自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

千葉ロッテ対巨人(交流戦)@千葉マリンスタジアム_20180616

2018-06-18 00:05:00 | スポーツ観戦記
6月16日(日)千葉ロッテ対巨人(交流戦)@千葉マリンスタジアム


息子は初めての千葉マリンスタジアム。オレは2015年6月14日(日)千葉ロッテ対巨人戦以来、3年振り。

2015年6月14日(日)千葉ロッテ対巨人観戦時

昨年まで使用された、せんべい布団のようにクッション性がなさそうで、いかにも体に負担がかかりそうで醜悪な人工芝。

というか、我が家は千葉県在住なのに息子は巨人ファン。実にけしからん!地元球団を応援すべきだろ~が。オレは結婚後千葉県に引越してからパ・リーグに関しては千葉ロッテ応援してるぞ(そこまで熱心ではないが…)


そんなモヤモヤを抱えていると、いくら温厚な父さんも飲まずにはいられない!←いつも、球場では飲んでばっかじゃねーか(笑)


千葉ロッテ○1-0●巨人 2回戦

経年劣化が少なく、選手の足腰の負担が軽くなり、従来は真っすぐだった葉先がカールしていることが特徴のミズノ製野球専用人工芝に今年から張り替えられたが…やはり所詮人工芝は人工芝。芝の縞模様もいかにも人工的といった感じで…人工着色料で彩られた食品のようにけばけばしい。色々乗り越えなければならない問題点はあるだろうが、2003年に天然芝化が検討されたのに実現しなかったことがつくづく残念でならない。


さて、肝心の試合だが、千葉ロッテが投手戦を見事に制した。千葉ロッテは1回裏、1死三塁の好機から中村選手の内野ゴロの間に先制点を挙げる。投げては、先発・ボルシンガー投手が9回無失点の来日初完封で今季8勝目。敗れた巨人は、先発・田口投手が8回1失点と好投するも、打線が4安打無得点と援護できなかった。

これで息子は観戦した巨人戦4連敗(オープン戦を含めれば5連敗)。やっぱ、千葉県在住なのに巨人なんか応援してるから…

しかし、マイク・ボルシンガー投手は素晴らしいねぇ~!2015年LADで一時ローテーションに定着した実力はあるだけに、NPBでなにかきっかけを掴んでもらって、現STLのマイルズ・マイコラス投手(元巨人)のように再度MLBで活躍する姿を見てみたいもんだ!



6回表、岡本和真内野手をセカンドゴロに打ち取るマイク・ボルシンガー投手

千葉ロッテに入団にあたり最も印象的だったのは、NPBでは監督・コーチ陣が着用するイメージが強い背番号「86」を自らの意思で選んだエピソード。「兄と相談して決めた」と話していたが、どのような経緯で86を選ぶことになったのか是非ともその詳細を知りたいもんだ。


ちなみにTORに所属していた昨年と…


ARZに所属していた2014年は背番号「49」


2015,2016年のLAD時代は背番号「46」



※息子と一緒に訪問した球場はこちら

日本で初めて交流戦を提唱した永田雅一氏(東京オリオンズオーナー)と光の球場

2018-06-17 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
2004年のプロ野球再編問題をきっかけに、2005年から開催されているセ・パ交流戦。今年も5月29日から本日6月17日までの日程で開催された(実際は雨天中止による代替試合が組まれたため6月20日まで実施)。

プロ野球再編問題で離れたファンを呼び戻すために開始した交流戦は当初はホーム・アンド・アウェー各3試合ずつの6回総当り(1チーム36試合)で開催されていたが、2007年から24試合(ホームとビジターを2回ずつ)に削減、2015年からは交流戦の試合数が対戦カードごとにどちらか一方のホームスタジアムでの3回戦総当たりの18試合(対戦カードごとにホームとビジターを2年単位で入れ替え)と、ファンの意向を無視して縮小させているのは愚の骨頂。

とは言え、かねてからパ・リーグが交流戦の実施を提案し続けながらも多額のテレビ放映権収入を見込めていた巨人戦の試合数が減少するとしてセ・リーグがそれを拒否するという状況が続いていた時期を考えれば、10年以上に渡って継続して開催されていることはありがたいが、やはり36試合のままでよかった。間延びするために削減したというのなら18試合ずつの2期に分けて開催すればいい。



さて、NPBファンとして今まで知らなかった事自体、恥ずかしい限りだが驚くことにその交流戦を50年以上前から提案していた人物がいたらしい。先日、この記事を読んで初めて知った。以下はその記事を引用。

約50年前、交流戦を日本で最初に提案した永田雅一


東京・永田雅一オーナー(左)中央は山崎裕之


2004年、近鉄とオリックスの合併、さらには1リーグ制移行寸前まで進んだ球界再編問題の後、05年からスタートしたセ・パの交流戦。メジャー・リーグではストライキによるファン離れから1997年にインターリーグが誕生している。それ以前にも導入が叫ばれながら、すべて立ち消えとなったが、要は、既存の常識を崩すのは、大きな危機感しかないという好例かもしれない。

日本で「交流試合」をいち早く提唱した球団オーナーは東京(現千葉ロッテ)の永田雅一オーナーだ。しかも、発表が1967年だったというから驚く。

1967年10月21日、巨人-阪急の日本シリーズ第1戦が行われた日の夜に開かれたオーナー会議で、東京の永田オーナーが記者団を集めた。永田ラッパ(派手なことばかり言っていた)が、また何を言い出すのか、と集まった記者団に配られたのは、真ん中に「新提案」とゴシック体の活字で刷りこまれ、左下には「公式戦には両リーグチームの交流」、右肩には「昭和四十三年度試合に対する」と印刷されているパンフレットだったという。

パンフレットを配った永田オーナーが語ったのがセ・パ交流試合の提案だった。そのパンフレットは以下の文面から始まる。

「わが国プロ野球の現状は、全球団の一、二を除いては、その経営面から見て、誠に憂うべき状態であります。かかる状態が今後も続くと、先に伝わった1リーグ還元論が再びとなえられ、十数年前に逆戻りすることになります。

われわれは今日まで、幾多の辛酸をなめ、日本プロ野球発展のために数多く尊い犠牲を払って2リーグ制を確立しました。この際、もとの1リーグ制に還元するのは実に遺憾のきわみであり、絶対に行ってはならないことと思っています」

永田会長の私案によると、各球団はそれぞれ136試合を行い、引き分け再試合は中止にしない。そして従来の1リーグ内だけの公式戦は100試合とし、残りの36試合は、両チームの交流試合とする、というものだった。

交流試合は6月から7月末のオールスター前の約2カ月で消化。そのうち18試合ずつをフランチャイズ球場で行う。つまり1球団は、他リーグのチームと各6試合ずつ(うち3試合はホームゲーム)を行う。オールスター戦後は、開幕時と同じ同一リーグ内の試合日程を組み、同一リーグ、交流戦とも公式戦として認める、というものである。

交流戦自体は永田のオリジナルではなく、3年ほど前、メジャーのコミッショナー、フリック氏が提案したことがある。ただ、このときは話題にもならなかった。

この永田私案に他球団もおおむね賛成。「永田提案は日の目を見る可能性が高い」と当時の『週刊ベースボール』に書かれていた。

何よりこの案を実現へ向かわせているのは、巨人が原則として賛成の線を打ち出したことだ。「プロ野球がマンネリ化している現在、交流試合案はじゅうぶんに検討する余地がある。新しい方向を見つけるためには、現状を打破する必要がある。巨人としてはプロ野球百年の繁栄が、そのまま巨人の繁栄に結び付くものだと考えている」と正力亨オーナー。

ただ、実際には読売新聞の拡張のためでもあった。大きいのは、九州での西鉄戦だ。読売は九州で九州読売を発行し、この新聞を拡張するためにも、地元で巨人の試合があるのが望ましかった。

なお、この交流試合案は結局、立ち消えとなっている。巨人戦が減ると収益が減るため巨人以外のセ・リーグ5球団が反対したためと言われている。


永田雅一氏は、大映の社長にしてフィクサー。良くも悪くも独裁者。ワンマン経営で大言壮語な語り口から「永田ラッパ」と揶揄され、そのワンマンぶりは試合や球団編成にも現れ、試合中の監督に電話をかけて采配に口を挟むといった現場介入も多く、現場からは疎まれ非難されたが、この人ほど野球を愛した人はいなかったというのも事実。

有名な話では、球団と球場は一体的に運営すべきという信念を掲げて、当時後楽園球場をレンタルして本拠地としていた大映毎日オリオンズのために私財を投じて東京都荒川区南千住の千住製絨所跡地に先駆的なプロ野球専用球場『東京スタジアム』を1962年に建設。東京スタジアムには後楽園球場よりも明るい照明が設置され、二層式のスタンドやスロープを備える革新的な球場だった。







「光の球場」としてファンに愛された。

オレが初めてその「光の球場」が過去に存在していたことをはっきりと認識したのは1992年週刊少年ジャップ誌上で発表された「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の「光の球場!の巻」(集英社ジャンプコミックス82巻掲載)を読んでからである。






球団経営悪化によりスタジアムも1972年に閉鎖、1977年に取り壊された(写真は1974年)


東京スタジアムの跡地は南千住野球場・荒川総合スポーツセンターになっている(写真は1989年)





また永田雅一氏は「チーム名から企業名を外す」という理想があり、1964年に毎日大映オリオンズは東京オリオンズに改名。これは永田雅一氏の「企業がプロ球団を持っているのは、本当のプロとは言えない」「球団単体で黒字経営してこその野球興行」という持論から来るものであり、赤字を親会社が簡単に補填できる状態では球団経営に本気で取り組むことができないという考えがあったからである。

『野球専用球場設置』『球団と球場の一体運営』『チーム名から企業名を外す』…これらはプロ野球球団として実行することが当然ではあるのだが、残念ながらこれらを実行できた球団は数少ない(現在、完全ではないにしろ実行できている球団は広島ぐらいか…)。80年以上の歴史を有するNPBが…情けない…。しかし、短期間とは言え、それらを50年以上も前に完璧に実行した永田雅一氏の実績は光り輝いている。その偉大なる功績に対し、我々は強い敬意を持つべきで、新たな野球ファンに語り継ぐべきでもある。

そして、その時期に既に交流戦実施を提言していたとは…この人の先見の明は驚愕である。しかし、彼が球界に現れるのは早すぎた。彼の理想を具現化するには、まだ時代が追いついていなかった。

現代ではスタンダートな彼の理想ではあるが、当時ではそれがうまく経営とのシナジー効果が発生させることができず、球団の経営状況は悪化。成績も1961年以降7年連続Bクラスと低迷。彼が建てた東京スタジアムの自慢の照明が照らすのは、ガラガラのスタンド…。さらに時代はテレビ放送が娯楽の主役となっていき、映画の人気は急激に下落。永田雅一氏の大映もワンマンな放漫経営の弊害もあり窮地に追い込まれる。球団の経営難、斜陽産業となった映画、そこに球場維持費が重なり、彼の理想は脆くも崩れ去っていく。

打開策として1969年にロッテと業務提携を結び、球団名をロッテ・オリオンズへと改称(但し、これは球団の売却ではなくあくまで業務提携であり、ネーミングライツに近い形だった)。翌1970年、息を吹き返したロッテ・オリオンズはついに10年ぶりのリーグ優勝を果たす。優勝を決めた場所は東京スタジアム。彼は「自ら作った球場で再びの優勝」という夢を実現した。優勝が決まった瞬間、グランドになだれ込んだファンは、監督や選手より先に永田雅一氏を胴上げ。

賛否の分かれるオーナーだったが、永田氏の野球への情熱、オリオンズへの愛情をファンはしっかりと感じ取っていたのだ。

しかしその歓喜の瞬間からわずか3か月後の1971年1月、大映の経営再建に専念するため、球団を正式にロッテへ譲渡。無念のうちに球界を去ることになった。

1985年、79歳で永眠。1988年、野球殿堂入り。誰よりもオリオンズを野球を愛した永田雅一氏は、誰よりもファンから愛されたオーナーであり、誰よりも先見の明があった偉人であった。約50年前に永田氏が「交流戦」を提唱したという記事を目にしたことにより、改めて彼の先見の明、偉大さを認識した。


※当記事のテーマとは異なりますが、東京スタジアム以外の球場も時々言及しています。

Mr.Children - 僕らの音

2018-06-16 00:05:00 | Favorite songs



Mr.Children - 僕らの音
bye-bye bye-bye bye-bye
風の音が 鳥の声が 別れの歌に聞こえる

会いたい 会えない 会いたい
そんな日には どんなふうにして
二人の距離を縮める? 不安が心を占める

君は九月の朝に吹き荒れた通り雨 叩きつけられて
虹を見たんだ そこで世界は変わった
そうだ リズムやハーモニーがふっとずれてしまっても
ゆっくり音を奏でよう
まだ まだ まだ イントロも終わってない

I like… I love… I love… 落ち葉 噴水 自転車 犬
耳をすませば聞こえる すべてが愛を歌ってる

名作と呼ばれる作品を観たり 聞いたり 読みあさったりして
大人を気取って 少し無理して暮らした
だけど 君の事となると途端に分からなくなる
恋するだけの阿呆になる ただ ただ ただ 胸が苦しくなる

君は九月の朝に吹き荒れた通り雨 叩きつけられて
虹を見たんだ そこで世界は変わった
そうだ理論や知識にもとづいたものじゃなくても
信じた音を奏でよう ホラ ホラ ホラ
間違ってなんかない ホラ ホラ ホラ
きっと正解もない これが僕らの音


嫁ちゃんには一目惚れだった。その時の心境がそのまま反映された歌だった。このメロディーが耳に入ってくると今でもあの時のトキメキが蘇る。



※その他Favorite songsはこちら

Trainspotting Tシャツ

2018-06-15 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
Trainspotting Tシャツ

前面はおなじみのこのイメージ



背面のプリントは映画冒頭で「人生、キャリア、家族、テレビ、洗濯機、車、CDプレイヤー、健康、住宅ローン、くだらないTV番組を選べ、俺は人生を選ばないことを選んだ」と念仏のようにつぶやいていたセリフのテキスト。

映画冒頭で主人公のマーク・レントンがこのセリフをつぶやきながら、ありきたりの人生を否定しているのに対し、ラストでは同じ文脈を持ち出して、平凡な人生を送るのが楽しみだというのがミソだった。

「Trainspotting(トレインスポッティング)」は1996年製作のイギリス映画。アーヴィン・ウェルシュの同名小説が原作。スコットランドを舞台にしたドラッグ、セックス、音楽を上手く融合した青春映画。皮肉の利いたユーモア溢れる会話、ヘロイン中毒の若者達の際立ったキャラクター、味のある斬新な映像感覚で生々しく描かれている。本国イギリスを中心とするヨーロッパはもとより、アメリカ、日本でも大ヒットとなった。

01. Lust For life - Iggy Pop - 0:00
02. Deep Blue Day - Brian Eno - 5:14
03. Trainspotting - Primal Scream - 9:08
04. Atomic - Sleeper - 19:43
05. Temptation - New Order - 24:53
06. Nightclubbing - Iggy Pop - 31:54
07. Sing - Blur - 36:06
08. Perfect Day - Lou Reed - 42:08
09. Mile End - Pulp - 45:53
10. For What You Dream of - Bedrock feat. Kyo - 50:25
11. 2:1 - Elastica - 56:53
12. A Final Hit - Leftfield - 59:27
13. Born Slippy - Underworld - 1:02:42
14. Closet Romantic - Damon Albarn - 1:12:27


01. Choose Life - PF Project featuring Ewan McGregor
02. The Passenger - Iggy Pop
03. Dark & Long (Dark Train) - Underworld
04. Carmen Suite No.2 - Georges Bizet
05. Statuesque - Sleeper
06. Golden Years - David Bowie
07. Think about the Way - Ice MC
08. A Final Hit - Leftfield
09. Temptation - Heaven 17
10. Nightclubbing (Baby Doc Remix) - Iggy Pop
11. Our Lips Are Sealed - Fun Boy Three
12. Come Together - Primal Scream
13. Atmosphere - Joy Division
14. Inner City Life - Goldie
15. Born Slippy .NUXX - Underworld

※その他Favorite songsはこちら



「パルプ・フィクション」「レオン」と並び、オレ史上ベスト3に入る映画。大衆的なハリウッド映画なんてクソだと思っていた自分に大きな影響を与えた作品で、Tシャツも当然のように購入したのだが、当時購入した物はポスターに忠実な白地のTシャツでヘビロテしていたら汗でものすごく黄ばんでしまい、泣く泣く破棄。そして22年後、ようやくグレー地のTシャツを改めて再購入した。なんてったってヤフオクで1,000円だったので、見つけた瞬間、ソッコーでポチったさ

登場人物が薬でキメて、セックス三昧、犯罪に走り、やりたい放題やる映画で、それを人生の教訓のように描くのではなく、ドラッグの恐ろしさに警鐘を呼びかけるわけでもなく、あくまでも青春ドラマとしてハチャメチャに面白く描いたことが自分を含め多くの人たちが共感した要因かもしれない。



スコットランド人は自分たちを皮肉るユーモアを持っているようで、それがはまるとかなり笑える。仲間4人で電車で郊外まで行って、一人が「この自然を満喫しようぜ。この国を誇るべきだよ」と言う。そこでもう一人が「こんな国くそったれだ。スコットランド人なんて最低の国民で、みすぼらしくて、卑屈で、惨めで、みんながバカにしているイングランドなんかに植民地にされてるんだぞ」と愚痴る。あれをほかの国民が言ったらただの侮辱だけど、本人たちが言うから妙に若者の劣等感を映し出していて、またユーモアが利いているからクスッと笑えるのであった。


そーいえば昨年、「Trainspotting(トレインスポッティング)」の20年ぶりの続編「T2 Trainspotting(T2 トレインスポッティング)」が公開された。仕事と子育てに追われて映画館に足を運ぶ余裕がなかったので、いつかTSUTAYAでレンタルすると思うが、前作のイメージが壊れたらイヤだなぁ~とネガティブな感情もあるので、いまだ鑑賞できず。

さすが20年経つと…ベグビーの雰囲気がメチャ変わってるわぁ~。

肝心のTシャツだが…ちょうどピッタリと思って買ったのだが…着用できることはできるものの、ちょいピチピチ。もーちょい痩せないとな…。


※その他グッズはこちら

タバコがF1を彩っていた時代があった…

2018-06-14 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
タバコを購入しなくなってから久しい。そのせいか、タバコ関連のネガティブな報道ばかり目に付く様になり、今では無関心になっていた。が、久しぶりに興味を惹かれた報道を目にした。

マールボロが1箱520円になるんだって!遂に500円を超える日が来たか…。

マールボロ、520円に フィリップ・モリスが値上げへ
6/12(火) 19:18配信 朝日新聞デジタル

国内たばこ販売2位のフィリップ・モリス・ジャパンは6月12日、紙巻きたばこの全4ブランド86品について、値上げを財務省に申請したと発表した。認められれば、10月のたばこ増税にあわせて20~50円引き上げる。主力の「マールボロ」(20本入り)は初めてワンコインを超え、1箱470円から520円になる。

対象ブランドは他に、「ラーク」「パーラメント」「バージニア・エス」。20本入りの商品は一律で50円の値上げになる。加熱式たばこ「アイコス」の専用たばこについては、すでに10月から値上げする方針を示しており、今後、追加で申請するとみられる。



まだ、バリバリの喫煙者だった頃、よく「1箱500円超えたら、タバコ止めざる得ないよなぁ~」なんて話していたが、ホントにそんな時代がやってきた。タバコ1箱がちょっとした弁当より高くなるなんて、もはやホラーだ。タバコは安価な嗜好品から高級品になろうとしている。自分の意志とは関係なく相当数の喫煙者がタバコ購入を控えざる得なくなるんだろうなぁ…。


一昔前はテレビCMや駅の広告、看板にタバコ製品やロゴが堂々と描かれ、1箱200円ちょっとで気軽に楽しめる嗜好品だったのは過去の話となった。タバコ広告はあらゆる場所からほぼ排除された。

増税による大幅値上げ。喫煙者の締め出し。著しく制限される喫煙可能スペース。魔女狩りのような迫害にさらされているタバコだが過去にはF1サーキットを華麗に疾走していた。そんなタバコブランドを郷愁に駆られながらピックアップしてみた。

# F1サーキットを疾走したタバコブランド一覧
■BARCLAY

●Jordan192 #32 S.モデナ(1992)
ブラウン・アンド・ウィリアムソン社のブランド。他にパーネリー、アロウズ、ウィリアムズをスポンサードしていた。F1の広告で見ていたので存在自体は認識していたが、実際に見たことも吸ったことはなかった。

■BENSON & HEDGES

●Jordan196 #12 M.ブランドル(1996)
1996年から2005年にかけてジョーダン・グランプリのスポンサーを務めた。1996年シーズン当初は野暮ったい黄土色だったが、その後、神々しいゴールドに変更(写真参照)。翌年からはイエローにペイントされたのは残念の一言。とは言え、車体全体をイメージカラーにペイントする手法は美しかった。ヨーロッパでバックパッカーしていた頃、愛煙したタバコの一つ。

■CABIN

●Tyrrell 021 #4 A.チェザリス(1992)
片山右京が1991年々にヴェンチュリー・ラルースからF1参戦に伴い、JTが「CABIN/キャビン」ブランドでパーソナル及びコンストラクターのスポンサードを開始。1993年は片山右京のティレル移籍に伴い、スポンサード先もティレルに変更。翌1994年からJTはブランドを「マイルドセブン」に変更しティレルへの支援を継続、更にベネトンへのスポンサードも開始した。2008年に「CABIN/キャビン」ブランドはWinstonブランドに移行したため現在は販売されていない。

■CAMEL



●Lotus 101 #12 中嶋悟(1989)
今まで神々しいほど美しかったJPSロータスがけばけばしいオレンジイエローに模様替えした際は絶望のどん底に突き落とされたようだった。しかし、愛するロータスが故に慣れてくると一転して好意的に受け止められるようになり、車体全体をイメージカラーにペイントする手法は美しいとえ思えるようになった。当時はマールボロの対抗馬のような存在だったが、F1での活動期間は意外と短く1987年~1993年の8年間のみ。他にミナルディ、ラルース(ローラ)、ティレル、ベネトン、ウィリアムズをスポンサードしていた。ちなみにタバコそのものは好みでなかったのでほとんど吸ったことはない。

■Chesterfield

●Lola BMS Scderia Italia T93-30 #21 M.アルボレート(1993)
前年のダラーラ・BMS192があまりにも美しかったため、ヴィビットな「Chesterfield/チェスターフィールド」カラーをまとったT93-30を初めて見たときはは愕然とした。しかし、なぜか時間の経過と共に、まぁまぁいいんじゃないかと思えてきた奇妙なマシン。翌1994年にミナルディと合併したためスクーデリア・イタリア最後のマシンとなる。チェスターフィールドはヨーロッパにいた時、数回吸ったと思う。

■GAULOISES

●Ligier JS43_#9 O.パニス(1996)
リジェ最終年の1996年、セイタ社はスポンサーブランドを20年継続した「GITANES/ジタン」から「GAULOISES/ゴロワーズ」に変更。これはかなりの衝撃だった。後継コンストラクターのプロストもスポンサード。ちなみにオレはジタンよりゴロワーズの方が好みだったのでヨーロッパでバックパッカーしていた頃、愛煙したタバコの一つ。

■GITANES

●Ligier JS41 #26 O.パニス(1995)
オレがF1を鑑賞し始めた頃はすっかり中断グループに落ち着き地味な存在だったリジェだったが、セイタ社の「GITANES/ジタン」は1976年から1995年の長きに渡ってスポンサーを努め、そのフレンチブルーはF1になくてはならない風景となっていた。余談だがオレはジタンのタバコは臭くて受け付けなかった。

■Gold Leaf

●Lotus 49 #1 G.ヒル(1969)
1968年にF1初のタバコスポンサーというよりF1初のスポンサーロゴとなったのが「Gold Leaf/ゴールドリーフ」であった。ここからF1の車体にはタバコロゴを含め、多くの企業やブランドのロゴが掲示されていくことになる。F1の広告で存在自体は認識していたが、実際に見たことすらない銘柄。今もあるのだろうか?

■IMPERIAL

●Lotus78 #6 G.ニルソン(1977)
インペリアル・タバコ・グループはJPSブランドでロータスをスポンサードしていたが1977年日本GPのみ「IMPERIAL/インペリアル」カラーリングを施したマシンを出走させた。F1の広告以外では見たことがない銘柄。

■John Player Special(JPS)

●Lotus 97T #12 A.セナ(1985)


●Lotus 98T #12 A.セナ(1986)
F1史上もっとも美しいロゴ。車体全体をイメージカラーにペイントする手法は圧倒的に美しかった。そして、オレはJPSロータスに魅せられてF1ファンとなり、JPS愛煙家となった。

■Lucky Strike

●BAR007 #4 佐藤琢磨(2005)
ラッキーストライクカラーをまとった車体が日の丸カラーのように見えるということで日本では好評だったBARホンダ。ちなみにBAR(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)はタバコ会社のBAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)がティレルを買収して創立されたコンストラクターなので、スポンサーというよりはタバコ会社のコンストラクターという解釈のほうが正しいかもしれない。

■Marlboro

●McLaren MP4/8 #7 M.アンドレッティ(1993)
F1といえばマールボロ!というぐらいF1の風景の一部になっていた。マクラーレンに関しては車体全体をMarlboroのパッケージを彷彿させるような配色で気品あふれるものだった。タバコ広告禁止になった今でも「Marlboro」と表記しない手段でスクーデリア・フェラーリのスポンサーを継続中。他にBRM、アルファロメオ、スクーデリア・イタリア、オニクス、リアル等をスポンサードしていた。大学時代、異様に愛煙家が多かった銘柄だったな。F1による広告効果も大きかったのだろう。

■MILD SEVEN

●RENAULT R24 #8 F.アロンソ(2004)
現在のメビウス(MEVIUS)。1992年、片山右京選手のF1参戦によりJTはCABIN(キャビン)ブランドで片山選手及びヴェンチュリー・ラルースのスポンサードを開始。1994年からブランドを「MILD SEVEN/マイルドセブン」に変更。他にティレル、ベネトン、ミナルディをスポンサード。20歳代後半、ニコチン・タールともに高いJPSを吸うのがしんどくなり、その後継として愛煙していたのがマイルドセブンだった。

■Rothmans

●Williams FW16B #2 N.マンセル(1994)
かつては北朝鮮の金正日総書記が愛用していると言われたロスマンズ。過去にマーチもスポンサード実績あり。商品そのものは見たことあるが吸ったことはない。

■SKOAL BANDIT

●RAM03 #9 M.ヴィンケルホック(1985)
アメリカのタバコ会社の銘柄「SKOAL BANDIT/スコール・バンディット」。1984~1985年にRAMのメインスポンサーに。それ以外のことは全く知らない。当然、実物のタバコも見たこともなし。

■State Express 555(スリーファイブ)

●BAR006 #35 A.デビッドソン(2004)
WRCのスバル・インプレッサのメインスポンサーとして有名な「555」。1999年、BATがF1参戦を表明した際、BAR001の1台を「ラッキーストライク」カラー、もう1台を「555」と異なるカラーリングのエントリーを目論んだが、F1ではレギュレーション違反だったため、代案としてマシンの左右を異なるカラーリングに塗り分けるという奇抜な方法をとり、車体左半分がラッキーストライクの赤、右半分が555の青、ノーズは銀色という配色になった。

2000年以降はラッキーストライクカラーに一本化されたが、BATが中国国内では555ブランドを展開していたため、中国グランプリ限定で555カラーのマシンが登場した。2004年はサードカーのみ青色にペイントして出走(写真参照)。BARとして最後のレースとなった2005年は、2台のレースカーのカラースキームを555カラーにした。余談だがアジアでバックパッカーをしていた頃、一番愛煙していたのがこの「555」だった。

■VICEROY

●ATS D5 #10 E.サラザール(1982)
VICEROYと表記して「バイスロイ」と発音するらしい。ATS D5はノーズ先端部にロゴ有り。1974年にはパーネリもスポンサードしていたらしいが、この銘柄についてはそれ以上のことはわからないなぁ。

■West

●McLaren MP4/12 #8 M.ハッキネン(1997)
20年以上に渡るマクラーレンとマールボロのスポンサー関係終了後、マクラーレンを彩ったのは美しいシルバーのウエスト。マールボロカラーを凌駕するその美しさは多くの人々を魅了したに違いない。過去にザクスピードもスポンサードしていた。ヨーロッパ滞在時に喫煙する機会が多かった銘柄でもあった。

■Winfield

●Williams FW20 #1 J.ヴィルヌーブ(1998)
長期間ブルーをまとっていた車体がウィンフィールドカラーのレッドに変わったと同時に1990年代最強を誇っていたウィリアムズが低迷。そのためウィンフィールドカラーは「弱いウィリアムズ」というネガティブイメージが定着してしまった…。オーストラリア滞在時に数回だけ喫煙した記憶有り。


多分、他にもF1に参戦していたタバコブランドはあるんだろうけど、とりあえず思い出せるものだけ挙げてみた。

この頃のF1は美しいかった。魅力的だった。タバコ広告もその一部を担っていたのも事実だった。それに魅了されたオレは愛煙家になってしまったわけだから、タバコ広告の弊害はあったが…それでも、オレを含む、ある一定の年代までのF1ファンの記憶には、タバコ会社のカラーリングのマシンが刷り込まれている。それは古き良き時代の象徴であり、F1に熱狂していた自分自身への甘酸っぱい記憶でもある。


F1のタバコ広告だけでなく、ルパンに出てくる次元の折れたタバコに男らしさを感じ、おじいさんが根元まで吸うタバコに深みを感じ、ドラマのタバコを投げ捨て、靴の裏でもみ消すシーンにワイルドささえ感じていた。隔世の感があるねぇ…。

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2018-06-13 00:05:00 | 節約せねば…
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参考までに過去8ヶ月のサービス別ポイントグラフ
以下2018年








以下2017年







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●楽天ポイント…5/1時点 75pts【含 期間限定ポイント】
        6/1時点 433pts【含 期間限定ポイント】(6/11では727pts)
●Tポイント…5/1時点 1,036pts→6/1時点 1,503pts(6/11では1,642pts)
●WAON…5/1時点 293pts→6/1時点 369pts(6/11では477pts)



■楽天ポイントの月間ポイント獲得数は激減したが、これは先月の宣言通り、ポイント収集のためだけに楽天チェックをしに通勤前、通勤後にダイエー各店舗を回るのを止めたため。基本、楽天チェックは通勤途中にあるローソンと翌日の弁当のおかずを買うときに寄ったダイエーで行うのみ。
    

■Tポイントは相変わらずアンケートやCM視聴など、買い物以外でコツコツポイント収集。期間固定ポイントがある程度貯まるとYahoo!ショッピングで使用。先月はスポーツウォッチを期間限定ポイントで購入(但し不良品だったためポイントは後日返却され、6/1に別のウォッチを再購入)。

↑不良品だったウォッチ


■WAONポイントは…地道に貯まっているけど、上澄みのスピードはかなり鈍い。まぁ、チリも積もれば…って言ったとこか

ジョギング 第36週【6/9,10】自分の実力に見合ったペースで走る

2018-06-12 00:05:00 | ジョギング
少し前の話になるが5月21日朝、登山家の栗城史多(のぶかず)氏が8回目のエベレスト挑戦を断念、その下山途中で亡くなったという報道を目にした。私は登山のことも彼のことも語るほど知識はないので、今回の挑戦についてあれこれ意見を述べる権利はない。が、無知を補うためネットにて色々情報収集したところによると…彼は他の登山家からマラソンなら市民ランナーレベルという評価で、エベレストに挑戦するほど実力が伴っていないにもかかわらず、メディアや後援者に躍らされ、今回も後に引けなくなった末の挑戦ではなかったのかという意見が散見された。挑戦というのは小さな背伸び。大風呂敷を広げて引っ込みつかなくなり、身の丈に合わない無謀な行動は挑戦とは異なるということらしい。

本来は騒がれるほどの実力がない凡庸な登山愛好家なのに、虚像を売るのが大好きなメディアに担がれて「プロ登山家」に仕立て上げられたのだろうか?だとしたら、彼は感動の大量消費が生んだ被害者なのかもしれない…。謹んで栗城史多氏のご冥福をお祈りします。


さて、自分のことに目を向けると、週末のみジョギングを始めたのは健康維持、ダイエットが目的だったのに、いつの間にか実力もないのに10月7日(日)開催の流山ロードレース(10km)に参加する!と宣言してしまった。大風呂敷を広げてしまった手前、自身の能力を無視して身の丈に合わない調整を繰り返した。その結果、20年以上本格的な運動をしていなかったオレの体は悲鳴を上げ始め、古傷の両膝、左足首に痛みが再発ランニングフォームの問題もあるだろうが)。が、そんなことがあっても見栄もあり大会参加を撤回するという選択肢はなかった。自分で自分を追い込んだ。


スケールがあまりにも違うので比較する事自体無意味かもしれないが…栗城氏の報道を目にした際、自分と少しだけ状況がかぶるのでは…?と、ふと思った。オレは流山ロードレースに参加するほどのジョガーか?自分の能力を過信せず、しっかりと見極めてから判断すべきだったのではないか。

とは言え…既に参加申込もしたので流山ロードレースには参加する!今後は自分の能力に合った調整をし、その上で大会に備えたい。挑戦に対して謙虚でいたい。例え自分が満足できるタイムでなくても、それが自分の実力だと受け止める心構えだけはしている。



6月9日(土)
この日は嫁ちゃんが午前中仕事のため、嫁ちゃん帰宅後15時頃から「自宅→「南流山駅入口」交差点→流山街道南下し「流山八丁目」交差点→スシロー南流山店→ダイエー新松戸店→新松戸駅→ダイエー新松戸店→自宅」と普段とほぼ反回転で約8kmを走る。この日はなんと膝の痛みなく走り切ることができた!

別件だが先週、無料体験に勧誘されたのでジョギング途中に新松戸クラシオン整骨院へ寄り、骨盤矯正の施術を受ける。うん、分かってはいるが体ヤバイことになっている。有料になってしまうが6月30日にもう一度行ってみることにした。


6月10日(日)
毎年息子が楽しみにしている「青少年のための科学の祭典 千葉大会」が今年も「流山市生涯学習センター」で開催された。息子も娘も楽しめたようでよかったさ♪




ジョギングはAM7:30から開始。時折雨が交じる低気温だったのでジョギングにはもってこいのコンディション。「自宅→新松戸駅→ダイエー新松戸店→スシロー南流山店→流山街道北上し「流山八丁目」交差点→「南流山駅入口」交差点→自宅の約7,5km」のコースを走る。この日も深刻な膝痛は発生せず順調に走れた。このまま、膝痛が発生しないで走れれば6月下旬から走行距離を9kmに伸ばしてみよう!



基本コース:自宅→新松戸駅→ダイエー新松戸店→スシロー南流山店→流山街道北上し「流山八丁目」交差点→「南流山駅入口」交差点→自宅の約7,5km。

※出発地点の自宅は特定防止のため画像処理済

※ダイエーによるのはRakutenチェックを使い楽天ポイント10ポイント貯めるため



●ジョキング実施履歴はこちら

Pet Shop Boys - Go west

2018-06-11 00:05:00 | Favorite songs
6月14日ロシアにて開幕の「2018 FIFAワールドカップ」(日本代表初戦は6/19対コロンビア代表戦)に因んで過去のW杯と関連する楽曲を振り返ってみた。

NHK総合 2014年6月15日放送(12:50~13:00「サッカー・FIFAワールドカップ 興奮は音とともに FIFAワールドカップ 興奮は音とともに」で使用された楽曲なので、厳密にはワールドカップのテーマソングではないが、サッカーの試合におけるチャント(応援歌)として世界中で使われており、2006 FIFAワールドカップでは試合終了後に流れたことからピックアップ。また、サッカーの国際試合でも試合終了後に流れる。


Pet Shop Boys - Go west
Come on, come on, come on, come on
カモン、カモン

(Together) We will go our way
(Together) We will leave someday
(一緒に)僕らの道を行くのさ
(一緒に)僕らはいつの日か去る

(Together) Your hand in my hands
(Together) We will make our plans
(一緒に)君の手に僕の手を
(一緒に)僕らは計画を立てる

(Together) We will fly so high
(Together) Tell all our friends goodbye
(一緒に)僕らは高く飛ぶ
(一緒に)僕らの友達にさよならを言って

(Together) We will start life new
(Together) This is what we’ll do
(一緒に)新しい人生を始めるのさ
(一緒に)それが僕らのやること

(Go West) Life is peaceful there
(Go West) In the open air
(西へ行こう)そこでは人生は平和さ
(西へ行こう)開かれた空気で

(Go West) Where the skies are blue
(Go West) This is what we’re gonna do
(西へ行こう)空が青いところへ
(西へ行こう)それが僕らのやることさ

(Go West, this is what we’re gonna do, Go West)
(西へ行こう、それが僕らのやることさ、西へ行こう)

(Together) We will love the beach
(Together) We will learn and teach
(一緒に)ビーチを愛して、
(一緒に)学び、教えあうのさ

(Together) Change our pace of life
(Together) We will work and strive
(一緒に)人生のペースを変える
(一緒に)働いて、努力するのさ

(I love you) I know you love me
(I want you) How could I disagree?
(君を愛してる)愛してるって知ってるよ
(君が欲しい)反対なんてできないよ

(So that’s why) I make no protest
(When you say) You will do the rest
(それが理由)反対なんかしないさ
(君が言う時)ベストを尽くす、って言って

(Go West) Life is peaceful there
(Go West) In the open air
(西へ行こう)そこでは人生は平和さ
(西へ行こう)開かれた空気で

(Go West) Baby you and me
(Go West) This is our destiny
(西へ行こう)ベイビー、僕と君で
(西へ行こう)それが僕らの運命さ

(Go West) Sun in wintertime
(Go West) We will do just fine
(西へ行こう)冬場の太陽でも
(西へ行こう)僕らはうまくやるさ

(Go West) Where the skies are blue
(Go West, this is what we’re gonna do)
(西へ行こう)空が青いところへ
(西へ行こう、それが僕らのやることさ)

There where the air is free
We’ll be (We’ll be) what we want to be
自由な空気のもとへ
僕らは運命に従う



Now if we make a stand
We’ll find (We’ll find) our promised land
もし僕らがゆだねれば、
僕らは見つけるだろう、約束の地を

(I know that) There are many ways
(To live there) In the sun or shade
(僕は知ってる)選択肢はたくさんある
(そこに住むため)太陽のもとでも、日陰でも

(Together) We will find a place
(To settle) Where there’s so much space
(一緒に)僕らは場所を見つける
(定住する)広い場所を

(Without rush) And the pace back east
(The hustling) Rustling just to feed
(急がなくていい)東に戻れば
(ハッスルして)生きるために必死さ

(I know I’m) Ready to leave too
(So that’s what) We are gonna do
(僕は知ってる)僕も去る準備はできてるよ
(だから)僕らは去るんだ

(What we’re gonna do is
Go West) Life is peaceful there
(Go West) There in the open air
(僕らがすることは
西へ行くのさ)そこでは人生は平和
(西へ行こう)開かれた空気で

(Go West) Where the skies are blue
(Go West) This is what we’re gonna do
(西へ行こう)空が青いところへ
(西へ行こう)それが僕らのやることさ

(Life is peaceful there)
Go West (In the open air)
(そこでは人生は平和さ)
西へ行こう(開かれた空気の)

Go West (Baby, you and me)
Go West (This is our destiny)
西へ行こう(冬場の太陽でも)
西へ行こう(僕らはうまくやるさ)

Come on, come on, come on, come on
カモン、カモン

(Go West) Sun in wintertime
(Go West) We will feel just fine
(西へ行こう)冬場の太陽でも
(西へ行こう)僕らはうまくやるさ

(Go West) Where the skies are blue
(Go West) This is what we’re gonna do
(西へ行こう)空が青いところへ
(西へ行こう)それが僕らのやることさ



1998フランスワールドカップ

初めてワールドカップに出場した日本代表スターティングイレブン 1998年6月14日 対アルゼンチン戦


1998年06月14日 フランスワールドカップ 中西永輔の二人抜き NHKBS実況

 

「ゴー・ウェスト」という題名は、19世紀のアメリカの新聞人・政治家ホレス・グリーリーが人々に西部開拓を呼びかけた有名な論説の一節、「西部に行け若者よ」(Go West, young man)にちなんでいる。同時に、西部のサンフランシスコをゲイ解放のユートピアとみなして憧れた1970年代のゲイの間での気分が表現されているとも一般には理解されている。

1993年には、イギリスのペット・ショップ・ボーイズがカヴァーしヒットした。なおペット・ショップ・ボーイズの楽曲のプロモーションビデオは、直前に終結した東西冷戦とソビエト連邦の全体主義とアメリカの西部開拓(マニフェスト・ディスティニー)を皮肉ったものとなっている。なお節回しが大きく異なる部分がある他、オリジナルにはなかった歌詞やメロディーが加わっている。


※その他Favorite songsはこちら

MLBのユニフォームにも企業ロゴがデカデカと入ってしまうかも…

2018-06-08 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
今週、久しぶりに購入した週刊ベースボール6月18日号(6月6日発売)に衝撃の記事が!


アンダーアーマーは2020年シーズンから10年間にわたりMLBとユニフォームのオフィシャルサプライヤー契約を締結したと2016年12月に発表。そのまま順調に現在のサプライヤーであるマジェスティックから移行されると思いきや、週刊ベースボール6月18日号の記事によると、このところ業績不振にあえいでいるアンダーアーマーがサプライヤー契約を辞退し、それをナイキが引き継ぐかもしれないとのこと。

その件についての発表は7月のオールスターゲームの頃になりそうだと当誌では推測している。

いや、そのことだけでも、かなりびっくりしたが…そんなことはどうでもよくなりそうな衝撃の記述が…。


どうも、MLBはアンダーアーマーとの契約で胸の位置に企業ロゴを入れることを承諾していたらしい…。えっ、マジか?高貴なるユニフォームに…しかもMLBがそんなクソみたいな事、ホントに容認したのか…???じゃ、もし予定通りアンダーアーマーがユニフォームを供給し始めたら、今の巨人のホーム用みたいに企業ロゴを入れ、その気品あふれるユニフォームをクソみたいに汚す気だったのか???

■アンダーアーマー

#20 スコット・マシソン(巨人)アンダーアーマーが巨人のサプライヤーになった2016年のユニフォーム。右胸に企業ロゴが入り醜い…。せめてMLBだけでも…こんな下品なものは見たくないだが…



そして、最悪なことに、2020年からのサプライヤーがアンダーアーマーからナイキに変更になったしても、その胸の位置に企業ロゴを入れる契約は引き継がれるらしい…。過去の埼玉西武のような感じになるのか…。

■ナイキ

#17 菊池雄星 ナイキはNPBにて過去、西武・埼玉西武にユニフォームを供給。2009~2014年まで使用されたデトロイト・タイガースタイプのデザインはシンプルで非常に洗練されたイメージだったが…企業ロゴが入ることでそれが台無しになった様に思える。

誤解を避けるために言及するが、オレはナイキの企業ロゴ・スウッシュやアンダーアーマーのロゴが醜悪だと言っているわけではない。むしろシンプルで非常に美しい。それら美しいロゴの影響でオレにとっても好感度の高いブランドとなり、今では多数のナイキやアンダーアーマーグッズを所有している。しかし、どんなに美しいロゴであろうとベースボールユニフォームに大々的に掲示することは別問題である。ベースボールユニフォームに広告目的の企業ロゴを掲示することはベースボールの歴史・伝統に反することになる。敬意の欠如とも言える。いやいや、時代は変わった、広告付きのユニフォームでも問題ないじゃんと言う人がいるかもしれないが、そうだとしたらオレが有するベースボールユニフォームの概念とは全く異質な感覚なのであろう。


但し、サプライヤー企業のロゴを一切掲示するなとは言わない。それぐらいの特権は付与されて然るべき。しかし、ユニフォームの主役はあくまでもチームのニックネームであり、都市名であり、プライマリーロゴであるべきだ。よって今までのサプライヤーは控えめに袖に小さな企業ロゴを掲示していた程度であった。

■ローリングス

1991年 #34 カービー・パケット(MIN)


2000年 #21 長谷川滋利(ANA)


■ラッセルアスレチック

1992年 #25 マーク・マグワイア(OAK)


1995年 #33 ラリー・ウォーカー(MTL)


■マジェスティック・アスレティック

2017年 #22 ロビンソン・カノ(SEA)


2018年 #17 大谷翔平(LAD)




余談だがMLBでは控えめな企業ロゴ掲示のマジェスティック・アスレチックではあるがNPBでは企業ロゴを大々的に掲示し、著しくユニフォームの品位・美観を損なっている。

2016年 #42 坂口智隆(東京ヤクルト)


長い歴史の中で形成された高貴で気品あふれるMLBのユニフォームを企業ロゴで汚染してほしくない。ユニフォームへの冒涜である。またNPBも然り。モラルが問われるべき由々しき問題だ。






【結論】
神聖なるユニフォームに企業ロゴをデカデカと入れるな!!!


※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます

Ichiro-san, see ya again at the baseball stadium!

2018-06-07 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話

MLB歴代21位の通算3082安打を放つイチロー選手 2018/3/31 対CLE

あの衝撃的なアナウンスから、1ヶ月以上経った…。

色々意見はあると思うけど、もうちょっとだけフィールドで舞うイチローさんを見ていたかったなぁ。

SEAは来年3月に東京ドームでOAKと開幕戦を行う。そこでイチローさんが復帰する可能性はあるらしい。が、それが最後の勇姿になるのだろうか?

ありがとう、伊藤俊亮選手、阿部友和選手、荒尾岳選手、レオ・ライオンズ選手!

2018-06-06 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
2017-18シーズンは準優勝という見事な成績を残した我らの千葉ジェッツ!

多くの興奮、感動を与えてくれた千葉ジェッツ全選手には敬意と感謝が絶えない。しかし、常に新陳代謝が必要なプロスポーツ界において、来シーズンすべての選手が残留することはない。

現段階で引退も含めて4名の選手が来シーズン、千葉ジェッツの選手としてコートに立つことはなくなった。彼等に感謝を込めて、ここに記す。


#44 伊藤俊亮引退

元日本代表のビッグマン。来季より千葉ジェッツのフロントに。

息子共々、試合前の入場パフォーマンス…大好きだった。ありがとう、伊藤選手!



#1 阿部友和5/30自由交渉選手リストへ公示

2008年レラカムイ北海道入団時から気になるポイントガードだった阿部選手。2月に富樫、西村両選手とも怪我で欠場が余儀なくなり手薄になったポイントガードのポジションをしっかりとカバー。またジェッツの選手としてアリーナで会えることを楽しみにしていたので…退団はかなりショック…。また、新しいユニフォームをまとって船橋アリーナでお目にかかれることを楽しみにしています!ありがとう、阿部選手!(6/22に富山グラウジーズへの移籍が決定したと発表された)


#25 荒尾岳5/30自由交渉選手リストへ公示

体を張ったディフェンスやボックスアウト、198cmの体躯を投げ出すルーズボールこそが彼の魅力である。A東京、千葉では出場機会に恵まれなかったが新天地での活躍を期待したい!ありがとう、荒尾選手!(6/13に滋賀レイクスターズへの移籍が決定したと発表された)


#8 レオ・ライオンズ6/1自由交渉選手リストへ公示

ここぞの時の3P、果敢なリバンド、2月には富樫選手、西村選手の怪我により手薄になったポイントガードのポジションも本職ではないにも関わらず無難にこなすマルチプレーヤーぶりを発揮。チームの天皇杯、地区優勝に貢献。メチャ好きだっただけに退団はリアルにショック…。また、ぜひともBリーグに戻っきてほしい。ありがとう、レオ!また、会えるのを楽しみにしている!(8/6に富山グラウジーズへの移籍が決定したと発表された)



また、別件になるが千葉ジェッツは6月1日に大野篤史ヘッドコーチとの契約継続を発表。

大野さん、マジカッコイイわぁ~♪

3期目となる大野・千葉ジェッツの躍進に今から期待が高まる。秋の開幕が待ちきれない!


及びマイケル・パーカー、アキ・チェンバース、ギャビン・エドワーズ、石井講祐、小野龍猛各々選手との契約継続も5/31に発表されている。

ジョギング 第35週【6/2,3】流山ロードレース エントリー完了!

2018-06-05 00:05:00 | ジョギング
10/7(日)開催の「流山ロードレース」のエントリーが開始!





早速、エントリー初日の6月1日に申込みした!いやぁ~遂にオレも市民ランナーデビューするんだなぁ~(感涙)

当初はダイエットと健康促進のために始めたジョギングだったが、知らぬ間に方向性見失い、なぜが当大会参加のために走るようになってきた。そのため無理な走り込みで右膝の痛みが慢性的になってきたなどデメリットもあったが、やはり明確な目標があるということはモチベーションの維持が容易になりメリットの方が大きい。申込みは既に完了。無理せずに自分なりのペースで本番まで調整しよう!


6月2日(土)
当初の予定では6月から走行距離を7,5kmから9kmに伸ばす予定だったが、現状ではまだその領域には達していない様に思えるのでしばらくは「自宅→新松戸駅→ダイエー新松戸店→スシロー南流山店→流山街道北上し「流山八丁目」交差点→「南流山駅入口」交差点→自宅の約7,5km」のコースを継続。この日も約7,5kmを走る。膝の痛みは慢性的にあるものの、クッション性の高いNew Balance 『Fresh Foam Arishi M RB1』の効果か、立ち止まるほどの痛みはなく走りきれる。その他、対策としてはアイシングの徹底。膝痛・足首痛の具合が支障なく走れるぐらいまで落ち着いたら9kmに伸ばしてみよう。無理は禁物。

ジョギング後、運動不足気味の嫁ちゃんを誘いダイエー新松戸店まで往復4kmのウォーキング(娘も運動不足気味だがほとんど歩かずオレに抱っこされたまま…)。普段、ほとんど運動をしない嫁ちゃんはグロッキー気味でダウン…。良かれと思って誘ってみたが、いきなり4kmは酷だったか…反省。その後、午後から息子の授業参観&引き渡し訓練。


そーいえば、学校内にも千葉ジェッツが。さすが、おらが街の地元チーム!


その後、買い忘れ発覚で再度ダイエー新松戸店まで往復4kmほどサイクリング。ジギング7,5kmにウォーキング4km、サイクリング4kmかぁ…疲れたわ…(苦笑)


6月3日(日)
嫁ちゃんの体調不良により午前3時30分起床。嫁ちゃんの容態が落ち着きじ始めた午前4時50分ごろからジョギング。

コースはいつも通り「自宅→新松戸駅→ダイエー新松戸店→スシロー南流山店→流山街道北上し「流山八丁目」交差点→「南流山駅入口」交差点→自宅の約7,5km」のコースを。タイムは1km5分強。不満はあるが膝痛かかえながらだし、こんなもんか。お昼前からは息子と一緒に秋葉原へお買い物の予定だったが、ジョギングから戻ってきたら嫁ちゃんの容態が再び悪化、看病と子供の世話で1日が終わる。眠い…。


基本コース:自宅→新松戸駅→ダイエー新松戸店→スシロー南流山店→流山街道北上し「流山八丁目」交差点→「南流山駅入口」交差点→自宅の約7,5km。

※出発地点の自宅は特定防止のため画像処理済

※ダイエーによるのはRakutenチェックを使い楽天ポイント10ポイント貯めるため



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読売ジャイアンツ 来場者無料配布「もしもジャイアンツが高校野球のチームだったら」漢字ジャージ

2018-06-04 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
読売ジャイアンツ 来場者無料配布「もしもジャイアンツが高校野球のチームだったら」漢字ジャージ

最近では珍しく昇華プリントではなく、昔懐かしのラバープリント

去る5月31日 巨人対北海道日本ハム戦(東京ドーム)にて「もしもジャイアンツが高校野球のチームだったら」漢字ジャージ(白地の仮想ユニ)が来場者全員に配布。これを入手するためだけに忙しい平日にもかかわらず、仕事をほったらかして東京ドームに赴いたwww

以前購入した東京巨人軍の「巨」ロゴキャップ(推定1943復刻モデル)と合わせてみた。

以前、漢字表記ユニフォームを熱望していただけに、結構気に入っている。上下漢字って、マジ、クールだわぁ~!!!

無料配布品なのであーだこーだと言うのは筋違いかもしれないが、あえて苦言を呈するとすれば…右胸の「アンダーアーマー」のロゴいらない。あと、左袖の「東京」は問題ないが、右袖に配されたモノクロのプライマリーロゴはゴチャゴチャするので邪魔、いらない。


と、多少の不満はあるにしても…できれば巨人の選手にも、このユニフォーム着用して試合してほしかったわぁ~。

しかし、念の為記しておくが、オレは…
アンチ巨人ぢゃ!



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巨人対北海道日本ハム@東京ドーム 「もしもジャイアンツが高校野球のチームだったら」ユニフォームをもらってきた

2018-06-03 00:05:00 | スポーツ観戦記
2018年5月31日 東京ドーム

いつもはJR水道橋駅からアクセスしているが、この日は東京メトロ後楽駅からアクセス。同じ東京ドームなのに、なんかちょっと風景が違うように感じた。

ちなみにこの日は平日のため、息子は連れて行かず。翌日、「お父さんだけズルい!」とメチャクチャ怒られる(苦笑)

巨人●2-4○北海道日本ハム

同い年の上原投手が登板!中田選手にHRこそ打たれたが、個人的にはこの瞬間が一番盛り上がった!

仕事帰りの平日に野球場へ観戦に赴く。 目的は…来場者プレゼントされる「もしもジャイアンツが高校野球のチームだったら」ユニフォームをゲットするため!


もらったぞぉ~!余は満足ぢゃ(笑)


しかし、念の為記しておくが、オレは…
アンチ巨人ぢゃ!


北海道日本ハムは1点を追う3回表、中田選手の犠飛とレアード選手の適時打で逆転に成功。


1点リードで迎えた8回には、巨人の3番手上原投手から中田選手のソロでリードを広げた。


投げては、先発・村田投手が7回途中2失点で今季3勝目。昨年に引き続き古巣から2連勝となる。


敗れた巨人は、プロ初先発の鍬原投手が試合をつくるも、打線が援護できなかった。

RADWIMPS – 夢灯籠【映画「君の名は。」より】

2018-06-02 00:05:00 | Favorite songs
朝目が覚めるとなぜか泣いている…そういう事が時々ある。
見ていたはずの夢はいつも思い出せない。ただ…
ただ…何かが消えてしまったという感覚だけが目覚めてからも長く残る。
ずっと何かを、誰かを、探している。
そういう気持ちに取り憑かれたのは、多分あの日から…
あの日…星が降った日。それはまるで…
まるで…夢の景色のようにただひたすらに…
美しい眺めだった…




RADWIMPS – 夢灯籠(ゆめとうろう)
あぁ このまま僕たちの声が 世界の端っこまで消えることなく
届いたりしたらいいのにな
そしたらねぇ 二人で どんな言葉を放とう
消えることない約束を 二人で「せーの」で 言おう

あぁ「願ったらなにがしかが叶う」 その言葉の眼をもう見れなくなったのは
一体いつからだろうか なにゆえだろうか

あぁ 雨の止むまさにその切れ間と 虹の出発点 終点と
この命果てる場所に何かがあるって いつも言い張っていた

いつか行こう 全生命も未到 未開拓の
感情にハイタッチして 時間にキスを

5次元にからかわれて それでも君をみるよ
また「はじめまして」の合図を 決めよう
君の名を 今追いかけるよ
























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