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聖徳宗

2023年03月20日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

  一、南都六宗(法相宗)

    聖  徳  宗(現在の宗派)

[総本山]法隆寺 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1―1

[経 論]「三経義疏(法華義疏・維摩経義疏・勝鬘経義疏)」    

[寺院教会数]二四

[教師数]一七 

[信徒数]二一、八〇〇

 

 聖徳宗の総本山である法隆寺は、法隆学問寺や斑(いか)鳩(るが)寺(でら)とも呼ばれ、推古天皇十五(六〇七)年に、推古天皇が用明天皇の遺志を受け継ぎ、聖徳太子と共に建立したと伝えられている。奈良時代は律、三論、法相等の兼学の寺であったが、中世には興福寺の末寺となり、法相宗に属した。

 昭和二十五年、聖徳太子を尊崇し、法隆寺の伝統教学である太子教学を宣揚するため、聖徳太子の名をもって「聖徳宗」と称して分派独立した。

 教えの内容は法相宗とほぼ同じだが、聖徳太子の撰述である「三経義疏」と「十七条の憲法」に盛られた大乗一仏乗の理想を説くところに特徴がある。



 

   北 法 相 宗(現在の宗派)

[開 山]延鎮(生没年不明)

[本 尊]十一面千手観世音菩薩

[大本山]清水寺 京都市東山区清水1−294

[寺院教会数]

[教師数]

[信徒数]四一〇、四七〇

 

 北法相宗は、昭和四十年、清水寺を大本山として法相宗から分派独立した宗派である。

 清水寺は、奈良時代の宝亀九(七七八)年、大和の子島寺の延鎮が清水の音羽の滝を訪ね、そこに千手観音を祀(まつ)り庵住したのが始まりで、延暦十七(七九八)年、清水の観音に帰依した坂上田村麻呂が自邸の殿舎を本堂として寄進し、延鎮を開基として寺院を建立したものと言われる。

 その後、同二十四年に桓武天皇の勅願寺となり、清水寺と号した。

 清水寺は当初、鎮護国家の道場であったが、長く興福寺に属し、法相宗と真言宗の兼学の寺となった。

 「清水の舞台」として知られる現在の本堂は、徳川家光により再建されたものである。また清水寺は、観音霊場の西国三十三所の第十六番札所ともなっている。

 

 【破折の要点】

▼法相宗では、自己の心を離れて存在するものは何一つとしてなく、ただ認識だけが万物の存在を決定すると説く。しかし、心(心法)と一切の現象(色法)は、どちらが主ということでもなく、共に具わり合っているもので、一切の現象を離れて心の存在もありえない。

 このことは中国の妙楽大師湛(たん)然(ねん)が、法華経の教理に基づいて説いた、色心不二の法門にも明らかである。すなわち、心法を離れて色法はなく、また色法を離れて心法はない。心法と色法は相即不二であり、衆生の一念に具わっているのである。

 したがって法相宗の唯識説は、心法の一面からのみ諸法を捉えた偏頗な教えである。

▼法相宗では、衆生には先天的に成仏できる者と、できない者とがあり、その差別は永久に変わらないという「五性各別」の説を立てる。また、法華経に説かれる悉皆成仏は衆生に道心を発(おこ)させるための方便の教えであり、五性各別こそ真実であるとして「三乗真実・一乗方便」を主張する。

 これについては、法相宗の徳一との「三一権実論争」の時、伝教大師最澄によって既に破折されている。

 法相宗の依りどころとしている解深密経や『瑜伽師地論』『成唯識論』等は方等時の教えであり、これは「会二破二」と言って、小乗の教えに執着する声聞・縁覚の二乗を破折して、菩薩の一乗こそ真実であるとする権大乗の教えである。故に、三乗を開して真の一仏乗に会入せしめる法華経の開会の法門には遠く及ばない。五性各別説は、この会二破二の権大乗教に執着する大僻見の説である。

 一切衆生を平等に救うために教えを説かれた仏が、五性各別などという、衆生を差別する教えを説かれるはずはない。法華経には十界互具一念三千の法門が説かれ、正法を持って信行に励むならば、いかなる人でも、ことごとく成仏すると説かれている。

 この誤りは、五時の構格に暗いところに所以がある。法華経の開経である無量義経には、

  「四十余年。未顕真実(四十余年には未だ真実を顕さず)」

   (法華経二三㌻)

と説かれ、さらには法華経方便品にも、

  「正直捨方便 但説無上道(正直に方便を捨てて 但無上道を説く)」

   (同一二四㌻)

と、法華経以前の諸経はすべて方便の教えであり、法華経こそが唯一、真実の教えであるととかれている。

 したがって、法華経を方便の教えと主張する法相宗の教義は、二乗を弾呵するための方等部の教えに囚われた謬説であり、仏(ぶつ)意(ち)に背く大謗法である。

▼法相宗では、悟りを得るためには、三大阿僧祇劫という長遠の時を費やして、修行しなければならないとしている。これも、即身成仏を説く法華経には遠く及ばない、」低劣な教えの証拠である。 

 

 

 

 

 

 


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