散日拾遺

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ルカによる罪の女の赦しの風景

2018-07-15 07:43:25 | 日記

2018年7月15日(日)

 今朝 C.S.に与えられた箇所は、ルカ福音書 7:36-50「罪の女の赦し」。借金を50万円棒引きしてもらった者より、500万円棒引きしてもらった者の方がより多く感謝する、という例のヘンテコな譬えが出てくるが、そんなことより一読仰天、これ実はとんでもない場面である。

 イエスとファリサイの会食の場、そこに女が一人、招かれもせず入り込んでくる。札付きの悪女である。その女が「後ろからイエスの足もとに近寄」る。これ既にきわめて意味深長(→ㇽッ記 3:8, 14)だが、続いて彼女が何をしたかというに、「溢れる涙をイエスの足にそそぎ、自分の髪でこれをぬぐい、高価な香油を塗った」というのである。ファリサイの関心はその即物的な意味をスキップして、イエスが女の正体を見抜けるかどうかに向かった(とルカは記している)が、ちょっと待った。

 足を洗うほどの涙の量、足という器官の明示的な意味と暗示的な意味、女にとって髪のもつ意味、香油の効用と経済価値と社会的意味、それらをよく踏まえたうえで、リアルにこの場を思い描いてみよ。息苦しいほどの圧倒的な肉感性、それ以外の何がこの場にあるだろうか?

 同時にそれは女の正体と悩みの本質をすっかり露わにする。そのような種類の「罪の女」であり、ずっとそのような生き方を続けて来、そのように得た金で高価な香油を贖ったのである。しかし彼女はそれに安住できず、むしろ常に裁きを恐れてきた。イエスなら何とかしてくれるかと直感したが、それを伝える言葉を彼女はもたない。そこで言葉の代わりに、自分の知っているただひとつのやり方に従い、自分のもつ全てのもの ~ 涙(感情)と髪(身体)と香油(財産)をイエスの足に集中して、ひたすらにこれを撫でさすり続けたのだ。

 重ねて言う、この圧倒的な肉感性、とてもすまし顔で読み過ごしたりできるものではない。禁欲的な社会では出版禁止になっても不思議のないもので、平気で読み過ごせるのは想像力というものを全く働かさずに読むからだ。ファリサイらがイエスに関心を集中するのは、抑圧ないし葛藤焦点の移動とすら解釈できるだろう。

 これに対してイエスが言う「安心して行きなさい。」何をどう「安心」せよとてか、この部分は "πορευου εις ειρηνην" つまり「平和のうちに行きなさい」、「平和 ειρηνη」とは「主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている」(ローマ 5:1)とパウロが言ったあの「平和」に通じ、要するにもはや神の裁きを恐れずともよいということである。

 ここでファリサイらはイエスが「いったい何者だろう」と疑い始める。「霊能者」から「救い主」への転換の場面で、福音書の存在意義はかかってここにあるのだが、この決定的な転換点に「罪の女」を絡ませているのが、ルカ独自の創意である。というのも「香油注ぎ」のモチーフは他の三福音書にも表れるが、設定が違っている。場所はいずれもベタニアで、マタイ 26:6-13  とマルコ14:3-9 では病者シモンの家で無名の女、ヨハネ 12:1-8 では主が復活されたラザロの家で例のマリアがしたこととされ、いずれも受難直前にあたって主の葬りの準備をしたものと解される。

 ただルカだけがこの物語を公生涯の比較的早期に置き、受難の直前ではなく、やがて受難を帰結する道のりの分岐点(crisis)と位置づけるのである。

 そして、そこに「女」を起用した。まったく何という風景だろうか。

***** ♰ *****

 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。

 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。

 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。

 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。

 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」

 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。

 「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」

 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。

 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。

 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

ルカによる福音書 7:37-50

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