散日拾遺

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「不安」に関する問答

2018-07-22 09:47:13 | 日記

2018年7月22日(日)

 「このように社会適応上、必要かつ有用な心理現象であるとはいえ、不安が強すぎたり長く続いたりすれば、それ自体が苦しい症状となってくる。不安の原因がはっきりしなかったり、原因が簡単に解消できないものであったりする場合は特に苦痛が大きくなる。そのように量的または質的に通常の範囲を外れた不安は、精神疾患の経過の中できわめてよく現れる。そのパターンには、下記のようにさまざまなものがある。

① 不安の成り立ちは合理的なものであるが、不安の程度が強くて苦痛なもの(適応障害など)

② 特にこれといった理由が見あたらないのに、不安や恐怖が生じるもの(パニック障害、全般性不安障害、恐怖症など)

③ 不安が独特の形で加工され、特有の症状を生じるもの(ヒステリー、強迫性障害など)

④ 他の精神疾患にともなって、強い不安が現れるもの(統合失調症、うつ病など)

⑤ パーソナリティの問題のために、不安を生じやすく、不安に対する耐性が低いもの(境界性パーソナリティ障害など)

 このように、不安の問題はあらゆる精神疾患に関わって生じると言っても過言ではない。」

拙著『改訂版 今日のメンタルヘルス』P.181

 手前味噌だが少々工夫した箇所で、気に入ってもいる。この部分について受講者とやりとりがあった。

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【質問】

 とても興味深く学ばせていただいております。

 「このように、不安の問題はあらゆる精神疾患に伴って認められると言っても過言ではない。」とありますが、ここでの不安に、精神疾患を患うことで生じるであろう2次的な不安(仕事のこと、生活のこと、将来について、家族のことなど)も含むのでしょうか。

【回答】

 興味深く学んでいらっしゃるとのこと、嬉しく存じます。

 当該部分はさしあたり、直前に列挙した各種の精神疾患に伴う不安に限定した記述でした。これらの不安はきわめて不快なものであり、それを軽減・除去することは治療の目標のひとつです。

 一方、この部分の記載をさらに広げて「日常生活には何らかの不安がつきものだ」ということも可能でしょうが、そのように健康な範囲内の不安はP.179-181にも記した通り、安全に生きていくために必要な警告信号です。こうした「正常な不安」を除去してしまうことはできませんし、除去すべきでもないでしょう。

 そこであらためて考えてみますと、御質問にある「精神疾患を患うことで生じるであろう2次的な不安」には、しばしばこの両者が混在するのではないかと思います。実際には両者を弁別するのが難しい場合も多いでしょうが、考え方としては「取り除くべき病的な不安」と「抱えて生きていくべき健康な不安」を区別しておくことが重要だろうと思います。

  有意義な御質問をありがとうございました。引き続き勉強を楽しんでください。

 ***

 Kuchibue 君・イザベルさんらとの勉強会で学んだ多くのことの中に、「不安」に関することが多く含まれている。

 そのひとつが「不安をすべて取り除こうとしてはならない」ということだ。不安は一種の警告信号で、身体レベルでの「痛み」に似たところがある。痛みという感覚がなかったらどんな恐ろしいことになるか、ごくまれに存在する(したことのある)先天的に痛覚が欠如した人々についての報告や、それに劣らず痛ましいハンセン病の患者さんたちの事例が雄弁に語っている。ハンセン病では病原体が知覚神経を選択的に侵す結果、進行するにつれて痛覚が麻痺してくる。煮え湯に手をつけても分からず、灼熱するストーヴにもたれても気づかない。結果は説明するまでもないだろう。

 もしも生まれつき「不安」というものが欠けていたり、成長過程で「不安」という信号の生かし方を学び損ねたりすると、精神と行動のレベルで類似の恐ろしい結果を招来することになりかねない。ここまではわかりやすい話。

 ここで問題にしたいのは、精神疾患に伴う質的・量的に異常な不安を治療する過程の中で、病的な不安からの解放を目ざして努力を続けるうちに、いつの間にか目標が「あらゆる不安から解放される」ことにすり替わってしまいがちなことである。

 正しい目標は「適度の不安を適度に抱えて生きる生活への復帰」であり、そのことを随時に確認しながら作業を続けなければならないが、とりわけ治療が長期にわたって難航する場合「どんな不安も、もうこりごり」という気もちに陥るケースは少なくない。あらゆる不安を強迫的に取り除こうとするのは、あらゆる痛みを回避しようとすることと同じく、痛ましくも自身を追いつめる愚行でしかない。不安を主症状とする病態の、見逃せない随伴効果である。

 昨今批判の高まっているベンゾジアゼピン系抗不安薬は、その利き味が快適であるだけにこうした「およそ不安をもつことへの過剰な恐れ」を助長しやすく、常用量依存の厄介さもそこにある。

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 敬愛するN先生が、「この不安はいつまで続くんですか?」という問いに的確に答えてくださったことを思い出す。1988年9月のこと。

 「わかりきったことを訊くない」

 とN先生、

 「生きてる限り続くんや」

Ω