アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。
以下はダマスカスに留学中最後の年、2006年1月の昔話です。
あまりにも思い出深いメッセージなので、こちらにも転記させていただきます。
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アッサラーム アライクム。
アルハムドゥリッラー…イード3日目の昨日1月12日(木)、ズフルの礼拝後に訪れたドクトール・ブーティーから、皆さんへのメッセージをお預かりしたのでお伝えします。
マスジドの隅一画を敷居で区切ってイードの訪問客歓迎用にあてがわれた空間には、50人ほど座れるようにイスが並べてありました。
ブーティー師から離れること10数メートル、ちょうど順番に空いているイスに僕が腰を下ろそうとしたところ、いつも僕ら日本人ムスリムによくしてくださっているブーティー師のご長男(といってももう50代半ばの立派な先生です)ドクトール・タウフィークがいちばん手前のイスに座るように仕向けてくださいました。
スブハーナッラー…ドクトール・ブーティーのすぐとなり、その間隔は1メートルとありません。
ブーティー師にかぎらず、アッラーに近しい方、アッラーに愛されている方のおそばで(いや、たとえ遠くからでも)そのお顔を拝見できるだけで、「アッラーのお慈悲、アッラーの慈愛」が感じられて胸がいっぱいになります。アルハムドゥリッラー、とても光栄なことでした。
しばらくしてタウフィーク先生がまた気を利かせてくださり、「先日ダマスカスを訪れた日本のダーイー(宣教者)、ドクトール・ハサン・ナカタの生徒さんで、ファトフ大学で勉強中のアハマドくんです。」とご紹介くださったのを機に、思い切って口を開いてみました。
「先生、一言よろしいですか?まずは心からお礼申し上げます。ジャザークムッラーフ ハイラー。
先生のご講義からはいつも非常に多くのものを学ばせていただいています。またその一部は日本語に訳され、私だけでなく、多くの日本の同胞のためにもなっております。中には心からこちらにやって来て直接先生から教えを乞いたいと願いながらも、なかなかそうはいかない境遇に置かれている同胞もいます。
ですからできればそんな同胞のために、先生からぜひアドバイスをお伺いしたいのです。」
「日本の同胞というと、彼らはムスリムですね?」
「はい。ムスリムとしては第一世代、つまり20代、30代と人生の途中でアッラーのお導きによりイスラームを信じるようになった者ばかりです。」
「彼らには君が伝えてくれるのですね?」
「はい、ビイズニッラー」
「ではまず忠告の前に、私は心からあなたたちを祝福したいとお伝えください。
あなたたちが至高のアッラーに愛されていることを、大いに祝福したいと。
イスラームに導かれたということは、すなわちアッラーの愛が先にあったということです。ノイズだらけの中で、あなたたちがイスラームに導かれたという事実…それはまさにあなたたちがアッラーに愛されている確たる証拠です。
だから愛には愛で、応えようと努めてください。」
『愛には愛で応えよう』というお言葉を口にされたあたりから、ドクトール・ブーティーは涙ぐみながら続けて下さいました。泣き上戸の僕も涙したのは、言うまでもありません。
「彼らのような人たちこそ、『汝ら信仰する者たちよ、もし汝らのうちから教えに背き去る者があれば、やがてアッラーは相思相愛の(アッラーに愛され、アッラーを愛する)民を連れてこられるであろう。』(第5・マーイダ章54節)という至高のアッラーの御言葉があてはまる人たちです。
だから愛には愛で。できるだけアッラーを畏れ、自分たちの身を守るように努めてください。
できるだけ精一杯アッラーに忠実であれるように励んでください。
そうすることで、「愛の恩返し」をするのです…。」(本当は直訳すると「『愛の税金、つまり税愛?(ダリーバトゥ・マハッバティ=ッラー)』を払えるように努めてください」と言われました。)
素晴らしい忠告をくださったドクトール・ブーティーに感謝…。
お膳立てをしてくださったドクトール・タウフィークに感謝…。
ネーム・バリューのおこぼれにあずかれたきっかけ的存在のハサン先生に感謝…。
快く外出を許してくれた家内に感謝…。
ジャザーフム=ッラーフ アンニー ハイラ=ル=ジャザー。
すべてをその限りない慈悲と優しさで包み込んでくださるアッラーに心から感謝…。
願わくは、僕らがこの「『アッラーの愛』を受けるにふさわしいしもべ」になれますように…少しでもそれに近づけますように…。アーミーン。
皆さんに平安あれ。
以下はダマスカスに留学中最後の年、2006年1月の昔話です。
あまりにも思い出深いメッセージなので、こちらにも転記させていただきます。
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アッサラーム アライクム。
アルハムドゥリッラー…イード3日目の昨日1月12日(木)、ズフルの礼拝後に訪れたドクトール・ブーティーから、皆さんへのメッセージをお預かりしたのでお伝えします。
マスジドの隅一画を敷居で区切ってイードの訪問客歓迎用にあてがわれた空間には、50人ほど座れるようにイスが並べてありました。
ブーティー師から離れること10数メートル、ちょうど順番に空いているイスに僕が腰を下ろそうとしたところ、いつも僕ら日本人ムスリムによくしてくださっているブーティー師のご長男(といってももう50代半ばの立派な先生です)ドクトール・タウフィークがいちばん手前のイスに座るように仕向けてくださいました。
スブハーナッラー…ドクトール・ブーティーのすぐとなり、その間隔は1メートルとありません。
ブーティー師にかぎらず、アッラーに近しい方、アッラーに愛されている方のおそばで(いや、たとえ遠くからでも)そのお顔を拝見できるだけで、「アッラーのお慈悲、アッラーの慈愛」が感じられて胸がいっぱいになります。アルハムドゥリッラー、とても光栄なことでした。
しばらくしてタウフィーク先生がまた気を利かせてくださり、「先日ダマスカスを訪れた日本のダーイー(宣教者)、ドクトール・ハサン・ナカタの生徒さんで、ファトフ大学で勉強中のアハマドくんです。」とご紹介くださったのを機に、思い切って口を開いてみました。
「先生、一言よろしいですか?まずは心からお礼申し上げます。ジャザークムッラーフ ハイラー。
先生のご講義からはいつも非常に多くのものを学ばせていただいています。またその一部は日本語に訳され、私だけでなく、多くの日本の同胞のためにもなっております。中には心からこちらにやって来て直接先生から教えを乞いたいと願いながらも、なかなかそうはいかない境遇に置かれている同胞もいます。
ですからできればそんな同胞のために、先生からぜひアドバイスをお伺いしたいのです。」
「日本の同胞というと、彼らはムスリムですね?」
「はい。ムスリムとしては第一世代、つまり20代、30代と人生の途中でアッラーのお導きによりイスラームを信じるようになった者ばかりです。」
「彼らには君が伝えてくれるのですね?」
「はい、ビイズニッラー」
「ではまず忠告の前に、私は心からあなたたちを祝福したいとお伝えください。
あなたたちが至高のアッラーに愛されていることを、大いに祝福したいと。
イスラームに導かれたということは、すなわちアッラーの愛が先にあったということです。ノイズだらけの中で、あなたたちがイスラームに導かれたという事実…それはまさにあなたたちがアッラーに愛されている確たる証拠です。
だから愛には愛で、応えようと努めてください。」
『愛には愛で応えよう』というお言葉を口にされたあたりから、ドクトール・ブーティーは涙ぐみながら続けて下さいました。泣き上戸の僕も涙したのは、言うまでもありません。
「彼らのような人たちこそ、『汝ら信仰する者たちよ、もし汝らのうちから教えに背き去る者があれば、やがてアッラーは相思相愛の(アッラーに愛され、アッラーを愛する)民を連れてこられるであろう。』(第5・マーイダ章54節)という至高のアッラーの御言葉があてはまる人たちです。
だから愛には愛で。できるだけアッラーを畏れ、自分たちの身を守るように努めてください。
できるだけ精一杯アッラーに忠実であれるように励んでください。
そうすることで、「愛の恩返し」をするのです…。」(本当は直訳すると「『愛の税金、つまり税愛?(ダリーバトゥ・マハッバティ=ッラー)』を払えるように努めてください」と言われました。)
素晴らしい忠告をくださったドクトール・ブーティーに感謝…。
お膳立てをしてくださったドクトール・タウフィークに感謝…。
ネーム・バリューのおこぼれにあずかれたきっかけ的存在のハサン先生に感謝…。
快く外出を許してくれた家内に感謝…。
ジャザーフム=ッラーフ アンニー ハイラ=ル=ジャザー。
すべてをその限りない慈悲と優しさで包み込んでくださるアッラーに心から感謝…。
願わくは、僕らがこの「『アッラーの愛』を受けるにふさわしいしもべ」になれますように…少しでもそれに近づけますように…。アーミーン。
ブログ開設おめでとうございます。
このブーティー師の言葉は、何度読んでも心が震えます。
貴重なコメントありがとうございます。
バーラカッラーフ フィークム。
アルハムドゥリッラー、ご共感いただけて嬉しいです。
本当に、「愛には愛で」のお言葉は、思い出すたびにアッラーへの感謝と信頼を高めてくれる思いがします。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
アッラーのさらなる祝福と恩恵を。
よくわかりませんが、与えられた愛の一部を還元すべきところから「税」と言われたのだと思います。
そういう類の税を経費課税というのでしょうか。
そうして、《愛情主義経済》は完成するのですね、先祖の想いを馳せながら。