散日拾遺

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ネクタイ補遺/七五三

2016-11-15 19:54:33 | 日記

2016年11月15日(火)

Sue 様

> 「ネクタイは身体への負担が大きいので、ドクターストップがかかっている」と公言されてはいかがでしょうか

 ありがとうございます。実はその手を何度か使っています。講演などの際、初めはきちんとネクタイを締めて挨拶し、話が乗ってきて皆が熱気を帯びてきたあたりで「実は・・・」とカムアウトし、上衣脱いでネクタイ外して腕まくりして先を続けるなんてこともありました。

 「失礼をお許しください」とお願いすると、寛大な聴衆の皆さんはいつも笑ってOKしてくださるので、このプロセス自体が案外楽しかったりします。

 ファッションとしてのネクタイは好きなので、と書いたのは本音です。特に、まもなく始まるアドベント(待降節 ~ クリスマスに備える期間)の季節は、赤を基調にポインセチアや星や小さなロバをあしらった賑やかなネクタイを装用するのが、教会周りでの恒例なのですね。暦を意識したプチおしゃれは楽しいので、ネクタイが平気な人にはぜひ楽しんでいただきたいのでした。

 こんなのです →  

 

 そういえば今日は七五三でしたね。スマホのカレンダーが踊ってるので気づいたのですが、何で11月15日なんだろうとふと考え、Wiki に教えてもらいました。この種の古来の習俗をどう受けとめるかは教会によってかなり温度差がありますが、私自身は相当ゆるい方だと思います。背後におられる神様が誰なのか、その筋目さえ見失わなければ、人の素直な願いから立ち上がった伝統的な慣習を、異教的だからといって神経質に排除するのは性に合わないのですね。考えた末、息子たちはこの季節に教会で祝福式をしていただきました。耶蘇の七五三といったところです。紅白の千歳飴が懐かしい!

  画像の出典:東京深川「みなとや」

(http://blogs.yahoo.co.jp/kbqbh446/29671168.html から拝借)

***

七五三 ー Wikipedia からコピペ(一部改変):

 天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力である。11月15日は、子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁による)。

 現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。やがてこの儀は京都、大阪でも行われるようになり、だんだんと全国に広まっていった。

 旧暦の15日はかつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。出雲大社に神が集まるとされる神在月(他の地方では「神無月」)に、7+5+3=15で15日となり11月15日となったと言う説もあるが、実際には曖昧である。(そもそも神在月・神無月は旧暦10月のこと)

 旧暦の数え年で行うのが本来だが、神々に感謝をささげ祝うことが重要であるとの考え方もあり、現代では満年齢で行う場合も多い。北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行う場合が多い。

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