ソビエトカメラ日和

私のソビエトカメラライフや日頃思ったことについて・・・

かごしまの謎の遺産 ~奇岩 銭積石~

2005-10-31 01:15:23 | その他もろもろもろ
今日は夕方カメラを持って薩摩川内市の清浦ダムに出かけました
そこでYASHICA electro 35 の試写を兼ねて写真を撮ったりしました
途中、道に ウンベ(アケビ)の皮が落ちていたので
上を見ると木に巻き付いた蔓にたくさんのウンベがたわわになっていました
しかも熟れてパックリ割れておいしそうな白い果実が顔をのぞかせています
近くにあった竹の棒で取ろうと試みましたが、蔓が強くて取ることができませんでした
今度、高枝切りはさみをもって収穫に来ようかな

帰りは山道の方を通ったのですが
途中、銭積石(ぜにつみいし)という奇岩を見にいきました
ここは以前から地元の古老には知られていたようですが
一般に知られるようになったのは最近です
国道328号線の入来峠から入来城山ゴルフ場へ向かう道沿いに
奇岩 銭積石 と書かれた案内板があり、簡単な駐車場があります
駐車場から細い山道(ほとんどけもの道です)を沢伝いに700m 昇ると銭積石があるのです
ほとんど日が暮れかけていましたが行ってみることに
山道をハァハァいいながら昇っていると、いきなり野生の鹿にでくわしました
向こうもビックリしたらしくすぐに逃げて行きました
道なき道をスニーカーで昇って20分くらいで到着
岩崖があって柱状に石が並んでいるのですが
そのうちいくつかの柱は丸い樽状の石をいくつも積み重ねたようになっています
銭を積み上げたようにもみえることから銭積石と言われるのでしょう
なんとも不思議な形をした岩です
すでに暗くなっていたのでフラッシュを焚いて写真を撮りました

この石は山奥にあり近くに何もないことから、自然にできたものだと言われています
確かにこの近くには岩下仙峡に践祚(せんそ)の滝というのがあり
ここの石も柱状&段々になっていて、この付近の岩質自体がそうなっていることは分かります(ちなみに、践祚(せんそ)とは、天皇の位を受け継ぐこと。先帝の崩御あるいは譲位によって行われる)
しかし、銭積石の樽を積み上げたような形状はどうみても不自然で自然にできたと考えることはできません
樽状の石と石の間には隙間があり、つながっているというよりは積み上げられたという感じです
ちょうど石垣の角の部分を見ているような状態です

これは人工物に違いない
昔、八重山近辺には修験者(山伏)が多くいたことが知られており
私個人の勝手な考えは、彼らが作った宗教的な建造物に違いないというものです
この付近には、修験者にまつわる祠もいくつかあり、そこには丸い石がたくさん置かれていたりします(河原にあるような石です、山の中にはありえないので下界から持ち込まれたのでしょうか)
または古代人が宗教的理由から作ったのか、近世になって山城や要塞の目的で作られたのか。。。どちらにしろ、歴史から葬り去られた遺物だろうと思われます。いろいろ想像は広がります。民俗学的な興味をそそります。

薩摩川内市には、他にも巨石文明に関する遺産があります。祁答院の藺牟田池の外輪山にあたる山王嶽にある山王嶽環状列石というものです。もしかしたらこれらはなにかつながりがあるのかもしれません。

もしかしたら、これらはOOPARTS (オーパーツ)なのかもしれません。
オーパーツとは"Out Of Place Artifacts"の略で、日本語では「場違いな遺物」の意。
有名なOOPARTS (オーパーツ)としては、ナスカの地上絵、イースター島のモアイ像、イギリスのストーンヘンジなどがあります。日本では与那国島の海底神殿などがあります。ほかにはここココなどを見てみてください。
現在の歴史学や科学では説明がつかず、学者たちに否定されてしまっている。世界各地で発見されるオーパーツの存在はなにを語るのか?失われた過去の超古代文明の存在か、宇宙人の存在か、 又は偶然の産物なのか?

ここまで書いていると、グラハム・ハンコックの著書、神々の指紋を思い出してしまいます。
ついつい、オカルトネタということで想像にまかせて書きすぎてしまいました。私個人の勝手な解釈ですので。。。でも、オカルトはロマンがあっておもしろいです。。

銭積石から下山するときはすっかり暗くなってしまっていて、足元がよく見えず歩くのがやっとでした。遅い時間に山に入るものではないですね。。

銭積石のご利益にあずかって、お金が貯まればいいのになぁ。。。。 笑
コメント (2)
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