大白法 令和2年8月1日(第1034号)から転載
妙法の振舞い
『法華講員の心得』より
③日蓮正宗の三宝に帰依しましょう
仏教では、仏法僧の三宝に帰依することを教えています。
三宝とは、この世に出現した仏と、仏が説いた法と、その法を伝える僧をいいます、。この三つがそろって、はじめて、衆生は仏法の功徳に欲することができるのです。ですから、仏法僧を「宝」として崇めるのです。
日蓮正宗では次のように三宝を立てています。
仏宝・・・日蓮大聖人
「大聖人」という呼び方は、
「仏・世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号す」(開目抄)
と仰せられるように、仏の別号である「大人」と「聖人」を合わせた名称です。また仏は主師親の三徳を具えた方をいい、御自ら、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(開目抄)
と仰せられ、日蓮大聖人こそ末法の人々を庇護し(主の徳)、教導し(師の徳)、養育される(親の徳)という三徳を具えた御本仏であることを明かされています。
法宝・・・本門戒壇の大御本尊
日蓮大聖人は、末法の人々を成仏に導くため、久遠本仏としての御内証を御本尊として顕わされました。その御本尊とは、出世の本懐として弘安二年(一二七九)十月十二日に顕わされた「本門戒壇の大御本尊」です。
「戒壇」とは、 御本尊を安置する処をいいます。日蓮大聖人は、広宣流布の暁に全世界の人々が参詣し、罪障消滅して成仏を願うために本門の戒壇を建立するようご遺命されています。この戒壇に安置される根源の御本尊ですから「本門戒壇の大御本尊」と申し上げるのです。
日蓮正宗では、この大御本尊を法の宝として崇めます。
僧宝・・・第二祖日興上人
大聖人は、
「仏宝・法宝は必ず僧によって住す」(四恩抄)
と仰せのように、仏の徳とその教えは、僧侶によって後世まで伝えられます。
日蓮大聖人の仏法は、日興上人をはじめ血脈相承を受けられたご歴代上人によって、末法万年にわたり、すべての人々に正しく流れ通うのです。
このゆえに、日興上人を随一として、総本山のご歴代上人を僧宝として崇めるのです。特に、その時代や衆生の機根に応じて日蓮大聖人の仏法を教導される当代の御法主上人に随順することが、正しく僧宝を崇めることになります。
なお、広い意味で、宗祖大聖人の血脈に連なる日蓮正宗の僧俗も僧宝に含まれます。
私たちは、日蓮正宗のみに立てられる正しい三宝を敬い、信仰に励んでいくことが大切です。
(法華講の心得 十六㌻)
[信行のポイント]
仏教各宗派の立てる三宝を見ると、その教えの内容によって、小乗・権大乗・迹門・本門等、それぞれ異なった三宝が立てられています。( 末表参照)
これら文上脱益の三宝は、過去に釈尊より下種を受け、正法・像法時代に得脱とする本已有善の衆生が敬うべき三宝です。ですから、釈尊仏法による下種を受けていない、本未有善の末法の衆生を救済する三宝とはなりません。
総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』において、
「文上脱益の三宝に執着せず、仏法の根本である文底下種の三宝を信ずるべきである。これこそ末法の時に適った信心である。もしこの三宝の御力がなければ、どうして罪障の深い私たちが即身成仏することができるでしょうか(趣意)」(六巻抄 一九四㌻)
と御指南されています。文底下種の三宝とは、日蓮正宗で立てる三宝のことです。
また、大聖人は『真言見聞』に、
「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(御書六〇八)
と、謗法とは即、謗仏・謗僧であること。それは仏・法・ 僧の三宝が一体なる故であると教示されています。
末法においては、文底下種の三宝を尊信しないことは謗法となるのです。
私たちは、常に三宝一体の御本尊を受持して、三宝の恩徳を報ずるため、精進することにより、自他共に幸福な境界を確立することができるのです。
仏宝 法宝 僧宝
小乗の三宝 インド応誕の釈尊 四諦・十二因縁 四果の聖人(声聞)・縁覚
権大乗の三宝 三十二相八十種好 六波羅蜜・三学 十住・十行・十回向・十地等の仏
法華経迹門の三宝 始成正覚の釈尊 理の一念三千 法華会上の声聞・縁覚・菩薩
法華経本門の三宝 久遠実成の釈尊 事の一念三千 本化の上行菩薩
文底下種の三宝 久遠元初の本仏・日蓮大聖人 南無妙法蓮華経・本門戒壇大御本尊 直授血脈付法の日興上人
(次回は9月1日号に掲載予定)