大白法 令和2年12月1日(第1042号)から転載
妙法の振舞い
『法華講員の心得』より
⑦異体同心を心がけましょう
法華講員はお互いに日蓮大聖人の仏法を信仰し、その教えを弘めていく信心の同志です。
日蓮大聖人は、 「信心の同士が力をあわせて努力すれば、いかなる大事をもなしとげ、困難をも克服できる」
(意訳・異体同心事)
と、異体同心の大切さを教えられています。
日蓮正宗の信心において、同信の人たちが団結し、互いに励まし合い、助け合っていくことが何よりも大切な心がまえです。
これに反して、同志の陰口を言ったり、些細な欠点をあげつらったりすることは、これまで積んだ功徳を失うばかりか、信心の組織を乱す大きな罰となりますから、厳に慎まなければなりません。
私たちは、自己の成仏を願い、広宣流布を推進するためにも、異体同心の精神をもって信心に励んでいきましょう。
(法華講員の心得 二四㌻)
[信行のポイント]
「異体同心」とは、人それぞれに異なる個性・特性、生活上の立場などを持ちながら、御本仏日蓮大聖人様の教えのままに団結し、信心の志を同じくすることです。
三宝信順の信心で広布前進
私たち凡夫は、三世の理法に暗く、謗法罪障の濁りにより根本の仏性を忘れて六道の命で生活しているため、煩悩が尽きません。 その迷いの命を中心とすることは、不幸の原因となります。したがって、異体同心は、単に凡夫が和合すればよいということではありません。
御法主日如上人猊下は、
「心を同じくするといっても、どこに心を合わせていくかが問題であります。
もし、自分の心に合わせる、つまり自分の心にまかせて仏法を見るとすると、我見に陥り、真の異体同心は生まれません。自分の心を仏法に任せていくところに、真の異体同心が生まれるのであります」
(大白法 八〇九号)
と御指南されています。
真の異体同心とは、一切衆生を成仏に導かれる 下種三宝(本門戒壇の大御本尊、御本仏日蓮大聖人、第二祖日興上人以来の御歴代上人)の御心に同ずる信心を本義とするのです。
仏法は、人間誰もが直面する苦悩を根本的に解決する道を説き明かしており、正しい仏法を信仰することによって社会は浄化されていきます。
御法主日如上人猊下が、
「大聖人様の仏法は(中略)一人ひとりの幸せから多くの人の幸せに,
つまり点から線、線から面へ広がっていく、いわゆる広宣流布を目指していく仏法であります」
(同 八三四号)
と御指南される如く、日蓮正宗は、この世の生きとし生けるものすべての成仏・幸福を願い、一切の人々に対して日蓮大聖人が解かれた仏法を弘め、共に実践していくことを目的としており、 清淨にして安穏な世界平和を目指して精進しているのです。
法華講先達の信心
日蓮大聖人は、弘安二(一二七九)年十月十二日、一切衆生が尊(そん)敬(ぎょう)礼(らい)拝(はい)・信心口(く)唱(しょう)すべき根本究(く)境(きょう)たる、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされました。大御本尊御図顕の機縁として、日興上人のもと、熱原の法華講衆が不惜身命と護惜建立の志で異体同心の団結をもって、身命に及ぶ法難を乗り越えたことがあります。
この本門戒壇の大御本尊の脇書には、
「右現当二世の為に造立 件(くだん)の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白」と、「法華講」の名称を大聖人御自らが認められています。
まさに法華講こそ、大御本尊への絶対の確信を持った、上(じょう)求(ぐ)菩(ぼ)提(だい)下(げ)化(け) 衆生の菩薩の集まり、広宣流布を願う講中です。
大聖人は『生死一大事血脈抄』に、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」
(御書 五一四㌻)
と仰せです。先達の信行を継ぎ、異体同心して自行化他にわたる題目を実践するとき、三世に亘る成仏が叶うのです。
また『兄弟抄』に、
「この法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」
(御書 九八六㌻)
と仰せのように、広宣流布への精進は正しく魔との闘いとなります。
大聖人の、
「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚え候」
(御書 一三八九㌻)
と、異体同心の団結があれば、必ず法華弘通の大願は成就するとの御教えを実現すべく、また総本山第三十一世日因上人が『十箇条法門』で、
「一結講中異体同心未来迄も相離れ申す間(ま)敷(じく)候。中に於て一人地獄に落ち入り候はば講中寄り合いて救い取るべし。一人成仏せば講中を手引きして霊山へ引導すべし」
と仰せのように、共に励まし合い、結果増をしながら成仏の道を志す、異体同心の信心を各位が興してまいりましょう。