Insanity&Genius SATOSHIのBlog続編
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先日、触れたことにもう少し
踏み込んで書こうと思います。

見ている人は少ないと思いますが
誰が見ているかはわからないので
ボヤかして書きますので、お察し
下さい。

あくまで僕の推察です。

確証はありません。

日本が敗戦したときアルファベットで
3文字が来ました。
ボスはビートルズのベーシストに
似た名前の人です。

その3文字は占領した日本を
2度と歯向かえない国にする
目的で来ました。

とは言ってもそんなに簡単に
大衆を言うことを聞かせること
は出来ません。

そこで、教育をコントロール
するのです。

何しろ敵国は100年ぐらい前
まで奴隷を使っていたノウハウ
がある。

日本が復興してくれば、
いずれ対等な議論を
挑んでくることは容易に
想像がつきます。

そこで、まず優位に立つために
言語を奪うのです。

英語が世界の共通語であることは
今日でも変わっていません。

英語以外の言語も、ドイツ語、
イタリア語、フランス語など
多くの言語が英語に似ています。

元は同じ言語だったのだろう。

で、その英語と全く違う日本語。

最初3文字は漢字を廃止して、
ローマ字表記にさせようとした。

しかし、日本人の識字率の高さを
示す統計を取った学者が日本の漢字
を守ったとされている。

だがしかし、ここがごまかされやすい
ポイントで、3文字は全く読めない
漢字をローマ字表記にさせようと
しただけで、英語を公用語にしようと
したわけではない。

日本人に英語を覚えられては困るのだ。

だから漢字をアルファベット表記に
しても、しなくても大した
問題ではなかった。

あっさり日本の主張を飲んだ。

そして、今も学校で教えられる、
文法と読むことばかりで、聞くこと
話すことが欠落している英語の授業
カリキュラムは3文字の指導で、
つくられたものだ。

このやり方で英語が話せるように
ならないことを、3文字は知って
いたのだ。

それと同じように学校で教える
ことは徹底的に役に立たない
ことを教えて、学ぶことは、
つまらないことだという感情
を植え付ける。

社会という科目も戦後
3文字の指導で作られた。
絶対に役に立たない
1000年前のことを
覚えさせて、肝心の
戦前の日本はどんな国
だったのか?

何故日本は戦争をしたのか?

敗戦で日本の何が
変わったのか?

最も大事なところは、
ほとんど触れない。

授業の内容だけではない。

中学、高校では校則という名の
法律を内申書という人質をとって
納得のできる理由などなくても
他人に決められたことに従った
方が楽だという思考を植え付ける。

今になればハッキリ異常だと
わかる締め付けと、全く役に
立たない授業は自分の意志を
持たない人間、自分で考える
ことが出来ない人間を育てる
ことが目的だったのだ。

奴隷は文句を言わずに
働いていればいいのだ。

僕に子供はいないけど、
知人の子供達は受験に
部活に日々を費やして
いると聞く。

僕たちの頃と何も変わって
いない。

そして、習得能力の高い
10代の貴重な時間を
これからの人生に
全く役に立たない知識を、
全力で詰め込んでいる。

勿体ない話だ。

学ぶことは本来、楽しいことだ。

知ることは人生を豊かにする。

どうして学校でこれを
教えないのか?

長年の疑問だった。

でもこの推察が正しいとすれば、
全ての疑問のつじつまが
合うような気がする。

そんなことに気づいて
しまったお盆休みだった。

でも僕自身は沢山の
素晴らしい人に出会い
沢山の美しいもの、
楽しいものを知り
人生は今日も充実している。

日本国は絶望的だけど、
日本人は捨てたもんじゃない。



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11日から始まったお盆休みも
今日でおしまいです。

途中15日に午後だけ出勤
だったので、4連休と3連休
でした。

ライヴやスタジオ練習に、
茨城へ行くなどしましたが、
他は、得意のグータラ癖を
発動しまして、あっという間に
お休みも終了です。

ただ、暇だといろんなことを
考えます。

ちょうど終戦の日を挟んでいたので
戦争のテレビ番組を沢山みました。

そして、長年の疑問の答えが
見つかったような気がします。

何故、日本人のほとんどが、
英語を話せないのか?

何故、義務教育で国民全員に
「たてぶえ」を練習させるのか?

何故、学校の勉強はあんなに
つまらないのか?

つまらない理由は随分前から
気づいていました。

役にたたないからです。

鎌倉幕府が何年に出来ようが
そんなものが役に立つ場面
は57年間1度もありません
でした。

音楽を趣味でも仕事でも
やっている人には沢山
会ったけれど「たてぶえ」
をライヴで吹いた人は、
1人しか見たことが、
ありません。

ついでに言うと、
その人は「たてぶえ」を
口ではなく鼻で吹いて
いました。

子供の頃から僕は
何の役に立つのか、
わからないことを
やるのが、嫌いでした。

だから学校の勉強の大半が
嫌いでした。

社会人になってやっと、
世の中には、面白いもの、
素晴らしいものが沢山ある
ことを知りました。

どうして学校でこれを、
教えてくれなかったのだろう。

やっとわかった。

それは日本が敗戦国だからだ。

79年たった今でもそれは
変わっていないのだ。

気づいている人はきっと
沢山いると思う。

このブログを書いて今年の
お盆休みはおしまいです。

明日はこびとさんでライヴが
あります。










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今日は昼間にライヴがあって
夜に練習スタジオの予約が
あったので、明日から妻の実家
の茨城へ行きます。

1人暮らしを始めた大学1年の
時からお盆休みとか、お正月
休みとかの連休には必ず帰省
することにしています。

幸いなことに僕の両親も、
妻の両親も健在なので、
会える時にあっておこうと
思って最近は両方の実家に
行きます。

僕の実家の三重県には、
7月に4日間帰りました。

世間は休みではないので
高速道路の渋滞もなく
快適でした。

ただお盆でサービスエリアの
大混雑とか見るのも嫌いじゃ
ないのです。

なんかお祭りみたいな雰囲気
が楽しい。

昔と違ってサービスエリアには
広大なお土産屋さんに膨大な種類の
ウマそうな食べ物がきれいな箱に
入って売られています。

昔のみやげものはまんじゅう
など地味な包装のどこに行って
も同じようなものばかりでした。

今はレコードをジャケ買いした
みたいに箱だけで買いたく
なります。

マニュアル車なので渋滞は
正直キツイこともありますが、
別に何時までに行かなければ
ならないということもないので
まあ、それも風情を感じます。

若い頃は人生は永遠に続くように
感じていたけれど、今はそうでは
ないことを日々実感することが
多くなってきました。

今年も無事(?)お盆休みが
迎えられることをありがたく
感じる今日この頃です。





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毎年恒例の高校野球が
始まりましたね。

今年は暑さ対策で、真昼間を
避けて朝と夕方に時間をずらす
そうですが、そんなことしないで
ドーム球場を使えば解決するのに
なんでそれをしないのだろう。

高校野球には僕は個人的に、
あんまり良い思い出がない
ので甲子園に応援に行った
ことはないですが、
知ってはいます。

何しろ桑田、清原の同学年だし
うちの高校の同級生で大洋に
ドラフト4位指名で後に地元、
中日ドラゴンズに来た
北野がいます。

僕が高校生の頃は日本に
ドーム球場は1つも
ありませんでした。

だから野球は屋外でやる。

これは仕方のないこと
でした。

でも今は違う。

甲子園の近くにも
大阪ドームがある。

プロ野球も今の時季は
ドーム以外の屋根なし球場
では全てナイトゲームだ。

先日、晴天の昼の2時頃
バスを7分待っていただけで
刺すような強烈な太陽に
あっという間に汗だく。

こりゃ死者が出るわ。

こんな中で野球をやるなんて
狂っているとしか思えない。

高校野球は試合をやる選手だけ
じゃなく応援のブラスバンドや、
チアーダンスチーム、選手の家族
など多数の人が来る。
これらの応援客も選手と共に
灼熱地獄に耐えなければいけない。

こんなのを見て青春だとか
言ってる奴はハッキリ言って
バカだ。

これが動物だったら間違いなく
動物虐待だと動物愛護団体から
抗議が来そうだが、何故か人間
の若者が一生懸命やっていると
虐待にはならないらしい。

甲子園という名前が
大事なら西武ドーム方式で
屋根をつけたらどうだ?

以前のブログで書いたが、
ドーム球場はコンサートを
観るには不向きな施設だと思う。

以前のブログはコチラ↓↓↓

アイドルのコンサートなんかに
使ってないで、高校生に
ドーム球場を使わせてあげれば
良いと思う。

応援する観客も冷房の効いた
ドームで全力で応援すれば
いいじゃないか。

日本初のドーム球場
東京ドームができてから
既に30年以上。

どうしてこんなに簡単に
解決できる問題を放置
するのだろう。

俺には全然わからない。


わからない 作詞作曲 SATOSHI










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YesのBe the onについて書いた
前々回にYesの好きな曲は、
「こわれもの」と「危機」
の2枚にほとんど収録されて
いて、それ以外の好きな曲は
2曲しかないと書きましたが、
正確にはYesの曲はBe the one
1曲のみで、好きなもう1曲が
Anderson Bruford Wakeman Howe
名義で発表されたこの
Brother of mineです。

Yesというバンドは長い歴史が
あるだけにいろんな珍事が起きて
いて、創設メンバーだった
クリス・スクワイアは存命中は
Yesと名乗るバンドには常に在籍
しましたが、「危機」「こわれもの」
の録音メンバーのうちの
クリス・スクワイア以外の4人
全員がYesを脱退しているという
時期がありました。

そしたら、なんとその4人が
クリス・スクワイア抜きの
再結成というか新たなバンドを
結成したのでした。

クリス・スクワイアのYesは
存在はしていたので、Yesという
バンド名が使えなかったので、
メンバーの名前を並べて
グループ名にしたのです。

僕のYesの好きな曲の条件に
ジョン・アンダーソンの歌メロ
スティーヴ・ハウのギター
リック・ウエイクマンの
キーボードと書きましたが、
もう一つ、ビル・ブラッフォード
のドラムも魅力の要素です。

ドラムには実は僕は疎くて
このドラマーが好きだという
ドラマーはあんまりいない
のですが、Brufordは数少ない
1人です。

彼のドラムは普通のドラマーの
ように決まりきったパターン
ではなく、まさしく歌を歌う
ようにメロディアスです。

このBrother of mineの録音も
一般的なドラムから先に録音
するのではなく、ギターや
キーボードなどを先に録音して
最後にドラムを録音したそうです。

だからドラムが歌メロやギター、
キーボードに呼応するように
叩いていて曲の魅力を
高めています。

先述のBe the oneにはBrufordが
参加していないので、そこは
もの足りなくもあるのですが、
このBrother of mineには僕の
好きな要素の全てが入っていて
代表作2枚の曲と同じくらい
好きな曲なのです。

この4人の名前をタイトルにした
アルバムを発表して、その中の
1曲がこのBrother of mineなの
ですが、残念ながらこの曲以外
の曲はイマイチ魅力が薄い曲
でした。










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