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しあわせブログ!

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大悪大善御書

2023年01月14日 | 御報恩御講(一)

令和五年一月度 御報恩御講

『大悪大善御書』      文永十二年 五十四歳

 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法 必ずひろまるべし。各々なにをか なげ (嘆)かせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、まい(舞)をもまい(舞)ぬべし。舎利弗にあらねども、立ちてを(踊)どりぬべし。上行菩薩の大地より い(出)で給ひしには、を(踊)どりてこそ い(出)で給ひしか。普賢菩薩の来たるには、大地を六種に う(動)ごかせり。

 

【通解】大事の前には小さな前兆はない、大悪が起これば大善が来るものである。既に大謗法が国に現れているので、大正法は必ず広まるであろう。あなた方は何か嘆いておられるのか。迦葉尊者ではなくとも、舞を舞って喜ぶべきであろう。舎利弗ではなくとも、立ち上がって踊るべきである。上行菩薩は大地からお出になる時、歓喜踊躍して出現されたではないか。普賢菩薩が出現した時には、大地を六種に震動させている。

 

【拝読のポイント】

 大悪の最たるものは謗法

 仏法では、五逆罪は無間地獄の業因とされます。大聖人は、『顕謗法抄』に「懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし」(御書 二七九)と仰せられ、謗法罪は五逆罪をはるかに超えた大罪であると断言されています。

 また謗法者が国に充満すれば、国土・国家に過酷な現証が出来することを、『立正安国論』に「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災い起こり難起こる」(同 二三四)と教示されています。しかも大聖人は、 謗人(身)・謗家・謗国という三義を示され、たとえ自身は謗法を犯さずとも、家族乃至一国に充満する謗法を対治しなければ、 その罪は免れがたいことを指摘されているのです。 (秋元御書・同一四五二参照)

 一家和楽を願い、一切衆生救済と立正安国実現のために、子の苦しみを何としても取り除こうとする親のような慈悲心を、固く強く持ち、積極的に謗法を破折していく以外に道はありません。

 

 日如上人御指南

 折伏を忘れた信心は、本宗のなかには存在しません。まさに、自行化他にわたりての南無妙法蓮華経であります。一人ひとりが折伏をしっかり行じていくところに、必ず大きな功徳が存することは間違いありません。 広宣流布を願う我々が一致団結して、この難局を乗り切っていくことが肝要であろうと思います。(大日蓮・令和四年十一月号)

 

 まとめ

 『折伏躍動の年』の初御講にあたり、共に本年の精進と折伏請願目標の達成を御宝前に誓い会いましょう。また本年は、日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝記念行事として、三月四日には慶祝記念総会、その日を初日として十二月まで慶祝記念総登山が実施されます。必ずを誘い合って参加して御報恩の誠を尽くし、もって広布に向かって大きく前進してまいりましょう。 

 

 

 

 

 


『撰時抄』

2022年10月15日 | 御報恩御講(一)

令和四年十月度 御報恩御講

 『撰時抄』(せんじしょう)    

 建治元年六月十日 五十四歳

 一渧(いってい)あつまりて大海(だいかい)となる。微(み)塵(じん)つもりて須(しゅ)弥(み)山(せん)となれり。日蓮が法華経(ほけきょう)を信(しん)じ始(はじ)めしは日(に)本(ほん)国(ごく)には一渧(いってい)一(いち)微(み)塵(じん)のごとし。法華経(ほけきょう)を二(に)人(にん)・三人(さんにん)・十(じゅう)人(にん)・百(ひゃく)千万億人(せんまんのくにん)唱(とな)え伝(つた)うるほどならば、妙覚(みょうがく)の須(しゅ)弥(み)山(せん)ともなり、大(だい)涅(ね)槃(はん)の大海(だいかい)ともなるべし。仏(ほとけ)になる道(みち)は此(これ)よりほかに又(また)もとむる事(こと)なかれ。(御書八六八㌻二行目)

【通釈】一滴の水が集まって大海となる。塵が積もって須弥山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本国から見れば一滴のしずく、一粒の塵のようなものである。法華経を二人、三人、十人、百千万億人と唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山となり、大涅槃の大海ともなる。成仏への道はこれよりほかに求めてはならない。

【拝読のポイント】
〇末法適時の正法とは
 本抄の冒頭に「夫(それ)仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(御書八三四)と仰せられています。仏法においては、今はいかなる時であるのか、そしてどのような法に利益があるのか、これが最重要事です。時に適った法を誤るならば、修行をいくら重ねても功徳がそなわることはありません。むしろ、『教機時国抄』には「時を知らずして法を弘むれば益無き上還って悪道に堕するなり」(同二七〇)と、厳しく仰せられているのです。
 総本山第二十六世日寛上人は、本抄題号の「撰時」について通別の三意を示され、中でも別しての本意として、正像末の三時のうち末法という時を撰び取る意を示されています。そして何よりも、末法に弘通すべき法と帰依すべき仏について、末法は文底秘沈の大法である三大秘法が広宣流布する時であること、また末法においては下種の教主である大聖人が三徳兼備の御本仏であること、との二意を示し、これをわきまえる重要性を教示されています(撰時抄愚記・御書文段二八九~九〇趣意)。末法の世に生きる私達は、御本仏大聖人と大聖人の妙法によってのみ一切衆生が救われることをしっかりと銘記いたしましょう。
〇今こそ折伏を実践する〝時〟
 本日、拝読箇所の「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧一微塵のごとし(中略)仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ」との御文について、日寛上人は「漸々に寿量の妙法、広宣流布すべし(中略)『信』の字、『唱』の字、之を思え」(撰時抄愚記・御書文段三七二)と指南されています。
 すなわち、私達が大聖人に続き、破邪顕正の折伏を実践していくならば、必ず広宣流布は達成すること、またそのために、御本尊を固く信じ、自行化他のお題目を唱えていくこと、これが信心修行の要諦であるということです。
 コロナ禍をはじめとする様々な災いをなくすためには、私達が真剣な唱題を重ね、慈悲と勇気をもって、身近な人から折伏を実践していく以外に道はありません。まさに「今こそ折伏の時」、時を逃さず、自他ともの成仏につながる折伏に、果敢に挑戦していこうではありませんか。
○日如上人御指南
 法華経薬王品には(中略)広宣流布は必ず達成すると仰せでありますが、しかし、広宣流布は我々の努力なしでは達成することはできません。そこに今、我々が大聖人様の弟子檀那として、一切衆生救済の慈悲行である折伏をなすべき大事な使命があり、責務が存していることを知らなければなりません。そして、その使命と責務を果たしていくところに、我ら自身もまた広大なる御仏智を被り、計り知れない大きな功徳を享受することができるのであります。(大日蓮・平成二十六年十二月号)
□まとめ
 本年も残り二カ月半ほどとなりましたが、私達は時に適った信行ができているでしょうか。無為な時間を過ごしてはいないでしょうか。とにもかくにも、自らが行動を起こさなければ、何も変わることはありません。今、自分は何を為すべきか、このことを今一度見つめ直し、本年度の誓願成就に向けて、力の限り行動を起こしてまいりましょう。