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「支那事変」を「日華事変」と言い換え歴史を改変し破壊する「差別語狩り」 202311

2023-11-10 22:27:00 | なるほど  ふぅ〜ん

【逆説の日本史】「支那事変」を「日華事変」と言い換え歴史を改変し破壊する「差別語狩り」
  Newsポストセブン より 231110
   作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』


 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十二話「大日本帝国の確立VII」、「国際連盟への道5 その12」をお届けする(第1398回)。

 * * *
 ここでちょっと用語の問題を整理しておこう。

 とくに、中国の国号に関する問題である。これについては、『逆説の日本史 第一巻 古代黎明編』を書き始めたときにすでに「原則」として述べているのだが、考えてみればそれを書いたのはもう四半世紀以上前である。
 二十代の読者ならばほとんど生まれてもいないだろうし、三十代でもまだ子供だった時代である。この連載の当初からの愛読者ならば繰り返すまでも無いだろうが、これだけ時間が経つとそういうわけにもいかないので、もう一度確認しておきたい。

 たとえば,この時代に大日本帝国は一貫して中国のことを「支那」と呼んでいた。この「支那」という言葉をいまだに差別語扱いする向きもあるが,これは決して差別語では無い。
 これも前に説明したことだが、中国の最初の王朝は秦だったため、ローマ帝国では中国のことをCHINA(チーナ)と呼ぶようになった。これはローマ帝国の国語であったラテン語の発音で、英語では同じ綴りだが発音はチャイナになった。

 そのうち中国はヨーロッパ人が自分たちのことをそのように呼んでいることに気がつき、中国にはカタカナ(表音文字)が無いので発音に見合う漢字を当てた。
 しかし、これも繰り返し述べたことだが、中国人は「悪癖」を持っている。自分たちが「中華の国」つまり世界の中心にいる文明人だというプライドがあるので、周辺地域に住む人間をバカにして「邪」馬台国とか「卑」弥呼とか、わざわざ悪い意味をもった字を当て字に選ぶのである。「モンゴル」もそうで、この発音は尊重するのだが、それに対して当て字をする際わざわざ「蒙古(無知蒙昧で古臭い)」という字を選んだ。

 しかし、「支那」の場合は中国人自身がシナという言葉に当て字をしたのだから、悪い字を選ぶはずが無い。この両方の字には差別的意味はまったく無いのである。
 それなのに、若い人には信じられないかもしれないが、かつてはこれが差別語だという誤った説が一部のインチキ歴史学者どもによって唱えられ、それを鵜呑みにしたテレビ局が歴史的用語である「支那事変」という言葉を使わないようシナリオライターに強要し、結果的に歴史ドラマなのに「日華事変」と言い換えさせられていた。

 同じ時代、テレビやラジオのニュース番組で北朝鮮のことを報じるときも、アナウンサーは必ず「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言わねば上司に叱られた。韓国も本当は大韓民国なのに、「韓国、大韓民国」とは同じニュース番組では決して言わなかった。

 注意してほしいのは、これは歴史上の事実としてあった「差別語狩り」とは違うものであるということだ。
 差別語狩りというのはかつて視覚障害者を指す「メクラ」などという言葉を差別語とし、それを歴史から抹殺しようという一大運動である。私もいまは視覚障害者というちゃんとした言葉があるから、ことさらにこの言葉を使おうとは思わない。

 だが、この言葉はそもそも「目暗」すなわち「目の前が暗い」という意味であって差別的な意味は無く、それゆえかつては「めくら判」とか「めくら縞」という派生語が普通に使われていたのだから、少なくともその時代の歴史を語る場合は使わなければいけない。
 また、昔の時代を描いた文芸作品や映像作品には登場させるべきなのである。江戸時代の人間が「視覚障害者」などという言葉を使うはずがないからだ。

 ちなみに、江戸幕府は彼らを保護するために通常は認めない高利貸の営業を彼らには認めていた。だから「めくら金(金融の意味)」という言葉もあった。幕末の英雄勝海舟は将軍の家来である旗本だが、三河以来の旗本では無い。それどころか、この「めくら金」で一代にして巨万の富を築いた男が子供のために「旗本株(旗本の家に養子に入る権利、金銭で売買されていた)」を買い、それで旗本の身分を獲得した家柄の子孫である。

 こういうことを知っていれば勝海舟の破天荒さも、三河以来の旗本が彼をどんな目で見ていたかもわかるだろう。それが歴史の探究ということだ。
「差別語狩り」は歴史の改変どころか歴史の破壊であり、学問の本義にも反するものだが、それを一部の歴史学者たちが先頭に立って文豪谷崎潤一郎の名作ですら「差別語を使っているのだから図書館から追放すべきだ」などというバカな運動をやり、それを左翼マスコミが支持し応援したというのが、かつての日本の姿であった。

 そうした流れのなかで本来差別語では無い「支那」が差別語とされ、支那事変という歴史用語が使えなくなった。若い人は驚くかもしれないが、これも実際にあった「歴史的事件」である。
 もうおわかりだろうが、仮にシナが差別語であったとしても当時使われたのは事実なのだから、歴史を語るときはそれを使わなければならない。これから先の話になるが、「大東亜戦争」という用語もそうだ。

 昭和前期に始まった現在は「太平洋戦争」と呼ばれるこの戦争は、実際にはアメリカだけで無くイギリスなど連合国に対する戦争であった。太平洋で日本が戦ったのは主にアメリカだから、アメリカはこの戦争を当初から太平洋戦争と呼んでいたが、実際には日本はインドまで戦線を拡大していたのだから太平洋戦争という呼び方は的確では無い。やはり「支那事変」のように、「大東亜戦争」と呼ぶべきなのである。

 その当時の日本人はそう呼んでいたのだから、歴史的事実として尊重すべきだ。歴史の探究とは、まず当時実際はどうであったか事実を正確に確定するところにある。それに対する分析評価は、事実の正確な確定ができてから後の話だ。
 ところが、これについても「アジア太平洋戦争」などと言い換えが行なわれている。新しい用語を作るなとは言わない。
しかし、まずは当時実際に使われた言葉を尊重すべきだろう。

 別に大東亜戦争という言葉を使用したからといって、当時の大日本帝国の政策である大東亜共栄圏の確立を支持したことにはならない。
 ところが、こんな本来なら中学生でもわかるはずのことがわからない人々たちがどうも存在するようだ。このことについては、いずれ詳しく語ることになるだろう。

中国、朝鮮蔑視の「民族感情」
 話を一九一四年(大正3)十一月の時点に戻そう。

 この時代、日本は朝野を挙げて中国を「支那」と呼んでいたのは事実なのだから、言い換えてはいけない。これまでたびたび引用した博文館の『歐洲戰爭實記』のように、当時の史料に「支那」と書かれている場合はそのまま使うことに私はしている。それが歴史を探究するということだからだ。
 しかし、史料の引用では無く私自身の文章でこの時代の中国を語るならば、それは「中華民国」あるいは略称として「中国」にしなければならない。この時代の中国が中華民国であったことも歴史的事実なのだから。

 ところが、ここから話は微妙になるのだが、支那という言葉自体には差別的意味は無いものの明治後期から大正そして昭和前期にかけて、当時の日本人が支那という言葉を差別的に使ったのは事実である。
 中国は辛亥革命(1911年)の後に国号を「清」から「中華民国」と正式に改めたのだから、以後その国のことを呼ぶ場合は中国と言うべきなのである。
 この原則は二〇二三年の現在もまったく同じで、大陸にある北京を首都とするあの国家は中華人民共和国と国号を定め、しかもここが肝心だが日本はそれを外交的に承認しているから、客観的な文章で語る場合はやはり中国とすべきなのである。

 感情的に言うなら私はあの国の行動は不愉快だし、共産党政権は早く潰れるべきだと思っている。そのほうが中国人のためになるとも思っている。
 しかし、だからと言っていま「あの国」を中国と呼ばず、ことさらにシナとかチャイナとか呼ぶのは、たしかに「シナ」とか「チャイナ」という言葉自体に差別的意味は無いものの、問題であると思っている。

 繰り返すが、われわれの民意によって選ばれた日本国政府が中華人民共和国を外交的に承認しているのだから、少なくとも国号に関しては「中国」と呼ぶべきなのである。「あんな国、中国なんぞと呼びたくない」という気持ちはわかるが(笑)、そういうことを言い続けて中国側が「ではわれわれもお前の国が日本(日出づる国)などという仰々しい国号を名乗るのを許さない」などと言ってきたらどうするのか。

 またこれも前に述べたことだが、日本を外交的に承認しているはずの韓国の一部マスコミは、いまだに「天皇」を「天皇」と呼ばず「日王」と呼んでいる。
 これは朱子学に基づく中華思想によるもので、「日本の如き小国が『国王』よりも格の高い『皇帝』の『皇』の字を使うのは許せない」という差別感情の発露だ。
 だから私は昔から断固抗議しているし、韓国人も日韓友好を本気で進める気持ちがあるなら、この点を真っ先に改めるべきだ。
 立場を逆にして考えればわかることだが、私が「韓国など小国で人口も日本の半分しかない。だから元首が大統領などというのは片腹痛い。〈小統領〉などと呼べばじゅうぶんだ」などと言ったら、どんな気がするか、それと同じことを、いまの韓国人はやっているのである。これは改めるべきことだということはおわかりになるだろう。

 同じことで、現在の中国をシナとかチャイナなどと呼ぶべきではない、もちろん、思想上の理由であえてそう呼びたいというならばその気持ちは尊重する。あくまで思想は自由であるべきだからだ。
 しかし、歴史家としての私はそういう態度は取らない。少し長くなったが、これが私の歴史家および著述家としての原則である。

 以上、この長い連載のなかでもうすでに何度も述べた原則であるが、新たにまとめて述べた。あえてそうしたのは、冒頭に述べたようにこの原則を述べてから何年も月日が経ったということもあるのだが、最大の理由はいま述べている青島要塞が陥落した一九一四年十一月の時点で日本人の「民族感情」がどのようなものであったか、実感してもらいたかったからである。

 早い話が、当時の日本人は「天皇を日王としか呼べない」きわめてレベルの低い、外交的にも問題のある一部の韓国マスコミと同じレベルだったということだ。
 もちろんそうなってしまったのには長い経緯があるが、一言で言えばそれは朱子学という亡国の哲学のなせる業である。この悪影響からなんとか脱し、近代化に成功した日本人は、朱子学の呪縛を自力で解くことができず簡単に近代化できなかった朝鮮人や中国人を軽蔑するようになった。

 勝海舟は「日中朝の三国が団結して欧米列強の侵略を跳ね返すのが本筋だ」と主張し、日本の草創期には朝鮮人のおかげで国土建設がスムーズに進んだなどという実例も紹介し、なんとかこの路線を発展させようとしたが失敗した。
 それは勝海舟の責任では無く、あまりにも朱子学の説く祖法にこだわり近代化の道を進むことができなかった中国人、朝鮮人のせいなのだが、それであるがゆえに最初は朝鮮の自力近代化を応援していた福澤諭吉も絶望し、「脱亜入欧」すなわち「欧米列強クラブ」への、孫文の言葉を借りれば「西洋の覇道」への加入をめざした。
別の言葉で言えば帝国主義、とくにアジアにおける植民地獲得競争への参加である。

 その分岐点となったのが日露戦争であった。桂太郎内閣は日本と同じくアジアへの「参入」が遅れたアメリカのフィリピン領有を支持し、その代わりに日露戦争への応援を獲得して南満洲に足がかりを築いた。
 そして第一次世界大戦の青島の戦いにおいて、欧米列強の中国からの植民地獲得レースにおいて白人国家では最下位を走っていたドイツを追い抜き蹴落とし、ようやくほかの列強に追いつき追い越し、「金メダル」を狙える順位に入ったのである。

 問題は、その取っ掛かりとなった第一次世界大戦という「レース」への参加にあたって、時の大隈重信内閣は「中国への領土的野心は無い」、日露戦争のとき世話になった同盟国イギリスへの恩返しだという立場を表明して、このレースに参加つまりドイツに宣戦布告した。もちろん、その表明を一〇〇パーセントまともに受け止めていた国はいない。
 戦場となった中国つまり中華民国も日本が膠州湾をドイツから奪い、それを「人質」にしてなんらかの領土的要求をすることは覚悟していた。

 それは前回紹介した中国の各紙が予想していたところでもある。しかし、実際はこの先大隈内閣は領土的野心を剥き出しにしたとしか思えない主張を中国に突きつけることになる。
 なぜそんなことになったかと言えば、最大の理由はこの時点における日本人の中国人に対する差別感情にある。人間は感情的動物だからである。

(第1399回に続く)



【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。
 TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2023年11月17・24日号

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