わたしはそれをこんなふうに捉えている。

「設計図書を疑ってくれましたか?」

 

そもそもスタートがちがうのだ。設計図書を金科玉条にして、設計を遵守することがおのれに課せられた役割だと勘違いし、設計どおりモノをつくろうというところから始める人と、自分たち施工屋にはない技術力で構築された設計図書を尊重しつつも、地場中小建設業者の智恵と経験と勘をフル動員してその設計が現地に適しているかどうかについて考察するところから始める人と。そもそもスタート地点からしてちがうのだ。

 

「私はこの場合どんなものをつくればいいの?」

 「それはどんなものをつくりたいかでちがうさ」 


設計図書どおりにすべてが進むのならそんな問いもそれに対する答えも必要ないだろう。だとしたら、答えは設計図書に書いて(描いて)いるからだ。しかし、「土木という仕事」では、100%設計どおりに仕事が進むことなどまずあり得ない。自然環境、現地とのすり合わせ、地域住民とのすり合わせ・・・・などなどの要素がからんで、設計図書のとおりにはならない。

「あい変わらずひねくれてるなあオマエ」と思うなかれ。わたしが生来のひねくれ者だからそう思うのではない。厳然たる事実としてそれはある。そんななかで、何ごとかの問題が発生したとき、よく散見されるのが「お伺いを立てる」、つまり、

「私はこの場合どんなものをつくればいいの?」

という問いを発注者に投げかけて指示をあおぐというスタイルだ。

そして待つ。指示待ちの時間を無為に過ごす。いつまでたっても答えは出ない。少なくともすぐには出ない。すると、すぐに出ないことに対して非難する。かといって、おおっぴらには言えない。ゆえに、相手には言わず身内という閉じた円環のなかで咎めだてをする。いわゆる「他人のせい」というやつだ。だが、相手は出ないのではなく出せないのかもしれない。少なくともすぐには出しにくいのかもしれない。ぜか。

「(とりあえず)お伺いを立てる」という仕事のスタイルには、「どんなものをつくりたいか」という施工者の「想い」がないからだ。そもそも、「お伺い」だけですぐに回答をもらおうなどという了見そのものが虫がよすぎるのだ。

いやいや、そうエラそうに言うわたしとて、そうして考えた自分の案が採用されることはそれほど多くない。さまざまな事情を勘案してみても「オレの案のほうに分がある」、と胸を張って言えるのにもかかわらず、経験の乏しい若い監督職員からその案を一蹴され、ついつい、♪ 悲しくて悲しくてとてもやりきれない ♪、なんてメロディーが口をついて出てしまうことも少なからずある。であればいっそのこと、ハナから「お伺いを立てる」、そして答えを待つ。一見するところその方法を採用するほうが楽そうだ。しかし、その姿勢と心持ちに技術者としての矜持はない。

『おとなの小論文教室。』に戻る。


「私はこれからどこへ行けばいいの?」

「それはどこへ行きたいかでちがうさ」


と『不思議の国のアリス』を引用したそのあと、ズーニーさんはこうつづけている。

 

 

自分が、この時代を泳ぎきるのに必要だと思う力を、自分でいくつかあげてみる。

まず、「自分の頭を動かしてものを考える力」。

暗記と応用でなく、正解のないことを自分の頭で考えるには、「問い」が立つことが、出発点だと思う。(問題発見力)

次に、さまざまな角度から見て、(多角的考察力)

それを筋道立てて、検討していく。(論理的思考力)

そして自分なりの新しい考えを打ち出す。(独創性)

(略)

それから、「歴史認識」。

(略)

そして、「自己表現力」。

(略)

他に、「コミュニケーション力」。

五感を働かせて、相手が本当に言おうとしていることをちゃんと受け取り、ちゃんと自分の考えを返していけるように。これは、文章、口頭、それから身体や表情など、いろいろな筋肉を使って。



「いいな」と感じた。そして同意した。しかし、「独創性」は必ずしも必須項目ではないのではないか。なぜならば、「独創性」なんて代物はそんじょそこらの人間が身につけているものではないからだ(もちろん、その「そんじょそこら」にはわたし自身も含んでます)。必要なのは「引き出し」を数多く持つことだろう。かといって数が多ければいいってものではない。どれだけ経験と勉強を重ねて「引き出し」を多く持ったとしても、使えなければゼロに等しいからだ。要は、模倣でも受け売りでもかまわないから「引き出し」を数多く持ち、その「引き出し」がどこにあるかを把握し、適切なときに適切な「引き出し」が使えるようにしておくこと。それが本当の意味での「経験と勘」であり、それもまた、問題発見力や多角的考察力や論理的思考力、あるいは歴史認識といったものの繰り返しから導き出される「力」のひとつ、しかもこのうえなく大きく大切な「力」だとわたしは思う。


以上、

「私はこれからどこへ行けばいいの?」

「それはどこへ行きたいかでちがうさ」

 という、『おとなのための小論文教室。』(山田ズーニー)で紹介されていた『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル)のなかの一節から考えたこと。ゆめ忘るなかれ。「土木という仕事」に役立つネタはどこにでも転がっているということを。


 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント