霞ヶ関界隈でしか流通していない綺麗に刷り上げられたパンフレットの数々、エンドユーザーのニーズに合わなかったのか、あるいは存在すら認知されなかったのか、年度末に未消化のまま積み上がる多額の補助金、制度の趣旨が現場に伝わらなかったのか誤解と不信感に満ちたマスコミ報道ばかりが目立つ様々な規制政策・・・
どれも、貴重な税金と現場の職員の汗によって作り上げられた政府の「商品」たちの“哀れな末路”ですが、たった5年間の行政経験しかない僕の目からしても、このような現場に届かない、あるいは顧客のニーズにマッチしない商品は「日本株式会社」つまり、霞ヶ関において決して稀ではないというのが正直な実感です。
政府は広報が足りない、とよく指摘されますが、冒頭の例にある通り、様々な色刷りパンフレットやセミナー、ウェブサイト、そして政府広報のCM等、様々な媒体を使って工法をしてきているのは事実であり、そこには多額の税金がつぎ込まれています。
より正確に言えば「広報していることを広報していない」、あるいは「何のために広報をしているか、何を伝えようとしているのか、広報をしている側が明確に理解していない」というのが実態かもしれません。
どうしたらこうした問題を解決できるだろうか?
実務を通じて培われたこんな問題意識をぶつけるべく、ケネディスクールに入学する前から興味を持っていたのが、今学期にとっている「Marketing for Non-Profit and Government Organizations(非営利法人・政府のためのマーケティング)」という授業。担当教授はMBAの名門、ノースウェスタン大学のケロッグ校でマーケティングの教鞭を長年とってきた他、世界的な大企業であるNABISCOやM&Mチョコでお馴染みのMARSでマーケティング・コンサルタントとして活躍してきたMarla Felcher教授です。
民間企業では当たり前のように経営の中核に組み込まれているマーケティングの概念とその手法を、非営利法人や政府の運営や政策立案への適用を試みるという内容のこの授業ですが、冒頭に記した問題意識の通り、僕自身、「マーケティングとは何か」という基本的なところから全く理解していませんでした。
つまり、
「マーケティング=効果的な広報・宣伝・広告のこと??」
と勘違いしていたのです。(これだから役人はだめです・・・)
ただ、他のクラスメートも、民間企業でマーケティングをバリバリとこなしてきた人もいる一方で、僕と同じく政府出身や草の根の市民活動家、あるいはお医者さんといったマーケティングという概念に接したことがない学生も多くいるため、授業は
「What's marketing ??(マーケティングって何?)」
という超基本的なところからスタートしました(大変助かります・・・)
そして基本コンセプトを理解するために使われたのが、ビジネス・スクールでよく使われるケースであるというジーンズメーカーLevisの事例。
従来から培ってきたジーンズマーケットに競合他社が次々と乗り込んできて飽和状態になりつつある、という外部環境の変化に適応するために、新たな顧客層を開拓しようと意気込むHBS卒のLevisのマーケティング・スタッフ。これまでのLevisのイメージと異なるスーツを企画・開発し、売り込んでいこうと試みるのですが、結果は見事失敗。
こんなケースを使って、例えば「4つのP(Product, Price, Promotion, Placement)」やその前提として必要となるマーケット分析やマーケット・セグメンテーション(マーケットを構成する人々を年齢や性別、職業、趣向等といった共通項に分類しターゲットとする層を決定していく作業)といったマーケティングの基本的な概念について学んでいきます。
こうしてマーケティングとは単に広報や宣伝(Promotion)だけを指すのではなく、商品設計の段階から販売後のフィードバックまで、さらにはそうしたプロセスがしっかり意思決定に組み込まれるような組織改革までを含む、非常に幅の広いコンセプトだという理解にようやくたどり着いた訳です。
しかしよく考えてみると、これは僕が役所で働いていた時にも盛んに議論されていた(特に懐かしの“塩爺”こと、塩川財務大臣が口をすっぱくして言っていた)PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action)と変わらないのではないか、とも思います。つまり、コンセプト自体は別に役所であろうと存在はしているけれど、それがしっかり実行できていない、あるいはコンセプトが存在しているけれどそれが重要な課題として組織の中で認識されていないのが問題なのかもしれません。
ちなみにFelcher教授は「What's marketing?」という問いに対して
「Take one's perspective inside you to increase the probabilty of success」(他者の見方を自分の中に取り込み、「成功」の確率を上げること)
との考えを示します。
この考えに沿って考えると、現在、政府の中で頻繁に見られる失敗は、「他人、つまり制度や補助金のエンドユーザーの視点に立って商品設計(=政策立案)ができていないこと」が原因ではないか、という僕の問題意識と重なってきます。
ただ、そこでFelcher教授が指摘するのが、「何がSuccessなの??」という問題についての民間企業と政府やNPOとの共通点と相違点に関する問題。
まず、双方とも顧客のWantsを引き出すという点では共通してるとのこと。ここでマーケティングど素人の僕にとって非常に興味深かったのがNeedsではなくWantsという言葉を使う点。
ここはクラスでもケースを使いながら散々議論をした点なのですが、NeedsとWantsを区別し、Wantsに着目することがマーケティングを成功に導くためには決定的に重要だといいます。新聞や巷のビジネス誌で「顧客のニーズをつかむ」という言葉に触れ、そして無意識のうちに使ってきた自分にとって、ここはやや衝撃でした。
つまり、誰もチョコレートを必要としていないし、車がないと死んでしまうという人はいないということ。
人はチョコレート(車、歯磨き粉、洗剤etc)を欲しいと思うから買うのであって、ポイントは如何にしてこの「欲しいと思う気持ち」を引き出すか、ということ。
では、これをソーシャル・マーケティングに置き換えるとどうなるのか?
例えば健康増進のため、そして医療費の膨張を抑えるために厚生労働省が「禁煙」のキャンペーンをしたとします。タバコを吸うと体によくないということ、つまり禁煙が“必要”であることは多くの人が知っています。しかし「必要だと思ってても止められない」のが人の常。
そこで厚生労働省の「禁煙推進政策」がサクセスするかどうかは、ターゲットとする人々の「禁煙が必要(NEEDS)」というマインドセットを、「禁煙してみたいなー(WANTS)」へと如何にして変えていけるか、というところにかかってくる訳です。
ここに、民間企業による従来型のマーケティングと政府・NPOによるソーシャル・マーケティングの「成功」の定義に関する違いが見えてきます。
つまり前者では
「(利益の拡大のために)商品・サービスを買いたいと思ってもらい、実際に買ってもらうこと」が成功の定義なのに対し、
後者では
「(公益(例えば医療費の削減や公衆衛生の増進)の増進のために、ある考え方や行動様式を受け入れたいと思ってもらい(increase the acceptability of a social idea or practice)、実際に長期にわたってその人の行動が変わること」
が成功の定義となるわけです。
そして、ここに民間企業のマーケティングには見られない、ソーシャル・マーケティング独自の難しさがあるようです。(つづく)