心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

カトリック教会の堕落が止まらないのは、今に始まったことではなく、神父や牧師は神を信じていない。

2018年08月25日 | 人生を変える方法

A「神は存在するのですか?」

B「はい、存在します」

A「どこにいるのですか?」

B「神の存在を求めるひとの所におられます」

こういったやりとりは、「唯物論」「無神論者」のような「目に見えるもの」しか信じることが出来ない人には理解しがたいことかもしれません。

精神科病院で働いていた私にとってこれは単なる「妄想」だということになってしまい、「統合失調症」と言われてしまうかもしれません。

 

私自身、友人や家族、親戚に「神の存在を認め、信じろ」とは言いません。

「異性や富、名声、権力」で「心の喜び」を感じられる人、「幸せを感じられる人」に、わざわざ「神の存在」を勧めないのです。

(自殺まで考えるくらい本当に悩み、人一倍努力し、人生で本当に苦しみ抜いた人にしか、神の存在は受け入れられないからです。)


・奴隷のように会社にこき使われている人、会社しか居場所がない人

・金は持っているが、不健康な人

・異性のパートナーを季節の衣替えのように「とっかえひっかえ」している人

などは、一時的に幸せを得られますが、「幸せが長続きしない人」ばかりです。

つまり、この世にある「幸せ」というものは異性、買い物、酒、タバコ、ギャンブル、薬物のような

「一時的に刺激のあるもの、興奮作用がある刺激の強いものを手に入れること」

になっています。

非常に残念なことです。

刺激が切れたら、またそれらを得るために必死に努力しなければならない。

お金が必要なら、会社で奴隷のように働いて、なけなしのお金を手に入れて、それらの「強い刺激を手に入れなければならない」のです。

「食欲、物欲、性欲、支配欲(所有欲)」を満たすだけで、「心の平安」は手に入るのでしょうか?

これらの物は、時間とともに変遷し朽ち果てていくものです。

なくなれば、また手に入れなければならなくなりますので、いずれ自分自身のモチベーションが下がっていきます。

それならば、「目に見えないものを手に入れることが価値がある」と気づくかもしれません。

私もかつて高級腕時計が欲しくてたまらずに、お金をためてロレックスを購入しました。

しかし、うれしかったのは購入してから半年くらいで、あとは「単なる重い時計」です。

オートマチックといって振動を与えてあげないと、時計の針が止まってしまうため、これまためんどくさい。

常に着用していないといけないのですから堪りません。

ロレックス詐欺はこのブログでも書いてきましたが、材料原価5000円のものを70万円で売っているようなものです。

LMVHグループに騙され続ける日本人 身の回りのブランド品が身を亡ぼす)「値上げしても売れる」ラグジュアリーブランドの秘密

私たちは人生の中で、「食欲、物欲、性欲、支配欲(所有欲)」を減らしていくことが大切になってくるかもしれません。

若い人たちから見れば「なんと、味気のない、無味無臭な人生なのか?」

と感じられるかもしれません。

しかし、人生が「欲を満たすことに価値がある」「より沢山の欲望を満たした人が幸せだ」というなら、なぜ首相や売れっ子芸能人は「欲望は満たしたはず」なのに悪口を言われながら、パパラッチされプライベートを犠牲にしながらでも働き続けるのででしょうか?

私には彼ら政治家、芸能人、経営者といった金持ちが、「欲望を維持し続けるために頑張っているだけ」でそれらの欲望を初めてかなえた時のような喜びは既に過去のものとなっている」ようにしか思えません。

ですから、「さらに強い刺激を求めて彷徨い歩いている」ように見えます。

「手に入れようとしている方向性が間違っている」ようにしか思えません。

ですから、彼らは辛いだけでしょう。

例えば、欲望を叶えるためには「お金」富が必要です。

しかし、お金は本来、価値と等価交換ですから、普通に経済活動をしていても、その得られる上限は限られてきます。

それなのに、沢山得ようとするならば、「実際の価値よりも高いように見せかけ、信じ込ませる」か「こっそり泥棒するか問答無用で強奪する」しかありません。

実際には芸能人やスポーツ選手を使ってイメージ戦略をしかけ「嘘、詐欺を働く」か政治を使って「法律を作ってしまう」といった強硬策をとるしかありません。

彼らがさらに強い刺激を手に入れるためには、「周囲を蹴落とし」「嘘をついて騙す」といった悪・不正を行うしかないのです。

 

さて、前置きが長くなりましたが、今回のテーマに戻ります。

この世で「神を信じる人」が集まる場所、そして神の道を教え諭す場所が神社仏閣、教会と呼ばれる場所です。

「神を信じる」とは「この世の欲では幸せを感じない人」であるはずですが、アメリカのカトリック教会で、性欲まみれの神父・牧師が問題になっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(米教会で子供に性的虐待70年…聖職者300人 8/15(水) 11:55配信 読売新聞)

 【ニューヨーク=橋本潤也】米東部ペンシルベニア州のカトリック教会で、70年間にわたり300人以上の聖職者が子供への性的虐待に関与したことが、州大陪審が14日に公表した報告書で明らかとなった。

被害者は少なくとも1000人に上るという。

報告書は、教会が虐待を行った聖職者をひそかに別の地域に異動させるなど、組織的な隠蔽(いんぺい)を行っていた実態も指摘した。

 報告書は同州の八つの教区のうち6教区を対象として、1947年から現在に至る教会の内部文書や被害者からの聞き取り調査を基に作成された。内部文書は計50万ページにも及び、調査には2年かかったという。

 報告書によると、被害を受けた子供はほとんどが男子で、多くが思春期前だったという。虐待に関与した司教や大司教、枢機卿などの高位聖職者の責任が問われることはなかった。教会は虐待に関与した聖職者に住宅や生活の保障を続け、異動する際にも、理由を公表しなかったという。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

男の子供をターゲットにした「小児性愛」+「同性愛」という異常性愛をキリスト教の指導者がしていたということが描かれています。

キリスト教では「金持ち」や「権力者」になることよりも「人格者になること」を第一に求められます。

しかし、彼らは「教会で認められること=人間に認められること」や「教会で偉くなること」ばかり求めます。

神父とは苦しむ人、救いを求める人を「神につなげてあげる人」であるはずです。

それなのに、組織の中で出世することや献金を沢山集めることばかりに精を出しているのは「キリスト教ではない」のです。

姿かたちはキリスト教の真似事をしているだけで、実際は「悪魔を拝んでいる」のであり、「教理を捻じ曲げられている」ということに気付いていないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(キリスト教と同性愛)


キリスト教と同性愛(キリストきょうとどうせいあい、Christianity and homosexuality)についての見解は、教派、また教役者・聖職者等個々人によって大きく異なり、断罪から積極的受容まで幅広い。

新約聖書のパウロ書簡では、偶像崇拝や婚前性交渉、魔術や占いをする者と共に「男色する者」は神の国相続しないと第一コリント6章9-10節にある。 しかし、イエスは特には言及していない。


概要
キリスト教の影響を受けた欧米諸国では伝統的に、同性愛は聖書において指弾される性的逸脱であり、宗教上の罪(sin)としてきた。

一方、近年の欧米諸国においては、同性愛も異性愛と同様に生まれつきの性的指向であり、不当な扱いをされるべきではないとの認識が広まっている。

ただ、欧米諸国においても同性愛に対して、宗教的観点、道徳、倫理を主張する立場から問題とする意見も有力である。

同性愛の容認傾向が広まっている現状に対する積極的肯定と非難、およびその間に位置づけられる様々な見解がキリスト教の中にある。 旧約聖書では創造神ヤハウェは、男と女が結ばれるべきだと命令している。

古代宗教史や聖書学などの新しい研究成果を用いて聖書のメッセージを読み取ろうとする聖職者・研究者らは、現代的な意味での同性愛(者)について聖書は何も語っておらず、そこからは性的指向が自然に同性に向く同性愛者についての特別な指針は読み取れないとすることが多い。

聖書を字義通りに受け取ることを重視する教役者・聖職者等は、同性愛結婚を恋愛感情や成人の欲求による結婚文化の弱体化と腐敗とした。2009年には、アメリカ合衆国・マンハッタンで、福音派教会、正教会、カトリック教会の指導者は、共同声明マンハッタン宣言を発表した。結婚は「生命の創出と繁栄と保護」と「一組の男女間で結ばれる契約」であり、健康、教育、富を維持する制度であることから、同性愛間の結婚の反対を宣言している。

同性愛者の人権は尊重するが同性愛行為は罪であり認められないとする立場もある。

カトリック教会もカテキズムにあらわされた公式の教えとしては「同性愛行為に及べば宗教上の罪となるが同性愛の欲求を持っているというだけでは罪ではなく、むしろ尊重されるべき」という立場である。同性愛とカトリックを参照。就任後の教皇フランシスコも同趣旨の発言を行っている。

同性愛者の人権を容認するかしないかといった二者択一的な見解ばかりがある訳ではなく、教会として同性愛を宗教上の罪(sin)とみなしこれに反対するものの、同性愛者に対する迫害・差別については認めないとするモスクワ総主教キリル1世のような見解もある。

南アフリカ共和国聖公会の元大主教デズモンド・ムピロ・ツツ(Desmond Mpilo Tutu, 1931年10月7日 - )は、アムネスティ・インターナショナル英国の出版した『Sex, Love & Homophobia(性と愛とホモフォビア)』に序文を寄せ、「ホモフォビアは人間性に対する罪であり、アパルトヘイト政策と同じく、いかなる意味においても正当化されえない。」「黒人は本人にはいかんともしようのない肌の色によって追い責められたが、性的指向によって差別される人々も同じ目にあっている。」と記している。

同性愛者によって設立され、同性愛者ほかの性的少数者を積極的に受け入れる教会として、アメリカに、メトロポリタン・コミュニティ教会がある。
日本では同性愛者であることをカムアウトしたうえで日本基督教団で正式に按手を受けた牧師として堀江有里牧師、平良愛香牧師、中村吉基牧師、池田季美枝牧師らがおり、平良愛香が代表を務めるエキュメニカルな性的少数者キリスト者グループであるキリストの風集会は、1995年より東京都内で月一回の定例礼拝を守っている。中村吉基牧師が代表をつとめる新宿コミュニティー伝道所は、「さまざまな性指向を持つ人びと」による礼拝を毎週行なっている。

池田季美枝牧師は、2007年より市川東教会(旧・冨貴島教会)の主任牧師として、「女性や男性――さまざまな性指向・性自認を持つ人びと、子どもや高齢者、教会に来るのが初めての人、神の子イエスによる魂の癒しを求め教会を訪れるすべての人に開かれた教会」としての宣教・礼拝を行っている。また、日本基督教団所属の富田正樹牧師は、自分自身は同性愛者では無いが、聖書の中の同性愛に関する記述を吟味した結果として同性愛を容認するという立場を公にしている。

日本聖公会では、聖公会中部教区宣教部性的少数者プロジェクトとして「性的少数者とともに捧げる聖餐式」[22]を執行しており、性同一性障害の女性司祭であるアンブロージア後藤香織司祭がその任にあたっている。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

彼らの中で「神に離反すること」が権威なのでしょうか?

笑えて来てしまいます。

日本基督教団自体「カルト教団」ですから仕方ありませんね。

彼らの目的は「キリスト教を通して人間を堕落させること」ですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(キリスト教プロテスタントも悪魔崇拝者に乗っ取られている可能性大です。「日本基督教団」は在日・反日勢力と同一体でした。)

知識や情報はできるだけ多く獲得した方がいいに決まっています。この世では情報を早く多く正確に得た者が勝利します。裏社会に勝つためにもやはり情報が何よりも必要かつ重要です。

先日も書きましたが、私はかつて大学時代に英文科を専攻し、聖書を必須科目として学びました。その過程で、私は聖書に興味を持ち、人一倍聖書を読みました。

通読(創世記から黙示録まで読み通すこと)だけでも40回近くしています。多分、この日本国内でそんなに多く聖書を通読した人間などそうはいないでしょう。この世のクリスチャンも聖書などろくに読んではいません。ただ教会に行って牧師のつまらない話を聞いて終わりです。

第一、この世に聖書ほど難解な書物はありませんから、一回通読するだけでも大変です。

しかし、私は聖書のその余りの難解さ、奥深さにとてつもなく興味を引きつけられてしまったのです。

しかし、それぐらい沢山聖書を読んだお陰で、現在のキリスト教が何者かによってことごとく破壊されているという(ほとんど誰も知らない)現実を見付けるようになりました。

聖書には我々人間にとってとても重要なことが幾つも書かれているのに、現代のキリスト教の教理はそのほとんどが骨抜きにされ、ねじ曲げられている、と。

だからこそ、私は前に一度、以下のような記事を書いたわけです。

○キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。

要するに現在の私は、一般的にはクリスチャンと言えるような人間ではないけれども、それでもクリスチャン以上に聖書を読み、聖書のことを優れた書物であると認識している、という少し複雑な立場にあるわけです。

恐らく私のような人間は、この世の一般的なクリスチャンから見れば異端の部類に入るのでしょう。しかし、私からすれば、この世の一般的なクリスチャンこそ本当に信仰心があるのだろうかと疑ってしまいます。

だからこそ、私はキリスト教がどうしてここまで破壊されてしまったのかを自分なりに調べてきたわけですが、その結果、カトリックの総本山であるバチカンが悪魔崇拝者に完全に乗っ取られていることが分かりました。それで、「やはりそうか」と思わず納得したわけですが、それではプロテスタントはどうなのか。

それについても色々と調べてはみたのですが、プロテスタントというのは、カトリックと違って世界的な中央組織があるわけでもない。カトリックにはバチカンという世界的な中央組織がありますが、プロテスタントはただ小さな教会が世界のあちこちに幾つも点在しているばかりです。

そのため、その実態を掴むのは不可能ではないかと考えていたのですが、よくよく調べてみると、この日本の中には「日本基督教団」という中央組織らしきものがありました。

これは幾つものプロテスタントの教会が集まって作られたクリスチャン連合のような組織で、この「日本基督教団」によって日本全国にある幾つものプロテスタント教会が異端なのかどうか判別されているようです。

正直、これは怪しいと思いました。どうしてこの「日本基督教団」にそんな大きな権限が与えられているのか。この「日本基督教団」の主張するキリスト教の教理がそんなにずば抜けて優れているとも思えませんし、彼らの主張する教理が絶対に正しいという保障もありません。

というか、彼らの主張する教理こそ、私の考える「骨抜きにされ、ねじ曲げられた教理」に他なりません。もはや聖書が伝えていることの100分の1も伝えていない気の抜けたような教理なのです。

で、色々と調べてみたところ、なんとこの「日本基督教団」、何やら怪しげな在日組織であることが分かってきました。

この「日本基督教団」は、東京は早稲田にある「日本キリスト教会館」と「アバコビル」いう建物の中にあるのですが、なんとこの二つの建物の中に、これだけの組織が入り混じっているのです。


・日本キリスト教協議会(NCC)、NCC教育部、NCC女性委員会
・日本基督教団、日本基督教団・出版局、日本基督教団・東京教区事務所、日本基督教団・全国教会婦人会連合
・日本バプテスト同盟、日本バプテスト同盟・東京平和教会
・在日大韓基督教会(KCCJ)
・在日韓国人問題研究所(RAIK)
・日本キリスト者医科連盟(JCMA)
・社団法人 日本キリスト教海外医療協力会(JOCS東京事務局)
・日本盲人キリスト教伝道協議会(盲伝)
・キリスト教学校教育同盟
・社団法人 キリスト教保育連盟、キリスト教保育連盟関東部会
・特定非営利活動法人 アジアキリスト教教育基金(ACEF)
・日本クリスチャンアカデミー
・在日本インターボード宣教師社団
・基督教新生社団
・アバコ(AVACO)

さらにこの「アバコビル」ですが、この建物の住所が「東京都新宿区西早稲田2-3-18」となっていて、実はこの住所をいくつもの在日団体らしきものが使い回しているのです。

・河本を守る市民の会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・片山やめろネットワーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・ホンダを許さない!吉本緊急集会事務局・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・在日外国人の人権委員会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国人問題研究所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・在日本大韓基督教会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会 全国青年協議会(全協)・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・外登法問題と取り組む全国キリスト教連・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク・・・新宿区西早稲田2-3-18
・女たちの戦争と平和資料館・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・戦時性暴力問題連絡協議会・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会 <難キ連> ・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・石原やめろネットワーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・歴史歪曲を許さない!アジア連帯緊急集会事務局・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18
・移住労働者と連帯する全国ネットワーク・・・・・・・・・・・・新宿区西早稲田2-3-18

要するに、誰かが何か新しい組織を作る度に、いつも同じ住所をそのホームページやパンフレットなどに掲載しているわけです。

ご存知の方も多いかも知れませんが、韓国には沢山のキリスト教の教会があります。それこそコンビニの数よりも沢山の教会があちこちにひしめいています。一般的に韓国は儒教の国と思われていますが、実際のところ、現在の韓国にはクリスチャンがとても数多くいます。

そのため、韓国人の牧師たちもたくさん日本に宣教に来ていますし、韓国系の教会がこの日本には数多く建てられています。

ですから、この「日本基督教団」に多くの在日クリスチャンが出入りしていたとしても何ら不思議ではないのですが、彼らの出入りする場所が、このように政治目的で利用されているとなると、話は別です。

しかも、単なる政治目的というより、かなり偏った反日的な目的で利用されていますし、一つの目的だけではなく、幾つもの目的で使い回しされています。これはどう考えても尋常ではありません。異常です。

やはり「日本基督教団」の中枢には、裏社会の人間たちがウヨウヨしているのではないか、と考えざるを得ません。金融ユダヤとつるんだ何者がその中枢に居座っているのではないでしょうか。

言うまでもないことですが、宗教は政治とは何の関係もありません。宗教は宗教。政治は政治です。

文学と科学が別物であるのと同じことです。もちろん根っこの部分では何かしらつながりはあるでしょうが、だからといって、文学の専門家が科学の専門家に何か口出しできる立場にはありません。

しかし、創価教会にしろ統一教会にしろ幸福の科学にしろ、金融ユダヤに乗っ取られたカルトはいつも組織ぐるみで政治に口を出し、政治を動かそうとしてきました。

それと同じく、日本のプロテスタントの総本山である「日本基督教団」がこの有様なのです。

どうやらプロテスタントも金融ユダヤに完全に乗っ取られていると考えて間違いなさそうです。もちろん、彼らの多くは直接、金融ユダヤとは何の関わりもない人たちなのかも知れませんが、知らず知らずのうちに金融ユダヤに利用され、踊らされている可能性が高いです。(要するに、創価や統一の内情と同じというわけです。)

これではキリスト教が破壊されて当然です。その教理が骨抜きにされて当然です。金融ユダヤがわざとその教理を骨抜きにしてしまったのでしょうし、そうすることで信者の数を減らそうとしてきたのでしょう。

しかし、異端かどうかを見分けるはずの「日本基督教団」こそが本物の異端だった……ということになれば、クリスチャンにとって、これは大きな問題です。もはや人生そのものを揺るがすような一大事でしょう。

もっとも、最近のクリスチャンは既にそのことに薄々感づいているのではないかという気がしないでもありません。だからこそ、信者の数も年々減っているのだと思います。

宗教というものは、ある意味、その人にとっての恋人のようなものであると私は考えています。ですから、悪い宗教を信じた人は、悪い女を恋人にしてしまった人と同じようなものです。

周りの人たちはその人のことを不幸だと思いますが、その人自身はその悪い女にメロメロになっているので、自分のことを幸せだと思い込んでいます。周りがどんなにその悪い女のことを叩いても、その人はその悪い女のことを悪いとは思いもしません。

で、その悪い女と長く付き合ってみて、さんざん痛い目に遭ってから、ようやくその女が悪い女だったと分かるわけですが、その時にはもう既に手遅れです。大切な時間もお金もすべてその悪い女のために使い果たしてしまった後ですから。

ですから、悪い女に騙されないように、どんな分野の知識をもきちんと理論武装しておくことが必要かつ重要なのです。

もしあなたがクリスチャンで、あなたの通う教会が「日本基督教団」に所属しているなら、あなたの信じている教理には何らかの問題を抱えている可能性があると考えてください。周りの信者に頼らず、もっと聖書を読み、もっと知識を増やして、本当の真理が何なのかを追求していく必要があります。

また、キリスト教とは何の関係もなく、宗教とは何の関係もないという人も、他人事とは思わない方がいいと思います。

もしあなたが何らかの人生の問題にぶつかったとき、誰かから宗教の言葉を教えられて直ちに問題が解決してしまう、ということが今後、あなたの身に起きるかも知れません。そのとき人は、もっとその話を聞きたいと思ってしまうものです。自分にはそんなことはないと思っていると大間違いです。

特に宗教の知識を何ら持っていない人は要注意です。昨日の私の記事に対して、「全ての宗教や自己啓発に心の蓋を閉じるようにしている」というコメントされた方がいらっしゃいましたが、そういう人こそ、何かあったときに、たった一言の宗教の言葉でくらりときてしまうことがよくあります。

別に脅しているわけではありません。バカにしているわけでもありません。知識がないことは本当に危険なのです。自分の心が崩れそうなとき、自分の心を立ち直らせるような力強い言葉(しかも、今まで聞いたこともないような言葉)をかけられると、人はすぐにくらりと来てしまうものです。

自分は大丈夫、絶対に事故には遭わない、と思っている人こそ一番事故に遭います。ですから、「宗教は怖い」「宗教は悪」といって、最初から見ざる聞かざるではなく、常に敵の攻撃に備えているべきだと思って、自ら知識を蓄え、本物と偽者を見分けていく力を備えていくべきです。

日頃からそういうことをしていれば、それこそ鬱になっている暇などありません。むしろ、生きる希望や力が湧いてきます。そうして、いずれは世の中に何らかの有益を残していく人になれるかも知れません。

「言葉には人生を変える力がある」とよく言いますが、これは本当です。平素から良い言葉にたくさん触れることで、人生は自ずと変わっていきます。これは科学で証明できることではありませんが、実例は既にいくつもあります。

悪魔はそのような良い言葉に人が触れることを最も嫌がります。悪魔自身がささやきかける嘘だけを聞くことを願います。その嘘を嘘と見分けなければならないのに、この世の情報はすべて嘘だらけだと言って、どんな知識も得ようとしなければ、ずっと一生、嘘を嘘だと見抜けずに生きていかなければなりません。

特にカルトは、最初のうちは本当のことを言い、後から少しずつ嘘を混ぜていきます。だからこそ、多くの人がカルトに騙されてしまうのです。

これはB層たちがメディアに洗脳される手口とよく似ています。メディアはいつも98%は本当のことを言い、残り2%は嘘をつきます。つまり、2%の嘘を信じ込ませるために、わざわざ98%の真実を語るわけです。そして人は、その2%の嘘を信じることによって人生を台無しにしてしまいます。

そんなことにならないためにも、それこそ聖書でも読んでみてください。骨抜きにされた聖書の「解説書」を読むのではなく、またどこかの教会に行って「教理」を教えてもらうのではなく、自分で「聖書そのもの」を読んでみてください。そうすれば、特に何の害も受けることはないでしょうし、もし害があると感じるならすぐに読むのをやめて、別の何かを読めばいいだけの話です。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

同性愛は罪なのですから、悔い改める必要があります。

ましてやキリスト教ならば「聖書」を基準に考えるべきなのに、聖書に書かれている罪を受け入れているでは話になりません。

彼らは人間的な考えで「例外」を作り出し、拡大解釈しているだけです。

「人間的な愛」を「愛」だと勘違いしているのです。

罪を罪とも認めず、悔い改めもしない人を、受け入れること愛することは「愛」ではありません。

愛するとは、「愛する人の思いをともに成し遂げたいと考え実行すること」に他なりません。

あなたの恋人が「納豆が食べたくない」と言っているのに、

「いやいや、納豆はビタミンKと食物繊維が多いから健康のために食べたほうがいい」

といって、無理やり毎日の食事に納豆を使った料理を出すことは、愛でしょうか?

納豆は確かに健康にいいかもしれませんが、納豆を食べてなくても健康な人は世界には五万といます。

それを、「納豆は体にいいから」という利己的で自己中心的な考えで、パートナーに嫌がる納豆を押し付けることは決して愛ではありません。

どれだけ自己中心的な考えなのかと思わされます。

キリスト教の牧師は「他人には自分を捨てろ」というくせに、自分は自己中心的な考えを持っていてもいいという矛盾したことをしているだけです。

「他人の目のおが屑には気付くくせに、自分の目の中の丸太の存在には気付かない人」=不信仰な人達=牧師、世の中の指導者なのです。

私たちはこういう人間にならないためにも、いつも自分の心の中をチェックしなくてはいけませんね。

自分の心の中をチェックするために、まだ読まれていない方は「聖書」を読んでみることをお勧めします。

 

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