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2023年05月01日 | 自分・私用・発信

自分を考えると 自分の考えが 正しい 


依人不依法

2023年04月03日 | 異流儀破折(一)

大白法 令和5年3月1日

 異流義破折 230

 「依人不依法」の”池田教信者を救わん

  ー 創 価 学 会

 安倍元首相銃撃事件に端を発し、高額献金の問題、政治との深い繋がりなど、世間から厳しい目が注がれる「旧統一教会」。識者からは、同教団を”カルト宗教と指弾する声も大きい。

 一方、その追求は創価学会にも波及し、両教団に共通する問題点などが指摘されている。

 

 他教団からも酷評

 学会への風当たりが強まる中、同類の新宗教の教団たちが、現在の学会をどう見ているかを特集した記事があった。 中でも「幸福の科学」の回答は痛烈だ。学会に対して、

「もともと、創価学会は宗教ではなく大石寺の在家の方であるため、金集めを行動原理とし、その資金の運用のみを考えています」 (光文社『スマートフラッシュ)』

と批評し、本宗から破門された学会を、信仰の対象・教祖・教義が一貫してないなどと断じている。

 もとより、幸福の科学とて人心を惑わす邪教であるが、そんな彼らから見ても、学会の非道ぶりは目に余るであろう。

 

 大作が仏様?

 創価学会では、元最高幹部(理事長)の子息などによる告発が相次ぐ。その例を挙げると、

 「『池田先生は超人なの?』と親にストレートに質問すると、『偉大な人間で、仏様だよ。先生の偉大さを自分の中の狭い『人間』の尺度で測ってはいけない』とたしなめられた」

  (正木伸城)『現代ビジネス』)

 「学会では子供の頃から、池田大作先生は森羅万象を知り、前世・現世・来世を見通せる仏眼があると教えられ、ご本尊を拝む時も池田先生を思い浮かべるように指導されます」

  (永井秀和小学館運営のニュースサイト『 ニュースポストセブン』)

 この他にも学会では、口を開けば「池田センセーのために」、「偉大なる池田せんせー」 等々、 大作への賛辞の数々。

 だが、そんなものは日蓮大聖人の仏法ではない。これぞ「池田教」「池田本仏論」と感じられるわけであり、末法唯一の御本仏・日蓮大聖人を蔑ろにしている証左でもある。

 今世間を騒がす「カルト」問題。その本来の語義は、

 「ある特定の人物や事物への礼賛、熱狂的な崇拝」とされる。 

 どの宗教が「カルト」かを断定するのは難しい。なぜなら、現在の日本には「カルト」の明確な判断基準がないからだ。しかし、邪教に人生を台無しにされた人からすれば、自身が属した教団こそ「カルト」だと叫びたくなるだろう。

 またそれは、大作への熱に浮かされ、選挙や財務に奔走し、貴重な人生を無駄にしたと後悔する人々も、同じ思いであろう。

 

 依法不依人は仏の戒め

 大聖人は「依法不依人(法に依(よ)って人に依らざれ)」について、

 「仏は依法不依人といましめ給へども、末代の諸人は依人不依法となりぬ(中略)一人妄(もう)をさえづれば諸人妄をつたう」

  (御書 八〇六㌻)

と仰せである。

 たった一人の慢心と妄言から仏法の筋目を違え、人々も迷わす。 

 そして、

 「悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多くの仏教に迷へり」

  (同 二四一㌻)

と御教示のように、古今を問わず、己の名聞利養のために仏法を私する大悪知識が、多くの衆生を無間地獄へと導くのであり、今日その正体は、池田大作なのである。

 今や、大作の妄言・妄想しかよすがのない池田学会。実に哀れな末路である。

 しかし、我ら日蓮正宗には、

 「血脈の次第 日蓮日興」

  (同 一六七五㌻)

 「富士の立義 聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」

  (同 一八八四㌻)

との御金言・御遺誡のまま、第二日興上人が師弟相対の信心で承継あそばされた唯授一人・血脈相伝の仏法に、大聖人の御法体・御法門・御精神のすべてが、御当代御法主日如上人のもとに、令法久住しているのである。

 富士の清流に我が身を置ける福徳に勇躍し、折伏弘通に前進していこう。

 

 

 

 

 


三論宗

2023年03月30日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

  一、南都六宗

     三 論 宗

【沿革】

 三論宗は、インドの竜樹の『中論』『十二門論』および、その弟子・提婆の『百論』 の三部の論を基として、中国で立てられた宗派であり、般若経を基本とした空思想を教理の根幹としているので「空宗」とも言われる。三論教学は隋の嘉祥大師吉蔵(五四九〜六二三)の『三論玄義』によって大成された。

 三論宗は、日本に最初に伝えられた宗派であり、推古天皇三十三(六二五)年、高麗の慧(え)潅(かん)によってもたらされ、これが第一伝となり、元興寺流と言われた。その後、慧潅の弟子・智蔵が入唐して帰朝後に法隆寺で弘めたのを第二伝とし、さらに智蔵の弟子・道慈によって第三伝が伝えられた。道慈は大安寺に住していたので、これを大安寺流と称した。

 奈良時代には、元興寺、大安寺、西大寺等で三論教義の講学が盛んであったが次第に衰え、鎌倉時代に法相宗の寓(ぐう)宗(他宗に寄寓する宗派。付宗とも言う)となっている。

 

【教義の概要】

<二蔵判と三転法論>

 三論宗では、二蔵判と三転法輪との二種の教判によって一代仏教を判釈している。

 二蔵判とは、小乗仏教を意味する「声聞蔵」と大乗仏教を意味する「菩薩蔵」とを立てて判釈することである。また三転法輪とは、華厳経を「根本法輪」とし、華厳以後、法華以前の大小乗の教えを「枝末法論」とし、法華経を「摂末帰本法論」とするものである。すなわち華厳経は、仏が成道直後、その悟りを即座に説かれた根本教説であり、他の諸経はこの根本教説から流れ出た枝末の教えであるが、法華一乗の教えを説くことによって三乗の機根を調え、枝末の教説を摂して華厳の本旨に帰入させるというものである。

 また、三論宗では、個々の経典はそれぞれに意味を持って説かれているもので、他宗の教判のように経典の勝劣浅深は判定すべきではないと主張し、強いて勝劣を言えば、諸経のいずれにも等・勝・劣の三義があるとする。

 例えば、阿含経は小乗の機には適切な教えであるが、大乗の機には不適切な教えである。また、華厳経は大乗の機には適切な教えであるが、小乗の機には不適切で、それぞれに勝劣の二義がある。しかし、それぞれの機根に利益を与える点では同等であるから、一経一論に固執すべきではないと主張する。

 これらのことから三論宗では、一代仏教を通じて論ずる「三部の論」を依りどころとして宗を立てている。

 

 <破邪顕正>

 破邪顕正の「破邪」とは、一切の有所得の迷見を打破することである。有所得とは、有と無、是と非などの互いに対立する一方に執着することを言う。この破邪により、あらゆる迷妄を払い去って無所得の理に到達することができる。それが「顕正」である。無所得とは、いずれにも囚われず、執着することもなく、有無を離れた空の真理を体得することを言う。

 

 <八不中道>

 八不中道は『中論』に説かれている。八不中道の「不」とは「破」「泯(みん)」などの意で、我々が迷い執着するものとして、生・滅、断・常、一・異、去・来の八つを挙げ、これらの執着・邪見を離れ、一つひとつ否定すれば一切の迷いは断破され、正見に至り無所得中道の悟り(絶対自由)を得ることができるとしている。

 したがって「八不」は破邪の具体的な説明であり、「破邪即顕正」がそのまま八不中道となるとする。

 

 <真俗二諦>

 三論宗では「破邪顕正」の具体的な認識方法として「真俗二諦」が説かれている。

 仏教一般に、真諦とは第一義諦、勝義諦とも言い、絶対の真理の意で、現象界の一々の本性は空であると観ずる、仏・菩薩の絶対的な立場を言う。また、俗諦とは世俗諦とも言い、相対的な真理の意で、人々の間で日常的に正しいとされている事柄や、究極的な真理を表現・把握するために用いられる事柄を言う。

 『中論』で説かれる真俗二諦の関係は、無明に覆われた衆生は常に主客の対立に執着しているため、この衆生を導くには、それぞれに適した教化の手段を用いなければならない。故に、空に執着する者には俗諦を説いて有を明かし、有に執着する者には真諦を説いて空を明かし、有と空の二つの極端を離れた不二中道を悟らせ、涅槃へ導入するというものである。

 したがって三論宗では、この真俗二諦は真理表現の手段と教化の方法を明かしたものであり、真理そのものではないとしている。

 また三論宗では、この真俗二諦を四重にわたって説き、それによって吉蔵当時の諸学派の教理を打破している。四重の二諦とは、三論宗の教判的役割を担うものでもある。

 第一重の二諦とは、説一切有部の一切有の偏執を払って、空を真諦としたもの。

 第二重の二諦とは、俗諦は有であり真諦は空である(俗有真空)との説に執着する成実学派の偏見を払って、有空は共に俗諦、非有非空は真諦とするもの。

 第三重の二諦とは、摂論学派(無著の『摂大乗論』を研学する学派)の三性三無性説を払って、有空も非有非空も共に俗諦とし、非非有非非空を真諦とするもの。

 第四重の二諦とは、前三重の二諦はいずれも教門の分野であるから俗諦とし、非非不有、非非不空を真諦とするもの。真諦は言語と思慮を絶した境地であるが、しばらく非非不有、非非不空をもって無所得中道の理を顕そうとしたものである。

 

 <修証論>

 三論宗では、理論と実践を分けずに教理を体得することが、そのまま観であるとしている。したがって「破邪顕正」をそのまま観法としたものが「八不中道」「無所得正観」と言われるものである。 

 また衆生は本来、仏であり、迷悟不二にして成仏・不成仏を論ずべきではないが、現実の差別相を見れば、機根の違いによって成仏の遅速があるとする。鈍根の衆生は三大阿僧祇劫にわたり五十二位の階位を経て修行することが成仏の要件であるとしている。

 

 【破折の要点】

▼三論宗では、般若経を教義の基としている。三論は諸法を融ずる教えであり、円融の教理も説かれているが、これは二乗作仏、十界互具を説かない通教・別教の教理を伴っている。したがって、真の三諦円融を説く教えではない。

 また、徹底した破執の実践によって空理を悟り、中道を見出そうとしても、結局は 隔歴三諦、但中の理に過ぎないものとなる。真の三諦円融を説く法華経から見れば、三論宗の教えは人間を根底から救済するものではない。

▼修証面においても三論宗では、鈍根の衆生は三大阿僧祇劫にわたり、五十二位の階位に基づいて修行することを説いているが、これは理論上の教説であって、現実には衆生済度の利益はない。

 

 

 

 

 


大石寺こそ

2023年03月27日 | 異流儀破折(一)

大白法 令和4年10月1日

 異流義破折 226

  大石寺こそ御遺命の最勝の地

  ー 創 価 学 会

 かつての創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として、総本山大石寺を「生命のふるさと」と慕い、 破門までの約四十年間で、延べ七千万人が、喜々として登山参詣した。そして、大御本尊の広大なる功徳と、内拝を許された歴代の御法主上人猊下の御慈悲により、大きな発展を遂げたのである。

 その下種三宝の御恩徳を踏みにじり、大石寺を、

 「学会を破門した大謗法」(創価新報 令和二年二月十九日付)

の地と誹謗し、大御本尊への信仰を放棄した。破門された理由を真摯に省みることもなく、破門された後は、登山を、

 「金儲けのために信徒を脅し、だます全くの邪義」(同)

と誹謗する。「忘恩」「無慚無愧」とは学会のための言葉だ。

 

 信濃町は遺命の地に非ず

 学会では初代会長から三代を「永遠の師匠」と仰ぐ。では、池田大作以外の二人は、何と指導していたか。 

 「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」(牧口常三郎全集)

 「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」(戸田城聖全集)

対して大作は、

 「信濃町を『世界総本部』という壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された」(創価学会会憲・前文)

という。

 「御書根本」と嘯(うそぶ)く大作には、大御本尊を放棄した理由、大石寺を捨てて「信濃町」を取る正当性を、御書の御教示によって釈明してみよと言いたい。

 

 大石寺が最勝の地たる所以

 日蓮大聖人の御遺命は、

 「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」

  (御書 一五九五㌻)

 「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

  (同 一六七五㌻)

 「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」

  (同 一六九九㌻)

と、三大秘法の正法を一天四海に広宣流布して、最勝の地である富士山(大石寺)に事の戒壇を建立することである。

 そして、第二十六世日寛上人は、大石寺こそが本門戒壇建立の最勝の霊地であることを、①結要付嘱の玄鑑(仏の深遠な照覧)、②日本第一の名山、③王城の鬼門(丑寅)に当たる、④富士山を蓬莱山と名付ける、⑤大日蓮華山と名付ける、との五義(御書文段五四三㌻)、また、①広宣流布の根源、②迹門をもって本門の例とする、③本門大戒壇の霊場、④末法万年の総貫首(日興上人)の所栖、⑤一閻浮提の座主(日目上人)の所住、との五義(六巻抄六八㌻)をもって御指南された。

 このように道理・文証・現証の上から、大石寺こそが大聖人御遺命の「本門根源事の戒壇・真の霊山・事の寂光土」であることは明白である。

 

 再び大御本尊のもとへ

 亡くなる前に「もう一度、日蓮正宗に戻りたい」と本音を洩(も)らす学会員は多いと聞く。ならば一刻も早く、大御本尊への唯一無二の信心を取り戻すべきだ。

 大聖人の御魂魄は大御本尊として、今なお大石寺に厳然とおわします。

 「参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし」

  (御書 一五六九㌻)

との御教示を重く受け止めなければならない。

 三宝破壊の池田教との魔縁を断ち切り、大御本尊在す大石寺での懺悔滅罪を待たれる、大慈大悲の御金言と拝すべきである。

 御法主日如上人猊下は、

 「創価学会は頭破七分して(中略)本門戒壇の大御本尊への信仰を否定する大謗法を犯し、多くの会員を幻惑して不幸に落としめる、この上なき大罪を犯すに至りました。(中略)私どもはその誤りを糾し、一人でも多くの学会員を覚醒させ、救っていくことが大事であります」(大白法 九〇一号)

と御指南である。

 謗法の害毒で苦しむ学会員が再び大御本尊に帰依できるよう、手を差し伸べていこう。

 

 

 

 

 

 

 


沈みゆく泥舟

2023年03月26日 | 異流義破折

大白法 令和2年12月1日 第1042号

 異流義破折 210

  沈みゆく泥舟

  ー  創価学会

 本年初頭、『創価学会よ、大改革を断行せよ!』なる書が出版された。内容は現役の創価学会員有志らが、学会の悲惨な現状を吐露し、その全責任は無為無策な執行部にあると告発して、彼らなりの改革案を提示するというもの。

 しかし有志らが、いかなる主張をしたところで、池田大作を偉大な指導者と思い込む洗脳の呪縛から開放されなければ、根本的解決にはならない。大作こそが、諸悪の根源だからだ。

 その洞察がない以上、一読の価値もない駄本と言わざるを得ない。だが、同書で繰り返し語られる学会の惨状を憂う悲痛な叫びは偽らざる本心であろうし、学会本部が発信する”大本営発表”が虚飾であることを浮き彫りにするものではある。以下、同書で述べる学会の惨状(趣意)を列挙してみたい。

「どの会合に出ても、また本部幹部会の衛星中継を観ても、会員同士で話す言葉の中にも、将来を展望し、夢と希望にあふれた話は皆無」

「複数の地区を調査したところ、勤行をしない会員が七十パーセント余りに上る」

「最近では折伏を地道に行っている会員は、皆無に等しい」

「広宣流布の定義や学会の目的が曖昧で、混沌として無気力な状態」

「あと三十年も経てばガタガタに落ちぶれてしまうのは必至」 

「昨今は内部で非常に人間関係のトラブルが多い。本来信仰すればそのようなトラブルは起きないはず。御本尊と題目に力がないのか」

「学会では日本は既に広宣流布したと言うが、日本はそんなに変わっていない。むしろ悪くなっている」

 以上の有り様を概観すると、機関誌などで謳う美辞麗句の数々が嘘八百であることが判る。

 

 路頭に迷う学会

 特に同書では、

 「羅針盤のない船のように、どこへ向かい、何を目的としているのか判らない」(趣意)

旨を縷々述べている。

 さもありなん。大作の増上慢に起因する大謗法の結果、宗門から破門された学会は、本来の目的・使命を見失い、まさに路頭に迷っているのである。

 今更語るまでもなく、初代・二代会長が生み育てた学会の本来の目的は、

 「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置されている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(昭和五十四年四月二十四日施行の会則)ことに他ならない。それ故にこそ、戸田二代会長は、

 「私たちは無知な人々をみちびく車屋である。迷ってる人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である」

  (戸田城聖全集3ー113㌻)

と述べていたのだ。

 今や広布の根源である本門戒壇の大御本尊を捨て去った学会は、目的なく彷(さま)徨(よ)う泥舟であり、衰亡の一途をたどっていることは毫(ごう)も疑いない。

 

 大謗法の現証と知れ

 現在の学会には夢や希望はなく、信心の功徳とはかけ離れた状況であり、多くの学会員が様々な苦悩に喘(あえ)いでいる。

 その根本原因は、本宗の信仰の命脈たる大御本尊と唯授一人の血脈を捨て去ったことにある。

 殊に、大御本尊の御法体の伝持あそばす血脈付法の御歴代上人に悪口誹謗の限りを尽くし、下種三宝の允許のない『ニセ本尊』を勝手に作成するなどの三宝破壊の大謗法に対しては、厳然たる仏罰が現れることは必定である。

 学会員の皆さんには、ぜひとも沈思黙考してもらいたい。

 大石寺の御歴代上人の御本尊を拝みながらも、その御法主上人への怨念を日夜、刷り込まれている”悲惨”な現状。この支離滅裂な悩乱の所業こそ、大謗法の現証に他ならない。

 今ならまだ間に合う。勇気を振り絞って泥舟の学会と決別し、生死海を渡る大船たる本宗の信仰に立ち帰るべきである。

 

 

 

 

 

 

 


日蓮宗

2023年03月25日 | 諸宗教破折(一)

大白法 令和5年1月16日 (第1093号)

諸宗教破折 143

 立正安国の精神はどこへ

  ー  日 蓮 宗

 

 日蓮大聖人は『立正安国論』に、

 「辛(から)きを蓼(りょう)葉(よう)に習ひ臭きを溷(こん)厠(し)に忘る」

  (御書 二四二㌻)

と御教示されている。

 まさに、長く誤った教えに染まることで、仏法の正邪に迷乱し、邪が邪であることが判らなくなってしまった日蓮宗の姿が思い起こされる。

 節操のない日蓮宗の体質。その象徴的な事例として、「日蓮聖人門下連合会」や「全日本仏教会」に参画しての愚行を挙げることができよう。

 

 念仏のお出迎えも嬉しい❓

 日蓮宗は、日蓮聖人門下連合会(門下連合会)に加盟している。

 これには、日蓮宗を含め門下の十宗一団体が加盟していて、具体的な活動内容には次のようなものがあった。 

 「門下連合会 西安 草堂寺結集」

 中国西安の草堂寺は、鳩摩羅什が法華経をはじめ様々な経典を漢訳した地として、歴史的にはたいへん意義のある場所とされている。

 日蓮宗は、いつの頃からかこの地に目をつけて、自分たちの祖庭(仏教の祖先が教えを説いた場所)と定めた。

 そして令和元年には、門下連合会所属の他門下と共に草堂寺を訪れ、鳩摩羅什への報恩法要を行った。

 この門下連合会ご一行。あろうことか、「阿弥陀仏」の称名が盛大に響きわたる中を、草堂寺へ迎え入れられたのである。この正邪をわきまえぬ所業こそ、大聖人の意に背く師敵対の大謗法と言える。

 これは「日蓮聖人御降誕八百年慶讃記念」の行事だという。

 

 今度は阿弥陀仏をお出迎え❓

 他にも日蓮宗が加盟している団体として全日本仏教会があり、これらは高野山真言宗や浄土宗、浄土真宗本願寺派など、合計百六もの宗教団体が加盟する組織である。

 昨年(令和四年)十月、その大会が身延山久遠寺を会場として行われた。

 その日程には「大会記念法要」として、宗教的な儀式も組み込まれていた。

 身延山久遠寺は、大聖人の門下を名乗る日蓮宗の総本山である。それが、真言や念仏の人たちを招いて、一体、何を目的として、どのような法要をするのかと思えば、驚いたことに法要の導師を務めたのは浄土真宗本願寺派の僧侶。

 日蓮宗の僧たちは、とても自分たちの力では、種々の祈りが叶わないことに気付いたのか。

 大会記念の法要は、当然ながら「南無阿弥陀仏」を称えることから始まり、「無量寿経」(浄土真宗の依経)の読経や「他力回向」と進んだ。

 身延山久遠寺は、法華経を「捨閉閣抛」(浄土三部経以外の一切の教法を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)てという、法然の『選択本願念仏集』で説かれる教え)・「千中無一」と誹謗する念仏の寺院となったのかと思えるほどの光景であった。

 

 立正安国論の精神はどこへ

 大聖人は悪法の重科によって苦しむ人々を救うために、世の混迷の原因がすべて謗法にあることを示されて、身命を賭して誤った信仰を破折し、正法による安穏なる国土の実現のために布教された。

 特に『立正安国論』では、当時流行していた『選択集』を中心に、広く諸宗の謗法を破折され、

 「愚かなるかな各(おのおの)悪教の綱に懸かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網に纒(まつ)はる(中略)汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」

  (御書 二五〇㌻)

と破邪顕正の精神を説かれて、法華経への帰依を示されている。

 ここに仰せの「実乗の一善」とは、文上の法華経ではなく、寿量品文底独一本門の妙法蓮華経のことであり、三大秘法の随一たる本門戒壇の大御本尊のことである。

 様々な災禍や不幸により苦しむ人々を眼前にし、大聖人の清浄な仏法を忘れ去った日蓮宗には、為すべきことは何一つない。

 やみくもに邪教を弘める日蓮宗のせいで、本来ならば救済が叶う大聖人の仏法からどんどん離れてしまった人々を、一刻も早く日蓮正宗寺院にお連れするのが、我々の使命である。

 

 

 

 

 


妙法の大良薬

2023年03月24日 | 光 明(一)

大白法 令和五年二月十六日 第1095号

 光 明

 「妙法の大良薬」

 三災については、経論にも依るが、概(おおむ)ね飢饉・戦乱・疫病が挙げられる。これらは、大勢の無(む)辜(こ)の人々を死に至らしめる意味で、まことに恐るべきものである。

 特に昔の時代は、貴賤貧富を選ぶことなく罹(り)患(かん)させる疫病は、得体の知れない極めて恐るべき存在であった。

 欽(きん)明(めい)天皇の御(み)世(よ)に仏教が伝来し、篤く信仰されたのも、疫病からの救済・克服を願ってのことであった。

 聖(しょう)武(む)天皇による東大寺大仏の造立や、国分寺等の建立も、疫病終息と民心の安定に主眼があった。

 さらに桓(かん)武(む)天皇は、疫病等の問題によって平安京への遷都を図り、その鬼門に当たる比叡山の伝教大師・天台法華宗に篤く帰依した。

 このように見るとき、疫病の流行と仏教の流布には深い関わりがあることが判る。

 ただし、これら爾前迹門の諸経・諸宗が必要とされたのは、あくまで像法時代までのことである。宗祖日蓮大聖人は、『高橋入道殿御返事』に、

 「末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所(いわ)謂(ゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」

  (御書 八八七㌻)

と御教示されている。つまり、濁悪の滅後末法の極重大病の一切衆生を救う妙薬は、外用上行菩薩・本地自受用報身の当体・本因妙の教主たる宗祖日蓮大聖人が所持される南無妙法蓮華経ただ一つである。そして疫病をはじめ、すべての災厄を打ち払う方途は、この三大秘法を受持信行することに尽きるのである。

 いよいよ本年三月から、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山が始まる。法華講員お一人おひとりが、御本仏大聖人に連なる地涌の眷属である誉れを胸に、喜び勇んでご登山し、御報恩の誠を申し上げていきたい。(T)

 

 

 

 

 

 


慶祝登山推進

2023年03月24日 | 光 明(一)

大白法 令和五年一月十六日 第1093号

 光 明

 「慶祝登山推進で誓願達成へ」

 

 最近の世の中の状況は、先の見えない新型コロナウイルス感染症の蔓延、ロシアのウクライナ軍事侵攻、物価騰貴によると途上国の食糧危機、異常気象による東南アジアの台風・洪水、その他悲惨な事件・事故が頻発しております。まさに日蓮大聖人様が『立正安国論』に予言された三災七難が惹起しているように感じます。

 御法主日如上人猊下は『大白法』「新年の辞」に、

 「正(まさ)しく仏法の鏡に照らしてみる時、今日の混乱の原因は、多くの人々が正法に背き、邪義邪宗の謗法に犯されているからであり、この謗法を退治し、一人でも多くの人が信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善、即ち三大秘法の南無妙法蓮華経に帰依することが仏国土実現の為には絶対不可欠な要件となるのであります」

  (大白法 一〇九二号)

と御指南あそばされております。

 私たちは、この御指南を心肝に染めて実践していかなければなりません。しかし、ここ二、三年コロナ禍もあってか、思うように折伏活動が進んでおりません。何としてもこの低調ムードから脱却しなければなりません。

 幸いなことに、本年、慶祝記念局より、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念行事として「慶祝記念総登山」並びに「慶祝記念総会」が実施されると発表がなされております。

 「慶祝記念総登山」に支部の総力を挙げて取り組むことにより、これまでの閉塞感を払拭できるのではないでしょうか。支部の全世帯に家庭訪問し、共に勤行して、話をすることにより、一軒一軒の家庭の状況を知ることができます。そして適切な激励をすることにより、信頼関係を築くことができます。そこでこの登山会の意義とその功徳をお話しましょう。登山の推進はもとより、支部の活性化、人材の育成、折伏対象縁の掘り起こしができると確信いたします。

 このように、地道な活動を一年間継続し、折伏実践者を増やし、本年こそ、何としても全支部折伏誓願を達成いたしましょう。(洋)

 

 

 

 

 

 


道のとをきに

2023年03月23日 | 光 明(一)

大白法 令和五年三月十六日 第1097号

 光 明

 「道のと(遠)をきに心ざしのあらわるゝにや」

 

 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝記念総登山会が、三月四日を皮切りに始まった。

 「道のと(遠)をきに心ざしのあらわるゝにや」

  (御書 六八九㌻)

との御文は、『乙御前母御書』(文永十年十一月三日)の一節である。

 乙御前の母・日妙聖人は単身、鎌倉より佐渡の日蓮大聖人のもとへ険路をも怖じず参詣した。冬の荒海はさらに難儀であったろう。大聖人はこうした状況を括り、一心に法を求めて歩みを運んだ信心の志を愛でられたのである。

 本紙二月十六日号には、渡航規制の緩和を待ちに待った、昨秋、九十四歳の女性がアメリカ・ワシントンD.C.妙宣寺の団体登山で、また八十代の女性がフランス・パリから単身で、遠き道を登山参詣したことが紹介されていた。全講員には、現代の登山参詣の手本として記念総登山に臨んで欲しい。

 住古、維摩長者は八十歳の老齢ながら、釈尊が法を説かれると聞き、四十里もの道のりを歩いて参詣した。釈尊は、その法を求めて歩みを運ぶ功徳を説かれた。

 一歩一歩踏んできた土を集め、打ち砕き、芥(け)子(し)粒(つぶ)ほどの塵(ちり)にしょう。その一粒一粒が、一劫(こう)という長い時間に積んだあなたの罪障を消滅させる。乃至、その無量の塵は、あなたの過(か)去(こ)遠(おん)々(おん)劫(ごう)の罪障を消滅させるであろう。また今より以降、あなたが実際に仏に値い奉って法を聞く数も、その塵と同じく無量である、と。

 現代、歩いて登山参詣する人はなかろう。しかし法を求めて歩みを運ぶ功徳は、その信心の志のもと、無量の功徳に繋がっていく。

 大聖人は『四条金吾殿御返事』に仰せである。

 「今此の所も此くの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚の砌なり。(中略)毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし」

 (同 一五〇二㌻)

 講員一同、時に当たり慶祝記念総登山の大きい功徳を自覚し、大聖人御聖誕に篤く御報謝申し上げ、折伏躍動・広布前進を誓い合おう。(耀)

 

 

 

 

 


彼岸会の意義

2023年03月22日 | 季語・語句の意義

大白法 令和五年三月十六日 第1097号

 彼岸会の意義

 春分の日(3月21日)を中心に各寺院で

 塔婆を建立し、家族揃って参詣しましょう

 

 彼岸会は、春分と秋分の年二季に行われる法要です。

 その春分に当たる今月二十一日には、総本山において御法主日如上人猊下大導師のもと、春季彼岸会が奉修されます。また、この法要は全国の各寺院においても春分の日を中心に執り行われます。

 仏教では、私達が現在生活している世界のことを穢(え)土(ど)、または娑婆世界と呼び、煩悩や苦しみの充満した穢(けが)れた国土であると説きます。この娑婆世界を「此(し)岸(がん)」、これに対して悟りの境界、成仏の境界のことを「彼岸」に譬えるのです。そして、悩みや苦しみを取り除き、悟りの境界に至ることを「到彼岸」と言います。

 法華経以前に説かれた四十余年の諸経には、釈尊在世や正法・像法時代の菩薩たちが、無量劫という長い期間、何度も生死を繰り返しながら六波羅蜜等を修行して、悟りを得たことが説かれています。

 しかし大聖人様が、

  「生死の大海には爾前の経は或は筏或は小船なり。生死の此の岸より生死の彼の岸には付くと雖も、生死の大海を渡り極楽の彼岸にはと(届)づきがたし」

   (御書 三五〇㌻)

と仰せのように、末法の衆生は爾前経に説かれる歴劫修行では、成仏の彼岸に到ることは到底叶いません。

 私たちが成仏の境界に到るためには、大聖人様が、

 「日蓮がたま(魂)しひをす(墨)みにそめながしてかきて候ぞ(中略)あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ」(同 六八五㌻)

と仰せのように、御本尊を信じ奉り、御祈念することによって、

 「六度の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給ふ」

   (同 六〇五㌻)

と示されるように、菩薩修行の中心である六度(六波羅蜜)をすべて修行する功徳として、即身成仏の大利益を戴くことができるのです。

 ですから彼岸会においては、私たち一人ひとりが唱題を根本とした折伏・育成等の実践によって戴いた功徳を、諸々の先祖に追善回向していくことが大切です。

 また、彼岸会では各々の先祖供養のために塔婆を建立して回向を行います。

大聖人様はこの塔婆供養の功徳についても、

 「丈六のそ(卒)と(塔)ば(婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をて(照)らし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月う(映)つり、つゞ(鼓)みをう(打)てばひ(響)ゞきのあるがごとしとをぼしめし候へ」

   (同 一四三四㌻)

と説かれています。

 したがって彼岸会には、これらの深い意義に基づき、寺院において御本尊様のもとに先祖代々をはじめ亡くなった方々の塔婆を建立し、真心から回向をすることが肝要です。

 その功徳は、自らの福徳となって我が身を潤すことにも繋がっていくのです。そしてこの機会に、未入信の家族・親戚にも、正しい信心を持ち塔婆供養することの大切さを伝えていきましょう。

 

 

 

 

 


聖徳宗

2023年03月20日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

  一、南都六宗(法相宗)

    聖  徳  宗(現在の宗派)

[総本山]法隆寺 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1―1

[経 論]「三経義疏(法華義疏・維摩経義疏・勝鬘経義疏)」    

[寺院教会数]二四

[教師数]一七 

[信徒数]二一、八〇〇

 

 聖徳宗の総本山である法隆寺は、法隆学問寺や斑(いか)鳩(るが)寺(でら)とも呼ばれ、推古天皇十五(六〇七)年に、推古天皇が用明天皇の遺志を受け継ぎ、聖徳太子と共に建立したと伝えられている。奈良時代は律、三論、法相等の兼学の寺であったが、中世には興福寺の末寺となり、法相宗に属した。

 昭和二十五年、聖徳太子を尊崇し、法隆寺の伝統教学である太子教学を宣揚するため、聖徳太子の名をもって「聖徳宗」と称して分派独立した。

 教えの内容は法相宗とほぼ同じだが、聖徳太子の撰述である「三経義疏」と「十七条の憲法」に盛られた大乗一仏乗の理想を説くところに特徴がある。



 

   北 法 相 宗(現在の宗派)

[開 山]延鎮(生没年不明)

[本 尊]十一面千手観世音菩薩

[大本山]清水寺 京都市東山区清水1−294

[寺院教会数]

[教師数]

[信徒数]四一〇、四七〇

 

 北法相宗は、昭和四十年、清水寺を大本山として法相宗から分派独立した宗派である。

 清水寺は、奈良時代の宝亀九(七七八)年、大和の子島寺の延鎮が清水の音羽の滝を訪ね、そこに千手観音を祀(まつ)り庵住したのが始まりで、延暦十七(七九八)年、清水の観音に帰依した坂上田村麻呂が自邸の殿舎を本堂として寄進し、延鎮を開基として寺院を建立したものと言われる。

 その後、同二十四年に桓武天皇の勅願寺となり、清水寺と号した。

 清水寺は当初、鎮護国家の道場であったが、長く興福寺に属し、法相宗と真言宗の兼学の寺となった。

 「清水の舞台」として知られる現在の本堂は、徳川家光により再建されたものである。また清水寺は、観音霊場の西国三十三所の第十六番札所ともなっている。

 

 【破折の要点】

▼法相宗では、自己の心を離れて存在するものは何一つとしてなく、ただ認識だけが万物の存在を決定すると説く。しかし、心(心法)と一切の現象(色法)は、どちらが主ということでもなく、共に具わり合っているもので、一切の現象を離れて心の存在もありえない。

 このことは中国の妙楽大師湛(たん)然(ねん)が、法華経の教理に基づいて説いた、色心不二の法門にも明らかである。すなわち、心法を離れて色法はなく、また色法を離れて心法はない。心法と色法は相即不二であり、衆生の一念に具わっているのである。

 したがって法相宗の唯識説は、心法の一面からのみ諸法を捉えた偏頗な教えである。

▼法相宗では、衆生には先天的に成仏できる者と、できない者とがあり、その差別は永久に変わらないという「五性各別」の説を立てる。また、法華経に説かれる悉皆成仏は衆生に道心を発(おこ)させるための方便の教えであり、五性各別こそ真実であるとして「三乗真実・一乗方便」を主張する。

 これについては、法相宗の徳一との「三一権実論争」の時、伝教大師最澄によって既に破折されている。

 法相宗の依りどころとしている解深密経や『瑜伽師地論』『成唯識論』等は方等時の教えであり、これは「会二破二」と言って、小乗の教えに執着する声聞・縁覚の二乗を破折して、菩薩の一乗こそ真実であるとする権大乗の教えである。故に、三乗を開して真の一仏乗に会入せしめる法華経の開会の法門には遠く及ばない。五性各別説は、この会二破二の権大乗教に執着する大僻見の説である。

 一切衆生を平等に救うために教えを説かれた仏が、五性各別などという、衆生を差別する教えを説かれるはずはない。法華経には十界互具一念三千の法門が説かれ、正法を持って信行に励むならば、いかなる人でも、ことごとく成仏すると説かれている。

 この誤りは、五時の構格に暗いところに所以がある。法華経の開経である無量義経には、

  「四十余年。未顕真実(四十余年には未だ真実を顕さず)」

   (法華経二三㌻)

と説かれ、さらには法華経方便品にも、

  「正直捨方便 但説無上道(正直に方便を捨てて 但無上道を説く)」

   (同一二四㌻)

と、法華経以前の諸経はすべて方便の教えであり、法華経こそが唯一、真実の教えであるととかれている。

 したがって、法華経を方便の教えと主張する法相宗の教義は、二乗を弾呵するための方等部の教えに囚われた謬説であり、仏(ぶつ)意(ち)に背く大謗法である。

▼法相宗では、悟りを得るためには、三大阿僧祇劫という長遠の時を費やして、修行しなければならないとしている。これも、即身成仏を説く法華経には遠く及ばない、」低劣な教えの証拠である。 

 

 

 

 

 

 


法相宗

2023年03月18日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

  一、南 都 六 宗

   法 相  宗(現在の宗派)

[宗祖]基(六三二〜六八二)

[高祖]玄奘(六〇〇〜六六四)

[本尊]弥勒菩薩・諸仏菩薩

[経論]『成唯識論』・解深密経・『瑜伽師地論』・『唯識三十頌』等

[大本山]興福寺 奈良市登大路芝町四八(本尊は釈迦如来)

     薬師寺 奈良市西ノ京町四五七(本尊は薬師如来)

[寺院教会数]一七二

[教師数]二八九

[信徒数]五六四、三二二

 

【沿革】

 法相宗は、インドから唯識の経論を持ち帰って翻訳した玄(げん)奘(じょう)を始祖とし、その弟子・慈恩大師基を宗祖として、中国の唐代に興った学派仏教である。

 法相宗の教義の根本である唯識思想は、インドの弥勒・無(む)著(じゃく)・世親らが唯識大乗の教えを基として大成したものである。 

 世親以後の唯識学は、インドにおいて盛んに研学され、瑜伽学派(瑜伽行派)と言われた。これには、徳慧・安慧・真諦の系統と、陣那・無性・護法・戒賢の系統などがあったと言われる。玄奘は戒賢より唯識教理を伝授されて中国に持ち帰り、その弟子・基が法相宗を開いた。

 日本への初伝は白(はく)稚(ち)四(六五三)年に入唐した道昭によって、第二伝は斉明天皇四(六五八)年に入唐した智通・智達によってもたらされた。道昭・智通・智達は玄奘より教えを受け、帰国後、元興寺を拠点として講学したので、元興寺伝あるいは南寺伝と呼ばれた。

 さらに、第三伝は大宝三(七〇三)年に入唐した智鳳・智鸞・智雄によって、第四伝は養老元(七一七)年に入唐した玄(げん)昉(ぽう)によってもたらされた。智鳳・智鸞・智雄・玄昉は、基の孫弟子である智周より教えを受け、帰国後、興福寺を拠点として講学したので、興福寺伝あるいは北寺伝と呼ばれた。

 平安時代前期には、徳一が出て、伝教大師最澄の法華一乗の教えに対し、「三乗真実・一乗方便」の義を立てて論難した。これを「三一権実論争」と言う。

 鎌倉時代以降、法相宗の宗勢は振るわず、さらには明治維新の廃仏毀釈によって衰退したため、一時、真言宗に併合された。その後、明治十五(一八八二)年に法相宗として独立し、同二十五年には興福寺・法隆寺・薬師寺を三本山と定め、三本山制・一管長制となった。昭和二十五年、法隆寺が聖徳宗として分派独立したので、現在は興福寺と薬師寺を二大本山としている。

 

【主な寺院】

<興福寺>

 興福寺は、藤原釜足の妻が夫の病気平癒の祈願のため、天智天皇八(六六九)年に建立した山(やま)背(しろ)(山城)山(やま)階(しな)寺(でら)が前身で、天武天皇の時に飛鳥に移され、厩坂寺と称した。その後、平城京遷都とともに和銅三(七一〇)年、現在の春日の地に移されて、興福寺と改称した。

 

<薬師寺>

 薬師寺建立の由来は、天武天皇九(六八〇)年、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して飛鳥の地に一宇建立を発願したことによる。その後、天武天皇が崩御したため、持統天皇がその遺志を継いで藤原京に伽藍を完成させた。平城京遷都に伴い、養老二(七一八)年、平城京に移された。

 薬師寺の法相教学は、初伝の道昭系と第三伝の智鳳系によるが、八宗兼学の学問寺として栄えた。天延元(九七三)年の火災により諸堂が消失し、以後、教学の中心は興福寺に移った。 

 

【教義の概要】

 法相宗は、『成唯識論』に引用される 六経十一論を所依の経論とし、唯識の立場から諸法の在り方を追求した学問宗派である。

 六経十一論のなかで、法相宗の正所依とされるのは解深密経と『瑜伽師地論』であるが、実際は、護法の『成唯識論』が根本聖典となっている。これは、世親の『唯識三十頌(じゅ)』の註釈書である。

 法相という名称は、所依の教典である解深密経の「一切法相品」の品名と、法相宗の教えが、諸法の相である現象の分析・考察を重視することに由来する。

 

 <三時教判>

 基は、解深密経の文によって、一代仏教を初時・第二時・第三時と分ける三時教判を立てた。

 初時とは、小乗の機(声聞乗)のために阿含経が説かれた時を言う。ここでは四諦の法門をもって、外道や凡夫が執着する実我は空であり、諸法は有(う)であることが説かれた。この教えを「有教」と言う。

 第二時は「昔(しゃく)時」とも言い、大乗の機のために般若経を説いた時を言う。ここでは「諸法は皆、空である」との教えが説かれた。この教えを「空教」と言う。

 第三時は「今時」とも言い、大小乗すべての機類のために解深密経、華厳経、法華経等の大乗教を説いた時を言う。ここでは非有非空の中道が説かれた。この教えを「中道教」と言う。これらのなかでも解深密経を最勝とし、『瑜伽師地論』『成唯識論』などは、この理を解説したものとする。

 法相宗は、この教判によって、唯識説が中道の教えであり、最上の教説であるとしている。

 

<五性各別>

 法相宗では、衆生が先天的に具えている性質に五種類あり、それは阿頼耶識のなかに持っている本有種子によって決定され、けっして変えることができないとして「五性各別」の説を立てる。

 五種の衆生とは、次の通りである。

①定性菩薩(菩薩種性)・・・完全な智慧である無漏智の種子のみを持っていて、成仏できる衆生のこと。無漏智とは、四諦の理を証見する見道以上の聖者の智慧を言う。

②定性縁覚(縁覚種性)・・・無漏智の種子を一分持ってはいるが、修行しても縁覚の悟りしか得られない衆生のこと。

③定性声聞(声聞種性)・・・無漏智の種子を一分持ってはいるが、修行しても声聞の悟りしか得られない衆生のこと。

④不定種性(三乗不乗性)・・・菩薩および声聞・縁覚等と複数の本有種子を併せ持っている衆生で、菩薩の種子を持っている者は成仏できるが、声聞・縁覚の種子のみの者は成仏できない。

⑤無種性(無性有情)・・・無漏智の種子を全く持っていない、成仏できない衆生のこと。

 この五性各別説は、楞(りょう)伽(が)経や解深密経によって立てられたものであり、「悉皆成仏」を説く法華経等の教えは、不定性の者を励まして大乗に入らしめるための方便に過ぎないと「三乗真実・一乗方便」を主張する。

 

<五位百法>

 法相宗の教義の根本は唯識思想である。唯識とは「ただ識のみ」という意味で、一切諸法の本源を尋ねると、すべて識より転変したものであり、自己の心を離れて存在するものは何一つないとする。すなわち、」唯○、認識○が万物の存在を決定するという考え方である。

 この唯識を説明するため、一切諸法を五位に分類している。

 第一位 心王(心は精神の統一作用を司り、万法を生ずるので心王と言う)

 第二位 心所有法(心王が所有している法という意味で、心の作用のこと)

 第三位 色法(五根と五境と法(ほう)処(しょ)所(しょ)摂(しょう)色とを含めたもの)

 第四位 心不相応行法(精神的なものでも物質的なものでもなく、しかも独立したもののこと。例えば、物と物との関係、あるいはそのものの持つ属性や状態などを実体視したものを言う)

 第五位 無為法(因縁には無関係で、永久的に自存し不滅であるところの真理のこと)

 さらに、この五位を百法に細別するが、これらの諸法は、識を離れて存在するものは何もないとして、心王を諸法の主体としている。心王とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識に、末(ま)那(な)識(しき)・阿(あ)頼(ら)耶(や)識(しき)を加えた八識を言う。

 八識のうち、眼・耳・鼻・舌・身の五識を前五識と言い、これは対境をそのまま感受するが、自ら判断したものではなく、第六の意識と共に働いて初めて判断を下し、推量するものである。

 第七の末那識とは、常に第八識の阿頼耶識を対象として起こってくる自我意識である。六識による日常的な感覚・認識作用は、すべてこの自我意識によって継続して統括されている。この末那識を迷いの根源と見る。また煩悩の汚染の根拠となるものであるから、これを染(ぜん)汚(ま)意(い)とも言う。

 第八の阿頼耶識とは、衆生の心の根底にある根本の心を言う。阿頼耶との言語には「蔵(ひそ)む」「蔵(おさ)める」「執着する」という意味がある。これらの意味に応じて、阿頼耶識には次の三つの機能があるとする。

 一、元来、阿頼耶識には、身体のなかにひそんで、身体を生理的に維持する働きがある。

 二、阿頼耶識のなかには、過去のあらゆる身口意の三業が経験として消えることなく残っている。すなわち、煩悩となる存在が種子として宿っているということであり、この故に阿頼耶識を蔵識、一切種子識とも言う。一切諸法は、この阿頼耶識に貯蔵されている種子が顕れて、対境を捉えたものであるから、すべてのものは皆、ただ識のみであるとし、この意味から根本識とも万法不離識とも言う。

 三、意識の底に末那識という自我執着心を立て、この末那識が深層領域において、常に阿頼耶識を対象として、それを自我と思い続けている。

 このように、阿頼耶識に基づいて現実の自己および世界が成立すると説くところから、これを「阿頼耶識縁起」と言う。

 

<三性三無性>

 法相宗の教えでは、すべての存在の本性や在り方を、有無、化(け)実という視点から、「遍計所執性」「依他起性」「円成実性」の三性と、この三性を空の立場から否定的に見た「相無性」「生無性」「勝義無性」の三無性とに立て分けて説いている。

 仏教においては、あらゆる存在は本来、因縁によって生滅するものであり、実体はないと説くが、これを実体があるものと思い、それに執着する心(能遍計)と、その対象となる境(所遍計)、そして、それらによって認識される存在の姿(遍計所執)を「遍計所執性」と言う。

 また、これが妄想であり、実際には相(姿)のないものであることを「相無性」と言う。

 「依他起性」とは、あらゆる存在は「他」すなわち因縁によって生滅するということであり、他がなければ生じないことから「生無性」と言う。

 「円成実性」とは、完全円満な真実の世界である真如実相の姿で、真如は一切諸法に遍満し、不生不滅にして常住である。これは個に内在する我や、外界の事象としての法ではなく、言説を超越したものであるから「勝義無性」と言う。

 

<転依>

 転(てん)依(ね)とは、依りどころとする劣った法を捨て、転じて勝れた法を依りどころとすることであり、、また、それによって得た果を言う。依とは、染浄・迷悟の法を成立させている依りどころという意で、依他起性のことを言い、転とは、依他起の上の遍計所執性(雑染分)を捨て、依他起のうちの円成実性(清浄分)を得ることを言う。これは『成唯識論』に説かれているもので、法相宗では、この転依を修行の目標としている。

 転依の具体的な実践方法として、資糧位・加行位・通達位・修習位・究竟位という五段階の修行の階位を設けている。

 一、資糧位とは、世俗的な善行を修することによって迷いを生ずる染法種子(迷いを生ずる潜在的な傾向)を抑え、それを仏と成る元手とする位を言う。

 二、加行位とは、前に集めた元手の上に、さらに浄法種子(悟りを生ずるための潜在的傾向)を強めるために、種々の方便を修する位を言う。

 三、通達位とは、初めて悟りを生ずる清浄な智慧を獲得して、後天的・知的な煩悩を断じ、あるがままの真実(真如の理)を体得する位のことで、この時の転依を「通達転」と言う。

 四、修習位とは、先に悟った真如の理を幾度も修め、先天的・情的な煩悩を繰り返し断滅する位のことで、この転依を「修習転」と言う。

 五、究竟位とは、永久にすべての煩悩を断じ、完全円満な仏の悟りを完成した位のことで、この最終的な転依を「果円満転」と言う。この位では、究極的に我に執する煩悩(煩悩障)を転じて仏の涅槃を獲得し、法に執する煩悩(所知障)を転じて無上の菩提を得る「二種転依」が修行の妙果であると強調している。

 以上のように法相宗では、二種転依を究極の悟りの境地としているが、それを得るためには三大阿僧祇劫という長い間の修行が必要とされる。

 

 

 

 

 


発心

2023年03月14日 | 教学ノート(四)

大白法 平成30年3月16日(第977号)

  教 学 ノ ー ト 

     ㊵ 発心

 発心とは、 発意とも言います。どちらも、仏様の教えを信仰して悟りを得ようと志すことです。これを、「菩提の心を発す(発菩提心)」と言います。つまり、私たち衆生が成仏を願って修行しようと決意すること、を意味しています。

 ここから転じて、思い立ってある事を始めること、物事を成し遂げようと決心する意味で用いられるようになりました。

 天台大師は『摩訶止観』に、

 「仏道に入る決意は、すべての修行の基本である(趣意)」

  (摩訶止観弘決会本 上ー134㌻)

と、まずは決意することが大切と説かれています。ふだん、 勤行をきちんとしよう、唱題をがんばってみようなど、信心はもちろんですが、勉強や習い事なども、まずは「やる」と決めることが大切ですね。

 しかし、せっかく仏道を志しても、その決意が揺らいだり長続きしないことがあります。それは、私たちに「煩悩」があるからです。この煩悩によって、惑わされたり悩まされたりしてしまうことがあります。 

 日蓮大聖人様は、『弥源太殿御返事』に、

 「法華経は過去、現在、未来の三世諸仏が一大発心して、成仏のための杖とする教典なのです。ただし末法の今は日蓮を杖柱と頼みなさい。険しい山や悪路を行くには杖をつけば倒れることはありません(趣意)」

  (御書 722㌻)

と仰せられています。

 大聖人様が顕わされた南無妙法蓮華経を、杖や柱のように頼って信心を強盛に持(たも)てば、最初の決心を崩さずに目的に向かって励むことができ、どんなに険しい道でも成し遂げることができるのです。

 さらに『祈祷抄』には、

 「大地を指差して外れることはあっても、大空を結び繋ぐ者があっても、潮が満ち引きしないことがあっても、太陽が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りが叶わないことはない(趣意)」

  (同 630㌻)

と説かれ、御本尊様にしっかりと勤行・唱題することで、すべての祈り、すなわち大聖人様の教えが弘まることも、また様々な願いも、必ず成就すると御教示されています。

 私たちも新年度を迎えるに当たり、発心して新たな目標を立て、力いっぱい精進してまいりましょう。




🖊 ポイント

総本山第二十六世日寛上人は、

「一、強盛の菩提心等文。

  『身命を愛せず但無上道を惜しむ』とは、即ち是れ宗門の菩提心なり。蓮祖既に爾(しか)なり。

 末弟如何ぞ此の願を立てざる。励むべし励むべし云云」

   (御書文段 102㌻)

と仰せです。日蓮大聖人様は多くの法難に遭いながらも南無妙法蓮華経を弘められました。大聖人様の弟子・檀那である私たちが、「我不愛身命」の精神を持って仏道修行に励もうと志を立てることが、日蓮正宗僧俗が立てるべき「宗門の菩提心」であると御指南されています。

 

 

 

 

 


真言律宗

2023年03月13日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

   一、 南都六宗(律宗)

     真 言 律 宗(現在の宗派)

[宗 祖]叡尊(一二〇一〜一二九〇)

[高 祖]空海(七七四〜八三五)

[本 尊]大日如来・諸仏菩薩天部等

[経 論]金剛頂経・大日経・瑜祇経・蘇悉地経・梵網経・『四分戒本』等

[総本山]西大寺 奈良市西大寺芝町1一1−5(本尊は釈迦如来)

[寺院教会数]八七

[教師数]一一四

[信徒数]九一、五〇〇

 

 真言律宗は、西大寺を総本山とする宗派で、真言宗の教義に基づき、律宗で説く戒律を厳守し、衆生を救済すること(済生利人)を教旨としている。したがって、真言宗と律宗とが混ざり合った宗派と言える。

 真言律宗では、空海を高祖とし、叡尊を宗祖としている。叡尊は醍醐寺で得度し、高野山などで真言密教を修行したことなどから、唐招提寺や東大寺戒壇院とは戒観を異にしていた。叡尊は西大寺に住すると西大寺流を打ち立て、独自の布教活動をするようになった。 

 西大寺は律宗の寺院であったが、叡尊以後、真言律を唱える門流の中心となっていった。そして、叡尊を西大寺初代長老とし、二代長老・信空の時に真言律宗の基礎が固まった。

 叡尊らは道路の整備や寺院修造のための勧進を行ったことから、後宇多天皇が全国六十余州の国分寺を西大寺の子院とし、一時は千五百余ヵ寺を末寺としたと言われる。しかし戦国時代になると、律宗と共に真言律宗も衰退していった。

 明治五(一八七二)年の太政官の通達によって、律宗の各派はすべて真言宗に帰属したが、同二十八年、西大寺派は真言律宗として独立し、今日に至っている。

 

【破折の要点】

▼日本の律宗の始まりは、鑑真が中国の南山律宗を伝えたことによる。鑑真はこの時に、天台の法華三大部等の典籍も伝えている。

 鑑真は当時の日本の仏教事情を鑑み、まず基礎的な律蔵を基とした教えを弘めたのであり、それよりはるかに高度な教えである天台の教義は弘めず、後世の弘通に託したのである。したがって、鑑真が伝えた律宗は、法華経を弘めるために機を調える教えに過ぎない。 

▼律宗では、戒律を守り修行を実践することが、悟りを得る道であるとしている。仏道修行において防非止悪を旨とする戒律は大切なものであるが、律宗で説く戒律は大乗に通じるとは言っても、実際には小乗の戒律である。これは二百五十戒、三百四十八戒などによって日常生活の細部にわたる規則を定め、行動や発言、精神を規制するもので、末法の衆生には実行不可能な修行である。

 日蓮大聖人は『祈祷抄』に

  「正像既に過ぎぬれば持戒は市の中(なか)の虎の如し」

   (御書六三〇㌻)

と仰せられ、末法においては、持戒の聖者などは町中に虎がいないのと同様に、ありうるものではないと教示されている。

▼律宗は、現在では大乗を装っているが、本来は小乗の教えに基づいた宗派である。小乗教は自利のみを目的としたもので、一切衆生を救済しようとする仏の意に反するものであり、自他共に成仏を願って修行する大乗教に対し、はるかに低級な教えである。 

▼律宗では、道宣の「分通大乗説」を基に、小乗の戒を大乗戒で説く三聚浄戒に当てはめ、大乗の教えに通ずるものであると主張している。

 しかし、日本天台宗の開祖・伝教大師最澄は、律宗をはじめ南都六宗が主張してきた戒は、あくまでも小乗の戒であるとして捨棄し、大乗円戒こそ大乗の教えにふさわしい戒であるとして、法華経を基にする円頓戒壇の建立を目指したのである。

 実大乗教である法華経の法師品に、

  「我が所説の諸経 而も此の経の中に於て法華最も第一なり(中略)已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」 

   (法華経三二五㌻)

と説かれ、釈尊は一切の経典のなかで法華経が最高の教えであると示されている。

 また方便品には、

  「正直に方便を捨て」

   (同一二四㌻)

と説かれ、譬喩品にも、

  「余経の一偈をも受けず」

   (同一八三㌻)

と示されて、小乗教はもちろん、爾前権教に説かれる教義、修行、悟りのすべてを捨てよと教示されている。

 さらに宝塔品では、

 「此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れ戒を持ち 頭陀を行ずる者と名づく」

  (同三五四㌻)

と示され、法華経を受持することが、戒を持つ、仏道精進することになると説かれている。

 これらのことから、律宗は明らかに仏(ぶつ)意(ち)に反していると言える。

 

 

 

 

 


律宗

2023年03月12日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

   一、 南都六宗 

     律 宗(現在の宗派)

[宗祖]鑑真(六八八〜七六三)

[高祖]道宣(五九六〜六六七)

[本尊]梵網経の教主、盧舎那仏

[経論]四分律・梵網経・法華経・道宣の著述

[総本山]唐招提寺 奈良市五条町一三の四六

[寺院教会数]二八

[教師数]一六

[信徒数]二三、八〇〇

 

【沿革】

 日本に伝来した律宗は南山律宗であり、梵網経の盧舎那仏を本尊とし、『四分律』、梵網経、法華経と、道宣の著述を所依とする。戒律を持つことによって悟りを得られるとする宗旨である。

 中国の唐代に道宣が南山律宗を立てたことに始まり、道宣の孫弟子である鑑(がん)真(じん)によって日本に伝えられた。

 天平勝宝六(七五四)年、六度目の渡航でようやく来朝を果たした鑑真は、聖武上皇の勅請を受けて東大寺に戒壇院を設け、上皇をはじめとする多くの人に戒を授けた。日本には戒律を授ける正式な戒壇がなかったが、以後、この戒壇院において公式の授戒が行われるようになった。

 天平宝字三(七五九) 年、鑑真は朝廷から新田部親王の旧宅を賜り、そこに東大寺を建立して止住した。以後、唐招提寺は朝廷から篤く外護され、戒律の根本道場として栄えた。

 また同五年には、筑紫(福岡県)観世音寺、下野(栃木県)薬師寺にも戒壇が設けられた。東大寺を含むこれらの戒壇は「日本三戒壇」と称され、以後、僧尼の受戒(授戒)はすべて、この三ヵ所で行われるようになった。

 平安時代になると、伝教大師最澄が天台宗を弘め、法華一乗の教えに基づいた大乗戒を主張して、それまでの戒を小乗の戒律として退けた。そして最澄滅後、比叡山に円頓戒壇が建立され、また弘法大師空海の真言宗が興隆したことも加わって、律宗の勢力は次第に衰えていった。平安末期には実範、鎌倉時代には覚盛や西大寺の叡尊らが出て律宗の復興が計られた。

 これら東大寺戒壇院、唐招提寺、西大寺を中心とする奈良地方の律宗を南京律(南都律)と呼ぶのに対し、鎌倉時代の俊芿が中国宋代の南山律宗を学んで京都に創建した泉涌寺を中心とした律宗を北京律と呼ぶ。

 以後、唐招提寺・東大寺戒壇院・泉湧寺・西大寺が律宗の四本山となったが、このうち西大寺は、空海を高祖、叡尊を宗祖として戒密双修を唱え、のちに真言律宗を立てた。

 また、江戸時代には、天台宗や浄土宗のなかから『四分律』を取り入れた安楽律、浄土律、正法律などが興ったが、時代とともに衰退した。

 明治になると、政府は律宗の独立を認めず、真言宗に組み入れたが、のちに律宗として独立し、現在に至っている。

 

【教義の概要】

 律宗は『四分律』に説かれている二百五十戒、三百四十八戒等の戒律を持つことにより修行を進め、悟りが得られるとする宗派である。 

 

<化教・制教の二教判>

 道宣は、一大仏教を化教と制教に分ける教判を立てた。 化教とは教理を説く経論を言い、制教とは仏弟子の守るべき戒行を明らかにする戒律を言うとする。道宣は、この制教を宗の本分として律宗を創始した。

 化教には性空教・相空教・唯識円教の三種があるとする。性空教とは人法の性空を説く小乗の教えで阿含経や『摩訶僧祇律』『四分律』『倶舎論』『成実論』に説かれるもの、相空教とは「般若皆空」を説く大乗の浅教で般若経等に説かれる教え、唯識円教とは性相円融を説く大乗の深教で法華経や涅槃経等に説かれる教えであるとする。

 

<分通大乗説>

 律宗の所依の教典である『四分律』は本来、小乗の教典であり、その内容は性空教に当たる。しかし、道宣は一切諸行を戒行と見て、定慧も戒に含まれるとし、『四分律』はその一分が大乗の深教である唯識円教に通ずるものであるとした。これを「分通大乗説」と言う。

 これらの道宣の教えを基に、律宗では『四分律』で説く小乗の戒律を、大乗戒である『瑜伽師地論』の摂律儀戒(戒を守り、非行・悪行を防止する)・摂善法戒(進んで善を行う)・摂衆生戒(衆生を利益する利他行)の三聚浄戒に配当している。

 律宗は、この大乗の精神に立って身口意(行動・発言・精神)の三業にわたり、戒を持(たも)ち、止悪、修善、回向衆生(衆生の幸せのために積極的な導きをすること)を行じていくことを教旨としている。

 

【律宗の戒律】

 律宗では、戒律は身口意のすべてに及び、以下の戒律を守り実践することが、悟りを得る道であるとしている。

一、五戒・・・不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒で、在家信徒が守るべきものとされる。

二、八斎戒・・・五戒に、不香油塗身戒(化粧したり装身具を身につけてはいけない)・不歌舞観聴戒(歌を歌ったり聞いたり、芝居をしたり見たりしてはいけない)・不高広大床戒(身体に心地よい、高く広く大きな寝床で寝てはいけない)を加えたものであり、さらに斎法としての不非時食戒(正午を過ぎてから食事をしてはいけない)を加える。これらは信徒が寺院において一日一夜だけ持つ戒であり、 修行日は毎月八、十四、十五、二十三、二十九、三十日(六斎日)に特定している。

三、十戒・・・八斎戒に不蓄金銀宝戒(財産を蓄えてはいけない)という戒を加えたもの。沙弥、沙弥尼(見習いの僧尼)が守るべき戒。

四、具足戒・・・比丘は二百五十戒、比丘尼は三百四十八戒という、 日常生活の細部まで規定した戒。