散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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考えてみれば

2018-07-29 23:34:12 | 日記

2018年7月29日(日)

 朝、水浴びしながら考えた。

 昭和31年の時点の中学生は、何らかの事情で就学・進級が遅れた場合を除き、全員昭和16年以降の生まれである。4歳で空襲を経験した子どもの一部はその光景や漠然とした恐ろしさを記憶しているかもしれないが、3歳、2歳と遡るにつれ、急速に記憶がぼやけていくだろう。昭和35年を過ぎれば経験者はゼロになる。つまり井上尚美先生らがチャイムを考案したのは、現に在籍する生徒たちを鐘の音の連想から救うことのできる、事実上最後のタイミングだった。

 裏返して言えばその時点では、より鮮明な記憶に苦しんだであろう子どもたちの大半が、既に中学を後にしていた。おそらく先生方の胸中には、もう少し早くこのことを起こしていれば、もっと多くの子どもたちを悪夢から救えたのにといった悔恨があったのではないか。

 「もう遅い」という諦め、さらには「もう3~4年も経てば鐘の音も悪さをしなくなる、今のことには目をつぶってしばらく待つに限る」といった消極的な発想もあり得たはずである。しかしそうは考えなかった。それが貴い。

 現代の、たとえばハンセン病問題などに直結することである。

Ω


歌詞の由来

2018-07-29 06:36:19 | 日記

2018年7月28日(土)

 評判の『チコちゃんに叱られる』

 よくも毎回ネタを揃えるもので、今回は「なぜ『サバを読む』というのか?」「叫び声が『キャー』なのはなぜ?」「かき氷のブルーハワイは何味か?」そして「学校のチャイムはなぜあのメロディか?」

 最後のものに歴史がある。学校制度設立以来、始業・終業の合図は教職員が鐘を振って廊下を歩くものと決まっていた。しかしそれだと広い学校では時間差が生じ得る。加えて昭和20年代には、多くの学童が鐘の音から空襲警報の半鐘を連想し、ひいては空襲そのものの悪夢を想起する状況があった。子どものPTSDそのものである。

 工夫が生まれたのは在所から遠からぬ東京の大森四中、仕掛け人は国語教諭の井上尚美さん(いのうえ・しょうび 1929-, 後に東京学芸大学教授(言語教育))らで、全校に響くチャイムを考案するにあたり、ラジオから聞こえてきたウェストミンスター・チャイムをメロディに採用したという。これがあっという間に全国に広がった。

 さて、実はこの原曲には歌詞があった。その紹介まではいいとして、八代亜紀大先生をお招きし八代節で熱唱していただいたのは、話が深刻に流れ過ぎるのを回避する意味でもあったのかな。

 事実、深刻だったのだ。子どもたちが当時どれほど深く傷ついたか、後の日本は忘れるに早過ぎはしなかったかと思う。

***

 字幕で示された歌詞を転記する(3行目が微妙に違うような)。

 All through this hour,

Lord be my Guide,

That by Thy power,

No foot shall slide.

この日々を通じて主の導きあれ、御力によりてすべての足よろめかざれ。

 番組が紹介しなかったこの句の出典が気になる。いかにも詩篇にありそうで、詩篇121などはきわめて近い感じがするが、どうも単純な引用ではないらしい。

 こんなサイトがあった。http://www.fava.org.au/publications-access-notice/874

 関連部分を書き抜いてみる。

 They give a positive version of the warning to sinners in Deuteronomy 32:35 - their foot shall slide in due time.  The words are also akin to Psalm 37:31 - The Law of his God is in his heart; none of his steps shall slide.  The tune is probably based on a melody in the aria I know that my redeemer liveth, from The Messiah, that was composed by George Frederick Handel in 1741.

 筆者 David d'Lima に依れば、この句は申命記 32章35節の positive version だという。申命記の言葉は "their foot shall slide in due time." つまり信仰者の敵に対して主御自身が報いを与え、「しかるべき時に彼らの足をよろめかせる」と宣言する。例のおっかない shall である。このくだりの反転か。

 同時にここは詩篇 37章31節にも似ているとする。"The law of his God is in his heart; none of his steps shall slide." 「神の教えを心に抱き/よろめくことなく歩む。」

 "slide" (よろめく)をキーにしてこれらを引っ張り出したんだろうが、隔靴掻痒なんだな。音の方はヘンデル『メサイヤ』中のアリア "I know that my redeemer liveth." に基づくというが、これまた僕などには聞いてもなかなかそうとは分からない。

 https://www.youtube.com/watch?v=4Q0qho_hKEg

 ***

 どうもすっきりしないが、小さなことだ。「贖い主は生きておわす」、半鐘の代わりにその心が子どもたちに伝われば、それで良かったのである。井上尚美先生昭和31年の御活躍、昭和38年に前橋で小学校に上がった僕の年代には、このチャイムは既に全国標準になっていた。

      

Ω