大白法 令和5年3月1日
異流義破折 230
「依人不依法」の”池田教信者を救わん
ー 創 価 学 会
安倍元首相銃撃事件に端を発し、高額献金の問題、政治との深い繋がりなど、世間から厳しい目が注がれる「旧統一教会」。識者からは、同教団を”カルト宗教と指弾する声も大きい。
一方、その追求は創価学会にも波及し、両教団に共通する問題点などが指摘されている。
他教団からも酷評
学会への風当たりが強まる中、同類の新宗教の教団たちが、現在の学会をどう見ているかを特集した記事があった。 中でも「幸福の科学」の回答は痛烈だ。学会に対して、
「もともと、創価学会は宗教ではなく大石寺の在家の方であるため、金集めを行動原理とし、その資金の運用のみを考えています」 (光文社『スマートフラッシュ)』
と批評し、本宗から破門された学会を、信仰の対象・教祖・教義が一貫してないなどと断じている。
もとより、幸福の科学とて人心を惑わす邪教であるが、そんな彼らから見ても、学会の非道ぶりは目に余るであろう。
大作が仏様?
創価学会では、元最高幹部(理事長)の子息などによる告発が相次ぐ。その例を挙げると、
「『池田先生は超人なの?』と親にストレートに質問すると、『偉大な人間で、仏様だよ。先生の偉大さを自分の中の狭い『人間』の尺度で測ってはいけない』とたしなめられた」
(正木伸城)『現代ビジネス』)
「学会では子供の頃から、池田大作先生は森羅万象を知り、前世・現世・来世を見通せる仏眼があると教えられ、ご本尊を拝む時も池田先生を思い浮かべるように指導されます」
(永井秀和小学館運営のニュースサイト『 ニュースポストセブン』)
この他にも学会では、口を開けば「池田センセーのために」、「偉大なる池田せんせー」 等々、 大作への賛辞の数々。
だが、そんなものは日蓮大聖人の仏法ではない。これぞ「池田教」「池田本仏論」と感じられるわけであり、末法唯一の御本仏・日蓮大聖人を蔑ろにしている証左でもある。
今世間を騒がす「カルト」問題。その本来の語義は、
「ある特定の人物や事物への礼賛、熱狂的な崇拝」とされる。
どの宗教が「カルト」かを断定するのは難しい。なぜなら、現在の日本には「カルト」の明確な判断基準がないからだ。しかし、邪教に人生を台無しにされた人からすれば、自身が属した教団こそ「カルト」だと叫びたくなるだろう。
またそれは、大作への熱に浮かされ、選挙や財務に奔走し、貴重な人生を無駄にしたと後悔する人々も、同じ思いであろう。
依法不依人は仏の戒め
大聖人は「依法不依人(法に依(よ)って人に依らざれ)」について、
「仏は依法不依人といましめ給へども、末代の諸人は依人不依法となりぬ(中略)一人妄(もう)をさえづれば諸人妄をつたう」
(御書 八〇六㌻)
と仰せである。
たった一人の慢心と妄言から仏法の筋目を違え、人々も迷わす。
そして、
「悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多くの仏教に迷へり」
(同 二四一㌻)
と御教示のように、古今を問わず、己の名聞利養のために仏法を私する大悪知識が、多くの衆生を無間地獄へと導くのであり、今日その正体は、池田大作なのである。
今や、大作の妄言・妄想しかよすがのない池田学会。実に哀れな末路である。
しかし、我ら日蓮正宗には、
「血脈の次第 日蓮日興」
(同 一六七五㌻)
「富士の立義 聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」
(同 一八八四㌻)
との御金言・御遺誡のまま、第二日興上人が師弟相対の信心で承継あそばされた唯授一人・血脈相伝の仏法に、大聖人の御法体・御法門・御精神のすべてが、御当代御法主日如上人のもとに、令法久住しているのである。
富士の清流に我が身を置ける福徳に勇躍し、折伏弘通に前進していこう。
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