先日(4月10日)の朝鮮日報に興味深いコラムを見つけました。
書き手は東京に駐在する朝鮮日報の韓国人記者。日本のコンビニエンスストアーの店員や工事作業員、あるいはバス運転手の徹底した顧客志向のサービスの質の高さに注目し、そのカギを探る内容(詳しくはリンク先を参照して下さい)。
記者はこうした高品質のサービスを保つ秘訣として、「日本人の天性のマメさ」を指摘しつつも、より重要な要素として「客に対してどんなあいさつをし、どんな言葉をかけて見送り、お金を数えるときにはどうすればよいかといったことまで事細かに記した"従業員の心得"」、即ちマニュアルの存在を指摘しています。
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現在、ケネディスクールで履修している「公共組織の戦略的経営」の授業は、毎回、学生達からのマネジメントに関わる様々な記事の紹介ではじまります。
僕もこれまで、日本で起こったマネジメントの失敗例として、昨年“倒産”した夕張市の事例、官民協働の嚆矢である第3セクターの失敗例であるシーガイア破綻の事例、民間企業のマネジメントの失敗がもたらした大きな災禍であった2005年4月の福知山線脱線事故の事例、そして、今年に入ってから世間を騒がせている「発掘!あるある大辞典」捏造の問題について、クラスで紹介してきました。
冒頭に挙げた朝鮮日報の記事は中々示唆的だと思い、今日、授業の冒頭で紹介した上で、自分のアメリカでの経験も踏まえて次のような問題提起をしてみました。
「僕はアメリカに来て以来、非常に疑問に思っていることがある。
何でアメリカのサービスはこんなに酷いのか。例えば、朝鮮日報の記事で例示されていたコンビニやファーストフードの店員の対応、あるいはバスの運転手の対応について見ると日米の差は歴然としている。
まず、アメリカのダンキンドーナツやセブンイレブンの店員はしばしばガムを噛みながら接客をしている。レジを打ちながら同僚と雑談しているシーンもしょっちゅう見かける。お釣りもよく間違えるし、お客が長い列を作っていても「我関せず」みたいな態度。
次にバス。なぜアメリカのバスはお釣りをよこさないのか。これには本当に驚いた。さらには客がまだ降り切っていないのに発車しようとするし、次の停留所や行き先を告げるスクリーンが用意されているバスも稀。にも拘らず、運転手は何もアナウンスしない。
ここでみんなに聞きたい。アメリカのサービス産業はマニュアルと言うものを持っていないのか?それからもう一つ。何故、アメリカの消費者はそんなにも我慢強いのか?」
Kamarck教授は頷きながら僕の話に耳を傾けた後、クラス全員に向かって言いました。
「今、Ikeikeから大変興味深い問題提起がありました。ここはオープンディスカッションと思います。皆さんどう思いますか?特にアメリカ人のみんな?」
いつも通り、ブワっと大量の手が一斉に上がります。
アメリカ人学生:「アメリカでは、コンビニのレジ打ちは非常に賃金の低い人気のない仕事。だから店員の学歴も総じて低いし、やる気のない人が多い。」
アメリカ人学生:「それに従業員のTurn around率(やめていく率)も非常に高い。だからマニュアルを作って育てようとしても、覚えた頃には辞めてしまう人が多いから詳細なマニュアルを作る意義が乏しいのではないか?」
アメリカ人学生:「客の従業員に対する態度も問題なのだと思う。基本的に、多くの顧客はコンビニやファーストフードの店員には敬意もチップも払わない。そういう客を相手にしているからやる気がわかないのでは?」
ここで、Kamrack教授からコメントが入りました。
教授:「なるほど、皆さんの指摘は確かにその通りですね。でも、Ikeikeが紹介してくれた記事の内容をもう一度よく思い出してみましょう。コンビニやファーストフードの店員が高給ではなく、必ずしも人気のある職種ではないのは日本もアメリカも同じ。そうでしょう?」
僕:「確かに、コンビニの店員の多くは高校生のアルバイトだったり、あるいは高校卒業や高校中退した若者が多いため、高品質のサービスが提供される原因が学歴や賃金にあるとは思えません。また、彼らの多くは短期のアルバイトをいくつもこなすので、Turn around rateの高さもアメリカと大差ないと思います。」
しばしの沈黙の後、再び手が上がり始めました。
アメリカ人学生:「私は、高校生の時と大学の時にファーストフード店やスーパーで働いていました。率直な感想として、店員の態度やサービスレベルの質はマネージャーやその会社の方針によるところが多いと思います。最初のお店はとにかく“生産性重視”で、短時間で出来るだけ多くのお客を捌くことばかりを教えられました。必然的に一人ひとりのお客に対する扱いは雑になっていたと思う。一方で次の会社は給料は殆ど変わらなかったけれど、生産性よりもお客への対応の手厚さを重視するよう指導されました。」
メキシコ人学生:「確かに僕もアメリカに来て、ぞんざいなサービスにはかなり驚かされた。でも、メキシコも別の問題がある。店員が親切すぎて生産性が低いんだ。店員はお客と友達になろうとしてしまっている。」
最後にKamrack教授からコメントがありました。
教授:「アメリカのバス会社やコンビニエンスストア、ファーストフード店にマニュアルはないのか?と問われれば、それはあります。その中には「ちゃんと笑顔で対応するように」などなど、色々書いてあります。それが一人ひとりの店員に徹底されるレベルにおいて日米には差があるようですが、その理由は私は文化的なものが大きいのだと思っています。」
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文化的要因・・・
そういえば、まだ東京にいた頃通っていた英会話スクールで、半分ヤクザな、でも日本社会の分析についてやけにこだわりを持っているアメリカ人教師ジャックが言っていたことが思い出されました。
「日本社会は“奴隷文化”だからな。皆がみんな、誰かの奴隷なんだよ。皆、私生活を犠牲にしてまで、誰かの奴隷として尽くすことに一生懸命になってる。かなりユニークだよな。日本って。理解できないぜー!」
徹底したService → 徹底的に誰かにServe → 徹底的なServant・・・(汗)
と考えるとまんざら全否定することも出来ないような見方に思えてきます。日本人は知らず知らずの内に誰かに尽くすことを教え込まれているのでしょうか。
しかし一方で、アメリカもボランティア社会として知られます。お金をもらって働く時にはぶっきらぼうでも、ボランティアとしてホームレスのために、あるいは病院で働くときには無給でも笑顔で働く多くのアメリカ人。この対照は一体どう考えればよいのでしょうか?
と考えていると、今日の朝日新聞にこんな記事が。
記事には、
「分野別では、製造業やコンピューターソフトなどのIT(情報技術)関連産業の生産性は米国と同じ水準だ。一方、流通、運輸、飲食・宿泊など日本の労働者の4割近くを占めるサービス産業の生産性が、米国の6割以下にとどまっている。」
とあり、更に、その原因について内閣府による分析を紹介し、
(1)日本では製造業に比べ非製造業のリストラが遅れた
(2)サービス分野の規制緩和が遅れている
とあります。
自分の単なる体験であり客観的な分析をしている訳では全くありませんし、広いアメリカでそのサービス業のレベルを一般化できるかは分かりませんが、アメリカで酷いサービスに辟易としている自分としては、内閣府の分析に
(3) 日本のサービス業は、アメリカの4割ほど生産性を犠牲にして、詳細なマニュアルの準備と従業員教育を行い、顧客満足度を高める行き届いたサービスを提供している
という項目を加えたい気分です。
皆さんはどう思われますか?
例えばショップの店員という観念に対して、歴史的・社会的認識が違う。例;イタリアにはバーテンダーやウエイターの職業専門学校があり総じて意識・レベルが高いです。個人商店が多く、3代~4代と世襲している家族も見受けます。
日本に久しぶりに帰ってきましたが、あまりにマニュアル化されすぎた”自分で考えない”日本の店員に腹が立ちます。例:”お薦めの料理は?”という問いに、”そんなもの知りません”という答え。イタリア人の店員なら眼を輝かせて答えるはず。
その他色々ありますが、書ききれないので割愛します。イタリアは、アメリカの6割ほど生産性を犠牲にして成り立っているでしょう。
ご指摘の通り、マニュアル文化は杓子定規な対応や自分で考えて行動しない人々を生み出してしまうという逆作用もありますね。
生産性とクオリティーとのトレードオフはレストランに限らずあらゆる組織運営を経営を考える上で永遠の課題の一つだと思います。特にクオリティーについては、何をものさしにすればよいのやら・・・「お客の満足度」という定量化しずらい指標に頼らざるを得ない部分があるため、非常に把握が難しいですね。
Daisukeさんと違って、僕はヨーロッパはギリシャに一週間ほど行ったことがあるだけなのですが、何というか人々の落ち着きや、「人生楽しんでます!」という明るさみたいなものが、日本やアメリカよりも町や人に満ち満ちているように思いました。
また、色々教えて下さい。これからもよろしくお願いします。
http://fashiontraveleat.blogspot.com/
今後ともよろしくお願いします。