長岡育英センター・ブログ

遊びも勉強もおやつも2020年も!
育英なら毎日仲間と一緒、みんなと一緒!
育英が僕らの放課後の場所!

長岡で震度3

2004-12-28 21:27:19 | 地震ぐらぐら日記
また揺れました。

育英センター、希望が丘、大島保育園は全員無事でした。

---

インド洋の地震で大津波が東南アジア沿岸の各国を
襲い、海型の地震の脅威をまざまざと見せつけられた
と思っていたら、再び自分たちの足下が揺れるとは。

長岡では震度3でしたが、守門村では最大の震度5弱を
記録しました。

最大で震度5を記録するのは、11月10日3:43の震度5弱の
地震以来でした。


最近の余震では、クリスマスイブの前夜23日21:03に
長岡で震度4、25日10:23に長岡で震度3、そしてきょう。

実は報道されませんが、気象庁の地震火山部のサイトを
見ていると、12月に入ってからも、1日に2回は発生して
いるのです。

この地震で地震活動は活発化してはいないそうですが、
今後も十分注意していましょう。

---

以下
気象庁地震火山部発表(12/28.19:30)

12月28日18時30分頃、新潟県中越地方で余震(M5.0、深さ8km[暫定値])が
発生しました。この地震により、新潟県の魚沼市(旧:守門村)で震度5弱
を観測したほか、新潟県を中心に東北地方南部から関東・中部地方の一部に
かけて震度1から4を観測しました。

この地震による津波の心配はありません。

震度5弱を観測したのは、11月10日のM5.3の地震以来です。

この地震の後、活動が活発化した様子は見られません。今後もこの活動の
低下傾向は続くものと考えられます。
 

地震情報( 各地の震度に関する情報 )
平成16年12月28日18時41分 気象庁地震火山部 発表
28日18時30分頃地震がありました。
震源地は新潟県中越地方 (北緯37.3度、東経139.0度) で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.9と推定されます。

---

ガンバロウ長岡!!!
 ガンバロウ中越!!!
by 川上

あれから1か月

2004-11-23 23:52:34 | 地震ぐらぐら日記
地震から1か月が経ちました。

なにが変わっているのか、なにが変わっていないか、
それはわかりません。時間が過ぎたことだけは確かです。

育英センターも未だに全面的な再開はしていませんが、
毎日みんなが元気に帰ってきているし、街は普通に戻っているように
見えるし、学校もほとんど普通どおりになったようです。

問題は、街や公の部分はどんどん元通りに戻っていくけど、
公から手の届かない、取り残されていくように感じられる
「私」の部分ではないでしょうか。

「私」の家の中だったり、「私」の食器棚の中だったり、
「私」の休みの日の過ごし方だったり、「私」の心の中だったり。

これを読んでいてそうかな?と思う人も、たとえば枕元に懐中電灯を
用意していたり、食器棚で割れた食器を補充するのをためらっていたり、
テレビを床に置いたままにしていたり、保存食を多めに買っていたり、
水を貯めておいていたり、低い音が響くと室内で揺れているものがないか
探していたり、夕方が近づくと電気を明るく付けずにはいられなかったり…。

そんなこときっと一つや二つありますよね。

いや、川上がほぼ全部そうなんですが。

これは、災害で身に付いた知恵であるかもしれないし、心に傷を負ったから
かもしれないし。見かけの上では、すっかり復興してきているように見える街も、
人の心の中まで復興するには難しいのですね。
まして、そこまで公の力で何とかなるものではないですからね。

見かけだけがよくなっても、元の通りになったとしても、
中身が付いていかないと、本当に復興したとは言えないだろうって思います。
ちょっとありがちな論調ですが…。

ただ、一つ言えることは、今度こんな災害が来たって、絶対に
負けねぇっけんねぇってことです。

いや、もう来なくていいんですけどね。

---

小さい頃、家に「新潟地震」の写真集がありました。

もの心がついた頃には、文字通りドミノのように折れ重なる
倒壊した団地の写真や、信濃川に波線を描くように落ちている
昭和大橋の写真、黒煙を上げて炎上していた昭和シェルの石油タンクの
写真なんかを見ていたわけです。

今思えば、それは昭和46年生まれのわたしが見ていたので、
昭和39年の新潟地震からほんの数年しか経っていなかったのでした。

まさか、自分のところにそんな地震が来るわけないし、と思っていたのです。
ウソみたいな、遠い昔のことだと思って。

---

いつか長岡やさらに被害のひどかった小千谷、川口、そして
山古志村にも「ウソみたい」って思えるときが戻るといいですね。

その日まで
 ガンバロウ長岡!!!
  ガンバロウ新潟!!!

by 川上


山古志村のこと

2004-11-07 00:09:39 | 地震ぐらぐら日記
実は、縁もゆかりもないのですが、山古志村のことがすごく気がかりです。
道路はズタズタになり、家は水に沈み、助けを待つ牛のことも心配です。

学生時代に、山古志村の牛の角突きに魅せられ、何度と無くカメラを持って通いました。山古志村と越後二十村郷の皆さんが数百年にわたり大切に作り上げてきた歴史の中で、その一コマを見させて頂きました。

1トンほどもある大きな牛の角突きを、山古志村の皆さんに混じって一緒に楽しませていただいていました。村の人々はとても温かく、村の景色も「箱庭」と称されるほどに、美しかったのです。それは、村人達が丹誠込めて長い年月をかけて作り上げてきたものでした。

この1年ほどは行けないでいましたが、シーズン最後の角突きになる11月3日には行けるかな…と思っていた矢先の地震でした。

で、実はかつては越後闘牛を非公式に応援するHPも個人的に作っていました。
ここに紹介するのは、その名も「中野の文蔵」というのですが、実はこのサイトは既に消えてますが、その中の一部の「闘牛写真ギャラリー」だけは放置状態で残ってます。
山古志村の人々の牛に注ぐ愛情や、牛達の勇壮な闘いの様子を写真に撮ったものです。
よろしかったらご覧ください。ケータイではご覧になれません。PCでご覧ください。

越後闘牛非公式応援サイト「中野の文蔵」より
  闘牛写真ギャラリー

いつの日か、山古志村の皆さんが全員生まれ故郷の村に戻れるよう祈っています。また、牛や、錦鯉や、あらゆる山古志村を取り巻く環境が元通りになることを祈っています。

ガンバロウ長岡!!!
 ガンバロウ山古志!!!
  by 川上

2週間が経ちました

2004-11-06 08:29:33 | 地震ぐらぐら日記
地震から2週間が経ちました。
今日も未明から数回余震が続き、布団の中で娘とびくびくしてました。こんな風に寝てるときに最初の震度6が来ていたら…と思うと、本当におそろしいです。

まだまだM5.5クラスの大きな余震が来る可能性があるそうなので、注意していましょう。

倒れやすいものの近くや、壊れそうなもののそばには近寄らない。いつでも、用心していましょう。

---

今日の育英センターの勤務担当は
 豊岡、新保です。

本日も18:00までのお迎えにご協力をお願いします。

---

昨日は川上は、娘の熱でお休みさせて頂きました。申し訳ありません。
プール熱だそうです。この時期に。3~4日、長くて1週間くらいの熱が続くそうです。プールじゃなくても感染するものだそうです。

ガンバロウ長岡!!!
 by 川上

地震の被害写真

2004-11-02 11:01:18 | 地震ぐらぐら日記
希望が丘保育園、育英センター、川上自宅などの写真です。


 すみれ組のテレビが倒れた。落下防止の固定金具は着いていたがその台ごと転倒した。
 最前列の机がクッションになって、ブラウン管の破損は免れた。

 

 ひまわり組のテレビは、ブラウン管から落下した。粉々にガラスが割れている。

 
 
 育英センターの玄関には亀裂が走っている。 トイレのタイルにも亀裂が。


 

 

 大島保育園では、体育館とのつなぎ目のアルミパネルが落下。


 

 託善寺の灯籠は、無惨な姿になっていた。

 

 川上自宅の本棚転倒の様子。スチールの本棚は歪んだ。
 去年買ったばかりのパソコンは奇跡的に無傷だった。

---

ガンバロウ長岡!!!
 by 川上
コメント (3)

あの日のこと その2

2004-11-01 21:57:14 | 地震ぐらぐら日記
必ずすぐに戻ると言って、車に乗り保育園に向かいました。コダマのT字路に来ると、大国屋隣の元のマルシャンの建物の壁が崩れ落ちています。その先を用水路に沿って三ツ郷屋方面に入って行くと、車が大きく揺れます。あれ、こんな段差あったっけというくらい。大勢の人々が道路に出てきて、しゃがんでいます。

保育園の前に着くと、玄関前には職員10名ほどとと子ども達4名ほどがしゃがんでいます。お迎えに来ていた保護者の姿もあります。みんな玄関前に避難してきたのです。その中に、しっかり先生に抱っこされている娘の姿もありました。
「あ、次長先生!さくらちゃん、ここにいます。」みんなの元気な声に安心しました。「みんな大丈夫?」と言った言葉が、こみ上げてくるもので裏返りました。思わずしゃがみ込みました。

ホッとしてはいられませんでした。そうしている間にも余震が続くので、隣の公園に避難しました。近所の人も建物の中にいられなくて、大勢公園に移動していました。余震が来るたびに避難している人の間に悲鳴が起こり、立っている人たちはその場にしゃがみました。

時間が経つにつれて、寒さを感じるようになってきました。気象庁のデータを今見てみると、当日の長岡市の気温は16時の15.3℃をピークに1時間に1℃位ずつ温度が下がっていきます。寒さに澄み切った空に、星が輝いているのが見えます。職員の誰かが思わず「オリオン座がきれい」と言いました。

ラジオを聞いている人がいます。誰かが新幹線が脱線した!と言っています。

その日、妻と園長先生は埼玉県に新幹線を使い、研修に行っていました。研修を終えた夕方、地震の起こるしばらく前にセンターに電話をもらい、「これから帰るから、娘の迎えはわたしが行くね」と言っていましたが、まだ姿は見えません。2人は大丈夫なのか。ひどく心配でした。

職員がみんな、あちらこちらでケータイをいじっています。電話は通じないが、メールは通じるらしいとか、時々つながっては切れたりとかしています。電話回線の輻輳が生じていて、回線がダウンしているのか、ちっともつながりませんでした。

ようやく妻から誰かのケータイに電話が入りました。「今、ハイブ長岡のあたりを車で走っている」と。「どこだそれ?」と思いつつ、既に長岡に着いている事を聞いて安心しました。

センターに車で戻ると、職員3名が外で待っています。子ども達は井伊さんのご両親と希望が丘小のグラウンドに一緒に避難したとのこと。小川さんのみ保護者に引き渡せていないので、その確認を美佳、郁恵、石附先生に頼み、再び保育園に戻りました。

どれくらい経ったのか、しばらくすると妻と園長先生の姿が公園の入り口に見えました。お互いの無事を喜びました。

2人は長岡駅到着後、駅ビル1階のUCCカフェにいたところ、被災。外に急いで避難したとのこと。駅前は騒然として、大勢の人でごった返したと言います。富士山が噴火したらしいとか、情報が乱れ飛んでいました。園長の車が駅東口の新幹線利用者駐車場(とうちゃんらーめん向かい)にあったので、暗い街を2人で泣きながら歩いて、車に乗り込みました。混雑が予想される長生橋を避け、長岡大橋を渡って帰ってきました。橋の上でも、地震で揺れました。ハンドルがブレて、まっすぐ進めなかったといいます。

2人の無事を確認して、このまま公園にいるのは、寒くて危険と判断した私達は、屋内への避難を考えました。保育園の体育館を懐中電灯で照らし出すと、体育館は無傷でした。余震の危険はありましたが、鉄筋コンクリート造りで頑丈な太い柱のある体育館に避難を決意しました。

建物の中に入ると、寒さから隔絶されていて、ホッとしました。余震が来ましたが、体育館はビクともしません。安心感が広がりました。

大島保育園の様子を見に行くことにしました。希望が丘保育園も保育中で子ども達もいたのだから、大島保育園も大勢子ども達がいるに違いありません。車で移動するのは、ことによると渋滞にはまる危険があるので、アパートにある原付バイクを使うことにしました。

アパートに走って戻ります。途中の道路端に、しゃがみ込んで余震を園児とその保護者の姿が見えました。「大丈夫ですか?今、希望が丘保育園の体育館に職員と子ども達で自主避難しています。良かったらどうぞ!」と言って、走り去ります。

真っ暗なアパートを懐中電灯で照らしながら、防寒着を取りに入りました。土足はさすがに気が引けて、スリッパに履き替え、えいやっ!と意を決して入ります。

中は、玄関に置いてあった使ってない机が倒れ、リビングのテレビは落ちて、台所では食器棚の中身が崩れて床に破片が散乱、本棚が倒れて中の大量の本が散乱しています。冷蔵庫は傾き、引き出しやら扉やらが開き、中身が散乱。「あーーー」とかブチ切れながら、叫びつつ、入っていきました。

いつまた余震が来るのかもわからないため、とにかくあわてていました。先月買ったばかりの空気清浄機が倒れていました。あ~倒れちゃった、と思い、空気清浄機を起こしました。

今思えば、まったくばかばかしい話だけど。地震のときって、おどろくほど何もできないということがわかりました。センターで被災したときは、倒れた絵の具のボトルを立てたり、ひっくり返った扇風機を起こしたり。まったく、無意味なことなんだけど、そのときには必死でやっていました。

服のある和室は二つ入り口があり、一つは倒れた本棚が塞いでましたが、寝室側から入ることができ、当面必要そうな防寒着を取りだし、手袋を持って、バイクに戻ります。エンジンをかけ、大島へ。

「まるみや」さんの交差点の信号が消えています。道は、渋滞というほどでもなく、交通は混乱していません。大島保育園に着くまで、ずっと道沿いに人々がしゃがんでいるのが見えました。


---

ガンバロウ長岡!!!
 by 川上

あの日のこと その1

2004-10-31 22:06:13 | 地震ぐらぐら日記
地震が起こった日のことを初めて書きます。

勤務の担当は井口郁恵先生。当日は、学校行事があったために、朝からの保育希望者はありませんでした。希望が丘小学校の学校行事が終わってから、10名ほどの子ども達が帰って来ることになっていました。お昼過ぎにセンターを開けてみんなを待っていました。

美佳先生は、作品展のセンターの製作であるシャツを染めるため、試験的に染めに来ていました。

川上は、11月の東京演奏旅行に向けて、新しい携帯電話を買おうと思って、お昼過ぎからヤマダ電機のケータイ売場で30分も悩んでいました。しかし、なかなか決まらず、センターにいる美佳先生、郁恵先生にアドバイスをもらおうとセンターに向かいました。

センターに着き、カタログを見ながら話を聞いているうちに、だんだん面倒くさくなり、外も薄暗くなってきた(日が陰ってきた)ので、「今日は携帯買うのはやめよう」となりました。

15時を回り、希望が丘小の子ども達が次々と帰ってきました。3年生の女の子達が来る頃には、今日のおやつを作ろうと決め、すぐに4名の女の子とツチダに買い物に行きました。

センターに戻り、女の子4人と一緒にホットケーキを作り始めました。しかし、粉を混ぜて、ホイップを泡立て、バナナを切って、焼き終わる頃には、17時近くになりました。食べ始めたのは17時をかなり回っていたと思います。

たまたまそこに、保育園の作品展の製作の色塗りに、希保職員の石附さんが来ていました。

コーヒーを飲みながら、川上、美佳先生、他数名で喫茶室でしゃべりながら、ケータイの話をしたり、このブログには写真も送れるんだぜ、ほら、なんて言いながらこの写真を撮ったり、唯菜さんの写真を撮っていました。

しかし、唯菜さんの写真を撮って、送信した直後だと思います、
川上、美佳、郁恵先生はカウンターの中、唯菜さん、他数名がカウンターの向こうの椅子のところに。他の数名は体育館に、石附先生が、オルガンの部屋にいました。

ドン、ガサガサ、ガサガサガサガサガサガサ!!!!

地震だ!と思ったら、もう逃げることも何もできない。メチャクチャに大きく揺さぶられました。自分の体勢を維持することしかできませんでした。美佳先生がしゃがみ込んだ頭上で、喫茶室のテレビがグラグラしていたのが見えました。それを左手で押さえて、みんなに、とにかく「あっち(オルガンの部屋)に行け!」としか言えませんでした。続いて電気がパチンと消えました。

子ども達の反応は、一瞬は何が起きたのかという感じで、笑っているような声も聞こえましたが、繰り返し来る大きな揺れに、すぐにただ事ではないと悟ったようでした。大きな声でみんなが叫び始めました。

自分もオルガンの部屋に逃げようと移動すると、「染め」に使っていた「(ガスの)火を消してください!」と誰かに言われて、あわてて戻り消しました。

たびたび繰り返し来る余震に、子ども達が悲鳴をあげます。逃げることもできずに、ただ「大丈夫だよ。大丈夫だから。大きな声出さないんだよ。」と繰り返しました。ツチダも暗くなっているのが見えました。

すぐに井伊さんのお父さんお母さんが迎えに来てくれました。そのころにはみんなが玄関の中の机周辺に身を伏せていました。落ちてくるものは無いので、出口が近いところの方が安心と思っていましたが、余震が少しも収まりません。子ども達はお父さんお母さんの姿を見て、堰を切ったように、大きな声を上げて泣き始めました。

「壊れちゃうから早く外に出た方がいいよ!」と言われて、そうなのか!と思いつつも、外も落下物があるから危険だと思い、外に出ることができませんでした。

どのくらい時間が経ったのかわかりません。舞衣さんのお母さんがお迎えに来ました。そして井伊さんのご両親に桜井さんの兄弟をお願いできることになりましたが、小川さんのおうちと連絡が取れません。美佳先生達に連絡を任せ、川上は保育園の様子を見に行くためにその場を去りました。ずっと胸騒ぎがしていました。

真っ暗な道に、あわただしく走り回る車やバイクの音だけがしていました。

初めて家で一夜

2004-10-31 08:28:34 | 地震ぐらぐら日記
実は保育園での7日間にわたる避難所生活を昨日終え、夕べは自宅アパートに帰ってきました。

家はいいですね。しかし、家だと思いっきりリラックスしてしまうので、ここに大きな余震が来たら、逃げられないかもしれないと思いました。非常事態だという緊張感は、家の中では持ちにくいということがわかりました。

緊張状態が長く続くことは体にも、心にも悪いのはわかるのですが、余震がいつ起こるかわからない状況では、ある程度緊張感を保ち続けることも身を守るためには必要でしょう。

きょうも一日元気に過ごせるといいですね。


ガンバロウ長岡!!!
 by 川上

今揺れました

2004-10-30 17:36:42 | 地震ぐらぐら日記
まだ、ラジオでもテレビでも発表されていませんが、先ほど17:33頃、長岡市三ツ郷屋地区は揺れました。震度は弱いですが、1~2程度と思われます。

ガンバロウ長岡!!!
  by 川上

震度4以上28日以降ゼロ 気象庁「余震順調に減少」

2004-10-30 17:13:43 | 地震ぐらぐら日記
共同通信- 10月30日11時45分更新より)

気象庁は30日午前、新潟県中越地震の29日の余震は前日の半分以下の18回で、震度4以上の揺れは28日以降起きていないと発表した。「順調に減少しているが、しばらくはマグニチュード(M)6(所によって震度6弱-6強)クラスの余震に注意してほしい」としている。

---

きょうは今のところ揺れていません。いや、先ほどの記事にも書きましたが、震度3までの地震はきょうもありました。だそうです。が、動いている限りは、まったくわかりませんでした。

こんなこと言うと不安を増長させてしまいますが、27日の10:40の地震があった朝も、ほとんど終息ムードが漂っていました。これでこのまま終わるかなと思ったところに、ガンと来ました。

あの時は保育園にいましたが、また金魚の水はこぼれ、事務室の重たい本棚が10cmも動きました。

今夜もそんなことがないように祈っています。

あと30分ほどで、地震発生から丸1週間が経とうとしています。
何もないことを祈ります。

ガンバロウ長岡!!!
 by 川上