散日拾遺

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若者アッパレ! ~ 漂着ペットボトルの研究

2018-07-24 15:27:24 | 日記

2018年7月24日(火)

「波に幾月…漂着ペットボトル 高校生が収集、漂流ルート調査で“新発見”続々」

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/波に幾月…漂着ペットボトル-高校生が収集、漂流ルート調査で“新発見”続々/ar-BBL0G87?ocid=spartandhp

 これはもう説明不要、ただ拍手。神戸新聞の本日の記事から(上記に誇らしげな写真あり)。

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 神戸商業高校(神戸市垂水区星陵台4)の理科研究部が、同区の西舞子海岸に漂着する海洋ごみに注目し、外国製のペットボトルの表記データから漂流ルートを割り出すユニークな研究を進めている。今春には日本自然保護協会の「日本自然保護大賞選考委員特別賞」を受賞した。(三津山朋彦)

 同部は2013年9月から月に一度、西舞子海岸で地元自治会の清掃活動に参加。ごみの中に外国製のペットボトルがあることに気付き、漂流ルートの解明に乗り出した。毎回集めたペットボトルを持ち帰り、商品名や生産地、賞味期限を記録。これまでに約5千個分(うち外国製は約70個)のデータを蓄積した。

 外国製品は多くが中国、韓国、台湾製で、日本列島の南から対馬海流と日本海流に乗って流れ着くと想定。瀬戸内海への流入ルートを探ろうと、淡路島や播磨灘沿岸のほか、夏休みを利用して沖縄や岡山、愛媛、山口、大分などの県外15地点にも出掛けて漂着ペットボトルを採集し、データを収集した。

 その結果、西舞子海岸に漂着する外国製ペットボトルは紀伊水道を経由し瀬戸内海に入ってくると結論付けた。漂着ごみを海岸に1カ月放置すると大半が再び漂流し始め、海水の循環と共に外海に出て行くこと、賞味期限の分析から、日本製、外国製を問わず漂着ペットボトルの大半が最近捨てられたごみであることを突き止めるなど、次々と“新発見”をしている。

 部長の森光春平さん(18)は「ボランティアで拾ったごみを研究することがエコにつながる」と意義を強調。部員(16)は「今後は注目されているマイクロプラスチックの調査も加えたい」と話している。

Ω


旅とバカンスと夏休み

2018-07-24 07:09:11 | 日記

2018年7月23日(月)

 結果からいえば猛暑のピーク、熊谷が41.1℃を記録して高知四万十から王座奪還、東京都内も39℃越えの最悪の日になったが、教授会ならともかくTV収録をすっぽかすわけにはいかない。新木場のホームでぼんやり、というより朦朧と立ち尽くしていたら、白人の男女連れに何やら訊ねられた。珍しいぐらい英語の通じない相手なれど、「ディズニーランド?」と聞いたら激しくうなずいたから一件落着。イタリアはパレルモから来たのだそうだ。舞浜に着き、長身の男性は「アリガトウゴザイマス」、小柄な女性は「アリベデルチ」と言いながら弾んで降りて行った。

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 客の減った車内でスマホのニュース画面を見ていたら目に入った。東洋経済新聞、フリーライター国末則子氏の署名記事である。

「フランス人がバカンスと旅行は別と考える訳 ~ バカンスではあえて不便な生活をする傾向も」

 タイトルを見た途端に膝を打ち、それで十分ながら念のため一部転記。

 フランスは、夏のバカンスシーズンの真っ盛り。フランス人は海辺へ出かけて寝そべったり、ぼっーと海を眺めたりするなどしてバカンスを過ごすことが多い。私は最近まで、フランス人が好む休暇の過ごし方といえば、「何もせず、のんびりすること」と思っていた。ところが、それだけではないことが次第にわかってきた。

「バカンス」はのんびり、「旅行」はぎっしり

 たとえば、フランス人の知人家族は約1週間の日程で日本へ来て、ある日は明治神宮と原宿の辺りを観光し、渋谷のスクランブル交差点を見に行った。次の日から京都と奈良の寺社を見て回り、富士山を見るために河口湖へも日帰りした。毎日、予定がぎっしり詰まっていて、のんびりする暇はないようだった。日本人の観光旅行とあまり変わらない感じである。

 休暇中なのに、慌ただしく過ごしていいのだろうか。日本をよく知るフランス人女性に疑問をぶつけてみた。

 彼女が言うには、「あなたの知人は日本へ旅行をしに来たから、過密スケジュールだったのです。フランス人は、バカンスと旅行を区別して考える。日本人は、バカンスと旅行は同じだと思っているかもしれないけれど」

https://toyokeizai.net/articles/-/230171?display=b

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 この区別は重要で、僕らの忘れがちなことを思い出させてくれる。バカンス vacances はもちろんラテン語由来、英語の vacant 「空の、空虚な」、vacancy 「空所、空虚」などと同根で、日常的な仕事も娯楽も放擲して心の中を空にするのが原義と思わる。

 これとセットないし並行関係にあるのが「安息日」で、この日に日常の手の技を止めよというのは、とりもなおさず心と魂を空虚にせよとの意、空にしなければ、恵みを湛える器が器の用をなさないというのである。安息日は本来、小バカンスなのだ。バカンスが安息日の延長上にあると言ってもよい。フランス人がそういう言い方・考え方をするかどうかは知らないが。

 安息日などと言っては日本の社会に通じないから、せいぜい「バカンス」が問われるようになると良い。土日を旅・娯楽に費やしているか、それともバカンスに充てているか。休暇の消化日数ではない、必要不可欠な「空虚」を回復し得ているかどうかを問う。

 自分のことを言うなら、僕はせっかくの休暇を旅に充てる気がしない、バカンスばっかである。旅で学ぶことは比類なく大きいのだから、もう少しそちらに回せばいいのだが、ともかく物ぐさ、ナマケモノなのである。これはこれで要指導。

 イタリア人は旅とバカンスを区別するだろうか?スペイン人は?この種のことでは、どうもラテン系の人々の挙動が気になる。さっきの2人はもちろん旅の途上、それとも頭を空っぽにしてくつろぐアクティブ・バカンス・・・そんなのあるかな。

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 日本人の夏休みの多くは、旅にもバカンスにもなってないかもしれない。「お金貯めて3日泊まるのが夏休み/週刊誌読んでやってくれば数珠つなぎ」。中島みゆき「あたいの夏休み」は1986年の曲だが、昭和の昔話と嗤えるかどうか。

 歌詞 http://j-lyric.net/artist/a000701/l004118.html

 音源 https://www.youtube.com/watch?v=b0P7bUoFgKc

Ω