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多宝富士大日蓮華山大石寺1

2023年01月07日 | 多宝富士大日蓮華山大石寺(一)

令和2年5月1日 大白法(第1028号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第1回「多宝富士大日蓮華山大石寺」

 日蓮正宗の総本山は、静岡県富士宮市にある「多宝富士大日蓮華山大石寺」です。

 宗祖日蓮大聖人様から唯受一人の血脈を受けられた第二祖日興上人様によって、正応三(一二九〇)年1十月十二日に開創されました。「大石寺」という寺号は、地名の「大石ヶ原」に由来します。 開基檀那は、富士上野(現在の富士宮市)の地頭・南条時光殿(大行尊霊)です。

 大聖人様が御入滅された後、日興上人様は身延山久遠寺の別当職に就かれました。しかし、その数年後に顕著となる地頭らの謗法と、大聖人様の「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(御書 一六七五㌻)との御遺命により、正応二年の春、 本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人様の御灰骨、御書、御遺物等の重宝を捧持して、 身延の山を離れ、大聖人様御在世当時からの強盛な信者であった南条殿の請いによって富士山の麓、大石ヶ原に移られました。

 そして、翌正応三年、大石寺を建立して本門戒壇の大御本尊様を安置し奉り、多くの御弟子方を養成されて、万代に亘る仏法流布の基礎を築かれました。

  爾来七百有余年、本門戒壇の大御本尊様と血脈付法の御法主上人猊下がおわします、最勝の霊地です。

 

参考写真画    https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/taisekiji-buildings.ht

 

令和2年5月16日 大白法(第1029号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第2回「奉安堂」

 奉安堂は、平成十四年十月、総本山第六十七世日顕上人の御初願のもと、宗旨建立七百五十年を慶祝する記念事業として、国内・海外の日蓮正宗の御僧侶や信徒から寄せられた、真心からの尊い御供養によって建てられました。

 建物の大きさは、面積が一万二千九百八十八平方メートル、 高さは五十五メートルで、約五千名分の信徒席が設けられています。堂宇内部の須弥壇の中央には、本門戒壇の大御本尊様が奉安され、向かって左側には大聖人様の御灰骨、右側には弟子の日法が大御本尊様を御彫刻申し上げた際に造られた最初の御影である最初仏が安置されています。

 ここでは、御法主上人猊下の大導師のもとに御開扉が行われ、本宗の御僧侶・信徒に限り、本門戒壇の大御本尊様の御内拝をさせていただくことができるのです。 

 この御開扉の意義は、 大聖人様の御法魂に在す大御本尊様に御目通りを賜り、 日頃の信心と生活の御報恩を申し上げ、謗法の罪障を消滅し、広宣流布と自らの幸せを願うことにあります。

 鎌倉時代、御在世当時の信徒は、大聖人様に御目通りできる喜びを胸に、不便で困難な中をお詣りされました。この信仰の気持ちは、いつの時代においても持(たも)ち続けなければならない大切なことです。 

 

 

令和2年6月16日 大白法(第1031号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第3回「御影堂」

 御影堂は、古来「御堂」とも称され、宗祖日蓮大聖人の等身の御影像を安置する堂宇で、本宗の信仰上、重要な意義を有する建物です。

 第二祖日興上人によって創建され、現在の建物は寛永九(一六三二)年、総本山第十七世日精上人の代に、阿波徳島の藩主・蜂須賀至鎮公夫人の敬台院殿の寄進によって再建造営されたものです。 

 間口二十五メートル、奥行・高さ二十三メートルで、昭和四十一年には県の有形文化財に指定されています。

 堂宇内部の須弥壇には、日精上人が延宝七(一六七九)年に認められた大漫荼羅本尊が奉安され、その御前には、嘉慶二(一三八八)年、越前の仏師、法橋快恵によって、謹刻された大聖人等身の御影が安置されています。この奉安の形式は、御本尊様が人法一箇であることを表わされています。

 また、御御影が表わされる理由について、日興上人が『富士一跡門徒存知事』に、

 「影像を図する所詮は後代には知らせしめんが為なり」

  (御書 一八六九㌻)

と、後の時代の人たちに御本仏・大聖人様の御姿を知らせるためと説かれています。

  現在の建物が再建されてから三百八十有余年を経た平成二十五年十一月、平成の大改修を終え、その荘厳にして優美な姿を蘇らせました。

 

 

令和2年7月16日 大白法(第1033号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第4回「六 壷」

 六壷は、 第二祖日興上人が、正応三年十月十二日に建立された大石寺発祥の建物です。創建当時は、持仏堂をはじめとする六つの部屋に分かれていたので、この名があると伝えられています。その後は、種々の変遷を経て、明治二十二(一八八九)年一月一日、総本山第五十二世日霑上人の代に、独立した堂宇として建立されました。さらに第六十四世日昇上人、第六十六世日達上人の代に復興改築がなされました。

 現在の建物は、昭和六十三(一九八八)年十月七日、第六十七世日顕上人の御発願により、大石寺開創七百年の記念事業として再建新築されたものです。

 建物の構造は、十間(約十八メートル)四面の平屋建て総けやき造り、屋根は寄せ棟造り本瓦葺きで、外壁は土壁塗りの漆喰仕上げという伝統的な木造建築です。

 内部は百七十畳の純木造物でありながら、四本の柱のみとなっており、ここに集う僧俗が共に御本尊様を拝することができるように考慮されています。

 堂宇内部の須弥壇には、日興上人が乾元二(一三〇三)年八月に御書写された持仏堂安置の御本尊が奉安されています。ここで毎朝、代々の御法主上人猊下が客殿の丑寅勤行に引き続いて広宣流布の御祈念をされています。

 

 

令和2年8月16日 大白法(第1035号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第5回「客 殿」

 客殿は、寛正六(一四六五)年三月、総本山第九世日有上人によって創建され、その後、その後、第二十七世日養上人、第五十二世日霑上人、第六十四世日昇上人、第六十六世日達上人の代にそれぞれ再建されています。

 現在の建物は、平成十年三月、第六十七世日顕上人の御発願により新築されました。

 間口と奥行が共に約五十メートル、高さが三十六メートルの二階建てで、千百十二畳敷きの大広間があります。

 堂宇内部の須弥壇中央には、第二祖日興上人が、宗祖日蓮大聖人より受けられた血脈相承の深義を、第三祖日目上人に授けられたことを表わす譲座御本尊が奉安され、向かって左側には大聖人、右側には日興上人の御影が安置されています。この安置の形式を別体三宝形式といい、仏法僧の三宝を表わしています。

 また、客殿の礼盤(大導師席)は、御宝前の正面ではなく西側に構えられています。それは大聖人が常住不滅であらせられることを表わすと共に、参詣の信徒に文底下種の三宝を取り次がれる日目上人の座となります。

 客殿は歴代の御法主上人猊下が毎朝、広宣流布の御祈念をされる丑寅勤行をはじめ、御霊宝虫払大法会、また彼岸会、盂蘭盆会、広布唱題会等、一年を通して様々な法要・儀式が執り行われます。

 

参考写真画   https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/taisekiji-buildings.ht

 

令和2年9月16日 大白法(第1037号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第6回「御 宝 蔵」

 客殿北側の杉木立に囲まれた場所に,御宝蔵があります。

  この建物は、寛正六(一四六五)年二月、総本山第九世日有上人により小(こ)校(あぜ)倉(くら)造りで造営され、宝暦十(一七六〇)年、第三十三世日元上人により門を修復、寛政二(一七九〇)年に、第三十七世日(にち)琫(ぽう)上人により再建されました。また、寛政五年、第四十世日任上人の代に修理、さらに安政四(一八五七)年、第五十二世日霑上人の代に修理が加えられ石垣が巡らされました。次いで、昭和六(一九三一)年に、第六十世日開上人が外郭を整えられ、昭和四十三年、第六十六世日達上人が修理を加えられて現在に至っています。

 御宝蔵は、間口七・二メートル(四間)、奥行九メートル(五間)の規模をもつ銅(どう)桟(さん)葺(ぶき)の土蔵造りで、周囲には塀が巡らされ、その外側が堀が囲んでいます。

 かつては御宝蔵に本門戒壇の大御本尊が御安置されており、厳粛に御開扉が執り行われていました。

 大聖人御真筆の御本尊や『諌暁八幡抄』『南条殿御返事』等の御真筆の御書、御歴代上人御書写の御本尊等の重宝が数多く厳護されています。これらは、後世に末長く伝えていくために毎年春に行われる御霊宝虫払大法会の折に必要な手入れをし、参詣の信徒に披露されます。





令和2年10月16日 大白法(第1039号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第7回「五 重 塔」

 五重塔は、総本山第二十六世日寛上人と徳川幕府第六代将軍家宣公の御台所である天英院殿の発願により資金を残されたのが始まりです。

 その後、日養上人から五代にわたる御法主上人が、 その御意志を受け継がれ、 第三十一世日因上人の代に、諸国を歓化して得た浄財と、備中松山藩主の板倉勝澄公の寄進により、寛延二(一七四九)年六月十二日に建立。昭和四十一年六月には国の重要文化財に指定されました。

 第四十三世日相上人、第六十四世日昇上人、第六十六世日達上人それぞれの代、そして、御法主日如上人猊下により修復がなされ、平成二十九年一月十六日に修復完成法要が奉修されました。

 塔の規模は東海道随一と言われ、三間半(六・四メートル)四面、高さは三十四・三メートルで、土台から上部まで心柱が貫通しています。

 堂宇内部には、日因上人が寛延二年二月二十八日に認められた常住御本尊が奉安され、毎年二月十六日には「御塔開き」が奉修されています。

 本来、寺院建物は南向きに建立されますが、五重塔は西向きに建てられています。それは、釈尊の仏法がインドから東漸して日本へ来たのに対し、日蓮大聖人の仏法が日本から西に向かい全世界へ広宣流布することを示しているからです。




令和2年11月16日 大白法(第1041号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第8回「三 門」

 三門は、江戸時代に総本山第二十四世日永上人と第二十五世日宥上人が建立資金を御用意され 、正徳二(一七一二)年に幕府に対し三門建立を発願されたことが始まりです。

 そして、第六代将軍徳川家宣公、 同正室で発願主の天英院殿から寄進を受け、亨保二(一七一七)年八月二十二日に建立されました。

 その後、第五十二世日霑上人、第五十七世日正上人の代に修理、昭和十年に第六十世日開上人により、大聖人第六百五十御遠忌の記念事業として大修繕がなされました。

 現在は、御法主日如上人猊下にもと宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝記念事業として大改修工事が進められており、いよいよ(※)明年一月に完成奉告法要が奉修されます。

 間口は約二十四メートル、奥行は約十一メートル、高さは約二十二メートルで、堂宇内部には、日宥上人が亨保二年に認められた常住御本尊が奉安されています。

 大石寺の三門は全国でも稀に見る木造朱塗りの大楼門で、規模は東海道随一であり、昭和四十一年には静岡県の有形文化財に指定されました。

 総本山の建物は古来、王城の宮殿に因んで建てられています。王城には東・西・南・北の四門があり、三門には、このうち北門を除いた東・西・南の三つの門を総括して一門とするという意義があります。





令和2年12月16日 大白法(第1043号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第9回「塔中・参道」

 総本山の山門をくぐり、歩みを進めると、幅広い石畳の参道が続いています。

 この参道の石畳は大石寺創建当時は敷かれていませんでした。江戸時代になって参道の中央部分に敷かれ、現在の形に整備されたのは昭和三十六年、総本山第六十六世日達上人の代に行われた大改修工事の時です。

 

      ◇

 

参道の両側には、蓮蔵坊をはじめ、浄蓮房・理境坊・久成坊・百貫坊・蓮東坊・寂日坊・本住坊・観行坊・本境坊・蓮成坊・了性坊・南之坊の十三カ坊が建ち並んでいます。

 これらの坊は、いずれも第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人の御弟子方によって開創されました。

 また、潤井川に沿って、妙遠坊・報恩坊・遠信坊・東之坊・本種坊・石之坊・雪山坊の七カ坊、客殿前広場の南側に、妙泉坊・妙住坊・遠寿坊の三カ坊が建ち並んでいます。

 塔中の各坊は、全国から登山する信徒の宿坊・ 休憩坊として使用されます。

 平成十八年から二年かけて、御法主日如上人猊下のもと『立正安国論』正義顕揚七百五十年の記念事業として塔中坊建替え工事が行われました。

 これは、将来起こりうる地震に備えた耐震構造にするため、新築または改築がなされたものです。



 

令和3年1月16日 大白法(第1045号)からの転載

私たちの総本山大石寺

 第10回「 総 門 」

  総門は、大石寺境内の南端に位置する表玄関です。

この門は、大永二(一五二二)年、総本山第十二世日鎮上人によって建立された記録が最古で、その後、第十七世日精上人、第四十世日任上人の代に再建や修築がなされました。

 現在の門は明治十三(一八八〇)年、第五十五世日布上人の代に宗祖日蓮大聖人第六百遠忌並びに二祖日興上人・三祖日目上人第五百五十遠忌の御報恩として再建・新築され、第六十四世日昇上人の代に修築されたものです。

 そして、平成十年に第六十七世日顕上人によって現在の、境内入り口の正面に移され、正式な表門として周辺整備もなされました。

 門の大きさは、間口三間二尺(約六メートル)、奥行二間四尺(約四・八メートル)です。また、古来、黒塗りであることから「黒門」と称されてきました。

 日顕上人は、総門の意義について、総門移転開通式の砌に、

 「要するに御戒壇様のまします寂光の霊地である総本山に、世間の謗法充満のなかで生活される方々が道心を発(おこ)してここに参詣をせられる、そして総本山に第一歩を印(いん)してくぐられる門」(大白法 五一五号)

と御指南されています。




  

参考写真画   https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/taisekiji-buildings.ht