以下「IS SUSILA BUDHI DHARMA (SUBUD) A RELIGION?」(スブドは宗教か?)より引用
『・スブドとウィルフレッド・キャントウェル・スミスWilfred_Cantwell_Smith(注1)
スミスによると宗教とは、大きなものから非常に限られたものまで、宗教的(形容詞的)であったものから改められた(具体化された)何か(名詞)です。
多くの学者は、 宗教 (religion)という用語はセント・トマス・アクィナスSt. Thomas Aquinasなどの「religio」に由来すると信じています。
彼は、活力だけでなく、その活力の中でのすべての要素において最も意味のあるもの、すなわち超越との関係(Smith、124)を省略することによって学者がそうすることを述べている。
(ひとつの特定の)宗教と(定義としての)宗教の違いは、(ひとつの特定の)宗教は神への信念だが、(定義としての)宗教はすべての(個々の)宗教とは異なる(何か)ということになります。
今までの「Religio」は非常に限られており、非常に限定され、具体化され、標準化されています。
Zainal Abidin Bagir(2016)はスミスに同意し、“religion” "宗教"という言葉はキリスト教の信仰を意味し、西洋にある宗教で具体化され、適用されると主張します。
その現実から1つのカテゴリを使用することによって、新しい実体が形成されます。
したがって、それが宗教の存在論を形作ります。
例えば、ヒンドゥー教はインドの伝統であり、(現地の人には)とても身近なものであり、そしてイングランド帝国主義によって「ヒンドゥー教」として呼ばれています。
(訳注:現地の人がどのように呼んでいるのかは不明ですが、昔からの伝統であれば名前などは付けてはいない可能性が大であります。
その様な状況はたとえば日本における「日本教」にも見られる事であります。)
しかし、イスラム教徒は、イスラムを「モハメダニズム:ムハンマド主義」と呼んでいるわけではありません。
ジェロームは、宗教は神を「信じる」、経験する、そして神に関連することを指すということに同意します。
具体化Reificationは具体化の基準で標準化され、宗教の真実の本質を見いだします。
具体化の基準は、「神」であり神聖で不敬な(精神)神聖な「スージェネシスsui generis」です。
例えば、ヒンズー教は、ヒンズー教徒によって発明されたものではないということを学者によって証明されています。
インドネシアにおける具体化の意味は、積み重ねられた6つの宗教の存在です。
この見解は、宗教をアダット(慣習)から分離したSnouck Hurgronjeによって支持されています。
具体化の利点は、定義を容易にすることです(Bagir 2016:26)。
スミスによって始まった具体化の影響は、多くのクプルチャヤアンやクバティナンが宗教に分類されることです。
具体化には宗教上の要件があります。
クプルチャヤアンは、預言者がおり、聖書があり、神を信じるなどがあれば、宗教に分類することができます。
このスミスの理論に基づいた場合、スブドは宗教として簡単には具体化出来ないため、スブドは宗教ではない事になります。
1960年7月のマラン東ジャワ州のBKKI(クバティナン集団)の第4回議会は、宗教が儀式を強調し、クバティナンが内的経験と人間の完璧さを強調しますが、「宗教」とクバティナンに本質的な違いはないことを見出しました 。
しかしながら、インドネシア政府の用語を使用する場合、スブドは宗教ではない事になります。
なぜなら、1960年に宗教省はクバティナンを宗教として否定する目的で宗教の定義を提案したからです(Patty、1986:4)。
宗教省によれば、Subudは宗教として呼ばれるべきいくつかの要件を満たしていないので、スブドは宗教にはなりません。
(それによれば)グループには預言者がいなければならず、神の唯一全能である事を崇拝し、その信者が宗教として認められるための聖書と法制度(宗教法)を持っていなければならないからです。
さて、1960年に神秘的な宗派の否定的側面の影響から既存の宗教を保護するための監督組織、(Pengawas Aliran Kepercayaan Masyarakat)の頭字語であるPAKEMと呼ばれる組織の設立があった(Patty、1986:4)。
1978年、Subudを含むアリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanは正式な機関として民族の代表会議(Majelis Permusyawaratan rakyatまたはMPR)を通じ政府から正式に受け入れられましたが、宗教としては認められませんでした。
しかし、正式な機関としてアリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanの政府による受諾は非常に重要なポイントです。
これは、宗教省のイスラム教徒の一部は、イスラム集団の強い反対と宗教省でイスラム教徒が支配権を持つので正式な機関として(宗教省は)Subudに反対していますが、政府が他の宗教団体とともに(スブドを含む)クバティナンを支援することを意味します(Patty、1986:11)。
1961年、第5回BKKI(クバティナン集団)会議が開催されました。
彼らは、教育、情報、政治に関わるクバティナン・インドネシア連邦議会連合(Gabungan Musyawarah Kebatinan IndonesiaまたはGMKI)を設立しました。
その時、BKKIは共産主義者によって浸透されました(Patty、1986:71-72)。
(訳注:共産主義者がクバティナン集団に入り込んだ、という意味です。)
Pattyの著作(1986:115)に基づいて、SubudはAliran Kebatinanアリラン・クプルチャヤアンの他のグループとは異なるコンセプトを持っていると結論づけすることができます。
創始者が主張しているように、それ(ラティハン)は人々がすべての宗教において神の真実を達成するのを手助けする方法に過ぎないからです。
その役割(ラティハンの役割)はさまざまな宗教の間に調和をもたらすことです。
Subudには、調和のとれた関係で一緒にラティハンをする様々な宗教的背景から来たメンバーがいます。
(しかしながら)Subudメンバーへの含意は、スブドの会員が近隣から調査されている、ということです。
特にジョグジャカルタのスブド支部での異端的な行動についてです。
(訳注:場所がインドネシアですから、イスラムがベースになっており、それに対して反イスラム的な行動を「異端的な行動」と表現している様です。)
チェコスロバキアでは、Subudは警察によって調査されています(Sullivan 1991:36)。
(訳注:場所がチェコスロバキアになると、宗教はキリスト教になりますが、スブドが当局から調査された理由は不明です。)
したがって、スブドの組織は当局によって監視されています。
・宗教的実践としてのスブド
スブドはインドネシアと海外で広範囲の影響力を持ち、多数の信者を獲得する事ができたインドネシアでは初めての、そうして(そのようにできた)唯一の霊的な同胞会です。
(訳注:インドネシア発の霊的なムーブメントとしては海外進出できた初めての例である、という主張です。)
Subudの創始者はBapak Subuh Sumohadiwidjojoです。
(訳注:Bapakというのは年上の男性につける敬称であって、名前の部分はSubuh Sumohadiwidjojoです。)
彼はスマランで生まれました。
スブドは、1964年10月19日にジャカルタで政府によって認められました。
(訳注:政府によって公認クバティナンとして認められた、という意味です。
協会そのものは1947年2月1日にジョグジャカルタで設立されました。<--リンク)
Muhammad Subuhはスマランに留まり、ジョグジャカルタに移動し、最後にジャカルタに移って亡くなりました(Batubara、1999)。
「Latihanラティハン」またはプラクティスは、インドネシアでは身体運動や学校でのレッスンなどのあらゆる形の運動を意味する一般的な言葉です。
「クジワアンKejiwaan」は精神性(あるいは霊性)を意味するコトバです。
(訳注:クジワアン:KejiwaanはKe+jiwa+anという合成語であって、Jiwaに関係したもの、という意味になります。
Jiwaについてはこちらを参照願います。<--リンク)
Subuh Sumohadiwidjojoは、ラティハンの最終目標はmenunggalkanであると説明しています。
menunggalkanという用語は、単数形または単数形を意味する名詞のタングガルtunggalから由来する推移的動詞である(Kafrawi 1970:147)。
(訳注:上記コメントはKafrawiさんの理解でしかなく、実際のバパの主張はそうではないと思われます。
この事についての関連記事にはこちらから入れます。<--リンク)
ラティハン・クジワアンは神に降伏・服従する方法、あるいは道です。
(訳注:降伏・服従という日本語はネガティブな響きですが、相当するインドネシア語の本来の意味では「喜んで自分を差し出す」という意味合いになっており、否定的な意味合いを持ちません。)
それは、私たちが神の慈悲さに従うような徴候です(Arifianto、2012:3)。
新しい会員がスブドに加わり、初めてラティハンを行う機会は、「オープン」と呼ばれ、一般的にスブド会員は、オープンはこの礼拝を開始し指導する神の力と直接接触することである、という事を理解しています。
男性と女性は別々にラティハンを行います。
ラティハンを始めるには、会員はグループの人たちと一緒にリラックスした状態で立ち、自分自身の中から自発的に生じてくることに対して何であれ従って行きます。
ラティハンの体験は人それぞれで異なり、違う時に違う人とのラティハンでも又違う体験を得ます。
ある人々は、内部の振動、または体の中を流れる電気のような感覚を体験します。
動き回る、音を出す、笑う、泣く、歌う、踊る、祈るという(内部からの)動きを感じる人もいます。
あるいは、ほかの時には、ラティハンは非常に静かな内向きの経験になることもあります。
ラティハンは通常約30分間続き、通常はグループで週に2回行われます。
他の経験が得られている人もいれば、週に1回、自分自身(一人での)ラティハンを追加する人もいます。
ラティハンの効果は大きく異なります。
(訳注:人によりそれぞれ、ぐらいの意味かと。)
ある人々には、平和で漸進的な発展をもたらします。
そしてある人にとっては、人生の劇的な変化のプロセスの始まりになります。
ラティハンで始まる浄化のプロセスが進むにつれて、時には困難に直面しなければなりません。
人々は通常、ラティハンをやった直後に、リラクゼーションと幸福感を感じます。
長期的には、ラティハンは彼らは個人的な関係、家庭生活、仕事など、彼らの生活のすべての側面に浸透するので、ラティハンを通して受け取った導きを信頼する様になってきます。
人々はまた、ラティハンを行うための助けが必要です。
ヘルパーは、(ラティハン)加入に興味のある人のためにスブドのラティハンlatihan kejiwaanの基礎と目的について説明します。
彼等は待機期間を終えた人をオープンし、ラティハンを実際に感じることができるまで、ラティハンに参加する人々に付き添います。
彼らは待機期間を終えた人々のオープンがあるたびにラティハン会場に来ます。
・・・・・・
宗教研究の重要性の一つは、東洋伝統の神秘主義のような人間の行動を説明する概念を提供することです。
このSubudの場合、Barbaraは、スブドを神秘的なムーブメントとジャワの文化的環境により生み出された典型的なものの1つに分類しています(Barbara 1999:95)。
ジャワ神秘主義連合会Javanese Mystic FederationまたはBKKIを組織したジャワ神秘主義グループ(Kebatinan)のリーダー(達)は、スハルトSuharto時代にGolongan Karya(Golkarゴルカル)のメンバーになるように求められました。(注2)
こうして、Aliranは法的認知に努めているすべてのジャワ神秘主義グループを幅広い単一組織に統一しようとしました。
それは1970年にジョグジャカルタで開催されたクバティナン神秘主義、魂の科学と精神の科学に関するインドネシア国家シンポジウム(シンポジウム・ナショナル・クプルチャヤアン - クバティナンとクロハニアン・インドネシア)に結実しました。
さらに、クバティナンの神秘的なグループは、ゴルカルGolkarの一員として公式に認知された機関とされ、政府は1970年12月にこの政治的な組織を支配しました。
その後、アリラン・クバティナンAliran Kebatinanという名前がアリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanに変更されました(Patty 1986:10)。
宗教研究の分野では、Subudは宗教研究に関心を持ち、宗教が何であるかを定義しようとする数名の学者の理論に基づくと、宗教であることがわかります。
第4回会議では、クバティナンと宗教の間に本質的な違いはない、すなわち宗教は正式な儀式で神を礼拝することに焦点を当てているが、クバティナンは個人の「内的経験」と人間の完成に焦点を当てている(Patty 1986、71)。
(1960年7月のマラン東ジャワ州のBKKI(クバティナン集団)の第4回議会)
この場合、宗教研究は重要であり、宗教に関連し、確立された一神教の教義重視と儀式主義への反応として説明することができる(Patty 1986:734)。
実際、アリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanグループのすべてが、他の宗教の人々と同じように神を崇拝しています。
宗教研究の面では、スブドがジャワの神秘的な宗派であり、瞑想によって内的静けさ(クテントラマン・バティンketentraman batin)と平穏さを追求していることが重要です(Patty 1986:159)。
(訳注:batinバティンとは内的なものをしめすアラビア語に語源があるコトバです。
またラティハンを瞑想というのはPattyさんの誤解です。
まあしかしこれはラティハンを経験した事がない学者さん達にはありがちな間違いです。
追記:2024年:瞑想についての定義は人によりますので、一概に「またラティハンを瞑想というのはPattyさんの誤解です。」とは言えません。しかしバパによれば「ラティハンは瞑想ではない」となります。)
スブドのヘルパーの一人は、彼女がスブドに参加したのは、日常生活の中で自分の問題を解決し、精神的な必要性であるhakikatハキカットを得るために内なる力を制御する為であると言いました。(注3)
・結論
スブドとその宗教の定義に関連する議論は、特に宗教内の神秘主義の教えに関して、興味深く、宗教研究にとって重要となっています。
ユニークな現象としてのスブドは、それが宗教であるかどうかの議論に私たちを連れてきました。
ある者はスブドは宗教ではないと言い、他の人々はそうではないと主張します。
インドネシア政府は、スブドが宗教という用語から除外されるような形で、宗教として見るために必要とされる具体的な分類方法を使用しています。
対照的に、何人かの学者は、スブドは宗教であると主張しています。
なぜならスブドはラティハンlatihan kejiwaanと神秘主義の教えを行うからです。
マルクス、デュルケーム、フロイトによれば、スブドは依存関係を作り出すことができるため、宗教である事になります。
ヴェーバー(マックス・ヴェーバー)とエリアーデの両方の理論によれば、スブドは神聖なものに関連しているので宗教です。
この結論において重要な点は、宗教研究の分野で信仰の特定の実践方法についての定義の議論が研究されていることです。
スブドの事例は、国家と宗教の関係は、インドネシアの場合、宗教の実践やKepercayaan Kepada Tuhan Yang Maha Esaクプルチャヤアン・クパダ・ツーハン ヤン マハ エサと呼ばれるものの議論がまだ急ぐ必要があることを読者に示している事になります。
(訳注:Tuhan Yang Maha Esaはインドネシア伝統の「唯一の神」を表すコトバです。
従ってKepercayaan Kepada Tuhan Yang Maha Esaは「唯一神への信仰」という意味になります。<--リンク)
宗教の社会学的・人類学的側面は、スブドのような宗教的実践の研究の文脈においては他の重要な影響の間に存在します。』
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上記の引用部分の英文は以下を参照願います。
・Circumstances of Kebatinan in Indonesia No.5<--Link
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AL-ALBAB
第6巻第1号2017年6月
著者 Watini ワティニ
ガジャマダ大学宗教異文化研究センター
(Center for Religious and Cross-cultural Studies, Gadjah Mada University)
引用は「IS SUSILA BUDHI DHARMA (SUBUD) A RELIGION?」(スブドは宗教か?)からになります。<--Link
注1:ウィルフレッド・キャントウェル・スミスWilfred_Cantwell_Smith<--リンク
注2:ゴルカルGolkar<--リンク)
注3:hakikatハキカット
神を求める精神的旅の階梯で使われる第三段階を示すコトバ。
第一はサレンガットsarengat, すなわち神への義務をはたす外面の行為である。
第二は神に近づく道程タレカットtarekatである。
第三はタレカットをつうじて生起する現実、究極的な真理であって、ハケカットhakekatとよばれる。
第四はマリファットmarifat、すなわち神の実在についての確信に真にたどりつくことである。
人はサレンガットから出発するが、口で語り表面で行為するだけではなく、神の命令に真に心から駆り立てられてタレカットをおこなう。
タレカットはハケカットを求めるためのものであり、ハケカットに達した状態がマリファットである。
(注:サレンガットsarengatはシャリアットともいわれれ、シャーリア(イスラム法)を守ることである。
以上は「ジャワ神秘主義の民族誌」からの引用となります。<--リンク)
PS
以下はクバティナンに関連している出来事を整理した年表になります。
ご参考までに。
インドネシア・クバティナンの歴史とバパの歩み(独立戦争~現在まで)<--リンク)
PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
記事内容についてのコメント、ご感想などは
こちらまでお願いします。<--リンク