心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

富山県警察殺害事件、「パンとサーカス」、サッカーワールドカップ開催中は治安が低下する。祭りの最中は凶悪犯罪が起こり、祭りの後には虚無感から自殺者が出ることが予想されます。

2018年06月27日 | 警察

痛ましい事件が起こりました。

これから、被疑者について、さらにマスコミがプロファイリングをすると思います。

しかし、マスコミはいたずらに不安と恐怖を煽るだけで世の中も、警察組織も、小学校の警備も明確な答えが見つかることがなく、不安と恐怖の中で日々すり減らしながら生きていくしかないでしょう。

「小学校の警備員が警察官から奪った拳銃で射殺される、そして、その犯人はナタと拳銃をもって小学校に入っていって何をするつもりだったのか?」

「ワールドカップでバカ騒ぎ」する裏で、こんな世の中を私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか?という一抹の不安を覚えていない親はいないと思います。

「交番で警察官を襲って拳銃を奪い、小学校の敷地に入っていこうとした理由」はこのまま迷宮入りしてしまうのでしょうか?

 

歴史的に見ても、精神異常を起こすと必ずと言っていいほど、小学校など幼児児童を襲ったり、中学校、高校などに銃を持って乱射事件を起こします。

まずは、2018年6月26日に起きた「富山県交番警察官殺傷事件」について被疑者が警察発表されました。

・・・・・・・・・・(容疑者は21歳の男 駆けつけた警官に撃たれ重体 富山 2018年6月26日 18時12分 朝日新聞デジタル)

 富山市の交番で26日午後、警察官が刺されて死亡し、近くの小学校で警備員が撃たれて死亡した事件で、富山県警は富山県立山町の職業不詳、島津慧大(けいた)容疑者(21)を、警備員に対する殺人未遂容疑で現行犯逮捕したと発表した。

 県警によると、島津容疑者は小学校の敷地内で、駆けつけた警察官に撃たれ、逮捕後に病院に救急搬送され、重体の模様だという。

 富山県警によると、事件は26日午後2時ごろに起きた。富山市久方町の県警奥田交番で、勤務する稲泉健一警部補(46)が男に刃物のようなもので刺され、拳銃を奪われた。男は近くの市立奥田小学校に向かい、小学校にいた警備員の中村信一さん(68)に発砲。中村さんは左肩などを撃たれて救急搬送された。男は警察官に身柄を確保された。県警によると、稲泉警部補と中村さんは病院で死亡が確認された。男も左腹部を撃たれて搬送された。

 富山市消防局によると、午後2時14分ごろ、県警から「奥田交番で40代男性が刺された」と通報があった。男性は心肺停止状態で病院に搬送された。その後、午後2時27分ごろに、県警から「奥田小学校で撃たれて、けが人が2人いる」と通報があり、20代と60代とみられる男性2人をいずれも心肺停止状態で病院に運んだという。

 ・・・・・・・・・・(転載ここまで)

共同通信記事では「交番襲撃の男は元自衛官  自衛隊関係者によると、富山市の交番を襲撃した男は、2015年3月に陸上自衛隊に入隊。金沢駐屯地で勤務し、17年3月に退職していた。」とあります。

過去に日本でも警察官の拳銃が奪われて発砲された事件があります。

産経新聞の過去記事を見ていきましょう。

・・・・・・・・・(【富山交番警官殺害】警官から拳銃奪い発砲、過去にも相次ぐ 2018年6月26日 20時42分 産経新聞)

 26日午後、富山市の交番で発生した拳銃強奪事件。

 警察官が襲撃されるなどして拳銃を奪われ、発砲される事件は過去にも相次いでいる。制圧中の容疑者に奪われたり、警察署内でホルダーから引き抜かれるなど経緯はさまざまで、効果的な対策は確立されていないといえる。

 昨年10月、福岡県大野城(おおのじょう)市の商業施設の保安室で、万引の疑いで事情聴取されていた男が警察官ともみ合いになり、拳銃を奪って2発を発射。銃弾は人に直接当たらなかった。男はその後、強盗殺人未遂などの疑いで再逮捕された。 

 一方、奪われた拳銃で警察官が銃撃され、負傷したケースもある。

 神奈川県横須賀市の市営団地では平成28年1月、住人の男が県警浦賀署の男性巡査部長の拳銃を奪って4発発砲し、3発が巡査部長の右足と右腕に命中。重傷を負ったが命に別条はなかった。また愛知県知立(ちりゅう)市の団地敷地内では26年5月、県警安城署の男性巡査部長が、取り押さえていたブラジル国籍の男に右腰につけていた拳銃を奪われ、右腕を撃たれ、負傷している。

 警察署の中でも同様の事件は起きている。22年2月、警視庁玉川署(東京世田谷区)の2階にある留置事務室では、傷害事件で逮捕された男が、同署の男性巡査部長の右腰についていた拳銃ホルダーのボタンを外して拳銃を抜き、至近距離から発砲。巡査部長は重傷を負った。男は酒に酔い、取り調べの段階ですでに暴れていたため手錠と腰縄をつけられ、署員6人がついていたが、拳銃を奪われたという。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

今月6月9日にあった東海道新幹線無差別殺人事件の記事を見ていきましょう。

この事件も22歳の若者がナタのような刃物をもって、無差別殺人を敢行しましたね。

今回の事件に直接関係性は考えられませんが、影響を与えていないとは言い切れません。

・・・・・・・・・・・(容疑者「出所したらまた犯行繰り返す」)

9日午後9時50分ごろ、新横浜―小田原間を走行中の東海道新幹線「のぞみ」車両内で男女3人が死傷した事件で、神奈川県警小田原署は同日、いずれも自称の無職小島一朗容疑者(22)=愛知県岡崎市=を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。

小島容疑者は「新幹線の中で殺意を持って人を刺したことは間違いない」と容疑を認め、調べに「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述しているという。

署は無差別に犯行に及んだとみて調べている。

署によると、9日午後9時50分ごろ、新幹線の車両内で「刃物で切られた人がいる」とJR東海に連絡があった。車両は小田原駅で臨時停車した。

3人が刃物で切られ、男性1人が死亡、いずれも20代の女性2人が重傷を負った。
東海道新幹線の車内で乗客3人が殺傷された事件で、『逮捕された22歳の男が出所したら再び犯行を起こすという趣旨の供述をしている』ことが分かりました。

その後の捜査関係者への取材で、小島容疑者が刑務所を出所した後に再び犯行を起こすという内容の供述をしていることが新たに分かりました。

また、凶器については3月ごろに購入したと話していて、警察は計画的犯行とみて調べています

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

今回の警察官殺害事件は、奇しくもワールドカップロシア大会開催中。

ワールドカップとはサッカーファンにとって、4年に1度のお祭りです。

そして、世界中がサッカーで盛り上がるときでもあります。

その一方で、熱狂的になりすぎて、殺人予告、実際に殺人事件まで起きています。

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私たちは、どのように犯罪に導かれているのでしょうか?

「ワールドカップと凶悪犯罪の関連性なんてあるわけない」

と考えているなら間違いです。

お祭りとは儀式殺人にも深いかかわりがあり、祭りの効果で高揚して快楽殺人や自殺を助長させるおそれがあるのですから。

 

実際に起こった殺人事件(三重県中3女子死亡事件 - Wikipedia

そして多くの小説家、作家がお祭りと殺人事件を関連付けて作品を書いています。

神戸・真夏の雪祭り殺人事件 ジョイ・ノベルス

天下一夜祭殺人事件(名探偵コナン) 

京都夏祭り殺人事件 (角川文庫) | 山村 美紗

岩手水沢火防祭り殺人事件 (National Novels) | 木谷 恭介

京都三船祭り殺人事件 

銀座祭り殺人事件

祭りとは一体何を祭っているのでしょう?

こういった文作品や小説が産み出される背景として、祭りが人間の野生や動物性を解放してしまう呪術的なものであることを物語っているとは思いませんか?

性的な祭り」「祭りとは性欲の解放である」

スペインでは

赤く染まる街、「サン・フェルミン祭が開幕」のように、男性が女性を触りまくる祭りもあるそうです。

このように欲を開放出来る人もいれば、外に出られず、欲を開放できない人もいるのです。

欲望を開放できない人、バカ騒ぎ出来ない人はどうするのでしょうか?

そして、祭りやイベントを通して、犯罪助長をさせる仕組みをこの世の悪人たちは熟知しています。

その手口について見ていきましょう。

・・・・・・・・・・・・・(悪魔が人の心を破壊し、その命を生贄として捧げる二つのパターン。)

人の心の中が悩み、心配、不安、憂い、絶望などで満たされれば、もはやその人は廃人同様になります。生きているのか死んでいるのか分からないような状態になります。

もしあなたが会社の経営者で、自分の会社の社員がみんなこんな人ばかりだったとしたら、どうなるでしょうか。そんな会社がうまくやっていけると思いますか。

絶対に無理ですね。こんな人たちがまともに仕事ができるわけがないですし、その会社はいずれ何かしら大きな問題にぶつかり、何かしら大きな危機に見舞われるでしょう。

しかし、今の日本がまさにこのような状況に陥っています。誰も彼もがその心に大きな問題を抱え、それを解決できないまま悶々と日々を過ごしています。

日本人の多くは、よく自分のことを過剰に責めたり、ちょっとしたことで自信を失ったりします。ひどいときには、他人の失敗、他人の挫折まで、すべて自分の責任だと思い込み、余計な心の重荷を引きずります。そのため、この日本では自殺者が絶えません。

一方、日本人ではない海外の人たちは、その考えが外へ外へと向かいます。そのため、絶望したり自暴自棄したりしても、自殺を選ぶのではなく、むしろ他人を害する行為に及びます。この日本の中においても、外国人による犯罪件数がやたらと多いのは、そういった民族性の違いから来ていると考えられます。(もっとも、最近は日本人の犯罪も増えてきていますが……)

実際、日本人の多くは、他人の命を害することは悪いことだけれども、自分の命を自分で害することはそれほど悪いことではないと思っていると思います。確かに前者は犯罪ではありませんし、後者は明らかな犯罪ですから、その考えもあながち間違いだとは言えません。

しかし、よく考えてみてください。他人の命を害しても、自分の命を害しても、一つの命が失われることに変わりはありません。

そして、もしこの世の中に二人の悪魔がいて、どちらが沢山の人を殺せるか競い合っている場合、誰かが他人の命を害そうが、誰かが自分の命を害そうが、悪魔にとっては同じ一ポイントです。

そして、この世には間違いなく二つの巨大な悪魔が存在しています。「教皇派」と「天皇派」です。彼らはともに悪魔崇拝者の集まりであり、悪魔に仕える「しもべ」たちの集まりです。

彼らはどちらが沢山の人を殺して、悪魔に生贄として捧げられるのかを競い合っています。少なくとも私はそうに違いないと思っています。イルミナティが人口削減を企んでいるのは、単にこの世の人口を減らして、できるだけ多くの地球資源を自分たちのものにしようと考えているからではありません。

なぜなら、彼らにはもう既に大きな権力があり、大きな財力がありますので、今さら十万、百万の人を殺そうと殺すまいと、この地球にある資源をすべて自分たちのものにしようと思えば簡単にできるはずだからです。

では、なぜ彼らは人殺しをするのか。先ず一つ目の目的は、相手の勢力を弱めるためです。これについては、これまでさんざん書いてきましたね。まだお読みになっていない方は、ぜひ以下のリンクをご覧ください。

○東西冷戦とはバチカンと天皇の権力闘争でした。

○この世界は「天皇=ロスチャイルド」と「バチカン=ロックフェラー」の抗争の上に成り立っています。

そして、もう一つの目的は悪魔を喜ばせるためです。多くの命を悪魔の前で生贄として捧げて、悪魔を喜ばせるのです。そうすることで、悪魔からより沢山の祝福を受けられると彼らは信じているのでしょう。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

○今日はオカルト的な観点から悪魔崇拝のお話をします。

しかし、この世に存在する二つの巨大な悪魔は、それぞれ別々の方法で人の命を殺すことを考えついたようです。片方は「自殺」、片方は「他殺」です。

「天皇派」は昔から「自殺」によって悪魔に命を捧げる方法を心得てきました。「天皇=ロスチャイルド」は「共産主義」というイデオロギーを作った立役者ですが、「共産主義国」ではすべての人から全てのものを奪い取り、何も与えません。

「共産主義国」ではどんなに働いて稼いでも、全てが税金として国に没収されます。富も物質も何も与えられません。しかも、思想の統制のためといって、娯楽や情報もすべてが禁じられます。まるで修道僧のような生活を強いられるわけです。

しかし、修道僧にはまだ宗教という救いがありますが、「共産主義国」ではこの宗教すら禁じられます。つまり、「共産主義国」では何一つとして体や心を満たすものが与えられないわけです。こんな世界に夢や希望があるわけがありません。そこにあるのはただ失望、絶望、虚無感のみです。

そんな中、自らの命を潔く絶つことを美徳とする風潮が広がるならば、人々は次々と勝手に死んでいってくれるでしょう。「天皇派」に取り憑いた悪魔は、こういった殺害方法を思いつき、これを見事に実行してきました。

一方、「教皇派」は昔から「他殺」によって悪魔に命を捧げる方法を心得てきました。「教皇=ロックフェラー」はアメリカという夢の国を作り、人々に幻想に夢と希望を見せながら、人々の心を腐敗、退廃させてきました。

「アメリカ」では、次から次へと富と物質が与えられます。次から次へと娯楽や情報も与えられます。これでもかと言わんばかりに与えられます。それによって、人々は一見、幸せを享受できているかのように見えます。

しかし、このように色々なものが簡単に何でも手に入るようなると、人々はさらなる刺激を求めて彷徨い歩くようになります。心の統制ができなくなり、欲望に際限がなくなってしまうわけです。

その結果、多くの人々が、買い物中毒、娯楽中毒、マンガ中毒、ポルノ中毒、アルコール中毒、麻薬中毒、ギャンブル中毒に陥ってしまいました。彼らはさらなる刺激を求める余り、その刺激なしには生きていけなくなってしまったのです。

「アメリカ」という国がもたらしたものは、このような人心の退廃、モラルの退廃です。しかも、このようにモラルのなくなった人々は、簡単に他人のことを害するようになります。ちょっとしたことで他人を害し、それによってストレスを発散しようとするのです。

要するに、思うように自分の求める刺激が手に入らないので、別のところから別のやり方で刺激を得ようとするわけでしょう。しかも、それがエスカレートすると、最悪の場合、人を殺してしまうこともあります。アメリカの治安が早くから乱れはじめたのは、このような中毒患者が国中にあふれた結果です。

このように悪魔崇拝者たちが人の命を悪魔に捧げる場合には、二通りのやり方があります。そして、日本に棲み着いた悪魔は、この二つの方法を両方ともうまく取り入れてきました。

今や日本の自殺者も相当な数に上り、犯罪件数も増えつづけています。日本の治安は乱れていく一方です。後はほおっておいても、多くの人が自らの命を絶ち、多くの他人の命を害し合うことでしょう。

これがこの日本の現状です。本当に嫌になるような現実です。聖書では、いずれ世界がこのような状態になることが二千年前から預言されていました。

----------------

そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。

多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。

また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。

しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。

そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。

そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。

また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。

そしてそれから最後が来るのである。

----------------(マタイによる福音書24章4〜14節より)

聖書は悪魔について書かれた唯一の書であり、イエス・キリストはこの世が悪魔によって牛耳られていることを知っていました。だからこそ、いずれこの世の中がこのような状態になることを分かっていたのです。

で、実際にこの世の中は悪魔によって完全に支配されるようになり、世界は荒廃の一途を辿ってきました。そんな最中、数多くの有名陰謀論者が現れ、その悪魔の手口と内幕とを暴いてきたわけですが、彼らが語ってきたことは実は真実の半分にしか過ぎませんでした。

彼らが暴いたのは「教皇派」の陰謀のみです。アメリカこそが悪者で、日本は正義であるという主張です。しかし、悪魔が棲み着いているのはアメリカばかりではありません。この日本にはもっと古くからもっと巨大な悪魔が棲み着いていたのです。人の命をなんとも思わず、簡単に人の命を無にしてしまう陰湿な悪魔が。

○日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。

しかもその悪魔は、我々日本人に対して直接、何か手を下すわけではありません。むしろ、普段は何もしていない振りを装っています。「平和の象徴」として、政治家の隣にある椅子にちょこんと腰掛けているばかりです。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「アメリカという夢の国を作り、人々に幻想に夢と希望を見せながら、人々の心を腐敗、退廃させてきました。

「アメリカ」では、次から次へと富と物質が与えられます。次から次へと娯楽や情報も与えられます。これでもかと言わんばかりに与えられます。それによって、人々は一見、幸せを享受できているかのように見えます。

しかし、このように色々なものが簡単に何でも手に入るようなると、人々はさらなる刺激を求めて彷徨い歩くようになります。心の統制ができなくなり、欲望に際限がなくなってしまうわけです。

その結果、多くの人々が、買い物中毒、娯楽中毒、マンガ中毒、ポルノ中毒、アルコール中毒、麻薬中毒、ギャンブル中毒に陥ってしまいました。彼らはさらなる刺激を求める余り、その刺激なしには生きていけなくなってしまったのです。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「アメリカ」という国がもたらしたものは、このような人心の退廃、モラルの退廃です。しかも、このようにモラルのなくなった人々は、簡単に他人のことを害するようになります。ちょっとしたことで他人を害し、それによってストレスを発散しようとするのです。

要するに、思うように自分の求める刺激が手に入らないので、別のところから別のやり方で刺激を得ようとするわけでしょう。しかも、それがエスカレートすると、最悪の場合、人を殺してしまうこともあります。アメリカの治安が早くから乱れはじめたのは、このような中毒患者が国中にあふれた結果です。」

まさに、現在の日本がこのような状況だとは思いませんか?

しかしながら、政治経済の状況から確実に「金持ちと貧乏人との貧富の格差が拡大している」ということから共産主義のようになっています。

「「天皇派」は昔から「自殺」によって悪魔に命を捧げる方法を心得てきました。「天皇=ロスチャイルド」は「共産主義」というイデオロギーを作った立役者ですが、「共産主義国」ではすべての人から全てのものを奪い取り、何も与えません。

「共産主義国」ではどんなに働いて稼いでも、全てが税金として国に没収されます。富も物質も何も与えられません。しかも、思想の統制のためといって、娯楽や情報もすべてが禁じられます。まるで修道僧のような生活を強いられるわけです。

しかし、修道僧にはまだ宗教という救いがありますが、「共産主義国」ではこの宗教すら禁じられます。つまり、「共産主義国」では何一つとして体や心を満たすものが与えられないわけです。こんな世界に夢や希望があるわけがありません。そこにあるのはただ失望、絶望、虚無感のみです。

そんな中、自らの命を潔く絶つことを美徳とする風潮が広がるならば、人々は次々と勝手に死んでいってくれるでしょう。「天皇派」に取り憑いた悪魔は、こういった殺害方法を思いつき、これを見事に実行してきました。」

頑張っても報われない世の中を作るために政治家は大企業と結託して日本を、日本国民を追い込んでいます。

右翼勢力が強まれば、共産主義的になり絶望、虚無感が強まり、自殺者が増える。

左翼主義が強まれば、快楽主義になり、欲望を開放し始め、凶悪犯罪が増える。

現在の日本はこの2強が共存している状態で、まさにイデオロギーのカオス状態の中で国民は生活させれれているのです。

「祭りに参加できない、ワールドカップでバカ騒ぎできない」ような孤独感、虚無感や生きる絶望感を味わっている人をどうしていくのでしょう?

このように意図的に犯罪を助長するシステムを私たち大人が黙ってみていていいいのでしょうか?

黙っているならまだしも、「日本を応援する」といい、助長させていてよいのでしょうか?

世の中全体が、子供じみており、先行きの不安をごまかすように浮かれ、バカ騒ぎしているだけです。

そして、寂しさを紛らわすために、異性や酒タバコ、ドラッグなどの快楽に溺れていくのでしょう。

「人はパンとサーカスに生きるのではない」とありますが、現在の日本を見ているとまさに「パンとサーカス」状態と言えます。

・・・・・・・・・(「パンとサーカス」)

標題の「パンとサーカス」というのは、ローマ時代の政治家が民衆を治める要諦として、おいしい飲食物を摂る快楽と、楽しい見せ物を観る快楽を保障すればよいという意味でつかわれてきました。現代の日本ならさしずめ「グルメとビデオ」といったところでしょうか。「パンとサーカス」さえあれば、民衆は不平不満もなくおとなしくなると考えられていました。

 若い人の意識は時代とともに移り変わってきます。昭和五年から若い人の人生観を調査しているデータによると、「金や名誉を考えずに、自分の趣味にあったくらし方をする」とか「その日その日をのんきにくよくよしないでくらす」という考え方が、戦前はそれぞれ一〇%以下であったが、戦後になるとこれらの項目を選択する数が増えてきています。両方合わせると八〇%を超えてしまうほどです。ここに「パンとサーカス」に満足している若い人々の考え方が表れているようです。学生時代にアルバイトをするのも、昔のように家計を助けるための苦学ではなく、現代的な「パンとサーカス」を求めての楽学(?)というべき現象でしょうか。

 人々が額に汗して働いているのは、日々のパンを得るため、日常の生活はそのほとんどが「パンとサーカス」に費やされていると言っていいのではないでしょうか。資本主義社会では利潤の追求に価値をおき、人々はそのワク組みの中で、好むと好まざるとに関らず、単なる働きバチとなって、パンのみのために働き、パンのみによって生きているという状況になっています。文明の発達は、人々に豊かな生活をもたらしたと一般に思われていますが、それは現代的な「パンとサーカス」を提供しているにすぎないのではないでしょうか。心の生活は、一層貧しくなってきていると思われます。

 聖書には「人はパンだけで生きるものではない」とあります。この言葉は、逆に読むと、「人はパンのみによって生きることによって、死んでいる」(D・ゼレ『内面への旅』)と理解されます。「パンとサ-カス」に満足して、ただ何となく生きのびるということにすぎない生は、実のところ死であると聖書は語っています。人間として生まれてきて、最も大切な、そして最も根本的な人生そのものをどう生きるのか、「パンとサーカス」で満足してただ何となく生きるのか、それとも聖書が語っている真実に目覚めた生き方を求めるのか、若い時にしっかり考えてもらいたいものです。

 昨年の世相を表す漢字として「命」が選ばれました。「命」の価値が軽んじられているということですが、もう一つ世相を表す漢字を選ぶとすれば、「金」を挙げなければなりません。昨年は拝金主義が横行していた年であった思います。人生の勝ち負けがお金を基準にして論じられていました。お金があれば何でも手に入る。小さな子どもまでお金儲けをしたいと言う。現代はまさに「パンとサーカス」で人生を覆う状況です。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

人は「パンとサーカス」で破滅します。

パンとは欲望、サーカスとは娯楽、両方とも似たようなような意味合いを持ちます。

つまり「堕落させておけ」「意図的に食べ物と見せかけの娯楽を与えよ」ということですね。

人間が堕落すると誰が一番得するのでしょうか?

政治家でしょうか?企業経営者でしょうか?

それとも、、、、、。

一度考えてみてください。

私たちは豊かな人生をおくるうえで、子供たちに幸せになってもらうために、「メディアや政府から与えられたもので心を満たしていてはいけない」と思いませんか?

どうか、このような不幸な事件がなくなりますように。

そして、「神の御言葉」により多くの人が真実に出会い、救われるしか、世の荒廃を止める方法はないのではないかと思います。

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