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散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

ジボレのカミサマむせびなき

2016-11-16 08:01:35 | 日記

2016年11月15日(火)

 「駅前でバナナが売ってた」式の子どもの物言いを、「バナナを売ってたんだね」と修正したのはもう20年も前になる。当時は子どもにありがちの「てにをは」の勘違いだと思っていたが、どうもこれが市民権を得つつあるようで。インターネット上である買い物をしたとき、アンケート画面の中に「この商品が売っているのをどこで知りましたか?」という質問があり、そういえば最近同種の表現を一再ならず見たことを思いだした。

 むろん、僕などは60年近く身にも耳にも染みついた基本原則を変更する余地は全くないが、世間では次第に定着していくのかもしれない。「バナナを売ってる」と言えば、「誰が?」と聞きたくなる。「売る」という他動詞に「売られる」という自動詞の機能をもたせ、この部分の違和感を埋めている理屈かもな。そういえば英語の場合、「売る」を意味する"sell"には「売れる」という用法もあるよね。"This dictionary sells well." (この辞書はよく売れる)

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 あの車内広告は何だっけ、国語検定?「あまりのことに相手が訂正すらできないような間違いをしないように」というキャッチフレーズで、たとえば「領収書の御宛名は?」「カミサマでお願いします」・・・上様(うえさま)でしょという落ちなんだが、ときどきそういうことはあるし我が身にも覚えがあったりする。

 過去一週間以内のことだが、どこで誰が言ったことか思い出せない(最近これが多い)。それこそあまりのこと、しばらく意味が分からなかったのね。「今回は手応えあり、大丈夫ですね」というようなこちらの励ましに、相手が「〇〇〇でないと良いんですけど」と答えたのだ。それで会話は終了、語り手が立ち去って数分後に突然思いあたったのである。

 「ジボレでないと良いんですけど」

 だよね、「ジボレ」って言ったんだよね、「ウヌボレ(自惚れ)」のつもりで?仰天すると同時に感じ入ったのは、彼がこの言葉を耳からでなく目から学んだらしいことだ。僕にはあり得ない、ある種の勉強家、かもしれない。

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 それで思い出したが、「吐き気」のことを「おえつ」と表現する人にこれまで何人か出会った。たぶん、吐き戻す(しそうになる)のを擬音表現で「おえっ」と言う、そこから「おえつ」になったのだろうと想像する。だとすれば「自惚れ(ジボレ)」とちょうど対照的に、耳から入った勘違いというわけだ。しかし「嗚咽」と書きながら「むせび泣く」動作を思い出してみると、喉元にこみ上げてくるものを抑え込む感じが何となく共通していて面白い。食道からであれ気管からであれ、こみあげるものを抑えようとすると「おえっ」という音/声が出ちゃうわけですね。

Ω


ネクタイ補遺/七五三

2016-11-15 19:54:33 | 日記

2016年11月15日(火)

Sue 様

> 「ネクタイは身体への負担が大きいので、ドクターストップがかかっている」と公言されてはいかがでしょうか

 ありがとうございます。実はその手を何度か使っています。講演などの際、初めはきちんとネクタイを締めて挨拶し、話が乗ってきて皆が熱気を帯びてきたあたりで「実は・・・」とカムアウトし、上衣脱いでネクタイ外して腕まくりして先を続けるなんてこともありました。

 「失礼をお許しください」とお願いすると、寛大な聴衆の皆さんはいつも笑ってOKしてくださるので、このプロセス自体が案外楽しかったりします。

 ファッションとしてのネクタイは好きなので、と書いたのは本音です。特に、まもなく始まるアドベント(待降節 ~ クリスマスに備える期間)の季節は、赤を基調にポインセチアや星や小さなロバをあしらった賑やかなネクタイを装用するのが、教会周りでの恒例なのですね。暦を意識したプチおしゃれは楽しいので、ネクタイが平気な人にはぜひ楽しんでいただきたいのでした。

 こんなのです →  

 

 そういえば今日は七五三でしたね。スマホのカレンダーが踊ってるので気づいたのですが、何で11月15日なんだろうとふと考え、Wiki に教えてもらいました。この種の古来の習俗をどう受けとめるかは教会によってかなり温度差がありますが、私自身は相当ゆるい方だと思います。背後におられる神様が誰なのか、その筋目さえ見失わなければ、人の素直な願いから立ち上がった伝統的な慣習を、異教的だからといって神経質に排除するのは性に合わないのですね。考えた末、息子たちはこの季節に教会で祝福式をしていただきました。耶蘇の七五三といったところです。紅白の千歳飴が懐かしい!

  画像の出典:東京深川「みなとや」

(http://blogs.yahoo.co.jp/kbqbh446/29671168.html から拝借)

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七五三 ー Wikipedia からコピペ(一部改変):

 天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力である。11月15日は、子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁による)。

 現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。やがてこの儀は京都、大阪でも行われるようになり、だんだんと全国に広まっていった。

 旧暦の15日はかつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。出雲大社に神が集まるとされる神在月(他の地方では「神無月」)に、7+5+3=15で15日となり11月15日となったと言う説もあるが、実際には曖昧である。(そもそも神在月・神無月は旧暦10月のこと)

 旧暦の数え年で行うのが本来だが、神々に感謝をささげ祝うことが重要であるとの考え方もあり、現代では満年齢で行う場合も多い。北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行う場合が多い。

Ω


酢卵ますます膨張

2016-11-12 13:14:51 | 日記

2016年11月12日(土)

 48時間ブログを離れると言いつつ、ついつい・・・

  金曜日の朝

 仲良く並んでいた二個の卵がそれぞれ膨張して窮屈になり、とうとうむかって右側の卵の上部がせり出されて空中に出てしまった。二個とも比重は軽くなっているわけだから、考えようによっては一個がせり出したおかげでもう一個が溶液中に深く沈むのでもある。重しをして二個とも沈めようかとも思ったが、空中に出ている部分がどうなるか見てみたい気もあって、このまま放置することにした。

  土曜日の朝

 金曜日と同じ状態だが、パッと見さらに膨張した感じがする。TVで紹介されたレシピでは「一週間放置」だったから、あと一日で完了。明日は仕事なので月曜日のお楽しみである。

Ω


落語のこと

2016-11-12 08:42:57 | 日記

2016年11月12日(土)

 保樹美さま、コメントありがとうございます。

 我孫子では御来聴のうえ、示唆に富んだ御質問をありがとうございました。(確か前回も御質問くださいましたか?)「笑いヨガ」のこと、そうしたものに関心をおもちであることが興味深く、「ウソくさい感じがして」と率直なところをお伝えくださったのも嬉しいこと、さらに「良い笑い/悪い笑い」を突っ込んでくださったのがタイムリーでした。何かと御明敏なと印象に残りましたが、日頃から「落語」をボランティアベースで実践していらしたのですね、諸事一挙に腑に落ちる感じです。

 私も落語は大好きで、講談社文庫から出ている『古典落語』シリーズは高校時代の最・愛読書でした。紺サージに銀ボタンの学生服で、右のポケットにニーチェ、左のポケットに落語というような毎日、そのことを嬉しそうに話したら、高橋祥友先生(筑波大学教授・自殺予防と災害精神医学の大家)には「落語は読むものではなくて聞くものです」とバッサリ斬られました。御自身は映画と落語が大好きで、移動中にもイヤホンで落語を聞いている本格的な通なのです。そんなことしてたら私なんか、あっという間にホームから転落しちゃいますよ。それとも、雑踏の中でいきなりゲラゲラ笑い出して病院に送られちゃうかも。「違います、精神科医なんです」「ウソだろ」なんてね。

 「読むものではなく聞くもの」は正論ではありますが、読んで楽しむのが邪道とも言えないと思うのですよ。保樹美さん同様、悪友に勧められて落語本にハマって以来、世の中の見え方が確かに変わりましたから。

 それに我孫子のパワポで一瞬垣間見えたように、たとえば『饅頭こわい』は洋の東西を問わず多く見られる限局性恐怖症 specific phobia を題材にしたもので、これに限らず落語の世界には精神疾患やこれに近い現象に取材したものがかなりあるのです。精神医学の授業をする際には格好の資料なんですが、そもそも「人の心」「病」「笑い」といった深くて面白い世界をいわばかすめ取って糧にしているのが落語なんですよね。たいへんな文化だと思いますよ。

 かてて加えて落語家の話芸の見事なこと!落語・講談・浪花節、これら豊かな伝統をもつ日本人なのに、大方の政治家・学者の話は何でああもつまらないのでしょう?大きな声では言えないけれど、牧師先生方もその例に漏れないのが残念。ただ例外はあります。これは実名を挙げてしまいましょう。

 日本基督教団梅ヶ丘教会、広田叔弘(ひろた・よしひろ)牧師のお説教は、きわめて正統的で生き生きとした聖書講解で貫かれていますが、その語り口・間の取り方がまた実に見事なのです。そして私には同先生の話法が、落語を中心とする日本の伝統話芸をしっかり踏まえたもののように聞こえるのですね。ぜひお聞きになってみてください。

 ・・・と申しましたが、インターネット上の音源がすぐに見つからないので近日中に探してお伝えします。今日はこの後ブログを離れ、48時間ほど戻ってこられない事情があるのでした。どうぞ良い週末をお過ごしください。

 

Ω


トランプの方が良かった理由(わけ)

2016-11-12 07:45:42 | 日記

2016年11月12日(土)

 勝沼さん、コメントありがとうございます。

 御礼が遅れましたが、スーパーマンはクリプトン星人だからイデタチに関係なく強いんですね。ウルトラマンの変身と意味が違うわけだ、またひとつ勉強しました。(スーパーマン=クリプトン、ウルトラマン=スペシウム、元素名の活用もヒントをもらってるんでしょうか)

 時に・・・

> 僕は投票直前でヒラリーが3ポイントリードという時におそらくトランプが逆転で勝利するだろうと思っていました(ちゃんと投票日にブログ書いときました)。

 なるほどなあ、見る人は見てたんですね、脱帽しました。以下のコメントもなるほどです。とりわけ最後の一文、頭を冷やして考えれば、なるほどそうなのでしょう。

 ところで、ある日本の政治家が「選挙前にトランプさんが言っていたことなどは、特に考える必要もないわけで・・・」という意味のことをTVで語って、実に実に呆気にとられました。なるほど皆様が選挙期間中に口になさる公約が、何の意味をもたない訳です。「あれはパフォーマンスであって、彼の政策とは関係ない」というの(これはまた別の人)も同じ線ですね。前者はかつて「難しいことは分からない」という名言を吐いた人ですが、何の何の、複雑怪奇な政治のカラクリについて実に深く洞察していらっしゃることと見直しました。(あながち皮肉でもありません。)

 政治を理解するには、日常を超越した別のロジックが必要なようです。今日この日まで、そのことが本当には分かっていませんでした。

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【勝沼コメント(承前)】

> イギリスのEU離脱の再現ですね。グローバリズムか反グローバリズムで投票するとグローバリズムの流れに乗れない人が大半ですので反グローバリズム(内向きになる)が勝ちます。

> 内向きになることはグローバリズムによって起きる問題を改善しません。トランプ大統領も良い結果にならないでしょう。

> でも、そこまで世界が追い込まれ変革が迫られていることがはっきりするという意味では、私はヒラリーよりはトランプの方が良かったと思います。

   

Ω