2016年11月16日(水)
日曜に話が戻るんだが、入試面接の教員控え室にあてられたのがだだっ広い和室で、プログラム毎に教員が島を作って協議する。合間には勝手知ったる押し入れから三寸盤と蛤碁石を引っ張り出して棋譜を並べたりした。床の間に達磨さんの置物があり、それを運んできて座布団に鎮座させておいたら、通りすがりにS先生がわざわざ覗き込んでいらした。日本文学御専門の、朗らかに奥ゆかしい女性である。「まあ驚いた、これはどなたがもっていらしたの、どこから?」「いえ、いつの間にか御自分でお越しになったんです」「あらまあ、おみ足が御不自由でしょうに、ご苦労さまでしたこと」やりとりにも香気が立ち上っている。
立って行かれる後ろ姿を拝見して思い出した。「S先生、実はお教えいただきたいことが!」
そうなのだ。前から気になっている・・・それこそ「気になっている」などと言うときの「気」の用法、現代の日常語で精神現象を言い表そうとするとき、「気」は不可欠のキーワードである。桜美林時代にそれをテーマに紀要原稿を書いたことがあったが、その時から宿題になっていたのが「この用法は日本語の中でいつ発生したか」ということだった。平安時代にはこの表現はまったく見られない。たとえば『源氏物語』の中には一例も出てこず、つまり存在しなかったのである。いつ始まり、どのように発展したのか知りたい。
たどたどしく説明する端から、S先生は滑らかに趣旨を呑み込んでいかれる。「そうね、『気』で始まる言葉の他にも『天気』『陽気』みたいな一連のものがありますね、どちらにしても古い言葉の感じはしない、さあいつ頃からだろう、『徒然草』にはあるかしら?」
「『徒然』はわりあい好きで読むんですが、あまり覚えがありません」
「そうでしょうね、するともう少し下って、室町あたりから日本語もいろいろと変わってきますから、そうそう日葡辞書」
「日葡辞書!」
「ええ、まずそこからお調べになったら?」
「ありがとうございます!」
***
というわけで、わが両足への敬意を確認しつつ階段を下って図書館に向かったのは日葡辞書を調べるためだったのだ。日葡辞書とはですね・・・
『日葡辞書』(にっぽじしょ、葡: Vocabulário da Língua do Japão)は、キリシタン版の一種で、日本語をポルトガル語で解説した辞典である。イエズス会によって、1603年から1604年にかけて長崎で発行された。全てポルトガル語で記述され、約32,000語を収録している。原書名は "Vocabulario da Lingoa de Iapam com Adeclaração em Portugues" であり、「ポルトガル語で説明を付けた日本の言語の辞典」を意味する。
『日葡辞書』からは、室町時代から安土桃山時代における中世日本語の音韻体系、個々の語の発音・意味内容・用法、当時の動植物名、当時よく使用された語句、当時の生活風俗などを知ることができ、第一級の歴史的・文化的・言語学的資料である。また、当時使われていた中世ポルトガル語の貴重な資料ともされている。
(Wikipedia)
という訳だ。国語辞典・古語辞典の用例出典にしばしば登場するので存在は知っていたが、それで調べ物をするのはこれが初めてで胸が高鳴る。放送大学でちょっと自慢の本部図書館の一階参考図書コーナーで、『日葡辞書邦訳』の分冊があっけなく見つかり、その「気」の項に答えもまたあっけなく見つかった。
「Qi. キ(気) 心、元気、または心の気力。 Qiga sanzuru. l, quio sanzuru(気が散ずる、または、気を散ずる」
これに続いて、「気が疲るる」「気が詰まる」「気が付く」「気が尽くる」「気に懸かる」「気遣ひ」「気晴らし」「気味」「気分」・・・あるある、たんとある、たくさんある。今日と同じ用法のもの、微妙に耳慣れないものなど、続々と現れる。ついでに逆引き索引で「気」が後に付く言葉を見れば、「快気」「精気」「躁気」「勇気」「陽気」「狂気」など、これまた次々に出てくること、出てくること。
仔細に検討するのは後の話として、「気」の今日的用法は1603-4年すなわち江戸幕府が開かれた頃には既に確立していたと考えて差し支えないだろう。いっぽう、帰って見直しても『徒然草』には出てくる気配がない。同書の成立は1330-1年頃とされているから、目ざすターゲットは室町・戦国年間に絞られることになる。ああ良かった、多年の疑問がこれで大きく答えに近づいた。S先生に熱烈感謝。
「今日の日本人の生活の基調をなしているもの、たとえば畳や床の間など住居の作り、味噌・醤油・豆腐などの食文化は、その多くが室町時代に確立されたものである」と、たぶん日本史の教科書で読んだ記憶があるが、言葉もそうなのかもしれない。連歌・御伽草子・能楽・狂言など、民衆の勃興に根を置いた骨太な日本文学が育ってくるのがこの時期である。同じ時期にいわば自前の精神科学・心理科学が「気」を中心に育ってきたと思うと、真に真にわくわくする。
わが足の真のルーツを知った2時間後に、「気」のルーツが室町時代にあることを知った。何て素敵な一日だろう!どちらも人から、人のおかげで教わったことである。実に誠にありがたい。
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