長岡育英センター・ブログ

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あれから1か月

2004-11-23 23:52:34 | 地震ぐらぐら日記
地震から1か月が経ちました。

なにが変わっているのか、なにが変わっていないか、
それはわかりません。時間が過ぎたことだけは確かです。

育英センターも未だに全面的な再開はしていませんが、
毎日みんなが元気に帰ってきているし、街は普通に戻っているように
見えるし、学校もほとんど普通どおりになったようです。

問題は、街や公の部分はどんどん元通りに戻っていくけど、
公から手の届かない、取り残されていくように感じられる
「私」の部分ではないでしょうか。

「私」の家の中だったり、「私」の食器棚の中だったり、
「私」の休みの日の過ごし方だったり、「私」の心の中だったり。

これを読んでいてそうかな?と思う人も、たとえば枕元に懐中電灯を
用意していたり、食器棚で割れた食器を補充するのをためらっていたり、
テレビを床に置いたままにしていたり、保存食を多めに買っていたり、
水を貯めておいていたり、低い音が響くと室内で揺れているものがないか
探していたり、夕方が近づくと電気を明るく付けずにはいられなかったり…。

そんなこときっと一つや二つありますよね。

いや、川上がほぼ全部そうなんですが。

これは、災害で身に付いた知恵であるかもしれないし、心に傷を負ったから
かもしれないし。見かけの上では、すっかり復興してきているように見える街も、
人の心の中まで復興するには難しいのですね。
まして、そこまで公の力で何とかなるものではないですからね。

見かけだけがよくなっても、元の通りになったとしても、
中身が付いていかないと、本当に復興したとは言えないだろうって思います。
ちょっとありがちな論調ですが…。

ただ、一つ言えることは、今度こんな災害が来たって、絶対に
負けねぇっけんねぇってことです。

いや、もう来なくていいんですけどね。

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小さい頃、家に「新潟地震」の写真集がありました。

もの心がついた頃には、文字通りドミノのように折れ重なる
倒壊した団地の写真や、信濃川に波線を描くように落ちている
昭和大橋の写真、黒煙を上げて炎上していた昭和シェルの石油タンクの
写真なんかを見ていたわけです。

今思えば、それは昭和46年生まれのわたしが見ていたので、
昭和39年の新潟地震からほんの数年しか経っていなかったのでした。

まさか、自分のところにそんな地震が来るわけないし、と思っていたのです。
ウソみたいな、遠い昔のことだと思って。

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いつか長岡やさらに被害のひどかった小千谷、川口、そして
山古志村にも「ウソみたい」って思えるときが戻るといいですね。

その日まで
 ガンバロウ長岡!!!
  ガンバロウ新潟!!!

by 川上

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