それから3年、Sailing Shipは順調に 活動を続け3人とも歌うことにも 慣れてきたので、Motchy、Tommy、 僕の各1曲の3曲入りの音源も 作りました。
もちろんこの時はこのバンドを 辞めることなど全く考えて いませんでした。
ただSailing Shipのサウンドに 100%満足していたわけでは なくいろいろ改善の余地はある と考えていました。
でもSailing Shipには良い曲が 沢山あるのでまだまだ伸びしろ があるバンドだと思って いました。
そんなある日、 2014年12月23日にライヴを やらないかというお誘いを もらいました。
あいにく僕はその日は 当時、人気のマジシャンの ショーのチケットを買って いました。
Sailing Shipは前述の通り 3人ヴォーカルのツインギター です。
3人でもやれんじゃない?
誰から最初に言い出したかは 忘れましたが、僕も同じように 考えていたので、
「これはいいアイディアだ。 是非やってほしい」
と3人に言いました。
というのもSailing Shipは 音数が多すぎてサウンドが ゴチャゴチャしている と僕は考えていたので、 3人でやれば、てっとり早く サウンドがスッキリ するんじゃないのか? これは試してみるべきだ。
ということで、僕は一カ月程の お休みを貰うことになったのです。
で、その時にふと
「ソロライヴをやろう」
と思いついたのです。
実はソロライヴをやること は随分前から考えていたの ですが問題は演奏場所です。
当時はまだライヴ1回やるたび に28000円程のチケット ノルマを払ってライヴをやって いました。
今のようにノルマなしで、 参加料2000円程を払え ばライヴが出来る店が実は沢山 あることをこの時は知りません でした。
知らないとは怖いことです。
その時は少し前にMirrorでやった イベンターが出演者を集めて ライヴハウスを貸切でやる イベントライブに参加する ことにした。
確か12000円払ったと思う。
1人で払うのは中々痛い金額 だが1回限りだからと思って 無理して払った。
そして1カ月。
ソロライヴに向けて 練習を開始した。
僕は元々はフォーク少年 なので、アコギで歌うこと には慣れている。
楽勝だろ?
と思いきや、これが全く 上手くいかない。
でも昔の屈辱を 忘れてはいません。
「音楽やってんだったら なんか聞かせてよ」
と言われたのに、 何にも出来なかった あの日のことを。
ミュージシャンならギター 1本で30分ぐらいのライヴ が出来なくてどうする。
それでもミュージシャンか?
やはりこのライヴはどうしても やりとげなければいけない ことなのだ。
と思っても突然上手くなるわけも なく当日は来てしまった。
忘れもしない2014年12月 27日人生初のソロライヴだ。
今、動画に着けてあるソロライヴの 通し番号Vol.1がこの日だ。
Sailing Shipのメンバー全員が 来てくれた。
結果は散々だった。
1曲目の途中でピックを 落っことした。
バンドならスペアのピックを 取り出す間ぐらい弾かなくても 演奏は停まらないが、 1人では演奏を停めるしかない。
歌詞も覚えきれなかったので、 歌詞カードを置いたが目で 追いきれなくて結局、見えなかった。
大恥をかいた。
その後3人で演奏するSailing Ship の動画を見せてもらった。
良かった。
音がスッキリしているし、 3人が作った曲を持ち寄って いたところ、2人の曲に 絞ったことによって、 バンドの方向性がクッキリ した気がした。
この時に思った。
脱退しよう。
お互いにとって それが最善策だろう。
1人でのライヴが散々なものに 終わっただけにここで、逃げ帰る ように安住の地、Sailing Shipに 戻ってはいけない。
楽しければそれで いいわけじゃない。
音楽は趣味じゃない。
ただ、今振り返ってみて わからないのは とりあえず勢い余って 脱退はしたもののその先、 自分はどうするつもり だったのかが思い出せない。
演奏場所の高額出演料問題 など当時はどうにもならない 問題があったのに。
なんか3~4ケ月の間、 結局、何もしなかったような 気もする。
ただただ、考えた。
あの散々な出来のライヴから どうやったら自信を持って 演奏出来る状態まで持って いけるのか?
自分の一番の武器はやっぱり エレキギターだ。
アコギじゃない。
だからエレキギターを弾かない 僕はまさしく翼を失った鳥だ。
ここで20年前Mirrorに専任 ヴォーカリストを入れようと していた時と同じような ことを考えていたことがわかる。
20年たってもちっとも 成長していなかったわけだ。
その4へ続く



|