Insanity&Genius SATOSHIのBlog続編
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そもそも講談とは遠くさかのぼれば
古事記、日本書紀の語り部
稗田阿礼の頃おいより
発足いたしましたる代表的伝統芸
かたやRockMusicの出現は
火の発見、電気の発見に匹敵
しうるものかもしれないと
いわれたものです。

このナレーションで始まる、
NHKーFMのラジオ番組
Rock講談は毎年夏休みや冬休みに
4夜連続のなどで放送された。

1回1つのアーティストを取り上げ
代表曲をBGM代わりに生涯、エピソード
を講談に乗せて紹介する番組だ。

Rockを聴き始めだった僕には
いろいろな有名なミュージシャンを
知るのにとても役に立ったし、
ドラマティックなアーティストの
人生が講談の語りにマッチして
毎回、カセットテープに録音して
くりかえし聴いた。

当時は今のテレビガイドのような
FMラジオの番組表の雑誌があって
夏休みや冬休みにはRock講談の
放送がないか欠かさずチェックした。

今でもよく聴いているDoorsの好きな曲
のほとんどがこの番組でかかった曲だ。



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28年前の今日、1995年6月25日
横浜に来て初のライヴをやった日だ。

実はよく知らなかったんだけど
初ライヴの会場のShell Gardenという
ライヴハウスは老舗で昔は
Godiegoも出演したことが
あるらしく、YoutubeにこんなTVCM
の映像が見つかった。


現在はもう無くなってしまって
ドン・キホーテになってしまった。

今考えると駅から遠くて、
アマチュアバンドがお客さんを
呼ぶには、なかなか都合が悪い
立地条件だったからか、
僕が出た時は特に
オーディションもなく、
スタジオ練習を録音した
テープを送っただけで出してくれた。

何度か出演したが、駅から近い他の
ライブハウスに出るようになり
いつの間にか出演しなくなった。

そしてShell Gardenも知らない間に
無くなっていた。

でも6月25日、この日のことは
今でもハッキリ覚えている。

横浜に来てすぐにバンド活動を
バリバリやるつもりがメンバー
も集まらず、1度もライヴも
出来ないまま4年の日々が過ぎた。

今みたいに1人で活動する勇気も
発想も無かった。

ようやく漕ぎ着けた初のライヴ。

その時のメンバーの1人が
今でも活動を共にするHiroshi。

ライヴの演奏の出来はまあ大した
出来ではなかったんだけど、
あれから今日まで28年。

今もこうやって音楽を続けて
いられて本当に良かったと思う。

本来、今日もライヴの予定だったん
だけど喉の調子はあともう少し
なので、来週7月2日からライヴ
活動再開に向けて静養に努めます。

今日演奏するつもりだった、
横浜に来てから初ライヴまでの
苦しかった4年の思い出を唄った
曲です。


ヨ・コ・ハ・マ ブルーライト
作詞作曲 SATOSHI



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大学生の頃、軽音楽部に所属
していました。

部室でバンドの練習をしていた
のですが、部室は全く防音を
していないただのプレハブ小屋。

音は勿論だだもれ。

ただ大学は山の上で近くに
民家もないので大丈夫だろう
と思っていました。

ところが、音は山に反響して
ふもとの民家に聴こえて
いたのです。
RAINBOWじゃないただの
大学生バンドなのにです。

あるときコージーパウエル
大好きな先輩が思いっきり
ドラムを叩いていたら、
猟銃をもった地元民が
殴り込みに来たという、
本当か嘘かわからんような
話まで出てきて、夜9時以降
は部室で練習できなく
なりました。

それで夜に練習するには
スタジオを借りる必要があり
金沢市内で夜中までやっている
スタジオはタイトルのVanVanV4
しかありませんでした。

本当は他にもあったのかも
知れませんがうちの大学では
誰も知りませんでした。

ここはPAのレンタルもやっていて
やっていて軽音楽部のライヴの
時はいつもここからレンタル
していました。


かなり老朽化が目立ちますが、まだ
現存しているようです。



ここは変わっていて1階にはスタジオが
3部屋あって2階はホール。
ホールと言っても
大きさは都内のライヴハウスぐらい。

メジャーデビューはしたけど、
特にヒット曲もないぐらいの
バンドが地方を廻るとたいてい
このVanVan V4が使われた。

いまでも現役のAnthemをここで
一回だけ観たことがある。

ステージの横は楽屋ではなく
外階段への通路兼、物置だ。

本篇を終えてアンコールで
再びステージへ呼び戻される
までパイプ椅子が積みあがった
倉庫で息を潜めていなければ
ならない、現実の厳しさを
叩きこまれる小屋だ。

しかも1階ではアマチュア
バンドが絶賛練習中だ。

なんでこんなことを
知っているかというと
年に1回だけ軽音楽部で
このホールを借りて
ライブをやっていたので、
楽屋はないので
ライブを終えた部員は
この外階段で1階へ出て
次の出演者と交代するの
です。

練習が間に合わなかった
バンドは1階のスタジオで
練習してたりします。

ここのスタジオでちょっと
珍しいしきたりがあって、
このスタジオなんと
土足禁止なのです。

入り口に下駄箱があって、
そこで靴を脱ぐのです。

スタジオは実家の四日市では
1度も入ったことが無かった
ので、スタジオはVanVan V4
しか知らなかった僕は、
横浜に来て初めてスタジオに
入った時、靴を脱ごうとして
笑われました。
ネタではありません。
本当の話です。



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1986年4月、
大学生になって金沢に
住んだ。

まだ金沢のことが何も
わからなかった時に
ハードロック好きの友達の
せんちゃんが中古レコード屋
をみつけてきた。

近江町市場の近くにあった
その店の名はジャングルレコード。

調べてみたら正式名称は
レコードジャングルで、
まだ現存していた。

音楽雑誌で読んだ記事で、
RitchieBlackmoreは他のハードロック
バンドに興味はなく唯一好きなバンドは
JethroTullだけだという記事を読んだ。

金沢市内には山畜というレコード
チェーン店があったが、どこにも
Jethro Tullは1枚も無かった。

いわゆる普通のレコード店だったので
そもそも洋楽アーティストよりも
邦楽アーティストのレコードの方が
圧倒的に多いのでハードロックの
レコード自体も新譜が少しあるだけで
旧譜はほとんど置いてなかった。

そこでジャングルレコードだ。

中古盤屋だから当然、昔のレコードが
あるだろう。

この時点で知っていることは
JethroTullというバンド名のみ。

何枚アルバムがあるかとか、
代表作は何とか、
何も知らなかった。
知らなかっただけでなく
調べる術もなかった。

とにかく行ってみた。

1枚だけ見つかった。
JethroTullなら何でも良かった。


表ジャケット

裏ジャケット

このジャケット。
仙人か?山伏か?
いかにもRitchieBlackmoreが
好きそうなヘンテコリンな
バンドであろうニオイが
プンプンする。

迷わず買って帰った。

レコードプレーヤーを
持ってなかったので、
せんちゃんの部屋へ
直行して、テープに
録音してもらった。

レコードにハリを落とす。

1曲目 WarChild

ハードロックとは
ほど遠い音楽が出てきた。

でもなんとなく良いような
気がする。

2曲目
Queen and Country



これは良いんじゃないか!

録音が終わって自分の部屋で
くり返し聴いた。

隣の部屋の友達に

「なんか最近、妙な曲
 聴いてるね」
と言われた。

ちょっと得意になった。

たまたま1枚しかなかった
JethroTullのレコードが
お気に入りの1枚になった
ことに満足した。

この時点で僕の好きな
バンドの1つにJethroTull
が加わった。

アルバム1枚聴いただけなのに。

実はJethroTullには他に
沢山の代表作があることを
知るのはまだまだ先の話です。

この時点ではWarChildは
JethroTullの代表作に違いない。

確信していた。

その後、沢山の代表作と呼ばれた
アルバムを聴いた今でも、
Jethro Tullで1番好きなアルバムは

WarChild

それは変わらない。

昨日の42枚にも入ってます。

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高校生の頃、毎週土曜日深夜2時から
放送されていたDrシーゲルこと
成毛滋さんのラジオ番組の名前が
PurpleExpressだ。

AMラジオ番組でギター講座をやるという
今ではあり得ない困難な条件の番組
だったが、音も出ない動きもしない
ギター教則本よりは分かりやすかった。

当時はまだ家庭用ビデオデッキはなかなか
高額でビデオソフトも高くて高校生には
手が出なかった頃だ。

そのDrシーゲルの教えがきっかけで
今でもミディアムスケールのストラトを
使い真空管アンプを使うことは、
僕のギターサウンドにおいて絶対に
欠くことが出来ない条件だ。

でも実は成毛さんから受けた最も大きな
影響は世の中には嘘があるということだ。

よく成毛さんがラジオで言ったのは

「ギター雑誌に書いてあることは
デタラメです。絶対に信用しては
いけません」

と言った。

また
「悪徳楽器屋は最初からいい音がする
真空管アンプを勧めずに音の悪い
トランジスタアンプを勧めてそのあと
エフェクターを買わせようとする」

とも言った。

単細胞なガキだった僕はそれまで
ギター雑誌に書いてあることに
まさか間違いがあるなどとは
考えたことがなかった。

しかし実際にギター雑誌に書いてある
方法では運指が難しくてとても
弾けなかったものが
成毛さんの言った通り弾くと
自然な運指で弾ける。

またギター雑誌の弾き方だと
レコードと全然似ていないのが
成毛さんの弾き方だとレコード
そっくりだった。

他にもラジオで紹介した真空管アンプ
H&M30の音は今まで身近にあった
トランジスタアンプにディストーション
の音とは全く違うレコードそっくりの
音だった。

それまで疑ったことがなかった
ギター雑誌や楽器屋さんの
言うことが間違いだったとは・・・。

そう、世の中には嘘や間違いが
あふれかえっているのだ。

それは薬の仕事をするようになって
からも薬の本を読むと随所に
間違いがあったりする。

この本に書いてあることは
本当なのか?

この本に書いてあることは
間違っていないのか?

それからの人生で世の中で正しいと
みんなが信じていることが、
実は間違っていたなんということは
何度もあった。

こんな疑り深い考え方になったのは
間違いなく成毛滋さんの影響だ。

でもこの疑り深い性格のおかげで、
多くの人が気づけなかった世の中の
嘘や間違いに気づくことができた。



嘘はつきたくない
作詞作曲SATOSHI


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