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令和五年元旦勤行の砌

2023年03月09日 | 御法主日如上人猊下御言葉(一)

大白法 令和五年1月16日(第1093号)

 

令和五年 元旦勤行の砌

     (令和五年一月一日 於 総本山客殿)

 

 立宗七百七十一年の新年、明けましておめでとうございます。

 皆様には、本年「折伏躍動の年」の新春を迎え、決意も新たに、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。

 さて、本年「折伏躍動の年」は文字通り、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、全国の寺院が講中一結・異体同心し、全力を傾注して折伏を行い、仏国土実現・一天広布達成へ向けて大きく躍動し、御奉公の誠を尽くしていかなければならない、まことに大事な年であります。

 特に今、依然として新型コロナウイルス感染症の猛威が止まず、末法濁悪の世相そのままに、混沌とした状況を呈していますが、かくなる時こそ、私どもは、「折伏躍動の年」にふさわしく、一人ひとりが断固たる決意と勇猛果敢なる行動をもって、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を一人でも多くの人に下種・折伏し、この難局を乗りきっていかなければなりません。

 大聖人様は『聖愚問答抄』に、

 「抑(そもそも)仏法を弘通し群生を利益せんには、先(ま)づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁(わきま)ふべきものなり。所(ゆ)以(え)は時に正像末あり、法は大小乗あり、修行に摂 折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失(とが)なり。然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のお(頣)ぎ(口)ろ誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途(みち)に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に墜つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし」

  (御書 四〇二㌻)

と仰せであります。

 されば、私ども一同、この御金言をしっかりと心肝に染め、今こそ、五濁乱漫たる末法濁悪の世の中にあって、不幸と混乱と苦悩の原因たる邪義邪宗の謗法を対治し、全人類の幸せを目指して果敢に折伏を行じ、もって広大無辺なる仏恩に報い奉っていかなければならない大事な時と知るべきであります。

 どうぞ皆様には、本年「折伏躍動の年」を迎え、決意も新たに、講中一結・異体同心し、一天広布へ向けて大折伏戦を展開し、もって全支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心から願い、簡単ながら一言もって新年の挨拶といたします。

                                 (文責在大日蓮編集部)





 一月度 広布唱題会の砌

     (令和五年一月一日 於 総本山客殿)

 

 宗旨建立七百七十一年の新春、明けましておめでとうございます。

 皆様には、すがすがしく新年を迎えられ、「折伏躍動の年」の初の広布唱題会に参加され、決意も新たに、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。

 本年「折伏躍動の年」は、私ども一同、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、僧俗一致・異体同心の盤石なる体勢を構築して大折伏戦を展開し、もって一天四海本因妙広宣流布達成へ向けて大きく前進すべき、まことに大事な年であります。

 特に今、新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延によって、日本のみならず世界中が騒然とした様相を呈し、各所で様々な混乱と支障をきたし、大きな障害となっていますが、私どもは改めて『立正安国論』の御聖意を拝し、一人ひとりが妙法の広大無辺なる功徳を拝信して自行化他の信心に住し、真の世界平和と仏国土実現を目指して、今こそ勇躍として破邪顕正の折伏を行じていかなければなりません。

 大聖人様は『開目抄』に、

 「夫(それ)摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし、火は水をいとう、水は火をにくむ。摂取の者は折伏をわらう、折伏の者は摂取をかなしむ。無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし。譬へば、熱き時に寒水を用ひ、寒き時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう、諸水は月輪の所従、熱時に本性を失ふ。末法に摂受・折伏あるべし。所(いわ)謂(ゆる)、悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世は悪国か、破法の国かとしるべし」

  (御書 五七五㌻)

と仰せであります。

 まさしく今、末法は「邪智・謗法の者の多き時」にして、この時は摂受ではなく、折伏をもってすることが肝要であるとの御教示であります。この御指南を改めて拝し、講中一同、決意も新たに異体同心して一意専心、折伏を行じていくことが肝要であります。

  各位にはこのことを銘記され、「折伏躍動の年」にふさわしく、一天広布へ向けて折伏を行じ、いよいよ精進されますよう心から願い、 本日の挨拶といたします。

                                 (文責在大日蓮編集部)








 唱題行(一月二日)の砌

     (令和五年一月二日 於 総本山客殿)

 

 令和五年「折伏躍動の年」の新年、 明けましておめでとうございます。

 皆様には、立宗七百七十一年の新春を迎え、決意も新たに、一天広布達成へ向けて、 なお一層の努力をもって折伏を実践し、いよいよの御精進をお誓いのことと思います。

 さて、本年「折伏躍動の年」は、全国の法華講員一同が、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、一天四海・皆帰妙法を目指して異体同心・一致団結し、総力を結集して大折伏戦を展開し、真の恒久平和と仏国土実現を願って大きく躍動してかなければならない、まことに大事な年であります。

 特に今、依然として世界的に新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、末法濁悪の世相そのままに、混沌とした様相を呈していますが、かくなる時こそ、私どもは一人ひとりが『立正安国論』の御聖意を拝し、断固たる決意と勇猛果敢なる行動をもって、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を一人でも多くの人々に下種・折伏し、この難局を乗りきっていかなければならないと思います。

 大聖人様は、『法華初心成仏抄』 に、

 「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。 されば天台・妙楽も此の心を以て、強(し)ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何(なに)となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとしても仏の種は法華経より外になきなり」

  (御書 1316㌻)

と仰せであります。

 この御文中「毒鼓の縁」とは、 既に皆様もよく御承知のように、涅槃経に説かれている譬え話で、毒鼓とは毒薬を塗った太鼓のことであります。これを大衆のなかで打つと、その音を聞こうと思わなくても、自然に耳に入り、これを聞けば皆、死ぬと言われておりまして、法を聞信せずと反対しても、やがて煩悩を断じて得道できることを毒鼓、すなわち毒を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。

 つまり、一切衆生には皆、本質的に仏性が具わっており、正しい法を聞き、発心・修行することによって成仏できることを言い、末法今時では順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても、 三大秘法の妙法を聞かせることによって将来、必ず救済することができるのであります。

 されば、私どもはその御文をしっかりと心肝に染め、 いよいよ自行化他にわたる信心に住し、勤行・唱題に励むとともに、不幸の根源たる邪義邪宗の謗法を退治し、 妙法広布の実現に尽くしていくところに、私どもの一生成仏がかなえられることを銘記すべきであります。

 どうぞ皆様方には、本年「折伏躍動の年」にふさわしい自行化他の信心に住せられ、自他共の幸せを築かれますよう心から祈り、新年の挨拶といたします。

                                 (文責在大日蓮編集部)