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一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

今日のことば(30) ― G. バシュラール

2005-11-17 01:19:33 | Quotation
「水は真に実質において死の代わりとなっている。(中略) 穏やかな水の中の死はいくつかの母性的特徴を持っている。(中略)ここでは水が誕生と死の両義的イマージュを混合している。 水は、無意識的記憶と予見的夢想とに充ちた全体なのだ」
(『水と夢』)

G. バシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)
フランスの哲学者、科学哲学者。
彼の思想について論じるには、荷が重過ぎるので、ここでは省略して、いくつかバシュラールに関係する、意外な文章をご紹介する。

まずは、丸谷才一の堀口大学論「扇よお前は魂なのだから」から。
「水の女が堀口の詩におびただしく現れることは、彼の詩を好む人なら誰でもよく知つてゐる。たとへば『古風な幻影』は、

  夕ぐれわれ水を眺るに 
  流れるオフェリヤはなきか?
  シモアスの水に白鳥すまず 
  水衣(みづぎ)まとはぬレダとてもなきに……

とはじまり、

  オフェリヤの墓と思ひて水を見る
  夕ぐれの来て影をうつせば

で終る。(中略)
 この水の女への執着は、文学史的には堀口と浪漫主義文学とのゆかりのしるしになるだらうし、バシュラールふうに言へば「火よりも女性的で均一である元素」すなはち水、もつとさかのぼれば乳といふ母性的な水に対する彼の憧れの証拠」

次は、蕪村を引用しての安岡章太郎。バシュラールの名は出てこないが、
「そういえば、蕪村の『春風馬堤曲』には、
  むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
  慈母の懐抱別に春あり
の句がある。川と母とは、誰しも心の中で一緒になって思い出されるものらしい。」
(『僕の東京地図』)

参考資料 ガストン・バシュラール、小浜 俊郎・桜木 泰行訳『水と夢―物質の創造力についての試論』"L'eau et les reves : essai sur l'imagination de la matiere" (国文社)
     『丸谷才一批評集』第五巻「同時代の作家たち」(文藝春秋)
     安岡章太郎『僕の東京地図』(文化出版局)

今日のことば(29) ― 藤原定家

2005-11-16 01:55:33 | Quotation
「世上乱逆追討耳に満つと雖も、之を注せず。紅旗征戎吾が事にあらず。」
(『明月記』)

藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ。1162 - 1241)
平安末期から鎌倉初期の公家・歌人。藤原俊成の次男。
後鳥羽院の再興した和歌所の寄人となり『新古今和歌集』の撰者となり、また『新勅撰和歌集』を撰進した。『小倉百人一首』の元となった『百人秀歌』を、子藤原為家の舅宇都宮頼綱のために撰んだと言われる。

『明月記』は、治承4(1180)年から嘉禎1(1235)年まで書かれた定家の日記。
これは、定家の19歳から74歳までに当たる。
上記の引用は、治承4年9月の項目。治承4年の源頼朝の挙兵(平氏は慌ただしく福原遷都を決行する)を聞いての感想。
「紅旗」とは平家の赤旗、「征戎」とは戎(えびす:野蛮人)をたいらげること。つまりは、世の中では平家が源氏を討つとか言って騒がしいが、そんなものはオレの知ったものか、との意味になるだろう。

定家自身のノンポリ宣言なのか、それとも文学は政治や軍事には何の関わりもないとの自負なのか、解釈はいろいろあるだろう。
小生、個人的には、後者の解釈を採りたい。つまり、生活人/社会人としては、俗事にまみれて生きていかざるをえないが、文学者としてはそのような俗事を離れた存在(同時代人西行のような、世間から見れば「無用者」)でありたい、という若き定家の宣言と思うのである。

もっとも、この項目自体、後になっての定家の書き入れとの説もあるのではあるが……。

   見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ 

参考資料 堀田善衛『定家明月記私抄』(筑摩書房)
     今川文雄『訓読明月記』(河出書房新社)

今日のことば(28) ― A. ペルト

2005-11-15 00:00:47 | Quotation
「私の音楽は、あらゆる色を含む白色光に喩えることができよう。プリズムのみが、その光を分光し、多彩な色を現出させることができる。私の音楽におけるプリズムとは、聴く人の精神に他ならない。」

A. ペルト(Arvo Part. 1935 - )
エストニア生まれの作曲家。英国のジョン・タヴナーなどとともに「宗教的ミニマリズム」と称せられる作風で知られる。
タリン音楽院で学び、卒業後は放送局のレコーディング・ディレクターとして働くかたわら、作曲活動を行ない、1961年に作ったオラトリオ『世界の歩み』で、モスクワの作曲コンクールに優勝。以後、新古典主義や十二音技法、ミュージック・セリエルなどに基づく作曲を行なうが、長い休止期間を経て、「ティンティナブリ(「鈴の音」の意味)様式」と言われる作風にたどり着く。

引用のことばは、必ずしもペルトに限ったことではないだろう。
また、音楽のみについての話ではないと思う。
広く、藝術作品とそれを享受する人びととの関係として捉えた方が、示唆することころが大きい。
もっと広く言えば、前回のレインの項で述べたような、藝術作品を挟んだ「自己と他者」との関係とも言えよう。いや、藝術作品に限る必要もないかもしれない。
それを「ことば」と置き換えてみよう。

「ことば」は完全ではない、とよく言われる。しかし、われわれは「ことば」によって分節された世界に生きているのだから、それに頼るしかしかたがないのも確かなこと。
むしろ、問題なのは、「ことば」自体にあるのではなく、それを発する人間と、それを受ける人間との関係性にあるのでないか。

ペルトを聴きながら、そのようなことを考えている。

参考資料 ARVO PART "TABULA RASA" (ECM)
     ARVO PART "ARBOS" (ECM)

今日のことば(27) ― R. D. レイン

2005-11-14 00:00:41 | Quotation

「自分の行動に没入しているとき、そして、そうした行動が自分にとってなんらかの意味を持っているように思えるときでも、自分が他者によって全く認めてもらえない場合、そしてまた、自分が誰にも何の変化も与えることができないと感じる場合、空虚感や無益感が生じる。」
(『自己と他者』)

R. D. レイン(Ronald David Laing. 1927 - 89)
イギリス、グラスゴー生れの精神科医。1951年グラスゴー大学医学部卒業。3年間陸軍軍医となった後、グラスゴー王立精神病院、グラスゴー大学精神科に勤務。以後、タヴィストック人間関係研究所に入り、ランダム・クリニック所長を兼務。1965年から「キングズリー・ホール」という、患者と治療者とが共に暮すコミュニティーを作る試みをした。

レインは、精神分析医でありながら、現象学的人間学の考え方をも組み入れ、独自の「自己と他者」の関係論を構築した。それは、人間関係における相互作用の中で、もっとも基本的な「自己と他者」についての考察である。

引用のレインのことばを『論語』冒頭にある、
  人不知而不慍、不亦君子乎 (人知らずして慍(いか)らず、また君子ならずや)
との言と並べてみた場合、どのようなことが言えるであろうか。
孔子が、心理的に無理なのを承知で、理想を述べているだけなのか(教育的配慮?)、それとも、何らかの事情で、敢えて無理を言わざる得なかったのか(一種の強がり)。

参考資料 R. D. レイン著、志貴春彦、笠原嘉訳『自己と他者』(みすず書房)
     R. D. レイン著、中村保男訳『レインわが半生 -精神医学への道-』(岩波書店)

今日のことば(26) ―A. ホブソン

2005-11-13 00:54:30 | Quotation
「夢は視覚的であると同時に情動的である。中でも高揚感、怒り、不安といった情動が多い。繰り返されるのは、他でもない、こうした特定の情動によってつくられるテーマ(不安という情動による試験というテーマ)なのだ。私たちが経験することはたえずさまざまな情動を伴うが、中でも高揚感、怒り、不安といった情動を伴った体験は夢に出てきやすいとすると、同じ種類の情動が繰り返され、その結果、同じテーマが繰り返されることは大いに考えられる。」
(『夢の科学』)

A. ホブソン(Allan Hobson. 1933 - )
アメリカの神経生理学者。ハーバード大学医学部教授。同大学マサチューセッツ精神衛生センター神経生理学研究所所長。神経生理学を元にした意識・睡眠の研究、精神疾患の治療などの研究活動を活発に行っている。

『夢の科学』"Dreaming - An Introduction to the Science of Sleep" は、2002年に書かれた一般向けの著書の1冊。
フロイトの夢研究に見られるような「夢の内容」(テーマ)から、神経生理学に基づく「夢の形」へ、「夢」の研究対象を変えたことによって、何が解明されたかを分り易く述べた書である。
結論的に言えば、
「『夢』とは、睡眠中に自己活性化した脳が起こす、正常な精神活動の1つ」
ということになる。

参考資料 アラン・ホブソン著、冬樹純子訳『夢の科学―そのとき脳は何をしているのか?』(講談社)

今日のことば(25) ―A. アンべール

2005-11-12 00:05:33 | Quotation
▲写真中央、椅子に座っている人物がアンベール。

「江戸にはどんなものにも、平和な調和とか、夢見るような諧調を妨げられない人びとの動きや、足音や、人声や、歌や、音楽があるが、これと同じなものをヨーロッパに求めると、ただアドリア海 Adriatique の女王の岸辺と広場だけである。」
(『幕末日本図絵』)

A. アンべール(Aime Humbert. 1819 - 1900)
スイス、ラ・ショー・ド・フォンのビュルル生れ。
テュービンゲン大学卒業後、教師生活を送るが、1848年、憲法議会の一員となり、カントン(邦)の文部長官となる。1857年〈時計生産者組合〉会長となり、日本との貿易交渉のため、1859(安政6)年、スイス通商関税局代表として来日。幕府との交渉を行なうが失敗、1860(万延1)年、日本を去るが、1863(文久3)年には、スイス遣日使節団団長として最来日、約10か月間滞在した。
その間の見聞をまとめて、1870年にフランスで出版したものが『幕末日本図絵』"Le Japon Illustre" である。
「日本の自然や歴史、政治制度、建造物について、宗教、儀礼、社会の様子、風俗、習慣、慣習、日本の諸工業、長崎、下関、京都、江戸、横浜など、日本の諸地域の風景やそこに住む庶民生活の様子などがこれほど豊富な挿絵によって紹介され、明らかにされたことはかつてなかったと言えるだろう。」(「神奈川大学図書館所蔵稀覯書紹介」より)

ちなみに、ジュール・ヴェルヌ(1828 - 1905) 『80日間世界一周』での横浜の記述は、アンベールの著作を参考にしていることが明らかになっている。

参考資料 A. アンべール著、高橋邦太郎訳『幕末日本図絵』(雄松堂出版)        
     A. アンベール著、茂森唯士訳 『絵で見る幕末日本』(講談社)
      *後者は、ロシア語初版抄訳
     内藤高『明治の音ー西洋人が聴いた近代日本』(中央公論新社)

今日のことば(24) ― T. クーン

2005-11-11 00:00:09 | Quotation
「ここで科学革命という時、それはただ累積的に発展するのではなくて、古いパラダイムがそれと両立しない新しいものによって、完全に、あるいは部分的に置き換えられるという現象である。」
(『科学革命の構造』)

T. クーン(Thomas S. Kuhn. 1922 - )
アメリカの科学史学者。ハーバード大学で物理学を学ぶ。卒業後、母校およびカリフォルニア大学、プリンストン大学で教える。
著書には、科学史に関する『コペルニクス革命』『量子物理学史資料』『科学革命の構造』などがある。

今日、「ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み」という意味で、広く使われている〈パラダイム〉Paradigm という用語は、T. クーンが提唱した概念(元々は、語形変化のパターン=模範例を意味する文法用語)。
この『科学革命の構造』では、科学史についてパラダイムを、「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」とクーンは述べている。
また、「ニュートン力学からアインシュタイン相対論へ」のような、パラダイムの「革命的で非連続的な交代」のことを〈パラダイム・シフト〉と呼んでいる。
このような現象は、科学のみならず、思想や産業、経済などさまざまなジャンルで見られ、この用語もかなり広く使われ、一般的になっている。
ただし、経営書などでは、「革命的で非連続的な交代」ではなく、「単なる量的な変化」に対しても、この用語を使っているので、注意されたい(無知なのか、意識的な誤用なのか、それとも「かっこいい」から使っているのか?)。

参考資料  T. クーン著、中山茂訳『科学革命の構造』(みすず書房)

今日のことば(23) ― 山口昌男

2005-11-10 00:00:45 | Quotation
「(境界は)内と外、生と死、此岸と彼岸、文化と自然、定着と移動、農耕と荒廃、豊穣と滅亡といった多義的なイメージの重なる場であった。境界にまつわる習俗はこうした多義性に形の上で対応したものと考えることができよう。」
(『文化と両義性』)

山口昌男(やまぐち・まさお。1931 - )
北海道生れ。文化人類学者。
著書には、『アフリカの神話的世界』『人類学的思考』『文化と両義性』などの文化人類学に関するもののほかに、近年は『「敗者」の精神史』『「挫折」の昭和史』『内田魯庵山脈』などの近代日本を対象とする〈歴史人類学〉ものが多い。

〈秩序〉と〈混沌〉という形で「〈中心〉と〈周縁〉」モデルを提示したロトマンなどは、「境界は、内部空間か外部空間のどちらかのみに属し、一度に両方に所属することはない」と説いた。一方、この定義は、集合論のアナロジイに忠実過ぎ、形式的であるという批判も強い。
山口は、この後者の立場を、道祖神、宿神、サカド神、橋姫などの日本民俗学の成果を踏まえて、境界は両義的な領域であるとみた。
江戸の街構造でいえば、〈悪場所〉(廓と芝居町との組合わせ)という存在は、空間的にも境界に属し、
「日常的な世界を超越する聖性と、定住民から賤視の標的に供される不浄性との両義的な意味がこめられていた」(前田)
のである。

参考資料 山口昌男『文化と両義性』(岩波書店)
     前田愛『都市空間の中の文学』(筑摩書房)

今日のことば(22) ― 司馬遼太郎

2005-11-09 00:14:53 | Quotation
「日露戦争のころの日本陸軍の装備は世界の準一流で、第一次世界大戦以後に日本陸軍のそれは第三流であり、第二次世界大戦のころには信じられないほどのことだが、日露戦争時代の装備にほんの毛のはえた程度のものでしかなかった。(中略)その陸軍が強引に押しきって、ノモンハンからわずか二年後に米国と英国に宣戦布告をしているのである。こういう愚行ができるのは集団的政治発狂者以外にありうるだろうか。」
(『大正生れの「故老」』)

司馬遼太郎(1923 - 96)
本名福田定一(さだいち)。大阪外国語学校蒙古語科在学中の昭和18(1943)年、学徒出陣により戦車連隊に幹部候補生として入隊。〈九七式中戦車〉の後進性および戦車戦術の無謀さにより、日本近代化の歪みに深く思いを致すことになる。
戦後、新日本新聞社を経て産經新聞社へ入社。文化部勤務のかたわら、諸説執筆を始める。昭和34(1959)年『梟の城』で直木賞受賞。以後、各時代の多様な人物を描く数多くの歴史小説、エッセイ、紀行文などを発表。

参考資料 司馬遼太郎『歴史と視点―私の雑記帖』(新潮社)
     丸谷才一『みみづくの夢』(中央公論社)

今日のことば(21) ― 柳田國男

2005-11-08 00:11:05 | Quotation
「今度といふ今度は十分に確実な、又しても反動の犠牲となつてしまはぬやうな、民族の自然と最もよく調和した、新たな社会組織が考へ出されなければならぬ。」
(『先祖の話』)

柳田國男(やなぎた・くにお。1875 - 1962)
ご存知のように「日本民俗学の父」とでも言うべき人物。
近年、天皇制に関して触れなかったとか、常民のみを扱ってきたとかの批判もあるが、限界はあるにしろ、この人と折口信夫(おりくち・しのぶ。1887 - 1953)を抜きにして、日本民俗に関して語ることは難しい。

上記の引用は、柳田が、敗戦の年、昭和20(1945)年の秋に発表した『先祖の話』の自序にあることば。
それでは、「民族の自然と最も調和した、新たな社会組織」とは、どのような社会組織を彼は念頭に置いていたのであろうか。

少なくとも、このことばは、戦前の中央集権的国家組織を否定していることに間違いはない。「日本の近代化の方向は正しかったか」という疑問まで持っていたと考えることもできるのである。

参考資料 『柳田国男全集(13)』(筑摩書房)
     『定本柳田國男集』第10巻(筑摩書房)