散日拾遺

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北海道の乳牛の次は、奈良/鳥取のスイカの話

2018-07-06 05:31:11 | 日記

2018年7月4日(水)

 毎日の出来事が、誰かさんの連想や思い付きで紡がれているように感じられることが時々、いやさ、けっこう頻繁にある。

 4月から放ってあった機内誌のことを朝書いて出勤したら、カンファレンスルームの卓上に同じ機内誌の古い号のコピーが置かれていた。1997年7月号とあり、筆者はN先生の院生さんである。読んでの通り内容がたいへん面白い。あわせて放送大学の学生・院生の層の厚さが窺われる。

       

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ANA PRESS No.337      JULY 1997          スイカ白書

スイカの旅

藤井信一郎
鳥取県園芸試験場野菜研究室長

 スイ力は夏に似合いの果物である。外観の縞模様と果肉の赤色と水分たっぷりの味覚が、暑いい気候にマッチするのだろう。世界中で最も広く栽培されている植物のひとつであり、世界中の人々がスイ力を食べて暑さを乗り切っている。

 スイ力は瓜の仲間で、植物分類上では5種類あり、そのうちの1種類を一般にスイ力と呼んで私たちが食用にしている。学名はシトラルス・ラナタスと言い、果肉が黄色い果実の意味である。黄色の果肉がスイ力本来の色で、野生種は中身が黄色をしている。人間が黄色を赤色へ徐々に改良したのだ。呼び名の「西瓜」という字は、西から渡来した瓜の意味から付けられたもの。「水瓜」と呼ぶ地方もあり、英語のウォーターメロンを始め外国でも水に関係した呼称が多い。しかし、古い時代のスイ力は種子を食べたり、砂漠地帯での水分補給用であったりで、果肉はあまりおいしくなかったために食用にされなかったようだ。

 原産地からの伝播の速度は極めてゆっくりだった。スイ力が地球上に誕生したのは、今から2千5百~3千万年前のアフリカ南部・カラハリ砂漠とされている。エジプトに辿り着くのは4千年前のことで、アフリカを縦断するのに2千5百万年以上をかけた超ゆっくりの北上である。エジプトから東回りはシルクロードコース、西回りはヨーロッパ植民地コースの2コースに分かれて全世界に伝播し、各地で食べやすいように改良されていった。

 日本への渡来は、東回りコースではシルクロードの天山南路を越えて中国から、江戸時代の17世紀に長崎の出島に着いた。その後、明治時代の19世紀には西回りコースで米国からも着いた。 結局東と西の2方向から渡来した。が、スイ力の赤い果肉は血の色と似ていると敬速され、どちらのスイ力も人気はいまひとつだった。

 ところが、エジプトで東西に分かれたスイ力の同胞は地球を半周ずつして奈良県の大和の国で出会い、偶然に蜜蜂によって交配され、画期的な品種に生まれ変わった。その品種は食べて美味しく外観も美しく、誰いうとなく「大和スイ力」と言われて評判となり、日本中にスイカブームを巻きおこした。時に大正時代である。

 現在の日本で消費者に最も人気のある品種は「縞王」で、これは「大和スイカ」の子孫である。この品種は鳥取県が日本中で最も多く栽培培しており、鳥取県のスイ力研究者の私としては、スイ力の歩んだ道に鳥取県との因縁めいたつながりを感じる。

 そんな訳で、烏取県ではスイ力の遺伝資源を収集するため、2年前にスイ力探検隊を原産地のボツワナ共和国・カラハリ砂漠に派遣した。その探検隊の隊長が私であり、そのとき日本の人気品種の「縞王」の種子を持参し原産国に敬意を表した。その種子を同国の農業大臣に手渡し、カラハリ砂漠で生育させていただくように依頼した。まさに2千5百万年ぶりのスイ力の里帰りである。交通の発達した現代では、里帰りの旅は飛行機でわずか20時間だった。

 スイ力はアフリカで生まれ、2千5百万年以上の永くて長い旅の末に日本に到着した。そして今、生まれ故郷に里帰りできた。この往復の長い世界旅がスイカ発展の新しいスタートラインになることを祈りたい。

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