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飲み会とは「時間外会議」であるため、時給が発生して当たり前だし、割り勘なんぞもってのほか。

2018年10月04日 | マネジメント全般

私が以前勤務していた企業は、盛和塾といものを取り入れていましたのでやたらと、「コンパ」と称する飲み会が開催されていました。

本当にこれが苦痛で、「仕事の愚痴」を言い合い、あとは社内の噂話、上司からの叱咤激励という名の説教、勤務時間外に会議に参加させられるというオチなのです。

流通小売業は朝が早く、オープニングに当たると、朝5時から14時まで勤務しなくてはなりません。

しかし、14時に上がれるわけではなく、14時からシフトを作成したり、パートとの面談、最悪の場合、売り場づくりをしてから帰らなくてはならなくなると、潜在的なサービス残業が当たり前でした。

稲盛流コンパというものが存在し、無理やり出席させられる「時間外会議」が「コンパ」というものでした。

ではその一例を紹介いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・(女性社長だってコンパできるんです!第3回 社員食堂にござを敷いて、お酒を飲もう 北方 雅人2015年4月21日(火))

<三井社長>

稲盛和夫氏が考案した「稲盛流コンパ」は、あらゆる組織において威力を発揮する。今回はある女性社長のケースを紹介しよう。もともと飲み会が大の苦手だったその社長は、ファミリーレストランでの誕生会、居酒屋での新年会を経て、今では社員食堂でござを敷いてコンパをするまでになった。その心境の変化を詳しく追った。(文中敬称略)

 「社長になった頃は、コンパに従業員を誘いにくくて……。酒の席ではいろいろと嫌な思いをすることもありますよね、女性って。苦手意識を克服できたのは、40代後半からだと思います」

 菓子向けの包装紙メーカー、三和化工紙(大阪府柏原市)の三井貴子は女性社長として稲盛流コンパを開くことに、以前は抵抗があったと打ち明けた。

 三和化工紙は1957年に三井の父、一也が創業した会社だ。売上高は10億1500万円(2014年6月期)で、従業員約40人を抱える。三井は大学を卒業してから、いくつかの企業で働いた後、中学校教師を経て99年に三和化工紙に入社。一也の急逝に伴い、2001年に38歳で社長になった。


三井社長。多くの苦労を重ねた分、従業員に温かい愛情を注いでいる(写真:大亀京助、以下同)
 OL時代、三井は上司から飲み会に誘われることが嫌で仕方がなかった。そもそも酒に弱く、ビールをコップ2、3杯飲むのが精いっぱいだったから、宴会自体があまり好きではなかった。断りきれずたまに飲みに行くこともあったが、酔いが回ると馬鹿騒ぎを始める空気になじめず、終わるとむなしさばかりが残った。社長になった後、取引先との接待で不愉快な思いをしたこともある。

 酒席にはあまりいい印象がない三井が、今では稲盛流コンパを積極的に開いている。年2回の社員研修旅行に加え、部門別研修などは泊まり込みが基本。社員食堂の一角にござを敷き、車座になって飲食を共にしながら話すこともしばしばだ。重要な話がある場合には、従業員と一対一の「サシ飲み」をすることも厭わない。

 しかし、ここに至るまでの道のりは、平坦なものではなかった。三和化工紙の社長に就くこと自体が、大きな苦難を乗り越えなければならなかった。

苦しみ抜いたおじとの確執
 「父から託されたこの会社を絶対に投げ出してなるものか。でもどうすればいいのだろうか」──。2000年当時、三井は来る日も来る日も頭を悩ませていた。

 創業者の一也は菓子メーカーを中心に取引先を広げ、売上高6億円の会社にした。そんな一也が、がんを告知されたのは1999年。急きょ、中学校教師を務めていた一人娘の三井を後継者含みで会社に引き入れた。

 ところが、入社してわずか2カ月半で、病状が悪化した一也が65歳で他界。さらに追い打ちをかけたのが、一也と共に経営してきた専務(当時)のおじからかけられた辛らつな言葉だった。
おじは一也の初七日が終わると、その翌日、三井を呼び出し、「君のお父さんには随分と嫌な思いをさせられたよ。身勝手で、他人のことを考えない人だった」と言い放った。しかも、「私を社長にしろ」と迫ってきたのだ。

 三井は激しい憤りを覚えたが、泣く泣くおじの要求をのんだ。会社経営の経験がないのはもちろん、入社したばかりで事業内容すらよく理解していなかったからだ。社内の動揺を抑え、対外的な信用を保つためには、自分が引き下がるしかなかった。こうしておじが社長、三井が取締役に就く。

 だが、父のことをののしったおじを三井は許せない。隣に座っていても、挨拶以外は言葉を交わさない日々が続いた。三井の反抗的な態度を、おじも快く思わない。おじは親しい取引先に「訳の分からない姪が会社をめちゃくちゃにしている」と吹聴し始めた。社内には険悪な空気が充満した。

 そんな三井に転機が訪れる。経営者仲間から「盛和塾の例会にオブザーバーとして参加してみないか」と誘われたのだ。ちょうどその少し前、亡き父のロッカーから出てきた稲盛の講演テープを聞いて、感銘を受けていた。

 2000年11月、盛和塾の例会に参加した三井は、稲盛と名刺交換したとき、悩みを吐露した。

 「父が亡くなり、おじが社長をしていますが、姪である私の悪口を社外で言いふらすのです。身内のゴタゴタで会社の信用は落ちる一方ですから、私に社長を代わってほしいと思っています。おじにどうお願いしたらよろしいでしょうか」

 静かに耳を傾けていた稲盛は、こう答えたという。

 「おじさんに感謝せなあかん。退職金などで十分に報いて、『ありがとう』と言いなさい」

 三井はあっけにとられた。

 「会社を駄目にしているのはおじだ。そのおじに、なぜ感謝しなければならないのだろう」

 しかし帰る道すがら、三井はその真意に気づく。「うちの会社が大きくなったのは、父だけの功績じゃない。そこにはおじの力もあった。感謝するのは当然なんだ」。


今では、従業員と社員食堂でよくコンパをする。コンパをするときに抵抗感を感じることはもうないという
 自分の至らなさを恥じた三井は年が明けると、おじにこう切り出した。「今まで社長をしていただいて、ありがとうございました。おかげさまで三和化工紙は、先代が亡くなってから1年間、無事にやってこられました。社長がいてくれたからこそだと思います」。

 すると、おじは「ほんまにそんなこと思っているんかいな」と笑顔を見せた。

 「私の気持ちを受け入れてくれている」。そう感じた三井が意を決して「社長を譲っていただけませんか」と頼むと、おじは抵抗するどころか、こう即答した。

 「そうやな。1年やってみて大変やったわ。そろそろ代わってもらおうか」。そして社長の座を三井に譲り、自らは会長に退いた。

 ずっといがみ合っていたおじがあっさり社長を退いた理由は、定かでない。もともと、おじは生産現場を一貫して担当してきた。それが一也の死去に伴って営業など経営全般に目配りすることになり、戸惑っていたのだろう。そんなときに姪が自分の苦労を認めてくれたため、社長を譲る気持ちが芽生えたのかもしれない。

 三井は言う。「おじと対立した1年間は苦しかった。でも、その経験があったから自分の愚かさを知ったんです。傲慢なまま、社長にならずによかったと思います」。

コンパに誘うことができない
 こうした経緯があったから、社長に就任した後、稲盛のことをもっと学びたいと三井は思うようになった。稲盛の著書を懸命に読むうちに、コンパを開いて従業員との信頼関係を深める大切さも知った。

 しかし、三和化工紙で働いている従業員の大半は男性。年上の幹部もいる。三井は、どちらかといえば控えめな性格だ。頭ではその必要性が分かっていても、なかなかコンパに誘うことができない。男勝りな性格ならともかく、女性の上司が男性の部下を何人も引き連れて飲みに行くのは、三井でなくても気が引けるだろう。

 世間では、特定の男性従業員を誘ってコンパを開いたばかりに、好みの男性に声をかけて公私混同していると、周囲にあらぬ噂を立てられたという話もある。こうしたことは、多くの女性リーダーが直面する共通の課題かもしれない。

 「後で聞いたら、当時、年上の幹部の中には私のことを『お嬢ちゃん』呼ばわりする人もいたそうです。三和化工紙での仕事の経験が少なかったから、当然なんですけどね」と、三井は教えてくれた。

 「急に会社に入ってきたお嬢ちゃんに、何ができるのか」。一部とはいえ、そんな見下したような思いを持つ古参幹部がいれば、社内の雰囲気はぎくしゃくしたものになる。面と向かって馬鹿にはされないまでも、三井自身が風通しの悪さをひしひしと感じていた。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

おかしな話です。

単なる時間外会議以外何物でもないのに、コンパと称して、サービス残業をさせているのですから。

別に、勤務時間にやるなら問題ありません。

昼休憩にランチョンセミナーをするのも卑怯だと思いますが。

稲盛流コンパは社員が断れないのが一番問題です。

考えても見てください。

小学校、中学校の授業が、チャイムが鳴ったのに、延長する教科の先生を好きになれますか?

学生は、時間から時間に動いています。

延長するなどあってはならないのです。

しかし、社会に出ると、なぜ突然、全て会社の言う通りにしなくてはならなくなるのでしょうか?

例え、年収が600万円あったとしても、そしてそのお金で贅沢して、経済的に安定した生活が送れたとしても、それは人生を会社に握られてしまっているのと同じで「金で雇われている奴隷」ではないでしょうか?

実は、正社員とは心まで企業に買い取られた「金で雇われた奴隷」と同じなのではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・(変わる会社の飲み会 参加でボーナス増、社内にバー… 金本有加2018年9月14日18時05分


「アークレイ」社内の「論談バー」で、終業後に語らう社員=京都市上京区

 上司と部下がお酒を酌み交わすことで、話が弾む。かつて職場の飲み会は、重要なコミュニケーション手段とされていた。だが最近は、経営者の意見も分かれているようだ。仕事にプラスかマイナスか。働き方改革も一石を投じた。

 大阪市のITベンチャー、クローバーラボの社内には、酒を飲みながら社員が語り合うための「バー」がある。9月3日の夕方も、仕事を終えた社員が10人ほど集まり、好みの飲み物を手に、最近の仕事について話していた。

 カウンターには、日本酒、焼酎、ウイスキーなど、さまざまな酒が並ぶ。お茶やペットボトルもある。

 飲み物は全て無料で、飲み放題だ。バーは、小山力也社長(38)の発案で、2011年にできた。会社が成長するにつれ、隣の人が何をしているのかすら分からないようになっていると感じた。「アルコールの助けを借りて、衝突しながらでも言いたいことを言い合って欲しい」

 参加者のひとりは「部下を連れて飲みに行っていたお金が浮いて助かる」。

 医療機器メーカーのアークレイ(京都市)の社内にあるのは、その名も「論談バー」。黙々と仕事をすることが多い研究職の社員らが、活発に議論をすることを期待して設けた。

 上司が同席する飲み会に参加すればするほどボーナスが増える――そんなユニークな会社もある。システム開発のネットバリュー(大阪市)だ。

 参加1回につき1ポイントがも…

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「アルコールの助けを借りて、衝突しながらでも言いたいことを言い合って欲しい」

風通しが良さそうな、ITベンチャー企業も同じようなことをしているのですね。

飲み会、飲みにケーションというものは、マネージャーから見れば、

「部下たちが仕事や会社の愚痴を仲間内で言い合う場所」

という位置づけなのですが、ここに上司やマネージャーが入れば仕事の話ばかりになって堅苦しくなるだけです。

「話しかけやすい関係性を築くため」

だというなら、普段から上司が部下い積極的に話しかけ、立ち話や小話をすることが大切となってきます。

そして、部下が立ち話や小話ができる仕事割振りができていなければ、単なる上司のお喋りに付き合わされるだけで、部下は帰る時間が遅くなるだけですから、仕事割り振り、進捗状況を確認することのほうがよっぽど大切となります。

本来なら、飲み会はマネージャーが主催し、部下に参加していただくものであり、勤務時間内に行うべきものなのです。

就業時間が18時までなら飲み会のある日は16時に仕事を切り上げ、18時まで会議として、飲み会にする、参加費は会社負担にぐらいしないと効果がありません。

世の中から、こういった時間外会議=飲み会、飲みにケーションがなくなる日も近いでしょう。

一人ひとりが飲み会を断ればよいのです。

お酒を飲んで憂さを晴らしたり、お酒の力がないと言いたいことを言えない関係性に問題があるのですから。

 

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