読者より :
自分に起きることにも、おかしいことが多くて、どういう事情なのか、それを知ることで供養が進む、または、ご先祖様が知ってほしいと思っているようなら、知りたいのですが・・・、大変お手数で申し訳ありませんが、どんな先祖の方が供養を必要としているか、どんな思いをお届けすればいいか、リーマンさん、通訳お願いできますでしょうか?
返答 :
先祖霊も1つの魂。 自分自身も1つの魂。 両者の違いは
この現実界で肉体が有るか無いか、だけです。
どちらが偉いも低いも無い、根源の存在へ還る旅の途中の
同じ立場の旅人同士です。
私達は今回の旅に出発する前に、過去に貯めた貯金と借金
の額に合わせて、大まかな旅行コースを自身で決めて出発し
ています。旅行コースによっては、そんな危険で苦しいコース
は止めた方が良いと先生から言われていながらも、景色を
体験したいが為に、自分で貧乏旅行を覚悟の上で出発してい
ます。
でも、いざ後戻り出来ない旅に出てしまうと、なぜ自分だけは
歩き旅なんだと・・・・追い越していく馬車に乗る旅人を横目で
羨ましがってしまいます。
今回の旅で通過させて頂く”道”(家系の霊線)には、石ころや
障害物が存在することも、もちろん知っていました。
それらを1つ1つ片付けながら進み、喜怒哀楽、感動を体験
しながら、大きな大きな道に合流するのが旅行の目的です。
もし、石を跨いで避けながら進んで行けば、途中でまた後戻り
する道に迷い込んでしまい、気が付くと歩みが全然先に進ん
でいなかったことを知るでしょう。
大きな道に合流するまえに、旅の予算が尽きてしまう人が
多いです。 振り返れば、初めは険しい道だったものが綺麗な
道に変わっていることが理想です。
さて石の1つ1つに、こだわっては生けません。
1つの石の色や姿にこだわっていては、歩く速度が遅くなり、
日が暮れてしまいます。 こだわっていると切りがありません。
たんたんと片付けながら、ただ歩いて行けば良いのです。
その歩く方向は、空に在る太陽の位置を確認しながら進んで
行けば、方向を間違うことはありません。
伊勢白山道では、個々の故人の位牌を必要としません。
個々の故人に拘ると、逆に故人の現世への思いが消え難く
なります。 悲しみを抑えて、笑顔と感謝の気持ちで送り出す
勇気も必要ではないでしょうか。
自身の関わる先祖霊と諸霊を、苗字の道一つで旅立って頂
きます。 同じ道を使用した先輩の先祖霊の中で、道を歩き
切った先祖霊は、次の新しい旅に出る前に、成長させてくれ
た前回の道を歩む後輩を、恩返しの意味も含めて必ず見守
ってくれます。
生かして頂いて ありがとう御座います
人類の 5% 運動を広めたいです。
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初めての人は、左側のCATEGORYを読んで下さい。
穏やかというか、吹っ切れたような感じです。
しかし、リーマンさんはスーパー、スーパーコンピュターです。いや、もっとです。やっぱりダスカロスの本に出て来たミカエルです。凄いです!!
ただ今、過去記事の旅中です。この記事が(今の今の)トドメに成りました!
蕩けそうになりまして、心が嬉しさでいっぱいに成りました。
神恩感謝致します。生かして頂いて ありがとう御座位ます
jubiさんが上司の方に相談されたのは正しい判断だと思います。お祖父様お祖母様も助けてくださったのですね~。。
私もストレスやプレッシャーに弱いタイプなので、(でも先祖供養を始めてすごく改善しました)職場ではなるべく問題を一人で抱え込まないよう早目に周りの人に相談するようにしています。
キャリアアップのチャンスは、これからまだまだありますよ!
jubiさんを 生かして頂いて ありがとう御座います。
感謝の先祖供養をしていくと、正しい判断が最適時に自分で出来ます。
この世のことは、先祖は良く見ています。
「仕事について」の方への,リーマンさんのこのコメントが,ずっと頭に残りました。この金曜日に,やはり,我慢していたことが身体に出てしまったのでしょう。心療内科に行ってきました。朝から,5月からの新しい仕事が,特に苦手な先輩とうまくやっていけるだろうかと,憂鬱な気分から目覚めてしまい,夫が出勤した後,発作的に咳が止まらなくなって午前中苦しんでいました。もう,このままでは,自分がおかしくなってしまう・・・と思い,友人のご家族が行っている,病院を紹介していただき,そしたら,「今日,キャンセルが出たから,開いていますよ。
来てください。」と受付いただきました。
お医者さんに話を聞いていただき,友達や家族の前では泣いてはいけないと思っていたのに,涙が止まらなくなり,自分がとても我慢していたことがよくわかりました。自分を大切にしなければ,周りの方や自分以外のことも大切にできないのに。わかっていたことなのに,そうしていなかった自分がいました。
実は,いじめにあっていたのです。その苦手な先輩との,引継ぎが苦痛でした。なぜか,担当でもないのに,契約以外のことを厳しい口調で,有無を言わせず押し付けてきたのが,その先輩でした。私は,新しい仕事をやりたいという気持ちがあったので,「もしかしたら,嫌でもやらなきゃいけないのかな。」と判断がにぶっていました。端から見れば,どうみてもおかしいことなのに,言うことを聞かなきゃいけない洗脳されていくような,感じでした。
でも,やっぱりおかしいと感じ,すがるように,
「生かしていただいてありがとうございます。」と唱えると,死んだ祖父母が頭に浮かび,「自分の考えていることが正しいから。大丈夫だから。」と言ってくれている気がしました。
そして,いつも支えてくれた,話を聞いてくれた友人がいました。「あの,信頼できる上司がいるじゃない。正直に,全部話してみな。きっと,解決してくれるから。」と言ってくれました。その上司に,今まであったことを全て話しました。「そんな部署に,送り出すことはできないね。今まで,チェックが行き届かず,申し訳なかった。」と言ってくれました。涙が止まりませんでした。
本当に,判断が最適時に出たのだと思います。仕事が始める前で,よかった。
生かしていただいてありがとうございます。
Takkさんにも,せっかく励ましていただいたのに,仕事が続けられなくってしまいごめんなさい。でも,こちらのブログを読んでいて,参考になったことがたくさんありました。ありがとうございました。
身近にいらっしゃる方のことを、案じておられるのではないでしょうか。
苦しい気持ちが伝わってくる気が致しました。
情け深い方なんですね...
妄想終わりです。
この部分も、"感情が通じるからこそ難しい"ことの一つに入ると思いました。「人が亡くなることは悲しいこと」というのが、常識として通ってしまっているというのもありますよね。それが、誰かに植えつけられたものなのかどうか、ということは、今日は考えるのはやめて、死に対する明るい認識が広まれば、コロッと笑顔と感謝で送り出しやすくなるだろうと思うのですが、、やはり難しいでしょうか。人は死んでも、魂の旅は終わりではなくて、次の世界での修行は続いていく、ということが、誤解なく広く伝わる様に整理できるといいなと思います、、。現状は、自分一人だとしても感謝で送り出す供養をしていこう、と、今日、このことだと、気づきました。
生かして頂いて ありがとう御座います。
それは、なによりですね! いつも読んで頂き、ありがとう御座います!!
>変わるべき時は、迷わないです。
横から失礼します。
仕事を続けるって本当に大変ですね。
私は銀行員ですが、日本中の銀行員の中でも波乱万丈な経験をさせていただいているほうだと思います。
本部勤務・営業店勤務・店舗統廃合・銀行の合併のすべてを経験し、現在は全行の中でもその店にしかない固有業務を担当しています。
今はまたまた、正念場を迎えており、辞めたいと思いながらなんとか働き続けている状態です。
独身OLのため老後資金のこともあり、なかなか退職する決心がつきませんが、その時期がくれば迷わないのですか・・。
いつまで頑張れるかわかりませんが、リーマンさんのありがたいお言葉を心に刻んでおきます。
>私も、学会やその他様々な思想や宗教を自分なりに研究した上で、リーマンさんの教えが全てを凌駕する正解であると確信しております。
いま同じ事を思っていました。
貴子さん
>会に属するといろいろ教えていただき、それに反するのが怖くなりますよね。
そうなんです。だからリーマンさんのいつかの記事で、宗教団体は表の教義と裏の目的は違うことがある、内在神を萎縮させるほうに向かわせる~~
というくだりを読んだとき、自分の会の元となる教義に?を持ちました。
セサミさん
>私も不退転の覚悟でしたので、自分の変化に驚いています。
おぅ…セサミさんも…!同じですね!
お三方のレスを頂いて、かつて会の同志との間では感じたことのないフシギな心の広がりを覚えました。
それは、まったく違う信仰を持っていても、同じように求道の悩みをもち、同じ素晴らしい結論を見ることができるのだ、という…。しかも、それを同じ会の人に話しても「信心が弱い」「魔に負けてる」と非難される事を恐れそういう発言すら理解されなかったのに、まさか、まったく違う信仰をしていている皆さんに共感できる自分がいるなんて…。
うーん、やっぱり「感謝」がキーなのかっ。
リーマンさんが宗教の別なく万人に普遍を求めてたどり着いた 感謝想起 は…これマジモンかも。
生かして頂いてありがとう御座いますー
…卑怯な匿名さんもね。
女性で、結婚されてるのなら、極力、家の中を守り、御主人のお給料がどんなに少なくても感謝して受け取り、その中でやりくりしていく事が、その有り難い安給料をどうやって最大限に生かすかが、主婦の手腕(仕事)の見せどころではないかと思います。(笑)
私は専業主婦に戻れるのなら、そうした方が良いと思います。ただ主婦もやはり近所や親戚とのつきあいなどの対人関係はあります。
私の友人・知人たちを見ていると、悩み癖、落ち込み癖というのは、外に職業を持っていても主婦業をしていても、または変更しても、何をしていても当人が変わらない限り同じの場合が多いです。たんたんと御先祖供養を続けて、小さいことは気にせずに、毎日明るく過ごしてくださいな。ご趣味なんかもされたりネ・・・
ありがとうございました。
解○会では、本当に良いこと、絶対感謝やご先祖様を大切にすることなどを沢山教えていただきましたが、結局、お札などに依存し、霊を怖がったりして、道を逸れたのは自分の弱さなんだなぁとわかりました。
こちらに対してまた、同じ事を繰り返してしまうのかという心配は実際ありますが、3日前、ずっと主祭神を天照大神様を後ろ天神地祇太神さまを前にしておりましたがやっと逆にできました。おととい、主人に対しての感謝の気持ちが久しぶりに沢山湧いてきました。昨日はずーっと悩んでもはずせなかった結界の御札をとる事ができました。今日は自分の依存心に(やっと)気が付きました。教えを実践する中で、見つめて小さくしようとしてきた自分の傲慢さがただ自分の目にみえないようにしてきただけだったんだとわかり振り出しに戻った感じで、おかしいです。
まっさらな気持ちで、またご先祖様のご供養はじめたいです。
ひとつ質問です。確か天神地祇太神様は古神道で地球の霊体の名前だといわれていたと思うのですが、国立常神様と一緒ですか?
迷っている時は、様子を見た方がいいですよね。
つらい仕事も、嫌な環境も、自分が招いた
なにかの縁と思って、受けきるような気持ちで
黙々と目の前の仕事をこなすことだけに集中して
いきたいと思います。
逃げずに受け切ることで、何か少しでも
自信に繋がればいいなと思います。
仕事をやめて、専業主婦になりたいと
思うこともありますが、
やはり、それも逃げになるのでしょうか?
それとも、心身の体調を整えて、家のことを
きちんとすることも修行になるのか、
やはり社会の中で荒波にもまれながらも
感謝の気持ちを持てることが重要なのか、
少し疑問に思いました。
目の前の 険しき道も 一歩前 進めばやがて 綺麗な道に
ただ君と 居ると険しき この道も 二度と出会えぬ 金色の道
地に足を 付けて夢見た 世界へと 風の向こうの その果てまでも
内に在る 神が差し出す その御手を しかと握りて 歩むそれだけ
懐かしき 景色の中へ 溶け込みて 皆それぞれに 時の旅人
どこまでも 行ける内なる 神となら その苦しみが 楽しみとなる
後戻り 出来ぬ旅路は どこまでも 続くそれなら 命の限り
お日様の 光浴びつつ 一歩ずつ 行けば必ず 目的地へと
いつの日も 感謝と笑顔 携えて 今この時を しかと駆け抜け
坦々と 進む歩みが それこそが 全てを活かす 賢者の石に
困難な 道でもきっと 内に在る 神と歩めば また大丈夫
立ち尽くす 十字路の道 内にある 神が必ず 道案内を
一筋の 感謝の道を ただ行けば いつでもここが 約束の地に
さあ今日は どこまで行こう その様に 自然に足が 動きはじめる
振り返る 道の彼方に 遠き日の 幼き君の 面影を見る
生かして頂いて ありがとう御座います。
見ず知らずの私にご助言くださって本当にありがとうございます。。この世には優しい方も沢山いらっしゃるんだなあと、希望を感じます。
ま蔵様
ありがとうございます。忘れていました。一日せいぜい2回までとあったのを見て、私は今年になってから始めたので、取り返せるならと焦ってしまいました。欲ばらず頑張ります。。
siny559様
お歌を拝見して勇気づけられている自分がいました。私もsiny559様の投稿を密かに楽しみにしている一人です。
生かして頂いて ありがとうございます。。
リーマンさん、ありがとうございます!
海外にいるので、お線香たてが悩みの種になっていました。
生かして頂いて、ありがとうございます。
生かして頂いて ありがとうございます。。
で、もう一声、贅沢言わせて下さいね。
「位」を大きい字で書いてもらったら一目瞭然です。
そしたらパッと見ただけでピッとわかります
それと、リーマンさんのブログ左のカテゴリー欄の中に「線香供養の図」などとしてリンクさせる方法はないでしょうか?そしたら誰でもいつでも簡単に確認できるのではと思うのですが。
今日、真客さんのサイトに「読者質問と答 ヤリカケ」のページがあるのを見つけました。(スミマセン鈍感で…)こういうのほしかったです。リーマンさんがコメントにお答えしていたものだけ集めたページですよね?まとめて読めたらいいなあ、と思っていました。どなたかの質問にリーマンさんが答えられているQAはとても参考になります。「ヤリカケ」だそうですが、期待しています!
ポリポリさん他ブレーンの皆様、読者としてあったらいいなー、とボンヤリ考えていたことをいろいろ実現していただいて、感謝しています!
誰かが中国語に翻訳しました 日蓮さんがうちの呪文は最高だと言いました
自由はありません 罰があたります 最高の現世利益があります
末端の信者さんは これらのことを すべて理解しておられるようです
ブッダさん以上の方達ばかりのようです
集金されたお金が....
粗塩ですか。いいことを教えていただきました。
さっそく試してみます。
海外にいますので、仏具屋さんもなく手に入るものが限られますが、粗塩ならだいじょうぶです。ありがとうございました。
契約と違うことを会社から要求されるのは辛いですね。
私も派遣で働くことが多かったので、実際に就業してみると契約内容や面接での説明と違うことが、しばしばありました。
今まで色々な会社に行きましたが、どんな立派な会社にもおかしな所が2つや3つありますね。まさに「自社の常識、他社の非常識」といった感じです(笑)
ブログを読むだけでなく、「生かして頂いて~」の言霊を仕事中も心中で唱えることをぜひオススメします。
私も今の派遣先でとても助かってます。困った人がいても、自分に出来ることをして、「○○さんを生かして頂いてありがとう御座います」と唱えていると、相手が大人しくなることもあるし、自分に非があれば気づかされます。仕事があるだけでも有り難いと本心で思えるようになったので、つまらない雑用でも楽しく出来ます。感謝していると周囲の人達も優しいし、時々ちょっと気持ち悪いくらいです(笑)
jubiさんのお仕事が何かは存じませんが、新しい仕事でたとえ辛い経験をしても、きっと将来人を使ったり経営者の立場になったりした時、その経験が役に立つのではないでしょうか?
勝手な想像で書きました、すみません。。。
jubiさんが感謝と喜びと情熱を持って新しい仕事に挑戦できることを願っています。
jubiさんを 生かして頂いて ありがとう御座います。
~行ってしまいました。><
×「>mica」
○「>micaさん」です。失礼しますた。
micaさんは凄い文章力がある方ですね。真っ直ぐに事象を見詰めているから書ける文章だなと思いました。
>教義に疑問、「他の宗教で成仏出来ないの」について幹部の女性にメールで質問。
これは私も似たような経験がありますので思わず笑ってしまいました。私の師匠は他の方法でも成仏は出来るが至難の業で、出来上がった方程式を使った方が早い。とおっしゃりました。そうかも知れないけれど、組織として運営されている団体の中で。
>信仰の実生活レベルでの活動面の会の指導方針と考え方の両面において、どうしても行き詰まることに気づいてしまった。
と私も同じ事を考えるようになりました。団体になると伝言ゲームの末端情報を得るしかないと言う状況です。正に雲の下の山の裾野は目隠し状態。友人でもあり先達でもある年配の女性は師匠が「他に方法が無いわけでは無い」という言葉すら、記憶に無く、女性幹部さんと同じような事を言ってました。(笑)
私も不退転の覚悟でしたので、自分の変化に驚いています。でも考えるに、私は最初からそう言う種子が自分の中にあったのだと、思いました。私は他宗教、他の方法でも成仏は出来るはずだと、一環して思っていた思いがあったのです。
「時代の変化」私は今このことを痛切に感じています。
ネット文化はこれは、産業革命に匹敵するほど社会構造に影響をもたらしました。誰もが簡単に専門的な情報を手に入れることが出来るようになりました。「境」が無い。のです。秘儀が秘儀で無くなり、秘法が秘法で無くなったとき、過去のものとなって淘汰されていくものを感じています。
ですから、リーマンさんのブログが神意の現れであるという事もあるのかも知れないなあと思いました。
時代と言うものが在ること。私の盲点でした。
これから又続きを楽しみにしております。特に「決定的な矛盾」気になります。決心がついたらかきこしてください。問題があるなら削除されると思います。
それから、「聖者は人を縛らない。」最近手に入れた言葉です。ご参考まで。
今日も生かして頂いて有難うございます。
会社に不信感を感じていました。こんな気持ちから,始めるのはろくなことが起こらないかも・・・。と
やめることも考えていました。
でも,仕事の内容にはとても興味があり,挑戦してみたいし,みなさんのコメントを見ていると,私の悩みなんて,小さいものだなあと・・・。同じような苦労をしている方は,たくさんいるのだなあ。と思ったら,勇気が出てきました。せっかく,ご縁があって,仕事を持つことが出来たので,ぼちぼちやってみたいです。
こちらのブログでお話を読めてよかったです。
ありがとうございました。
神社参拝と、ご先祖様供養と、皇室を大切にする事ができるし素晴らしいと思ってました。
会に属するといろいろ教えていただき、それに反するのが怖くなりますよね。教えの厳しい学会でその行動ができるのは、本当に勇気があると思います!
宗教やスピリチャルなものを入れすぎて、視界が狭くなっってしまった心の目を、もう一度しっかり開かなければと思いました。micaさんのその姿に刺激受けました。
ありがとうございます。
来るならこい!なんて かっこよくは無理だー
仕事に子育て生きていくのは、悩みがありますね。
本当は生かしていただいてるけれど
小さいことに、毎日くさってしまいますが
とても いい呪文があります。
生かしていただいて ありがとうございます。
心の中で唱えたら、バリアーが出来て守ってくれますよ。
小っちゃい人間ですが、くさりません 汚れません。
みんな同じ 生きているから、ひとりにひとつずつ
大切ないのち!
一日一生 素敵な言葉 ありがとう。
生かしていただいて ありがとうございます。
「喜んで受け切る」事ができるよう努力したいと思います。ありがとうございます。身・口・意の三業を清めなさい、祈り(感謝)が全てですと何度も教えられて来ましたが実践する事が出来ませんでした。ですが感謝供養を自ら行わせて頂いてる内に少し心境の変化が現れて来ました。それは懺悔する気持が少し出てきたのです。やっと過去(現在も)の自分に目を向ける事がこれからできそうです。向上するには懺悔が必要です。懺悔するには魂を清めなくてはなりません。そして魂を清めるにはまず感謝供養から始めなければなりません。この事を体得するのに随分と遠回りしました。おかげさまで前に進むとができそうです。この素晴らしいき気づきありがとうがとうございます。
リーマンさまがこれかもお役目が成就されんことを。
(まだ水晶等は処分していないのですが)
すごく不思議なのですが、
それまでいろいろ主人に対する不満で一杯、
生きていても仕方無いという思いで一杯
だったのが、主人に対してがんばって家族を養ってくれて
有難いという思いが湧き、私の生きていても仕方無いという
思いがしぼんでいきました。
他人に対しても、今までは自分の一方的な考えを持っていたと、反省する事も出来るようになりました。
何年も不満で一杯だったのが、グッズを手放したとたん、
こんなに気持ちが変わるとは!!
スピリチュアル関係のブログで何人もの人と関わり
何十万とお金も使ったけど、
何も好転しなかった。
心はいつも不安定で不安で不安で仕方なかった。
普通の人と比べたら、私はまだまだ精神的に弱いだろうけど、昔の自分と比べたら、こんなに安定した気持ちはすごく久しぶりです。
始まる前に神主さんと打ち合わせて、祝詞奏上、清祓の儀、玉串奉奠など、神主さんの動かれるタイミングに合わせて出席者の皆さんを誘導し、神事を進行するという大役でした。そしてなんと、参加者のほとんどが男性ということもあり、女性の方が・・・いう神主さんのお言葉で、巫女さんと一緒にお神酒を注がせて頂きました。不思議と大きな緊張もなく、神事の間は「生かしていただいて有難う御座います」と心の中で唱えさせていただきました。
神事の後、神主さんに「とても上手に進行してくれました」とお褒めの言葉を頂き、なんとも言えない嬉しい、充実感に浸りました。
もう二度とない経験かもしれません。こんな私でよかったのかなという思いや、ちょっと誇らしいような、
今はそんな気分ですが、今回のご縁をいただけたのは日ごろの感謝行のお陰かなと、ちょっとこじつけて考えています。でもリーマンさんのブログで、日ごろから神道について親しませていただいているのは確かです。知っているのと知らないのとではぜんぜん違う心構えだっただろうなと思います。今回のご縁に感謝です。
生かしていただいて有難う御座います。
我が家の息子も社会人になり丸2年を迎え「仕事について」の読者さんと同じように悩んでおりました。
そしてつい先日、「決心がつかない状態で辞めてしまうと後悔するよ。迷いがなくなる時が本当の転機だよ。」と助言したばかりなんです。
息子は私の言葉に何か腑に落ちるものを感じたのか、翌日には「続けてみるよ!」と明るい笑顔が戻りました。
リーマンさんの今朝のコメントを拝見しビックリしました!
怪獣チャメゴンの分霊がとうとう私にも宿ったか?と驚き嬉しくなってしまいました(笑)
親子共々毎日成長させて頂いております。
それからリーマンさん、応援してますから。
私には何もできませんが、左のオレンジの帯から毎日エールを送らせてもらってます(^^)v
100感謝です。
にしてみましたー 100ナス頂きますぅ
micaさんのお話はとても興味深く拝見しました。
振興されている方は、基本的には素晴らしい人が多いと思うのですが、
罰が当たるという考え、他宗を厳しく非難する、政治に深く関与する、など受け入れられない部分が多くあります。
私も、学会やその他様々な思想や宗教を自分なりに研究した上で、リーマンさんの教えが全てを凌駕する正解であると確信しております。
感謝想起と先祖供養が全てというシンプルな教え。日常生活にカンナガラで愚直に向き合う事。全ては自分と内在神の中に答えがある。そして何よりも全体が温かい波動に包まれている気が致します。
でもリーマンさんの教えの素晴らしさを理解できるのは今まで自分が悩んだ道程や少しばかりの苦労の経験があったお陰であり、
きっとmicaさんにとっても学会は必要な道程で、感謝しないではいられない境地は至極自然だと思います。
自分に起きた事象全てに感謝する。
これこそリーマンさんの教えの本質だと思っています。
生かして頂いて ありがとう御座います
どこにも身動きできない今が
つらいです。。
・・・「決心が付かない」この状態では、辞めると後悔があるものです。
変わるべき時は、迷わないです。
感謝の先祖供養をしていくと、正しい判断が最適時に自分で出来ます。
この世のことは、先祖は良く見ています。
・・・誰にでも遡れば、水で亡くなった方はいます。
その為の、感謝の線香3本供養です。
先祖供養は、子孫がしてこそ通じます。
職業人には無理です。
一つ質問なのですが私は犬を飼っているのですが、犬や猫他動植物にも魂があり輪廻しているのでしょうか?
あるとすれば動物が人間に生まれ変わる事や、人間が動物に生まれ変わる事もあるのでしょうか?
また自分が死んだ後、先に死んだペットに会う事はできるんでしょうか?
生かして頂いてありがとうございます。
以前からお線香の燃え殻はその都度処分していましたがまさか出がらしが燃えるとは…。
おそらく乾燥しすぎてしまったんだと思います。
出がらしを使っている方、ご注意ください。
今日からクレンザーの粉を使ってます。
リーマンさん、個人の 位牌のお話を読んで教えていただきたいことがありコメントに書き込みます。
ある身延山の行者の 方に、私のご先祖に水で亡くなった人がいるので個人のそとばを作って供養したほうがいい、戒名を調べて来なさい、と言われています。
位牌とそとばはどう違うんでしょうか…本家ではないのでかこちょうも仏壇もなく、短冊とお線香立てだけが今うちの御供養道具です。心からの線香供養を始めて半年になろうとしています。
きちんと戒名を調べてそとばを作って供養したほうがいいのでしょうか。
ながながとすみませんでした。
つかれたぁー
リーマンさんもありがとう。うれしいです。
まだ籍を置いている○○学会には、まだ非常に複雑な思いがあるので、意見をよくまとめてからまた近いうちに投下したいです。リーマンさんの現行記事と合わない内容になるかもしれませんが、ブログ投稿を使わせてもらえるとうれしいです。…ただ、とても長くなりそうです。なので、御板の主旨に合わない可能性もあるので、削除は板主の意思にまかせたいです。
別の場所で思うさまやっていいよ、というなら誘導のほどをよろしく。
簡単に箇条書きしますと(それでも長い)
・自分はこの信仰に生涯不退転で全うすると本気で誓っていたし、得るものも多かったが、学会が最も大切にしているという御書の教義をつきつめてゆく過程においてと、信仰の実生活レベルでの活動面の会の指導方針と考え方の両面において、どうしても行き詰まることに気づいてしまった。
…この事に一番おどろいているのは当の本人である自分であること。
・特に、信仰の根幹をなす肝心の「教義」については、この伊勢参りの最後の日に思索中「決定的な矛盾」を見つけてしまい、もう私の中でこれをごまかすことが出来ないレベルに達してしまったこと。
…この部分を詳しく投稿しようか迷っています。(ブログランキング一位という板の影響力がどのくらいのものかその深刻さがイマイチ分からないので)
>○○学会では、害毒といって神様系はご法度なのに凄い決心と言うか
よくご存知で!まったくセサミさんもおっしゃる通り、まさにすごい決心なんです;
むかし、教義に疑問を抱きはじめたとき、近い年齢の幹部の女性にメールで相談しました。彼女自身は信仰に厚く素敵な女性です。しかし
「本当に他の宗教ではけして成仏できないのか?私は他の宗教や精神世界の本を見るに、どうも彼らも同じ1つのもの(本仏、神、あるいは唯一の本源的な源)を指しているような気がしてならない…。他宗も成仏に似た概念を別の言葉で表しているだけのようなのだが?」という疑問をぶつけたところ「それを証明するには、あなたが自分でアーメンを唱えてみるしかない。しかし、悲しいことですが必ず罰がでます、それは大変心苦しいことです。」とゆー返事がきました。…正直、慈悲がない答えだと思いました。
昔の私なら、罰を信じていたので恐れをなすところですが、そのメールを出した時点で「おそらく罰は出ないだろう、というか な い だろう」という7割の確信がありました。
その後、このブログに縁して、実際に伊勢に行って手をあわせてみるという、自分にしてはある意味‘賭け’に出てみた。(考えなしともいえますが)
今でも、私は何パーセントかは「会の言うことが本当だったら、取り返しのつかない宿業を積んでしまっているのでは…」という不安もなくはないのです。
「もし学会がやっぱり正しく、リーマンさんの方が間違っていたら」…ブログを完全に信じているかと言われると、それも100%の確信ではない。
…ご本尊に背いたらどんな厳罰が出るかについて、子供の頃からさんざんおどされてきたので。
それでも、その最後の砦的な恐怖を踏み越えても、私には真理を求める純粋な求道心があったようです。深い瞑想の末の感得でしか味わえないという、世界中の宗教者・哲学者の求める終の棲家、宇宙根源の生命の愛にふれたい、という願いが。(いまかいてて分かった)
それが同じ国の自力で行ける場所に存在する…なら行かずにはおれないのです。たとえ、霊的に感じられても、られなくても。まずはその場に身を置きたい。
そして、そういった求道の精神と純粋な信の姿勢を私に教えたのが…何からん、学会の指導であるのは、何かフシギな気がします。…だから、私は学会を信じられなくなっても、けして恨む気持ちが起きないのです。これは必要なプロセスだったと。
やっぱり感謝が残るのです。
…そして、私に感謝の大事さを実生活レベルで身に染みさせてくれつつあるのが白山道の感謝想起なんです。 うーん…深い。深いよ感謝想起。
生かして頂いてありがとう御座居ます
としか、いいようがない…!です
どうしても、したい仕事(環境)があって辞めるのは別として、
今の仕事が嫌で避けたり逃げたりした場合は、どういう訳だか次にも避けたり逃げたくなる仕事(環境)が、巡ってくるんですよね。
人を幸せにできる人は、皆の嫌がる、避けて通る仕事に、あえて懸命に取り組んでいる人のような気がします。
人も自分も幸せにできる人は、皆の嫌がる、避けて通る仕事に「感謝」して取り組んでいる人のような気がします。
どうしても分からないことがあります。
仕事で、皆が嫌がる係を押し付けられたり等
やその他色々とあり、とてもつらく、
このままだと精神的にボロボロになって
しまいそうで、やめたいと思うのですが、
逃げてはいけないと思って、なんとか今日まで
働いてきました。
やはりこのような状況になるのは、自分の因縁
のため、どんなにつらくても、職場が合わないと
思っても、やめてはいけないのでしょうか?
つらいときに自分を守ろうとすることは
逃げでしかないのでしょうか?
ただ、世の中、転職したり、新たな挑戦を
して、その結果本当に自分のやりたい仕事に巡りあえることもあります。
やめることも、続けることも、決心がつかない
どこにも身動きできない今が
つらいです。。
通常の人生を全うした死となにか違うのですか?
憶測ですが、浄化が始まっていて霊的垢と共に消滅してしまうのでしょうか?
リーマン氏の手遅れとはこのこと・・・
しあくなと めとへかならす
たひのとの ひたすらなかへ とめとなくあし
(至悪など 目処へ必ず 旅の途の ひたすら中へ 止め処なく足)
解説
至悪(しあく)というのは「この上なく悪いこと。最大の悪。」という意味で、目処(めど)というのは「目あて。目標。見当。」という意味で、途(と)というのは「道。道すじ。道のり。」という意味。
意訳
この上なく悪い事のように見える、目の前の障害物など絶対に乗り越えてみせる。そして必ず自分の目指す目的地へたどり着く。だから今は、この旅の道筋の中をひたすら進んで行く。そのような覚悟を決めると、自分の足が止め処なく動いていくなぁ、といった感じ。
生かして頂いて ありがとう御座います。
どこかに少しあった将来への不安が、生きていく意欲に変わってきています。
苦労避けたさ故の依存の人生を、切り替えて参ります。
生かして頂いて ありがとう御座います。
その時の様子がまるで目に浮かぶような文章ですね。
○○学会では、害毒といって神様系はご法度なのに凄い決心と言うかご縁の凄さと言うかこのブログの威力と言うかを感じました。
密教系の団体に所属している私は、もとより神界も信仰の対象なのですが、micaさんのシンプルで素直な心のあり方に自分を恥じてしまいました。
正に深入りしなくても良いを証明して下さいました。
私なぞ、伊勢には過去2回ほど詣でましたが、そのようにシンプルにお参りできたかはなはだ疑問です。
ああそれにしても、伊勢-白山信仰は、宗教の違いを凌駕するというのは本当のことなのだと、今日身をもって実感しました。
>また、旅行の間、自分の今まで信じてきた宗教について>思うことが多々あったのでそれについてもスレで書かせ>て頂こうかと思います。
大変興味があります。是非お書きくださいね。
micaさんを生かして頂いて有難うございます。
胸が熱くなりました。
それぞれが、自分で決めてきたそれぞれの道を行く。
道草しながら、迷いながら、休みながら・・・。
そしていつもお日様がある。迷ったり、時間が経ちすぎたりしたときもお日様で方向や時間を確認しながら。
あ~、Sinyさんのように歌は書けないが、ちょっと詩人の気分。詩の最後の言葉はもちろん、
生かして頂いて 有難う御座います。
すべて納得の上で、と言うわけではありませんが先祖供養は必要だと思いますしその供養の仕方は納得できるものだったのでまずはやってみようと今週から始めました。
正直言って御利益期待もあります。が、御利益期待が無くなるまで待っていてはいつまでたっても始められないし、リーマンさんの先祖供養についてはその通りだと感じたので実践することにしました。全てを納得するまで待っていては手遅れです。
自分で考え、自分で判断し、自分で行動し、責任も自分で取る。誰のせいにもしません。
花丸です。
・・・そうです。 失敗も含めて。
短冊を挟む道具が、短冊の根元を両側から挟んで立てる構図だと100点です。言うことナス。
・・・いえ、慌てずとも良いでしょう。3世代も変われば、その位牌の故人を知る人もいなくなるので、はずしても良いでしょう。
旧家だと沢山の故人位牌を持て余す家もありますね。
私は既存の宗教の先祖供養を小さい時から見てきました。月一回お寺さんが来て仏壇を拝まれる事や、親兄弟がする供養を真似てするだけで、疑問を感ずる事もありませんでした。この伊勢白山道でぼやけていた輪郭がはっきりし感謝しています。
伊勢白山道の教えでは、生まれ出る前に関わる先祖の諸霊に、霊籍を使う事を許して頂き、この肉体(DNA)を与えて頂き、そしてこの世に生きる場、環境を与えて頂いて初めて、私という個が存在するのだという事を教えて頂きました。
線香供養は、この私という存在を先祖に感謝する。又、迷う貴方(先祖)をはっきりと認識しましたよ、という愛念と感謝の場だと思います。
感謝想起と線香供養は、早い遅いの問題でもなく、迷う先祖に対して縁がある、無いでもなく、子(子孫)として成すべき事をする、ただ・・・それだけです。
時間切れでも仕方がない、私はそう思っています。
生まれ出た理由(カリキュラム)から逸れて寄り道も良し、寄り道で十分堪能し味わい尽くせば次へ行けばいいし、そこから観えてくるものもあるのでは・・・
只どうしても果たさなければならないカリキュラムがあれば、その道に引き戻される事もあると思います。目の前の事象から逃げると、必ず同じような問題で捕まる(表現が悪くすみません)か、違う形で目の前に現れると思います。なので、生きていく上で一つ一つ昇華していく事が、結果、楽に生きる事なんだとつくづく今・・・思っています。
太陽霊光に関しても一貫してリーマンさんの仰っている事は、人それぞれが生まれ持った素の霊性に戻る為に、その導きをされているだけ、前に進むも、戻るも自己責任でいいと私は思っています。
生かして頂いて ありがとう御座います
・・・光る文章です。
今までどうしても解せなかったことは、生まれる前にその人生は大変だからとなぜ教えてくれなかったの?何も判らない子供の背中をぽんと叩いて送り出すのは理不尽過ぎると一人もやもや思っていました。その時から私たちは、親や先生の言うことを聞かなかったのですね。この世に生まれる前から全てのことを、なにから何まで自分で決めて選んでいたのですね。リーマンさん今日も、とても大切なことを教えて頂いてありがとう御座います。
生かして頂いてありがとう御座います。
「生かして頂いてありがとう御座います」の最強の言霊、
フトノリトの「アマテラス オホミカミ アマテラス オホミカミ」を
これから先も当たり前になって見過ごしている
生かされている奇跡の毎日に感謝を込めて
愛情を込めて繰り返し唱えていくだけです。
リーマンさんから教わった、この感謝供養と言霊に出会えて感謝です。
先祖供養を始めて1か月。
ご先祖の霊の皆様も、肉体を持っているとき、
石や障害物を避けたり、諦めたりしたようです。
自分も自殺を考えた時もありました。
そんなとき、どこからともなく、
救いの手をさしのべていただきました。
人生わるくないな~。だから、自分が
先祖供養しながら、子損じゃなく、こんな
子孫もいてくれたんだ~と、喜んでもらいたい
気持ちでさせてもらっています。
困ったことや、いやなことがあっても、
お試しだな!内心来た来たと・・・
生かして頂いてありがとうございます。
困難だらけですが、ただただ生きて行きます。
このブログ読むのは、苦しい先祖たちが線香あげられた時と同じ状況だと思います。
明日も仕事
頑張ります
聖徳太子のお墓に 今日行って来ました。
桃色のしだれ桜が、とても可愛いくて幸せでした。
母とふたりで 楽しい遠足(下見)
次回は父と 主人も 一緒に行きたいです!
本を手にしてからブログを拝読しています。
特に今日のブログは感じました。この五年あまり神道ベースの精神世界の道を旅し、つまずき、この五年とそれまでの人生を見ると何にしても生かされている感謝がたりなかったと思いました。
いつのまにか神霊を恐いと思い、感情のゆらぎ。根幹に感謝の心不足が引き起こし、たんたんと進むことが遅れていました。
伊勢のすばらしさに触れながら太陽見ず…。改めていきます。
ブログありがとうございます。
お忙しい中、いつもためになるお話をありがとうございます。
本日も、ありがたく読ませていただきました。
おっしゃる通り、ご先祖様には、笑顔と感謝の気持ちを向けていきたいと思います。
旅の終わりに、先輩の先祖霊の皆様に、胸を張って、
「ただいま、戻りました」とご報告できるよう、一歩一歩前向きに、太陽の位置を確認しながら、毎日を生きていかなければならないなと、あらためて思い直しました。
生かして頂いて ありがとうございます。
お元気そうでなにより。
先ほど、御著書読み終わりました。
グルジェフにも大変興味が湧いて、ネットで立ち読み?してみましたが、グルジェフワークは面白かったです。
でも、私には無理だあと思い改めてお線香3本のご供養と感謝想起が誰にでもできる簡素な行法だと感じ入っておりました。
時折、ああこの方は魂は古いと思う方に出会うことがありますが、リーマンさんの「魂が重い」という言葉に共鳴しました。そう「重い魂」と言うものがあるなあと。
私流に言うと、重くて地球の核に向かっていくような存在の魂です。
以前ヒマラヤの映像を見ていましたとき、山の下に雲が掛かっていました。
雲から上に本当に高い山の頭だけひょっこり出てまして、
その他の外界は全て雲の下で何も見えません。
そのとき「山同士は交信している」とふと思いました。
神様の世界はあんな感じなのだろうな。国籍が違っても
あるところを突出してみれば、同じ世界を共有しているのだと感じました。
「白山とヒマラヤが繋がっている。」納得しました。
昭和天皇のお話しはとても感動しました。
日本の皇室は日本の宝であると、大切にお守りしたいと思いました。
今日も生かして頂いて有難う御座います。
読者のどんな質問にも的確に答えられる。
何気ない文にも、深い意味と背景が込められている。
打率が高く、応用範囲の広い、優れた文章です。
読ませて頂き、大変、参考になり、また、毎日の楽しみになっています。
ありがとうございます。
本の挿絵にあった【短冊と線香による先祖供養の図】を真似て書いたものがあります。
→http://www.shinkyaku.com/B/p89.gif
先祖供養にまだ慣れていない方や、本が手元に無い方は、印刷してご利用ください。
尚、この図は、文字では説明しにくかった短冊と線香の位置を説明したものです。これから先祖供養を始める方は、カテゴリーをコメント欄まで読んで始めることをオススメします。
ありがとうございます。
リーマンさんに質問があります
昨日の内容に霊的垢は、太陽黒点に含まれる霊光に照らされると
癌病の原因にもなると記載されていました。
癌とは現医学では、死の病。
なぜ霊的垢が多い人は、これからの太陽霊光で死の病になるのでしょうか?
太陽霊光によって引き起こされる現象なので天照大神の意向だと解釈をしますが、
霊的垢が多い人はなぜ死という選択を選ばされるのでしょうか?
今日の内容にも人生とは旅であると説明されています、厳しい旅であると。
なのに、なぜもっと厳しいコースに変更されるのではなく、
早々とこの人生から病でドロップアウトという選択を選ばされるのでしょうか?
霊的垢がついている方の死と、付いていない方の死は異なる意味合いがあるのでしょうか?
今の自分があるのは家族、仲間、ご先祖様、そしてすべての方々のおかげ、感謝感謝です。
生かして頂いてありがとう御座います。
いつも拝見させていただき、ありがとうございます。
仕事の後、読みおえたら帰るようにしています。さくらが今年も美しく咲き、去年のことをいろいろ思い出しています。
義母が昨年の今頃旅たちました。義母にはとても感謝しています。
心残りは、一緒に最後の桜見に行きたかった。
今日の文面を読み、いい旅立ちをされている事を願いながら、
明日の朝も「生かしていただいて ありがとうございます」のお線香とお茶をあげたいと思いました。
今日の話は本当にわかりやすかったです。
我が家には各個人の位牌がありますが、どうしてこれじゃダメなのかな~と思いながら短冊作ってましたが、
腑に落ちました。(遅い?)
また、最後の文章の歩ききったご先祖様が、次の旅に出るまで・・・・のところが、納得!できました。
生かして頂いて有難うございます。
まだ供養ははじめたばかりですが、個人の位牌が私の家にはおまつりされています。これをはずす時は、ご先祖さまにそのことを報告して、すみやかに はずした方がよいのでしょうか?
仏教徒で○○学会に属している自分(もう、心は属してない)が
神社で手を合わせてしまうなど…ほんの1ヶ月ほど前の自分から見たら、今の自分の信念の変わりようは ありえない ものを感じます。
「内在神への道」の本を読み「これは行かねばなりますまい!」と思い立った約2週間後に特に何の妨害もなく、計画通り行って帰って来れたので、○○学会員の籍には入ってるけど別に「すごいヤバいモノ」は自分には憑いてないらしい?ことが判明したようで良かったです。
私はオバケとか何か無駄に怖がるんだよな…自覚あり。
(私に旅行運を授けてくださるどなたか…守護様にいつも感謝してます。スーパーグッジョブ!)
まさに、何年もかかることがほんの3週間で変わってしまったよう…時の流れが速くなっている、そのことをいやでも実感します。
さて、この度の伊勢の旅で感じたこと。
外宮…
さわやかな春の風と陽気…ありえないほどすがすがしい気…ここに居ると 思 考 が 停 止 する感じ …なんというか無駄なことを自然と考える必要性がなくなり、ただ黙ってここに居続けたくなる感覚です。すごい。
光の柱は残念ながら霊的なものが「見えない」体質?なので、やっぱり見えませんでしたがなんか白い空気のような層が地面からフワっとゆらめいて大きくウズまいてる「ような気が」しました。二拝二拍手一礼「アマテラスオホミカミ×2 生かして頂いてありがとう御座います」の感謝を捧げてきました。
初めは自信なく遠慮してやってたのですが、2日目にはちゃんと拍手して参りました。
どこか学会の言う「罰」を恐れる自分がいたのですが、感謝して罰があたるはずがないと思い直し
いっそ開き直れました。3日連続4回も参りました。…最後は夕方行ったのですが夕日がオレンジの光に染まり、ちょうど木立の影に落ちるところで木立から漏れる光の屈折具合のおかげか、茜色と虹の幅広い日輪にゆらゆら光って見えて「もし霊視できたら、アマテラスオホミカミはこんな風に見えるのかしら」と思い、うれし有難かったです。違ってても、私の肉眼で見える最も美しい陽の姿を見させてくれて有難うです。生まれて初めて御朱印なるものいただきました。
伊雑宮…
・暖かく穏やかな沈黙、すべてのお母さん、という感じ。ここが大好きになりました。やっぱり光は何も見えませんでした。…そのおかげで、自分がいかに見返りを持ってここに来ているかという自分の心の動きに気づくことができました。「感謝というのは相手(神、人)に伝わろうが伝わらなかろうが、ただ感謝なんだ」という事に気づかせてもらいました。
・さて、お参り中、何か帳簿のようなバインダーをもった女性が3人来ていて、一人は
ひざまづいて熱心に祈っていて、あと二人はバインダーを見て神域のすぐ前に並んでました。何か調べ物でもしているのか?よっぽど「何やってるんですか」と聞こうと思いましたがわざわざ縁を作る気にもならなかったのでやめました。
…3人ともいつまでもそこに居るので「やだなぁ」と感じた自分を見つけ、「この世の全てを愛する偉大な存在」に対してすら、独り占めしたいサモシィ自分の心に反省しました。本当の感謝をただ当たり前にささげられる自分になりたいです。
・ここの社務所の宮司さんに神道の素朴な質問をしたのですが、「私は神道初心者なのでわからないんですが…」と話しかけると「神道はいつまでも初心者でいいんです。深入りはしなくていいんですよ」と言って質問に答えてくださいました。そこで私は「(ああやっぱり。シンプルな感謝こそが神道の本質なんだろうな)」と思い、これからも自分は感謝だけで、神道の事は他は何もしなくていいやと思いました。
・社務所の近くの木の根元が,変わった形に膨らんだ幹に、おたふくのようなこぶが浮き出ていましたが、あれはやっぱり眷属さんなのでしょうか。写真、消去したほうがいいでしょうか。
志摩スペイン村…(笑)
フラメンコショーのステージに立つダンサー達をみて、「出し惜しみをしないって、なんてすばらしい…!」こういう風に生きなくちゃと思った。
内宮…
荘厳な感じがありましたが、観光客の人たちが沢山すぎで、普通に詣でました。五十鈴川の清らかな流れに心癒されました。一番心うたれたのは、式年遷宮についての小冊子でした。
「世界には永遠を目指した石造りの遺跡が多くあるけど原初の姿を今も残しているのは伊勢神宮のみ。それは20年に一度新築して作り直すことで1300年も、今も昔と変わらぬ姿を保ち続けている。壊された社の木はまた再利用され、伐採した木には若枝を挿し木し…若々しく循環してゆく思想」
という、日本人の世界に類を見ない驚異的な永遠感…そして、その尊い物への畏怖と感謝の心を先祖から子孫へと「語り継ぐこと」を本当に事実やり続けているという事。行動で示し続けること。
私は今まで自分を日本人だと思っていましたが、正しくは日本人じゃなかったらしい…(笑)ことが判明しました。伊勢の伝統を知り、日本人が本来持つ独特の古く常に新しい美しいアイデンティティを自己の中に再発見し、取り戻した気がします。
今回の旅で色々深く考えさせられたので、しばらくしたらお線香を3本に増やしてみようと思います。
また、旅行の間、自分の今まで信じてきた宗教について思うことが多々あったので
それについてもスレで書かせて頂こうかと思います。
リーマンさん、皆さん、どうもありがとうございます。