大白法 令和3年6月1日(第1054号)から転載
妙法の振舞い
『法華講員の心得』より
⑪ 法華講について ①
⚫名称に由来
「講」とは、本来は経典を講義したり、仏の徳を讃える法要のことでしたが、のちには、信仰する人々の集まりを指すようになりました。
「法華講」とは、末法の法華経、すなわち、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の教えを信じて実践する人々の集まりをいい、大聖人自らつけられた名称です。それは、本門戒壇の大御本尊に、
「願主 弥四郎国重 法華講衆等敬白」と認められていることからも知ることができます。
第二祖日興上人のお手紙の中にも
「さどの国の法華講衆」
と記されているように、宗門草創の時代から、本宗信徒は「法華講衆」と呼ばれていたのです。
⚫法華講の歴史
法華講の起こりは、不惜身命の折伏と護法を貫きとおした富士熱原地方の信徒にあります。
熱原の法華講衆は、入信してまもない人々でしたが、めざましい折伏弘教を展開しました。このため、法華講衆は、正法の興隆を妬(ねた)む者たちの策謀によって幕府の弾圧を受け、二十名が捕らえられて鎌倉に連行され、信徒の中心者であった神四郎等三人が斬首されるという事件が起こりました。これを「熱原の法難」といいます。
熱原の法華講衆は、日興上人のご指導のもと、身命におよぶ迫害を受けながら異体同心して、日蓮大聖人の教えを護りとおしました。
日蓮大聖人は、このような弟子・信徒の護法の姿をご覧になり、仏として世に出現した目的を果たすべき時を感じられ、弘安二年(一二七九)十月十二日に本門戒壇の大御本尊を建立されたのです。
布教の自由が認められない封建時代でも、法華講衆は折伏弘教の信心に励んできました。その一端として、江戸時代中期から幕末にかけて、江戸・加賀(石川県)・尾張(愛知県)・八戸(青森県)・仙台・讃岐(香川県)などで、正法流布を阻止しようとする様々な弾圧と闘ってきた歴史があります。
布教の自由が認められた現代にいたり、法華講は国内のみならず世界各国に日蓮大聖人の教えを弘め、民衆救済の波動を起こしています。
(法華講員の心得 三四㌻)
[信行のポイント]
◯困難の中にも御命題成就
宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の本年、私たち法華講は御法主日如上人猊下の驥尾に附して、コロナ禍などの難局を乗り越えて法華講員八十万人体勢を構築することが叶い、未来広宣流布への大いなる礎を築くことができました。
この八十万人の法華講員が、熱原法華講衆をはじめとする方々が示された不自惜身命の弘教精神を継承すれば、大聖人様の御遺命である広宣流布は必ず叶うのです。
いかなる時代にあろうとも法華本門下種三宝尊を信じ、時の御法主上人に随順してこの仏法を弘めていくことこそ、法華講の使命であり誇りです。私たち令和の法華講衆は、御法主上人の御指南のままに、指導教師の御道念に志を同じくして、折伏に励んでまいりましょう。
◯法統相続の大事
広宣流布のためには、妙法の功徳によって活力あふれる法華講組織を充足することが必要不可欠となります。
各講中において、信心の喜びが個々人から各家庭へ、各家庭から地域へと波及するよう、講頭を中心に支部活動を向上・充実させていくことが大切です。
特にコロナ禍の現在は行動が制約される状況が多々ありますが、その中で試行錯誤を重ね、今までにない創意工夫を凝らして最大限の活動を展開しましょう。
さらには家庭内の信心を見直す機会ととらえ 各家庭の生活が信心を中心に充実していけば、それはそのまま講中に波及します。各家庭の法統相続が、そのまま講中の法統相続となることを思い、より堅固な一家和楽の信心を築いてまいりましょう。
◯異体同心
また、法華講の同志は、異体同心することが大切です。総本山第三十一世日因上人は、金沢法難の最中、金沢法華講衆に対し、
「一結講中異体同心未来迄も相離れ申す間敷候。中に於て一人地獄に落ち入り候はば講中寄り合いて救い取るべし。一人成仏せば講中を手引きして霊山へ引導すべし」
と、固い団結を御指南あそばされています。
御法主日如上人猊下は、
「この異体同心とは、ただ単にみんなが仲良くすることではなくして、大聖人様の御聖意を拝し、自分の心を御本尊様に任せ、広宣流布の一点に焦点を合わせて実践行動を同じくしていくことであることを、しっかり肝に銘じていかなければなりません」(大白法 九二五号)
と、異体同心の要諦は、広宣流布に焦点を合わせての信行の実践であることを御指南です。
私たち法華講員は、広宣流布への固い決意のもとに異体同心し、一人ひとりが広布の前進に取り組み、誇りと確信をもつ活気あふれる講中を築き、折伏を進める中にも未来広布の人材を育成していこうではありませんか。