散日拾遺

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45年後の歯車交換@商店街の自転車屋

2018-07-21 17:28:44 | 日記

2018年7月21日(土)

 高校時代にはマニアックな学友がいろいろあり、それらの指導で真空管アンプを自作したり、自転車をパーツから組み立てたりした。どちらも主に1973年のことで、秋にはオイルショックがあり高度成長に最初の翳りが差した転換の年だった。

 自転車の方はこの20年ばかり、田舎の家の三和土(たたき)の高い梁からぶら下げてあったが、手入れして使おうと昨夏いったん東京に運んだ。経年劣化が最も顕著なのは案の定タイヤまわりで、商店街の自転車屋のおばさんができる限りの手当てをしてくれたが、すぐまた空気が漏れだした。一目見て「無理」と言わないのが、おばさんも商売以前に自転車好きの証拠である。

 しばらく放ってあったのを、いよいよタイヤを新調しよう、ついでに愛車を見てもらおうかと点検していたら、ディレラー(derailer? 変速装置のカナメの部品)あたりで異音がし、見れば歯車の歯が欠けている。油をさしながらチェーンを回すうちにまた一枚欠けた。金属パーツばかりの中で、これだけがプラスチックのようである。

 まだ暑い夕方に、前後ともパンクしたタイヤをいたわりながら急坂を商店街まで押して上がった。半年前の奮闘ぶりを残念ながらおばさんは覚えていない。事情を話したら、「うーん、もう部品がないかも」と首を傾げ、「ちょっと呼びますから」と電話でおじさんに召集をかけた。通常対応はおばさん、ややこしいのはおじさんという決まりらしい。ライオンみたいだ。

 5分ほどでのっそり現れたおじさん、しばらくチェーンを回してみてから店の奥に入って何か確かめ、「部品交換で行けそうです」と穏やかに宣言した。「つまり、ディレラー交換?」「いえ、歯車だけ。」

 これにはちょっと感動した。おばさんが「部品がないかも」と言った時てっきりディレラーのことかと思い、「ない」なんてことあるかと半信半疑だったが、おばさんも端から歯車のことを言ってたのだ。「部品を換えると高くつきます、買い替えたほうが」式商法が横行してるこの時代に、御年45歳のディレラーの歯車を交換してくれるとは、何て嬉しいこと!

〈後輪のギアとリア・ディレラー:https://ja.wikipedia.org/wiki/変速機(自転車)>

 タイヤは安全に関わるから、こちらは考えずにチューブごと一式、新調依頼。「フレンチバルブで、サイズは二分の一、ただ、アメ横があるかどうかは分かりません」「了解です、なければ黒で」

 「アメ横」の謎は、昨秋おばさんと話していて44年ぶりに氷解した。軽量化のためにタイヤの側面を飴ゴムで張ったものを「飴横」と言うのだが、たぶん自転車好きの間でしか通用しない。その昔、中野あたりの自転車屋さんと電話で話していて、何でタイヤをアメ横から取り寄せるのかとフシギに思ったまま時が過ぎた。おばさんが今のおじさんとおんなじ口調で「まだアメ横があるかどうかは、定かじゃない」(奥ゆかしい言葉遣い!)と言った時、「アメヤ横丁」ではなく「飴ゴム側面」の意味かと天啓がくだったのだ。

 「ただ、少し日数をいただきますが」「どのぐらいでしょう?」

 内心で週単位を予想し、夏の帰省に間に合うかしらんと算段していたら、

 「いちばん遅いと木曜日になります」「え、来週の?」「はい、早ければ月曜日」

 それはおじさん、「待つ」とは言いませんよ・・・

 自転車をあずけ、地元に商店街のある豊かさを感じつつ西陽の坂を下る。帰宅後まもなく、御嶽海が堂々の寄り切りで初優勝を果たした。45年前の名古屋場所は新横綱輪島を退けて琴桜が5回目の優勝、帰り関脇の大受が史上初の三賞独占を果たし、場所後に大関昇進を決めている。

 「大受」の四股名は、論語衛霊公の「君子は小知すべからず、大受すべし」に依るのだそうだ。西郷どんみたい。

Ω

 


カジノ法成立の日/ベルツの忠告

2018-07-21 09:38:11 | 日記

2018年7月20日(金)

 統合型リゾート(IR)実施法(いわゆるカジノ法)が衆院を通過し、今夜にも成立の見込みである。最近めっきり「美しい国」というフレーズを聞かなくなったのも道理、愛する祖国がまたまたババっちくなることだ。誰のためにもならない悪法と言いたいところだが、誰かの「ため」にはなるのであって、だからこそ強く圧力をかける「誰か」がいる、それが薄気味悪い。首相は早晩代わるだろうが、カジノとそれにまつわる権益のしがらみははるかに永続して、後世に頭痛の種を残すだろう。

 ちょうどこの日、一人の若者が「ギャンブル依存症」で外来を受診した。もっぱらこれを主訴とするケースを診るのは実は初めてで、カジノ法成立当日というのが彼にも僕にも「記念日的」である。もっとも「ギャンブル依存症」というのは送り込んできた親の見立てであり、本人は自分に何が起きつつあるか今のところ不得要領である。親はよく分かっているかといえばこれまた別の問題があり、息子の行動が「抑圧されたものの回帰」である可能性に想到していない・・・のかもしれない。

 岡目八目、構図自体はどこの家庭にもあることで、あらためてあれやこれや考えさせられながら、帰りは新宿でS社のT君と軽く暑気払いした。先週は村上康成さんに「すっかり問診されちゃいましたね」と言われ、今日は今日とて「先生と話してると、つい自分のことを喋っちゃって」と言われる。どうも恐れ入るが問診などというものではない。人ひとりの人生には必ず聞くべきもの、価値あることが詰まっている。それを聞かせてもらうのは半端な自説を開陳するよりずっと、遥かに面白い。ちなみに村上さんは、御自身の描く魚たちそっくりのキラキラクリクリした瞳の持ち主である。

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> 筆力がイマイチで読みづらかったですが、事実は小説より奇なり。ビゲロウとフェノロサが仏教徒に改宗するくだりが面白い一冊です。

 Wolfyさん、ありがとう。守備範囲広いですね。ぜひ読んでみます。

 日本国で耶蘇教徒として暮らすことには少数派の小気味良さがありますが、こうしてやって来た人々が仏教徒に改宗する話には、これまた鏡像的な痛快さがあったりします。フェノロサは魔女の街セーラムで、スペイン移民の子として不完全燃焼の少年期を送った背景があったようですけれど。

 『お雇い外国人』で知ったのですが、当然ながら宣教師フルベッキをはじめとする正統的なキリスト教徒ばかりが来たわけではなかったのですね。とりわけ面白いのはモースで、彼の講義にはほとんど毎時間のように聖書的創造説への批判や揶揄が含まれていたそうです。当時売り出し中の進化論を宣教師的な熱意で解説すれば、自ずとそうもなるのでしょう、どうやらモースはこのスタンスのためにアメリカで求職に苦労したことがあったらしい。

 とはいえ、そもそも聖書になじみのない日本の学生は、モースがむやみに力こぶを入れる理由が、すぐには分からなかったでしょうね。問題はそこから、事情が分かった後の学生らの姿勢ではなかったかと思います。「欧米には聖書的創造説と科学的進化論があり、呆れるほどお互いに仲が悪い」と記述するところまでは良いとして、そこに至る経緯を歴史的に再構築・追体験する労を惜しみはしなかったか。角逐葛藤の末に代価を払って生み出された成果産物だけを易々と享受するのは、一見利口のようできわめて底の浅い、学問そのものを貶める行為だと思います。三次元の構造物を平たく押しつぶし、二次元の見取り図としてハンディに持ち歩こうというようなものです。

 この種の底の浅さは未だ至るところに幅を利かしており、たとえば C. Rogers のカウンセリング理論の持ち込み方なんかは好例だと思いますが、これは手前味噌かもしれない。ともかく日本人の教養の中で歴史が抜け落ちがちだというのが事実だとすれば、それは偶発事ではなく構造的なものではないか。

 何を言いたいのか Wolfy さんはよく御承知ですから多弁は無用、『お雇い外国人』でも紹介されているベルツ(E. von Bälz)の忠告を転記してオシマイにします。過去の話だったらいいんですけどね。

「日本人は、学問を目して一の機械となし、年から年中、其れから其れへと夥しい仕事をさせ、また無制限に何処へでも運搬し、そこにて働かし得るものと考えて居るのである。是れは間違いである。西欧の学界は機械に非ず、一の有機体にして、他のすべての有機体と等しく其の繁殖には一定の気候、一定の雰囲気を要するのである。(中略)人々は外人教師より、今日の学問の『結実』のみを探らんと欲した。然るに彼等は先ず種子を蒔かんと考えたのであった。この種子が芽を吹き、日本に於ける学問の樹が人手を借らずに発育するように、又この樹に正しく手入れして、愈々新しく愈々うるわしき果実を着けるよう欲したのであった。然るに日本人は教師から最新の収穫を受け取る事で満足して仕舞ったのである。この新しき収穫を齎す根元の精神を学ぶことをせずに。」

『お雇い外国人 - 明治日本の脇役たち』P.206-8

https://ja.wikipedia.org/wiki/エルヴィン・フォン・ベルツ

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