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宿業

2022年11月24日 | 教学ノート(三)

大白法 平成28年7月16日(第937号)

 「教学ノート」 

  ㉒ 宿 業

 宿業とは、 過去世からの善悪の行いによって、現世や未来世に苦楽の結果を招くことを言います。

 私たちは、一人ひとり生まれながらにして容姿や能力などが異なります。

 それは、因果の道理において、過去世からの一切の行為・言動・思考のすべてが、善悪の行為として命に積み重なり、現世や未来世に結果としてその報いを体や心に受けるからです。

 この宿業の相には、 業因(原因)と業果(結果)があります。

 業因とは、 身・口・意の三業です。身業とは身体で行動すること、口業とは口から言葉を発すること、意業とは心で思うことです。

 この身・口・意に、人のすべての行為が含まれます。

 次に、 業果には、共業(ぐう ごう)と不共業、定業と不定業が挙げられます。

 共業とは、国土の災害や社会の問題など、誰もが共通して受ける業のことです。

 不共業とは、 病気などの個人的に受ける業のことです。

  また、定業とは、過去世からの行いによって既に定まって変えることのできない業のことを言い、不定業とは、善悪の行いによって改められる業のことを言います。

 さらに宿業を受ける時は、順現受業(現世ですぐに報いを受ける) 、 順次受業(未来世で報いを受ける)、順後受業(未来世の次の世以降で報いを受ける)の3種があります。

 大聖人様は、『可延定業御書』に、

 「定業すら能く能く懴悔すれば必ず消滅す。何(いか)に况(いわ)んや不定業をや」

  (御書 760㌻)

と仰せられ、『佐渡御書』に、

 「宿業はかりがたし。(中略)偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(同 580㌻)

と仰せられております。

 私たちは、大聖人様の仏法を信じ、三大秘法の御本尊様に御題目を唱え、一人でも多くの人にこの妙法を弘めていくことが大切です。

 その信行によって、過去世からのあらゆる謗法罪障を消滅し、すべての人が幸せな生活を送ることができるのです。

 🖊 ポイント

  総本山第26世日寛上人は、

  「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向かい、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり。是れ則ち身口意三業に法華を信ずる人なり」(御書文段 608㌻)

と、身口意の三業の上に、破邪顕正の精神を常に忘れず、折伏を行じていくことが肝要であると御指南されています。


法宝

2022年11月23日 | 教学ノート(二)

大白法 平成27年8月16日(第915号)

 「教学ノート」⑬ 

   法 宝

 

 法宝とは三宝の一つで、仏の悟りと慈悲に基づいて説かれた教えのことを言います。

 インドに誕生した釈尊は、様々な衆生の能力に応じて、 小乗教(自己の悟りだけをめざす教え)、 権大乗教(後の実大乗教に導くための仮の教え)、実大乗教(真実の教えである法華経)を説いて、それぞれに応じた法宝を示して衆生を導かれました。

  しかし、釈尊の仏法では、滅後二千年間の正法・像法時代までしか利益がないため、その後の末法時代の衆生を成仏に導くことはできません。

 そこで釈尊は、『法華経如来神力品第二十一』において、上行菩薩に末法における弘通を託されました。

 この上行菩薩の再誕として末法に誕生されたのが日蓮大聖人様です。

その真の御姿は、 『開目抄』 に、

 「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて」

  (御書 563㌻)

と仰せられ、第二十六世日寛上人は『開目抄文段』に、

 「此の文の元意は、蓮祖大聖は名字凡夫の御身の当体、全く是れ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕われたもう明文なり」(御書文段 167㌻)

と説かれるように末法下種の御本仏です。

  この御本仏日蓮大聖人様が説かれる仏法は、『開目抄』 に、

 「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底(そこ)に秘してしづめたまへり」

  (御書  526㌻)

と仰せられるように、法華経本門の『寿量品』の文の底に秘沈された、文底下種・独一本門・事の一念三千の南無妙法蓮華経です。

 そして、大聖人様は、『草木成仏口決』に、

 「一念三千の法門をふ(振)りす(濯)ゝぎたてたるは大曼荼羅なり」(同 523㌻)

と仰せられ、末法の衆生を救済するため、悟りの法である事の一念三千の南無妙法蓮華経を大曼荼羅(御本尊)として顕わされました。 

 その根本の御本尊が、現在、総本山大石寺の奉安堂に御安置されている「本門戒壇の大御本尊」であり、日蓮正宗では、本門戒壇の大御本尊を法宝と立てるのです。

 私たちは、この本門戒壇の大御本尊を信じ、勤行・ 唱題・折伏を実践して、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱えていくことによって幸せになることができるのです。 







 🖊 ポイント

 大聖人様は、『聖人御難事』 に、

 「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。(中略)余は二十七年なり」 (御書  1396㌻)

と説かれるように、弘安2年10月12日に、出世の本懐(この世に生まれてきた本当の目的)として、末法の法宝である「本門戒壇の大御本尊」を顕わされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


煩悩

2022年11月22日 | 教学ノート(三)

大白法 平成28年6月16日(第935号)

 「教学ノート」 ㉑

        煩 悩

 煩悩とは、私たちの心身をかき乱し、悩まし、穢す、ありとあらゆる精神作用の総称です。つまり、私たちの生命に具わる、成仏するための障りとなる欲望や迷いの心のことを煩悩と言います。

 煩悩は、「百八煩悩」 や「八万四千の煩悩」という言い方があるように、

数多くあると言われています。 天台大師は、そのように数多くの煩悩を、見惑(真実の道理に対する惑い)・ 思惑(諸事物を思慮して起こる惑い)・塵沙惑(衆生を自在に教化することができない妨げ)・無明惑(無数の煩悩の根源)に大きく分けています。このうちの見惑と思惑は合わせて見思惑とも言い、見思・塵沙・無明の三つの惑を三惑と総称します。

 また煩悩は「惑」や「縛」などという呼び方をされるように、一切衆生は煩悩によって悪行を犯し、その結果として苦悩の報いを受けて生死(迷いの世界)に縛られ続けるのです。

 そこで釈尊は、無数の煩悩によって迷いの世界から抜け出せない衆生を救済するために、多くの教えを説き、煩悩を断つことで悟り( 成仏)に到達できると説かれました。

 法華経以前に説かれた爾前経では、 成仏するためには生死を繰り返しながらたくさんの煩悩を徐々に断じていき、すべての煩悩を断じ尽くしたところに成仏があると説かれました。

  しかし、真実の教えである法華経に至ると、煩悩と菩提(仏様の悟り)は相反するものではなく、私たちの生命に共に具わってるものと明かされました。そして、根本においてこの二つは、本来、一体のものであり、煩悩はそのまま菩提となると説かれたのです。これを煩悩即菩提と言います。 

 日蓮大聖人様は『当体義抄』 に、

 「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書 694㌻)

と、南無妙法蓮華経と信じて唱える功徳によって、煩悩を直ちに菩提へと転ずる、即身成仏という仏法究極の利益を得られると仰せです。

 したがって私たちは、本門戒壇の大御本尊様に対する不惜身命の強盛な信心と唱題により、煩悩がそのまま成仏の因となり、その身そのままで成仏の大果報を得ることができるのです。 

 

 

 

 

  🖊 ポイント

 御法主日如上人猊下は、

 「人々の苦しみや悩み、不幸、こういったものはどこから出てくるかと言うと、結局は煩悩から生まれてくるわけで、この煩悩が悪業の因縁を作り、そして、その悪業の因縁によって人々が苦しむのであります。それがずっと永遠に続くのでありまして、つまり苦しみがまた煩悩を生み、煩悩が悪業の因縁を作る、そして悪業の因縁によって苦しむ、そしてまた煩悩を作る、これを輪廻三道と言いますけれども、そこから抜け出すことができないのであります。

 この三道を法身・般若・解脱の三徳に転じていくのは、大聖人様の仏法以外にないのであります」(大白法  686号)

と仰せです。

 

 

 

 

 

 


如在の礼・生飯

2022年11月20日 | 仏教用語の解説(四)

大白法 令和2年10月16日(第1039号)からの転載

 仏教用語の解説 ㉜

  如在の礼・生飯

 

 如在の礼

 「如在の礼」 とは、入滅して姿を隠した仏などに対し、生きて在(ましま)すが如くに礼を尽くすことをいいます。 

 本宗においては、総本山第五十九世日亨上人が、

 「(第二祖日興上人が)些細の供養も一々宗祖御影の見参に供へて、如在の礼を本仏大聖に尽し給ふ」

と示されるように、特に、日興上人が日蓮大聖人の御入滅後にあっても、大聖人の生前と変わらず、御本尊及び御影に対し尊崇の念をもって常随給仕された、その姿勢をいいます。 

 

 日興上人の御振る舞い

 日興上人の弟子、 三位日順師の記した『日順雑集』に、

 「身延山には日蓮上人九年・其の後日興上人六年御座有り、聖人御存生の間は御堂無し、御滅後に聖人の御房を御堂に日興上人の御計らいとして造り玉(たも)ふ」

とあるように、日興上人は大聖人の滅後、身延の大聖人の住坊を、御影堂に改装されました。 

 すなわち、日興上人は、御本尊のみが御安置されていた身延の御宝前に、日蓮大聖人等身の御影を追加して御安置し 、生前と変わらぬ常随給仕をされたのです。これこそが如在の礼であり、御影堂の始まりです。 

 

 御影の御宝前に進(まい)らせさせ給え

 日蓮大聖人等身の御影を御安置し、御影に対して、読経・唱題、常随給仕を開始されたのは日興上人が最初です。

 しかし、身延の地頭・波木井実長は、釈尊立像の一体仏を安置するよう、日興上人に迫りました。日興上人は、

 「改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせさせ給え」

  (日蓮正宗聖典 五六〇㌻)

と、波木井実長に対し、日蓮大聖人は滅不滅の御本仏として、生きておわしますことを御教示されたのです。

 

  御本尊様への常随給仕

 日興上人の書状には、

 「御手作の熟瓜二籠、御酒一具、聖人御影の御宝前に申上まいらせ候了」

  (歴代法主全書)

とあり、第三祖日目上人からの御供養を、まずは大聖人の御影にお供えしたと記されています。このように、日興上人は僧俗からの御供養のすべてを、まずは大聖人にお供えしていたことが、多くのお手紙からうかがわれます。

  第九世日有上人が、

 「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(日蓮正宗聖典  九七九㌻)

と御教示されてるように、日蓮正宗の御本尊は、すべて日蓮大聖人の御命であり、御本尊に対して、生きておわします大聖人のように御給仕申し上げていくことが大切です。 

 御本尊に対して如在の礼を尽くしていくことは、仏道修行の根本です。

 

 生飯

「生飯」とは、自らの食事の少量を別器に取り分け、鬼神等の法界万霊(地獄・餓鬼・畜生の三悪道を含む、あらゆる霊)に具える行為で、遍く霊に散ずる意義より散飯ともいいます。

 本宗においても、御報恩御講などの法要で三宝に膳を具える場合には僧侶により、必ず行われています。

 涅槃経には、壙野(こうや)という鬼神が釈尊に帰依し、不殺生戒を受けたことについて、次のように説かれています。

           ◇

 常に多くの衆生が殺生し、血肉のみを食してる壙野という鬼神がいました。

釈尊は壙野のために法を説こうとしましたが、壙野は 暴悪・愚癡・無智にして、教えを聞き入れようとはしませんでした。

 そこで釈尊はその身を大力鬼に変じ、壙野の住んでいた宮殿を揺れ動かして脅かしたところ、いたたまらなくなった壙野は、眷属を引き連れて大力鬼(釈尊) の前に行き、反抗しようとしました。 

 しかし、大力鬼の姿を見るなり壙野は、恐怖のあまり、悶えて気絶してしまいました。

 大力鬼が手で壙野を摩ると、壙野は起き上がって座り、

 「私はあなたに会って死んでしまうかと思いましたが、かえって命を救われました。あなたは大威徳を持ち、さらに慈しみ愍れみの心をもって私を許してくださいました」

と述べて、今までの行いを悔い改めたのです。

 釈尊が大力鬼に変じていた身を元に戻し、壙野に種々の法を説いたところ、ついに壙野は釈尊に帰依したので、釈尊は壙野に不殺生戒を授けたのです。 

 壙野は釈尊に尋ねました。

 「私たち鬼神はこれまで、ただ血肉のみを食してきました。不殺生戒を受けた今、どのようにして生きていったらよいのでしょうか」壙野の問いを受けて釈尊は、自らの弟子に次のように命じました。

 「仏道を志す私の弟子たちは、食事をする際、どこにあっても必ず壙野鬼神に食事を施してから食事をしなさい。今より以後、そのようにしなければ、それは私の弟子ではない。魔の眷属である」

 釈尊のこの命令によって壙野たち鬼神は、鬼神でありながら正法に安住することができるようになったのです。(趣意) 

          ◇

とあります。

  引用が少々長くなりましたが、つまり、僧侶が食事をする際、 少量の食事を鬼神等のために取り分けることを生飯と称するのです。

 

 生飯の功徳

 日蓮大聖人は、生飯の功徳について『刑部左衛門尉女房御返事』に、

 「餓鬼道に堕ちて苦しんでいた目連尊者の母が、その苦しみを逃れることができたのは、目連尊者が行った供養の生飯が母に届き、苦しみを救ったのである(趣意)」(御書 一五〇五㌻)

と述べられています。

 これは、大聖人が盂蘭盆の意義を述べられているところですが、三宝に供養すれば、生飯の功徳によって遍く一切の命を救うことができることを示されています。

 

 日蓮正宗における献膳の作法 

 日蓮正宗においても、法要で三宝や精霊に献膳する(膳を具える)際には、生飯を行います。

 

最初に供えられた膳には、ご飯・汁・煮物などに蓋がしてあります。献膳では、まずこの蓋を取り、さらにご飯の蓋に、ご飯や煮物などを少量ずつ取り、それを三方の脇に置いて生飯とするのです。 

 

 次回は、「転重軽受」についての予定です。

 

 

 

 


(四)本迹相対

2022年11月19日 | 日蓮正宗要義(一)

⑨日蓮正宗要義 改訂版からの転載

 第一章 日蓮大聖人の教義

 第一節 五綱

 第一項 教

  第一目 五重の相対

              (四)本迹相対

 

 本迹相対とは、釈尊の法華経二十八品のうち、 涌出品・寿量品に説き明かされる久遠実成の教説と、迹門前十四品ないし爾前経の始成正覚の教説との勝劣・相違を表わす法門である。すなわち釈尊一代の化導における本門と迹門の相対をいうのである。

 法華経二十八品のうち、前十四品は伽耶において始めて正覚を成じた仏の所説であるから迹門といい、後十四品は発迹顕本して久遠の本地を顕わされた仏の所説であるから本門という。

 迹門方便品において諸法実相を説き、更に正宗八品に法・譬・因の三周の説法を設けて、爾前四十余年に永不成仏と嫌われた二乗の授記作仏が説示せられた。授記を受けた諸声聞は歓喜踊躍して、清浄な九界即仏界の道果を信受享楽したことが経文に説かれている。

 ここに爾前経の二乗不作仏・始成正覚の二失のうち、一失を免れることになったが、その十界互具・百界千如の融通の悟りは根本の証明論拠を欠くため、まことの一念三千の法とならず、したがって二乗の作仏ということも名のみあって真義に到達できない。

 一念三千は、二乗作仏によって詮顕される理法であり、二乗作仏はよく一念三千の法を詮顕するところの実義である。しかるに迹門の一念三千と二乗作仏はそれぞれ本無今有と有名無実の二失を存するのである。一念三千の二失をいうならば、諸法実相を説き、そのうえに一念三千が論ぜられるゆえに今有であるが、仏の顕本がなく、久遠本有の法が示されないから本無である。また開目抄に

 「まことの一念三千もあらわれず」(新編五三六)

と説かれるのは、そのまま有名無実を示されるものである。

 次に二乗作仏の二失とは、 迹門においては、いまだ仏と成るための根本の種子である久遠の当初の妙法を覚知していないから本無であり、しかも劫・国・名号の作仏授記を受けるゆえに今有である。また迹門の二乗は、釈尊を伽耶始成の仏と信ずるが、その所信を愛着する点は思惑であり、久遠の本因本果を知ることがない邪見は見惑に当たる。このように、いまだ見思二惑をも断尽していないから、根本無明の惑を断尽することはありえない。したがって作仏とはいっても、有名無実である。

 以上能栓の二乗作仏と、所詮の一念三千の二義ともに、迹門には本無今有と有名無実の二失のあることが明らかである。次に開目抄には、本門教相上の発迹顕本について、本迹の相違を述べるに

 「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果やぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって、本門の十界の因果をとき顕はす。此即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備はりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(新編 五三六)

と述べられている。この文は、破迹顕本の表現によって示されているが、顕本の義としては廃迹顕本・開迹顕本・会迹顕本等、十重の顕本の意義も当然具わるのである。

 涌出品・寿量品の開顕により、所化の伽耶始成の仏身に関する執着は、徹底して打ち破られた。このことは今まで爾前・迹門で説いてきたところの蔵・通・円のそれぞれの教主、三蔵劣応身・通教勝応身・別教他受用身・円教法身の仏に対する観念を根底から覆し去ったわけである。したがって仏果が虚妄となったのであるから、その仏果を得るための仏因として、四教のそれぞれに示す種々の修行も必然的に打ち破られて、泡沫に等しいものとなった。

 故にこの四教をもって薬味とし、四十余年間化導してきたところの爾前・迹門の経々における、九界の因も仏界の果もまた当然、打ち破られることになる。

 華厳経の毘盧遮那報身仏、小乗の劣応身、方等・般若の四種・三種の仏身、法華迹門の応即法身仏、三世十方分身仏、その他各宗の各経典を根拠として談ずる無量の仏身等は、すべてそのもとの教主の涅槃とともに滅尽する無常の仏であり仏土である。

 これらの仏因仏果が、すべて寿量顕本によって打ち破られて、本仏の絶大威力をもって、本門の十界常住が説き出されたのである。この本因本果の法門に文上と文底の二意が存する。

 文上の本因本果とは、印度応現の釈尊の化導を立場とし基調として、そのところより顕わすところの常住の本因本果の実義である。寿量品に

 「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」(開結四三三)

と本因の常住を明かす文について、天台大師は法華文句九に

 「仏は円因を修して初住に登りたまふ時、已に常寿を得たまへり、常寿は尽き叵(がた)し、已に上の数に倍せり、況(いわ)んや復果をや」(文下 六四一)

と述べている。この能化に約する本因常住の意を探るとき、その所領の意は一切九界の無始常住を示されたものといえる。また

 「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり(中略)常住にして滅せず」(開結四三三)

 と示される本果の常住を文底体内の文上の意より見れば、無始の仏界の開顕となる。しかし、右両文の中心となる「我」とは、印度応現の釈尊であり、その釈尊の立場より時間的な常住において、 本因妙と本果妙をともに示されるところを、 文上における久遠の妙法の宗旨とする。ここに諸経の仏身が統一されて、大日・阿弥陀等も釈迦仏の分身であることが確立したのである。

 霊山一会の大衆は、仏の本果常住を聞いて無始以来の自己と本仏との常住の因縁を悟り、仏の本因常住を聞いて、本仏と因を等しくする常住の身であることを知る。「脱は現に在リと雖も具(つぶ)さに本種を騰(あ)ぐ」(記上  七一)の意である。

 このように無始の九界即仏界、十界互具の観心をもって、本有の三因仏性を開発し、本仏同体の我が身であることが感得される。更に一転して久遠の名字凡夫の位に立ちかえり、ただ信の一字をもって我が身こそ久遠下種の妙法当体の蓮華仏と開覚し、因果一念の不思議の悟りを証得したのである。故に釈尊の究極の化導も寿量品であり、在世の衆生の即身成仏も、本門寿量品の開顕にあったことを知らなければならない。

 このように迹門より一重立ち入って、本門の特勝を示すものが本迹相対の法門である。かの涌出品における弥勒等の動執生疑(どうしゅうしょうぎ)は、まさに本迹の懸隔(けんかく)にただならないものがあることを示しており、この相違を観心本尊抄に

 「所説の法門も亦天地の如し」(新編  六五五)

と決せられている。

 次に文底の本因本果との関係について一言する。経文の上の本迹の相違は印度応現の釈尊を基点とするが、もし久遠の本より望むときは迹門の化導中における本迹の相対にすぎない。前掲開目抄の文の本因本果を一往釈尊中心に示されるのは、久遠より迹を垂れた化導において、その迹を発(はら)って本を顕わすためである。それは要するに迹の中の本迹の次元であり、これを文上といい、経旨本迹という。これに対し、久遠元初本因名字の当体当相に本地本極の因果一念に即する三千を顕わすのが文底の立場であり、末法上行菩薩の宗旨における本迹である。故に先の開目抄の文は、一往文上・再往文底に約す意味を持っている。ともかく在世本門の開顕は、伽耶始成の迹を発(はら)い釈尊の久遠常住を示すことをもって、垂迹化他あるいは名字不同の諸仏を統一し、十界常住のうえに国土世間の円融を開き、草木国土悉皆成仏の義を述べて、真の一念三千が顕わされた。仏の化導は、在世の衆生が久遠の種子を覚知し、即身成仏の妙果を得たことによって、完了したのである。

 したがって釈尊の化導中の法華経に前後を分かつときは、迹門前十四品より涌出品・寿量品が一重勝れた意味を持つ。これを末法の化導における順序として右の本迹の勝劣を表わされるのが、日蓮大聖人の五重相対の中、本迹相対の法門である。 

 

 

 

 

 

 


⑥信心の道場である寺院へ参詣しましょう

2022年11月18日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年11月1日(第1040号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑥信心の道場である寺院へ参詣しましょう

 

 総本山大石寺は、本門戒壇の大御本尊が厳護され、日蓮大聖人の血脈が伝えられている仏法の根源の霊地です。

  その末寺も、御本尊が安置され、仏法僧の三宝が備わった法城であり、僧俗が和合して仏法を学び、日蓮大聖人の教えを弘めるための重要な道場なのです。 

 なお 末寺には、御法主上人の任命を受けた住職や主管が法華講員に対して信心の指導にあたっています。 

 私たちは、信心修行の道場である寺院へ常に参詣し、指導教師である住職・主管の指導のもとに信行に励むことが大切です。 

 (法華講員の心得 二三㌻)

 

 [信行のポイント]

  本宗の寺院には所属信徒にとって、 根本道場たる総本山の出城として、本門戒壇の大御本尊の写しである常住御本尊が安置された帰命(自らの命を仏に奉り帰依すること)依止(徳ある所に止住して離れないこと)の道場です。私たちは常に所属寺院に参詣し、僧俗和合して正法護持と地域広布のため精進していくことが肝要です。

 

 師弟相対の信心

 本宗の信仰の基本は、第二祖日興上人が

『佐渡国法華講衆御返事』 に、

 「し(師)で(弟)し(子)をたゞしてほとけ(仏)になり候」(歴代法主全書)

と仰せのように、御本仏(日蓮大聖人)と本師(御法主上人猊下)、 本師と小師(末寺の住職・主管)、小師と信徒という縦の筋目を重んじ、師弟相対の信心により、即身成仏の大功徳を成就することにあります。

 したがって総本山第二十六世日寛上人が『寿量品談義』に、

 「一足一足を積んで千里を行くが如く、日日に参詣して南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、一足一足の裏に寂光の都は近づくなり。一辺一辺に大山大海の如くなる仏身を、我が己心にこしらえ立つる程に随分に参詣唱題肝要なり」(同)

と仰せのように、師弟相対の信心修行の道場である寺院に常日頃から参詣し、 御住職・御主管より御法話を聴聞し、唱題に励んでいくことが、過去遠々劫以来の謗法罪障を消滅し、現当二世に亘る大願成就、即身成仏の大功徳を積む信行なのです。 

 また大聖人が『佐渡御書』 に、

 「此の文(ふみ)を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡(りょうけん)候ひて心なぐさませ給へ」(御書 五八三㌻)

と仰せられています。御在世当時の先達方のように、 どのような難局にあっても、 御本尊様のもとに寄り合い、 講中の同志と互いに切磋琢磨して、深い信心を起こすことが大切なのです。 

 

 諸行事への参詣

 寺院で行われる御会式や御報恩御講、年中行事等の法要は、仏祖三宝尊に対する御報恩の法要です。 

  これらの諸行事への参詣を通して、 大聖人の教えや御宗門の伝統、そして正しい修行の在り方を学ぶのです。

 また、私たちが先祖や縁ある故人を安穏な境地に導くためには、正しい仏法によって回向しなければなりません。そのためには寺院に参詣し、彼岸会、盂蘭盆会などの塔婆供養の際に塔婆を建立して故人の成仏を期することが大事です。 

 日蓮大聖人は『草木成仏口決』 に、

 「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(同 五二二㌻)

と塔婆建立の意義について示されています。

  追善の志をもって塔婆供養するならば、その功徳によって故人も成仏することが叶い、願主も大きな功徳善根を積むことができます。 こうした正しい追善供養ができるのは日蓮正宗寺院のみです。

 このように、寺院は自身の過去遠々劫の謗法罪障を消滅し、現在と未来に功徳を積み重ねていく信仰実践の道場であり、 また過去の諸精霊の追善の回向を正しく修する場なのです。

 

  未来広布へ向けて異体同心

  日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布は、僧俗の大目標であり、本宗寺院は各地におけるその拠点に当たります。 

  日蓮大聖人が『異体同心事』 に、

 「日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚え候」(同 一三八九㌻)

と仰せのように、私たちは常に寺院へ参詣し、僧俗共に異体同心して精進するところに、 広宣流布の大願も成就することを心肝に据えましょう。

 御法主日如上人猊下は、

 「本宗における寺院とは、それぞれの地域における弘通の法城として建立されるものであります。しこうして、寺院がその役目を果たしていくためには、

僧俗一致・異体同心の団結が絶対要件となります」(大白法 一〇〇六㌻)

と御指南されています。

 したがって、 自宅で自分なりに読経・唱題すれば良いというような姿勢では正しい信仰の筋道を歩んでいくことは困難です。

  努めて寺院に参詣し、指導教師のもと、お互いに励まし合い、異体同心の講中に身を置くことが大切なのです。





    次回は、弟子旦那への教導について触れられています。

 

 

 

 

 

 


桑ヶ谷問答

2022年11月16日 | 日蓮大聖人の御生涯(三)

大白法 令和2年11月1日(第1040号)から転載

 日蓮正宗の基本を学ぼう 141

  日蓮大聖人の御生涯 ㉗

         桑 ヶ 谷 問 答

 

 建治三(一二七七)年六月九日、鎌倉桑ヶ谷において、日蓮大聖人の弟子・三位房日行と天台僧の竜象房との法論が起こりました。

 当時、鎌倉では極楽寺良観が後家尼等の庇護を受けて、なおも隠然たる勢力を持っていました。そこへ天台宗の説法僧である竜象が、建治三年頃、京都から鎌倉へと入り込んできました。

 そして、極楽寺良観に取り入って庇護を受け、鎌倉大仏殿の西にある桑ヶ谷に住して、日夜説法をするようになっていました。

 竜象は、仏法の正邪も弁えず、「諸宗ことごとく得道あり」との妄言を盛んに説いていましたが、弁舌が巧みであったのか次第に鎌倉中の人々から尊ばれ、ついには釈尊の再来であるとまで仰がれたと言われています。

 このような中で、大きな慢心を持つ竜象は不遜な態度で、 

 「仏法に疑問のある人は、誰でも来て質問されるがよい(趣意)」

 (御書  一一二六㌻)

と高言を吐いていました。

 一方、大聖人の弟子・ 三位房日行は、学才に長け弁舌の巧みな青年僧であり、この頃、鎌倉・富士方面を中心に弘教していました。 鎌倉にあって、竜象の噂を聞いた三位房は、

 「鎌倉の人達は上下を問わず釈尊のように尊び、一人として問答に及ぶ人はいないとのことである。私はその説法の席へ行き、竜象房と問答して、多くの人々の後生に対する不審を晴らしたいと思う(趣意)」 (同 一一二七㌻)

と考え、その問答の場に四条金吾を誘いました。 

 この時、四条金吾は公務のため同行できず、三位房は単身、桑ヶ谷の説法場に赴きました。 四条金吾は特に御法門のことであったので、公務を終えた後、遅れながらも問答の場へ向かい、聴衆の一人として加わりました。

 得意げに説法していた竜象は説法を終えると、例によって「法門に不審のある人は質問しなさい」と傲慢な態度で聴衆に語りかけていました。

 三位房は、「日蓮房の弟子である。それならばお尋ねいたそう」と質問し始め、

 「弘法大師は法華経は戯論の法と言われたが、釈迦・多宝等の諸仏は法華経が真実であると証明している。また善導・法然等は千中無一と述べているが、釈尊・多宝の二仏は法華経こそ皆成仏道の教えなりと説かれている。仏の言葉と証明が正しいのか。それとも弘法や善導・法然等の人師論師の言葉が正しいのか、返答せよ(趣意)」(同  一一二八㌻)

と詰め寄りました。しどろもどろの返答しかできない竜象に対して、三位房は法門の筋を建てて仏法の道理を説きました。そして数番の問答によって、竜象は顔色を失い、何ら明瞭な反論もできず徹底的に破折され、無慚な姿をさらしたのです。

 これを聴聞していた多くの人々は、三位房の弁舌の見事さに皆歓喜し、「今しばらく御法門をお聞かせください」と引き止めるほどで、大衆の熱い視線の中、三位房は四条金吾と共にその場を引き上げました。

 そして竜象の正体も明らかになりました。この竜象は、かつて京都において朝夕に人肉を食していたという、悪鬼の如き破戒僧で、このことが露見して、比叡山の衆徒に住居を焼かれ、命からがら逃れてきたというものです。

 

 『頼基陳状』

 この問答の評判は、たちまち鎌倉中に広まりました。

 それを怨んだ竜象は、極楽寺良観と謀り、陰湿卑劣な報復を企てました。それは法座の場面にいた四条金吾に狙いをつけ、その同僚の家来に語らい「徒党を組み武装して乱入し、暴力で法座を乱した」などと、無実の言いがかりを四条金吾の主君である江馬氏に申し立てさせたのです。

 江馬氏は烈火のように怒り、即刻、四条金吾に対して「下し文」を出し、法華経の信仰をやめる起請文を書くように命じ、それを提出しないときには、所領を没収する旨を申し渡しました。

 こうして四条金吾は、主君や同僚等から種々の迫害を被るなど、厳しい状況に立たされることになりました。

 四条金吾は、直ちに事件の発端である桑ヶ谷問答の顛末と、主君からの下し文とを添え、「たとえ所領を没収されようとも、法華経の信仰を捨てるような起請文は書きません」と身延の大聖人のもとに急使を立て書状を送りました。

 誓状にあふれる四条金吾の強い信仰の決意を御覧になられた大聖人は、直ちに四条金吾に代わって陳状の案文を書いて送られました。これが建治三年六月二十五日の『頼基陳状』です。

 『頼基陳状』に添えられた御手紙で大聖人は、難に立ち向かう四条金吾の強盛なる信心を最大に称賛されていますが、さらに以後予想される一段と厳しい事態に対しては、

 「いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給ふべからず」

  (同  一一六二㌻)

と、どのような境遇になっても、不退の信仰を貫くよう厳しく御指南されています。また、

「日蓮聖人の御房は三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来の御使ひ上行菩薩にて御坐し候ひける」(同  一一三五㌻)

と、一切衆生の主師親三徳を具えた上行菩薩の再誕であることを明かされています。四条金吾の立場を借りて、大聖人こそ外用上行菩薩の再誕、内証主師親三徳を具備された末法下種の御本仏であることを御示しになられました。

 この後もしばらくの間、四条金吾の苦難は続きましたが、その都度大聖人に御指南を仰ぎ、正しい信仰を貫きました。

 こうして建治四年の一月頃には大聖人の適切な御指南のもと、四条金吾の誠意が実り、主君の御勘気も解けたのでした。

 

 真の弟子とは

 『頼基陳状』には、次のように章安大師の涅槃経疏の言葉が引用されています。

 「仏法を壊乱するは仏法の中の怨(あだ)なり。慈(じ)無くして詐(いつわ)り親しむは則ち是彼が怨なり。能く糾治する者は彼が為に悪を除くは則ち是、彼の親なり」(同  一一三三㌻)

 その人の悪事や過ちを知りつつ指摘しないのは、上辺(うわべ)は親しく慈悲深く見えても、本当は無慈悲な所業です。悪事や過ちは、増長して不幸を招くことになるからで、過ちを指摘しないのはその人にとって親友どころか怨敵というべきです。 本当の親身とは、その人の悪事や過ちを指摘し、糾弾し、止めさせることです。 

 仏法の中においても、謗法の人を看過するのは仏法の怨であり、謗法の人を可責するのは仏法を助ける本当の信仰者である、と教えられているのです。

 まさに四条金吾が主君の謗法の過ちを誡めたのは、主君が邪法邪師の邪義によって邪道に堕ちんとするのを臣下として命がけで守ろうとする気持ちの表れであり、また大聖人の真の弟子として「仏法中怨」の毀りを受けないために謗法を呵責しているのです。 

「『仏法中怨』すなわち、仏法のなかの怨であるとの責めを逃れようと思うならば、多くの人に憎まれても、命を仏様と法華経に奉り、慈悲を一切衆生に与えて、謗法の者を責めなければならないのであります。

 もちろん、一向に謗法を責めれば、この道理が解らない者達が正法の者を罵ったり、眼を怒らして怨をなすのは元より覚悟の上と決意して、妙法広布に生きることこそ今生の誉れであります。」(大白法  九〇七号)

と御指南されています。 

  次回は、弟子旦那への教導について触れていきます。

 

 

 

 

 

 


法華経について ③

2022年11月14日 | 法華経について(一)

「大白法」平成25年9月1日(第868号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 70

   法華経について ③

 

 前回までは、釈尊の説かれた教えの中で、法華経が最第一の教えであることを「五時八教」を中心として学んできました。

  今回は、法華経の構成について学んでいきたいと思います。

 

 二処三会

 仏様が説法を行う場所のことを 「会座」といい、特に説所を「処」、法会(会合)を「会」と呼んで、説法の場所を表現します。

 前々回の当コーナーでは「五時と法華経」について学ぶための補助として、インド・中国・日本の略年表を掲載しましたが、年表中には、

 「摩竭陀国の霊鷲山と虚空会の二処三会」(大白法 八六二号)

と、法華経の会座について説明がありました。

 そもそも釈尊は七十二歳の時、法華経『序品第一』 に、

 「是の如く我聞きき。一時、仏、王舎城 耆闍崛山(おうしゃじょう ぎしゃくつせん)の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と具なりき」(法華経 五五㌻) 

とあるように、摩竭陀国の首都・王舎城の艮(うしとら)(北東方角)に聳(そび)える耆闍崛山(ぎしゃくつせん)で法華経を説き始めました。耆闍崛山とは梵語の音写で「霊鷲山」(りょうじゅせん)のことを言い、このことから会座を「霊鷲山」と称します。

 しかし説法は『見宝塔品第十一』に至ると、空中に多宝如来の七宝の大塔が涌現し、釈尊は神通力によって会座を霊鷲山から虚空に移動させ、塔中に多宝如来と並座(びょうざ)して「虚空会」の説法が開始されます。

 その後『嘱累品第二十二』において、釈尊が塔中の座より起ち総付嘱を終えられると、宝塔は閉ざされて説法の会座は再び霊鷲山へ戻りました。

 このように、霊鷲山と虚空中の二カ所において三度の法会が行われたことから、法華経の会座を「二処三会」と言うのです。

 

 本迹二門

 法華経は、説所を移しながら八年にわたって説かれました。

 その全体は、「一部八巻二十八品」からなります。開経である無量義経と結経の観普賢菩薩行法経とを加えて、「法華経十巻」とも称されます。

 法華経の構成を学ぶ上で欠かせないものとして、「本門」と「迹門」の位置付けがあります。

 「本」とは本地(本来の境地)・本体、 「迹」とは本地・本体に対する垂迹(すいじゃく)(影)のことで、それぞれ仏・菩薩の本地と化身を示現する様を指します。また、それに続く「門」とは、真実の教えに入るとの意味を有しています。

『方便品第二』を含む『序品第一』から『安楽行品第十四』までの前半十四品を「迹門」と言い、釈尊は諸法実相・二乗作仏を示して声聞等の弟子たちの未来成仏の保証を明かしました。

 そして『從地涌出品第十五』から『普賢菩薩勘発品第二十八』までの後半十四品が「本門」であり、『如来寿量品第十六』で釈尊の本地(本因・本果・本国土)・久遠実成を明らかにして在世・結縁の衆生を済度され、『如来神力品第二十一』において法華経の肝要を上行菩薩に付属して滅後末法の弘教を託されています。」

 

 序正流通

 一部の経典をその内容から、「序分」・「正宗分」・「流通分」の三段に立て分けて解釈する方法があり、多くの経典に適用されます。

 序分とは、正意とする教法を説くための準備段階に当たり、その教法を説くに至った由来や因縁を述べる序論に該当する部分。

 正宗分とは、仏の本意とする中心・中核をなす教法が説かれている本論となる部分。

 そして流通分とは、正宗分で説かれた教法によって衆生を利益するために、教法を広く流布する方法等が説示される部分のことを言います。

 短い経典ですと、正宗分のみで序分・流通分がないものも存在しますが、法華経には三段の立て分けが明らかであり、会座や対告衆、説相を理解することができます。

 一つ目は、『序分第一』を序分、『方便品第二』より『分別功徳品第十七』の前半品までを正宗分、『分別功徳品第十七』の後半品より『普賢菩薩勘発品第二十八』までを流通分とする「一経三段」と呼ばれる立て分けで、法華経一部を概括的に理解するための立て分けです。

 二つ目として、「二門六段」と呼ばれる立て分けがあり、これは法華経の迹門と本門それぞれに序分・正宗分・流通分を立てます。

 まず迹門の三段は、『序品第一』を序分、『方便品第二』より『授学無学人記品第九』までを正宗分、『法師品第十』より『安楽行品第十四』までを流通分に配当して教説の功徳・弘通の方法を説示します。

 次に本門三段は、『従地涌出品第十五』の前半品を序分、『従地涌出品第十五』の後半品より『分別功徳品第十七』の前半品までを正宗分、『分別功徳品第十七』の後半品より『普賢菩薩勘発品第二十八』までを流通分に配当し、久遠実成の教説の功徳や諸天善神による行者守護の誓願などを示すものです。

 

 五重三段

  先の法華経における序正流通の三段は一般に法華経を解釈する上で用いられますが、日蓮大聖人は『観心本尊抄』において、「五重三段」の教判を示されています。

 これは釈尊の一代聖教を従浅至深して五重に括り、それぞれ序分・正宗分・流通分の三段に分けた教判で、末法の衆生が尊崇すべき本尊を明示するために立てられたものであり、その名目を挙げれば、「一代一経三段」・「法華経一経三段(法華経十巻三段)」・「迹門熟益三段」・「本門脱益三段」・「文底下種三段」 の五つとなります。

 法華経を一代諸経の中心として示されたことから前の二つを「一往・総の三段」と言い、また後の三つは、それぞれ分々の本尊等が示され、末法の衆生が尊崇すべき本尊が明かされていくことから「再往・別の三段」 と言います。

 特に法華経一経三段・迹門熟益三段・本門脱益三段は、一見すると一経三段・二門六段の配当と類似した印象を受けるかもしれませんが、三段に分かつ目的の相違を弁えることが大切です。

 この五重三段によって、 最終的に種脱の法体の異なりを判じるところ、末法弘通の観心の本尊の実義は、久遠元初自受用報身如来の再誕たる日蓮大聖人様が御図顕建立あそばされた人法一箇・独一本門の戒壇の大御本尊様に極まることを知るべきです。

 御法主日如上人猊下は、

 「すべての根本は大聖人様にあるということなのです。御書を拝読するにしても、大聖人様が末法の御本仏であるということを頭に入れて、その立場から法華経や一代諸経を読めば、その意がよく解るのです」(大白法七五五号)

と、仰せになられています。

 御本尊様への確信を深め実践行動のための教学を身につけるためにも、師弟相対の正しい筋道に則って信行学を錬磨していきましょう。 

 

 

 

 

 

法 華 経 の 構 成

 法 華 経 

  二門六段  八巻二十八品   一経三段   二処三会

 

                          無量義経(開経)

                         (巻第一)

  迹門ー序分ー ーーー序品第 ー  ーーー序分ーーーー ーーーー

   |ー正宗分ー|ーー方便品第二  ーーー正宗分ーーー     |

                           (巻第二)

   | |   |ーー譬喩品第三         |         |

     | |   |ーー信解品第四          |  |前          

                                       (巻第三)                         霊

       |     |  | ーー薬草喩品第五               |    |山

           |     |     |ーー授記品第六                            |   |会

    |  |     |ーー化城喩品第七                           |   |

                           (巻第四)

   |     |        |五百弟子受記品第八            |   |

   | ー正宗分ー|授学無学人記品第九                    |   |

   | ー流通分 |法師品第十                 | ーーー

   |    |      |見宝塔品第十一                     |      ーーー

                (巻第五)

   |  |  |提婆達多品第十二                                  |   |

   |  |  |勧持品第十三                             |      |

   迹門ー流通分ー|安楽行品第十四                              |   |

  本門ー序分ーー 従地涌出品第十五前半 ー ーー         |               |

   |ー正宗分ー    従地涌出品第十五後半  ーーー        |          | 

法                      (巻第六)

華ーー|  |ー正宗分ー | 如来寿量品第十六           |           |虚

経  | |一品二半 |ー分別功徳品第十七前半ー正宗分           |空

   |ー流通分ー   |ー分別功徳品第十七後半ー流通分           |会

   |    |      | 随喜功徳品第十八       |                 |

   |    | 

             |        |                | 法師功徳品第十九          |         |

                               (巻第七)           

   |     |    | 常不軽菩薩品第二十    |             |

    |           |           | 如来神力品第二十一      |            |

   |     |       | 嘱累品第二十二          | ーーー

   |  |     |   薬王菩薩本事品第二十三 |      ーーー

   |  |     | 妙音菩薩品第二十四       |       |

                         (巻第八)                                     後

   |  |     | 観世音菩薩普門品第二十五  |    |霊

   |  |             | 陀羅尼品第二十六      |      |山

   |  |             | 妙荘厳王本事品第二十七   |   |会

    本門ー流通分|ーーー普賢菩薩勧発品第二十八   ー流通分ー    ーーーー

          観普賢菩薩行法経(結経)

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 


諸天善神

2022年11月10日 | 仏教用語の解説(四)

大白法 令和2年9月16日(第1037号)からの転載

 仏教用語の解説 ㉛

  諸 天 善 神

 

 「諸天善神」とは、法華経の行者の守護を誓った神々のことです。

 諸天善神について、法華経には梵天・帝釈・日天・月天・明星天・龍神・鬼子母神・十羅刹女等の名が示され、日蓮大聖人は、日本の神の代表である天照太神・八幡大菩薩も諸天善神であると説かれています。 

 

 法華経における守護の誓い

 法華経『安楽行品第十四』に、

 「虚空の諸天、法を聴かんが為の故に、亦常に随侍せん(中略)諸天、昼夜に常に法の為の故に、而も之を衛護す」

  (法華経 三九六㌻)

と、諸天善神は法華経を聞くために常に法華経の行者に付き従い、昼夜にわたり加護すると説かれています。

 また『陀羅尼品第二十六』では、毘沙門天・持国天・十羅刹女・ 鬼子母神等が法華経の行者を守護し、迫害を加える者を罰しただすとの誓いを立てています。 

 

 竜口法難で大聖人を守護した月天子

 文永八(一二七一)年九月十二日、平左衛門尉頼綱は日蓮大聖人を不当に捕縛し、竜口の処刑場で首を切ろうと企てました。

 竜口に連行される途中、大聖人は鶴岡八幡宮の前で、

 「八幡大菩薩は真の神か(中略)日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(御書 一〇五九㌻)

と、大声で八幡大菩薩を叱責されました。そして、 その夜の深夜、大聖人が処刑台に据えられ、今まさに頸を切られようとした時、夜空に鞠のような光り物が現われ、刀を持った役人らは恐れおののいて大聖人を切ることができなかったのです。

 この光り物について『四条金吾殿御消息』に、

 「三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頸をたすけ(中略)法師品に云はく『則ち变化の人を遣はして、之が為に衛護と作さん』と。疑ひあるべからず」(同 四七九㌻)

と述べられています。すなわち、龍ノ口法難で大聖人を守護したのは月天子であり、 それは仏が法華経の行者を守護するために遣わした变化の人であると示されています。

 

  心の固きに仮る

 雑阿含経には、帝釈天に近づこうとした醜い鬼が、帝釈の威厳を恐れて姿を消したことが説かれています。帝釈天は、醜い心を持つ者に対し、悪心をもって報いず、動かざる心をもって鬼を退けたのです。

 天台大師は『摩訶止観』(摩訶止観弘決会本下ー三四〇㌻)にこの故事を挙げ、天は堅固な心を持つ行者を守護するのであるから、道念堅固な者ほど、神の強い守りを受けるとし、妙楽大師は『摩訶止観』に、

 「必ず心固きに仮って神の守り則ち強し」

 (摩訶止観弘決会本 下−三四〇㌻)

と述べています。大聖人もこれら天台大師・妙楽大師の文を引き、

 「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」

 (御書 一二九二)

と、諸天の守護の力は妙法への強盛な信力によると御教示です。

 

 神天上法門

 法華経の行者を守護する諸天善神ですが、『立正安国論』 には、

 「世皆 正に背き人 悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相さり、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」

 (同 二三四㌻)

と、国中に謗法が蔓延するならば国を去って天上に帰り、その社には悪鬼魔神が乱入し災いをもたらすと示されています。これを「神天上法門」といいます。

すなわち『守護国家論』に、

 「諸天妙法を聞くことを得ず。法味を嘗(な)めざれば威光勢力有ること無く(中略)日本国守護の善神も捨離し已(お)はんぬ」(同 一四四㌻)とあるように、諸天善神は法華経の法味を得て威光勢力を増し、行者及び国を守護するので、謗法が蔓延すれば諸天善神は法味に飢えて、天上に帰ってしまうのです。

 故に、大聖人は弘安三(一二八〇)年の鶴岡八幡宮の火災という現証を受けて、八幡大菩薩は法蔵を焼いて天上に帰ったと仰せです。

  (四条金吾許御文・御書 一五二四㌻)

 謗法充満の今日、神社に参拝することは、全く功徳がないばかりか、かえって悪鬼魔神の害毒を受けることになります。故に本宗では、古来、神社の参詣を固く戒めてきたのです。

 

 諸天善神の本地は生身妙覚に仏

 大聖人は『法華取要抄』に、

 「今我等天に向かって之を見れば生身の妙覚の仏が本位に居して衆生を利益する是なり」(同 七三四㌻)

と、諸天善神は法華経本門寿量品を聴聞・信受した功徳により、生身の姿のまま、妙覚という究竟の仏となり、そして衆生を守護し利益すると説かれています。

 さらに総本山第二十六世日寛上人は『法華取要抄文段』に、

 「相伝の法門なり。(中略)本因妙の教主釈尊・日月・日蓮大聖人は、一体異名の御利益にても候らん」

  (御書文段 五二二㌻)

と教示されています。

 すなわち諸天善神は日蓮大聖人と一体であり、諸天善神が法華経の行者を守護するという用きは、御本仏日蓮大聖人の御加護でもあるのです。

 

 初座「諸天供養」の意義

 朝の勤行における初座では、東天に向かって、諸天善神に法味を捧げます。なぜ東天に向かうのかといえば、 

 「当宗に日天をまず拝し奉る事は(中略)日天日蓮と得意して其の心を知るも知らざるも日天を拝し奉るなり」(歴代法主全書)

と第九世日有上人が仰せのように、常に天に在って赫々たる日天子を諸天善神の中心とし、その日天子に向かって読経・唱題するのです。

『国府尼御前御書』に、

「日蓮こいしくをはせば、常に出づる日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ」

 (御書 七四〇㌻)

とあるように、日天子はすなわち日蓮大聖人であり、その力用も御本仏大聖人に具わる妙用と拝されます。

 御法主日如上人猊下は、

 「我々が一生懸命に自行化他の信心に励みますと、諸天善神が様々に姿を変えて、私達を守ってくれます。(中略)御本尊様を拝む人を守るのが、諸天善神の役目なのです。すべての根源が、妙法にあるわけです。その妙法を信仰する人を守護するところに、諸天善神の用きがあるわけで、その意味からも我々は、朝の勤行において、諸天善神に法味を捧げている次第であります」

 (大白法 八八八号)

と仰せです。

 私たちが、諸天善神の加護を得るためには、真剣な自行化他の信心、すなわち勤行・唱題と折伏が重要なのです。



 次回は、「如在の礼・生飯」についての予定です。

 

 

 

 

 

 


(三)権実相対

2022年11月09日 | 日蓮正宗要義(一)

⑧日蓮正宗要義 改訂版からの転載

 第一章 日蓮大聖人の教義

 第一節 五綱

 第一項 教

  第一目 五重の相対

(三)権実相対

 権とは仮の施設で、実とは真実ということである。仏教における権実の理念は種々の内容にわたって多岐であるが、権実相対という場合の権実は、大小相対と同様、釈尊の教説を二筋に分かつ、最も基本的な教法の筋目を示すために用いられるのである。

 四教に当てはめれば、権とは蔵・通・別の三教であり、実とは円教である。また五時・五味等の経部に当てはめれば、権とは爾前四十余年の諸経であり、実とは後八箇年に説かれた法華経をいうのである。大聖人の権実の法門は約部、すなわち爾前経と法華経の間に、方便と真実、勝と劣を立て分けるのを権実相対という。

 御書においてこの法義に触れるところは多いが、これは大聖人独自の法門ではなく、それ自体としては天台・伝教の助言である。権実雑乱していた当時の宗教界の情況に対しては、上行所伝の妙法を弘通される破邪の対象として、随時に権実の筋目を正されたのである。開目抄には、

 「但し仏教に入って五十余年の経々、八万法蔵を勘へたるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり(中略)但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり」(新編 五三五)

と示されるところ、一念三千のうえから勝劣・浅深を決せられている。右文の行布とは行列排布の意である。浅深隔歴の法を前後に排布して修行することで、華厳経の菩薩の長い劫(時間)を経る修行と位が、次第に浅いところより深い境界に至りつつ、前後各々隔てがあることをいうのである。今は通じて爾前諸経の教理がいずれも声聞・縁覚・菩薩の三乗を差別する義に適用せられ、諸経が一念三千を覆い隠すことを示されている。法華経の内容において、よく一念三千の意義を顕わし、明らかにする法門は何かといえば、二乗作仏と久遠実成である。諸大乗経には種々の深い理を説いているが、二乗作仏と久遠実成の義門だけは絶えて説かれていない。これを説くのは、一代経中にただ法華経あるのみである。

 このように、法華経の一代に超過する所以は、中国に出現した天台大師が光闡し、更に六祖妙楽大師が縦横に扶釈して余すところがない。止観弘決に

 「遍く法華已前の諸教を尋ぬるに、実に二乗作仏の文及び如来の久成を明かすの説無し」(弘下ー本ー一八八)と明示するところである。しかるに、法相宗においては五性各別を立て、定性の独覚と声聞及び無性有情は永久に成仏不能であるとする。また華厳宗・三論宗・真言宗においては、一切衆生皆当作仏を主張するが、その根元の依経である華厳経・般若経・大日経等の経々に二乗作仏を欠いている。単に円融の理は説くが、二乗の不作仏を救うに足りる明らかな証拠は見当たらない。二乗が作仏しなければ十界互具の義を欠き、したがって二乗の心を具えているところの一切衆生の成仏は决定することができない。法華経にこそ、明らかに二乗が未来の世に成仏する授記を説き、仏の慈悲の究境円満を示している。永不成仏と决定していた二乗すらなお成仏するのであるから、まして菩薩・凡夫などの九界に衆生が成仏することは当然である。

 すなわち、法華経において九界に即する仏界の実義が顕われ、九界と仏界が融じて十界互具・百界千如・一念三千の法門が円満するのである。

 また爾前の諸経には、仏の久遠実成の教説を隠蔽している。大日経に説く「我一切本初」とは、法華経に顕わされた法身・報身・応身の三身具足の仏ではなく、単に法身という宇宙法界本来の、ありのままの理体仏に過ぎない。大日経に法華経のような久遠実成の法門があるというのは、善無畏を根本とする真言各師の誑惑に過ぎないのです。

 これに対し、法華経寿量品は、久遠の古より三身具足する仏の実在を顕わしており、その勝劣はおのずから明らかである。大日経のみならず、華厳経その他の爾前の諸経に、このような三身円満の仏はまったく顕わされていない。この二つの筋目よりして、四十余年の権教に一念三千の義はなく、したがって一切衆生の成仏の種子としての三因仏性(正因・了因・縁因)が説かれていない。また一念三千をよく詮顕する二乗作仏・久遠実成の教説も絶えてないと断ずることができる。

 これを再言すれば、法華経は個々のすべての生命に、あらゆる善悪と無限の幸・不幸の可能性とが、徹底して具わっていることを明示する教えである。

 この原理を知らず迷っているときは凡夫であるが、これを確信して、この根本原理のうえに我が身を適切に対処する方法に身を委ねれば、いかなる人も幸せになり、法華経で説く成仏ができるのである。法華経はすべての個性に成仏の、つまり最大幸福の道を開いたところに大きな意義がある。これを迹門では諸法実相といい、また生命論的には十界互具というのである。諸経における人身論中の最高究竟を示したものが、法華経の迹門といえるのである。

 しかしこの原理は、よくこれを証得し、実践した仏がなければ、それ自体が完全な実在の理として顕われず、また宗教的な救済においても不完全であって真実の徹底がない。そこで法華経本門には、仏がこの世にうまれてから修行をして、三十の時に仏に成ったと強く執われている所化大衆の認識を打ち破り、久遠の修因感果の仏であることを示されたことにより、円融・一切皆成、十界互具・一念三千の原理がまことの実在として顕われた。換言すれば、仏の三身の永遠の実在により、一切衆生の個性の永遠性とその身に具わる成仏の種子が開覚され、宗教的な救済が徹底したのである。

 更に本門の仏の境界は、ただ個性的な存在のみでなく、草木国土も仏の体内の存在として、宇宙法界全体が仏の功徳体であることが明らかとなる。もっともその所有の中心実体に本果と本因があり、法華経では本果の釈尊に具わる所以を示している。ここに一代諸経中に絶えてない最高の仏身論が存する。

 大聖人はこの記小と久成の法門こそ一代経の綱骨であると、天台の法義を助言せられたのである。

 

 

 

 

 

 


⑤謗法をいましめ清浄な信心に勤めましょう

2022年11月08日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年10月1日(第1038号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑤謗法をいましめ清浄な信心に勤めましょう

 謗法とは、日蓮大聖人の教えに背くことをいい、災難や不幸の原因となり、成仏の妨げとなるものです。

 私たちが信仰していくなかでいましめなければならないことは、他の宗教に与同し、 お守りや神札を受けたり、他宗への寄付や布施をすることなどの謗法です。また、仏道修行を怠けたり、同志に対して恨みや妬みの心を抱いたり悪口を言うことも謗法になります。

 せっかく正法の信仰に入りながら謗法をおかすことは、正しい信仰の妨げとなり、功徳善根を消してしまうことになります。それは例えば薬と毒を一緒に飲むようなもので、薬の効き目が失われるだけでなく、かえって毒によって苦しむことになります。

 私たちは、謗法を寄せつけない、また自らも謗法を行わないという毅然とした心をもって、清淨な信仰に勤めましょう。(法華講員の心得二十一㌻)

 

 [信行のポイント]

 第二祖日興上人が、

 富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」

  (御書 一八八四㌻)

と御遺誡(ゆいかい)の通り、日蓮大聖人の正法は、今日まで唯授一人血脈相承(ゆいじゅいちにんけちみゃくそうじょう)によって、本宗に脈々と伝えられています。 

 この正宗の信仰に他の邪(よこしま)な宗教を交えるならば、正しい信仰の功徳を得られないばかりか、大きな罪業を積むことになります。誤った思想や信仰を断ち切り、三宝への尊信と不退転を貫くことが肝要です。

 

 謗法について

 大聖人が『顕謗法抄』に、

 「謗法とは法に背くという事なり」(同 二八六㌻)

と仰せのように、謗法とは正法に違背(いはい)し謗(そし)ることです。

 また『真言見聞』に、

 「謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(同 六〇八㌻)

と仰せられています。

 まさに衆生を救済する仏法僧の三宝(大白法 一〇三四号参照)を謗り軽んじることは、成仏の種子を断じることであり、地獄の因となる極めて重い謗法となります。

 また同抄に、

 「謗法は無量の五逆に過ぎたり」(同 六〇九㌻)

と、五逆罪(父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破る)といって、一逆罪ですら一劫という極めて永い間、無間地獄の苦しみを受けますが、それよりも謗法の罪のほうが重いことを御示しです。

 

 謗法を犯さず折伏に励もう

 私たちが、どんなに謗法を犯さないように心がけても、謗法が充満している世の中で生活している以上、謗法と無縁な生活を送ることは極めて困難です。

 『新池御書』には、

 「いかなる智者聖人も無間地獄を遁(のが)るべからず。又それにも近づくべからず。余同罪恐るべし恐るべし」(同 一四五八㌻)

と仰せです。たとえ自身の信仰において謗法を犯していなくとも、周囲の人々の謗法を認知していながらこれを放置することは、謗法を容認することになるのです。

 御法主日如上人猊下は、総本山第二十六世日寛上人の『如説修行抄筆記』の御文を引かれて、

 「心に折伏を忘れれば 心が謗法となり、口に折伏を言わなければ 口が謗法となり、本尊に向かわなければ 身が謗法となるとの御指南を拝する時、一生成仏を期す私どもの信心において、いかに折伏が大事であるかを知らなければなりません」(大白法 一〇一一号)

と御指南あそばされています。

 常に御題目を唱えて、その歓喜を示して折伏に励み続ける生活を送ることが大事なのです。

 

 十四誹謗

 また、『松野殿御返事』には、僧俗共に通じる謗法として、仏道修行を怠けたり、同志の悪口を言うなどの「十四誹謗」が説かれています。

 特に、「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(御書 三九㌻)

と、「不信(正法を信じない)」こそ最も誡めなければなりません。

 謗法厳誡の宗旨を持ち、自他の謗法を常に誡め清浄な信心を心がけてまいりましょう。




  十四誹謗

   ①憍慢 正法に対して驕り、あなどること。

   ②懈怠 仏道修行を怠ること。

   ③計我 正法を自己の考えで推しはかり、我見にしゅうか。

   ④浅識 正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。

   ⑤著欲 欲望に執着して正法を求めないこと。

   ⑥不解 正法を理解しようとしないこと。

   ⑦不信 正法を信じないこと。

 

   ⑧顰蹙 正法に対して顔をしかめ、非難すること。

    (ひんじゅく)

   ⑨疑惑 正法を疑うこと。

   ⑩誹謗 正法を謗ること。

   ⑪軽善 正法を信受する者を軽蔑すること。

   ⑫憎善 正法を信受する者を憎むこと

   ⑬嫉善 正法を信受する者を妬むこと。

   ⑭恨善 正法を信受する者を恨むこと。

 

 

 

 

 


建治年間の御振る舞い

2022年11月06日 | 日蓮大聖人の御生涯(三)

大白法 令和2年10月1日(第1038号)から転載

 日蓮正宗の基本を学ぼう 140

  日蓮大聖人の御生涯 ㉖

          建治年間の御振る舞い

 

  今回は文永の役以降、建治年間の御事蹟について述べます。

 

 文永の役以降の情勢と『撰時抄』

 蒙古の大軍を撃退した幕府でしたが、早くも、翌文永十二年(建治元・一二七五)年四月十五日に、杜世忠が蒙古の使者として長門国室津(現在の山口県)へやって来ました。幕府は杜世忠を鎌倉へと移送し、蒙古國の情勢を調査すると共に、対応を検討することになったのです。

  この頃、 日蓮大聖人は、国内が元寇の功名合戦の様相を呈している一方で、再度の蒙古襲来への不安から動揺している状況を御覧になり、悪世末法に弘めるべき仏法は何かについて論じられた『撰時抄』を現わされました。

 釈尊が入滅してから最初の千年を正法時代、次の千年を像法時代といい、それ以後を末法時代といいます。私たちの生きているこの時代は末法時代であり、『撰時抄』では末法に弘まるべき仏法を明かされています。

冒頭に、

「夫仏法を学せん法は必ず先(ま)づ時をならうべし」 (御書 八三四)

と仰せられ、時とそれに相応した仏法を知ることが肝要であると示されています。そして、正像末の三時に関する経文を挙げ、それぞれの時代、それぞれの国に弘まった、相応する教えを述べられました。

 このように三時の弘教を整理された上で、末法には上行菩薩が出現して、法華経の肝心、すなわち寿量文底秘沈の大法である南無妙法蓮華経を弘めて、人々を救済することを御教示されました。

 文面には明言されていませんが、末法出現の上行菩薩とは久遠元初の御本仏であり、宗祖日蓮大聖人の御事です。そしてまた、文底深秘の大法である南無妙法蓮華経とは、後に御建立される本門戒壇の大御本尊様の御事です。

 このように末法出現の導師と本尊を明かされると共に、真言、念仏、禅の諸宗の誤りを破折されました。

 大聖人は『撰時抄』を、第二祖日興上人の外祖父である河合入道に与えられました。

 そのおよそ三ヵ月後の九月、鎌倉幕府は拘留していた杜世忠ら蒙古の使者を竜口で斬首するに及びました。

 大聖人はこれについて、『蒙古使御書』(御書九〇九)の中で、不幸の根源である諸宗の僧侶たちを斬罪せずに、何の罪もない蒙古の使者の首を切られたことに同情を寄せられています。 

 幕府は、この年の末から蒙古軍の拠点となっている異国(蒙古)征伐を計画し、本格的に準備を進めると同時に、博多湾岸に石積みの防塁(元冦防塁)の造成を進めました。征伐の計画は実行されませんでしたが、大陸の情勢については、情報収集に努めていました。

 

 強仁の問難

 建治元年十二月二十六日、年の暮れも押し迫ったこの日に、大聖人のもとへ強仁という僧侶からの書状が届きました。

 この強仁は、京都もしくは甲斐国(現在の山梨県)に住んでいた天台宗の僧侶と考えられています。書状は大聖人の念仏破折に対する問難状でした。しかし、 その理論的根拠は台密(天台宗の密教)教学をもとにしたもので、法然(浄土宗の祖)や親鸞(法然の弟子・浄土真宗の祖)の念仏思想とは異なっていました。

 この問難状に対して、大聖人は『強仁状御返事』を認められており、その中で、

 「大日本国亡国と為るべき由来之を勘ふるに、真言宗の元祖東寺の弘法・天台山第三の座主慈覚、此の両大師法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより以来、叡山の諸寺は慈覚の邪義に付き、神護・七大寺は弘法の僻見に随ふ。其れより已来、王臣邪師を仰ぎ万民僻見に帰す。是くの如き諂曲既に久しく、四百余年を経歴し、国漸く衰え王法も亦尽きんとす」(同 九一七)

と、天台宗が真言の悪法に侵されたことを亡国の原因の一つであると批判されています。

 またこの御返事の中で、田舎で邪正を決しては、あたかも暗闇の中で立派な服を着ているようなもので、上下万民に知られることはないため、公家と関東(幕府)に奏聞して、公場において対決すべきことを申し述べられました。

 こうして公場対決への期待が高まったことを受け、大聖人はその準備のために、清澄寺へ経論の借用を依頼したり、弟子を各地に派遣して資料を集めさせたのです。

 公場対決で仏法の邪正を決すれば、日本国一同が正法に帰依する。この年来の所願を果たせると期待されるところではありますが、建治三年になると御手紙などから公場対決に関する記述がなくなり、いつとはなしに立ち消えになってしまったようです。

 

 師・道善房の死去と『報恩抄』

 建治二年三月十六日、大聖人の師匠であった道善房が亡くなりました。

 その連絡を受けた大聖人は、直ちに馳せ参じて追善の読経をしたい気持ちは押さえ難いけれども、残念ながら遁世(隠居)した身であれば、それも控えるべきであると述べられています。

 そして『報恩抄』を著わされ、弟子の民部日向に託して清澄寺へと遣わされました。日向には、この『報恩抄』を道善房の墓前と嵩が森の頂で読み上げるように書き添えておられます。

 道善房は、心では法華経に帰伏しながらも念仏は捨て切れなかった人でありましたが、大聖人にとっては学問の手ほどきを受け、修行時代には陰に陽にお世話になった大恩ある師僧であったのです。

 この『報恩抄』では、 

 「夫老狐は塚をあとにせず、白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし、いわうや人倫をや」

  (同 九九九)

と、報恩は動物ですらするのであり、人として当然なすべきことである、そして、報恩のためには仏法を習い極めることが大切で、それには寸暇を惜しんではならず、また父母や師匠などに背く形になったとしても、仏道を成じることで真実の報恩が叶うと仰せです。

 諸宗がそれぞれ自らの正当性を主張することに対しても、人師や論師の言葉ではなく経文をもとに諸経の勝劣を判じるならば、法華経こそが最も勝れた経典であることは明らかで、その肝心肝要が妙法蓮華経であることを仰せられました。

 特に終わりのほうで、 天台、伝教らが弘通しなかった正法とは何かとの問いを構えられ、その形貌について、

 「答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらわず一同に他事をすてゝ南無妙法蓮華経と唱ふべし。此の事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。

日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と声もをしまず唱ふるなり」(同 一〇三六)

と、本門の本尊、戒壇、題目の三大秘法について明かされた重大な御文が拝されます。

さらに続いて、

 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(同) 

と仰せられ、この三大秘法の南無妙法蓮華経こそ、 末法万年の未来に一切の人々を救う要法であることを御教示されています。

 同抄の末尾には、

 「されば花は根にかへり、真味は土にとゞまる。 此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし」

  (同 一〇三七)

とあるように、この御文は、大聖人御自身がなされた妙法弘通の功徳が、師の道善房に集まって菩提を得られるであろうと仰せられたものです。

 しかし同時に、私たちの信心に当てはめれば、折伏行が報恩謝徳の振る舞いとなることをしっかりと拝すべきでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


三 衣

2022年11月04日 | 仏教用語の解説(三)

大白法 令和2年8月16日(第1035号)からの転載

 仏教用語の解説 ㉚

  三 衣

 「三衣」とは、一般的には僧侶が着用する三種類の法衣を指します。

 

  一般的な三衣の由来

 「三衣一鉢」という言葉がありますが、古代インドでは僧侶は三衣と托鉢用の鉢(食器)、その他いくつかの生活用具しか持たず、それ以外の余計な道具を長物として遠ざけていました。 今でも一般的に役に立たないもののことを「無用の長物」といいます。 

 仏教における一般的な三衣とは、僧伽梨(大衣・九条)鬱多羅僧(中衣・七条)、安陀会(下衣・五条)の三つになります。

 条というのは、生地の大きさの単位で、条数が多ければ多いほど、幅の広い、大きな袈裟になります。

インドの出家者たちは、儀式礼装用(九条)・通常衣(七条)・作務就寝用(五条)と使い分けていたようです。

 インドでは青・黒・木蘭などの濁った色に染めた袈裟を、 肌の上に直接かけていましたが、

仏教が中国・日本に伝播する過程で、気候や風俗習慣の違いから、僧侶は袈裟の下に衣をまとうようになりました。

 そして袈裟・衣は、宗派ごとに様々な色・形に変化し、鎌倉時代から江戸時代にかけ、権威のある僧侶に朝廷から紫衣の着用が許されるなど、粗末な着衣であったはずの三衣は、絢爛豪華なものに変化し、本来の意義が損なわれていきました。

 

 日蓮正宗の三衣

 日蓮正宗では、日蓮大聖人・日興上人以来、薄墨色の衣、白色の五条の袈裟、数珠、この三つをもって三衣としています。

  そのいわれについては、総本山第二十六世日寛上人が『当家三衣抄』 (六巻抄二五〇㌻)に詳しく御教示されています。

以下、その御指南に沿って解説します。

 

 忍辱の鎧

 日寛上人は素絹(そけん)という粗末な生地の薄墨の衣に、白五条の小さな袈裟を着用する理由として、五条の袈裟は「行道雑作衣」といって、起居動作に便利で、折伏行に適していることを挙げられ、さらに降りかかる魔を耐え忍ぶ「忍辱の鎧」の意味があるとされています。

 このように、日蓮正宗の僧侶が薄墨の素絹、白五条の袈裟を用いる理由は、日蓮正宗が折伏の宗旨であり、難を耐え忍び、折伏によって一切衆生を救済するという意義が込められているのです。 

 

 薄墨の法衣と白袈裟

 薄墨の衣を着る理由は、

①初めて信心修行する位(名字即)を表わすため

②見た目ばかりの立派な法衣を着て修行を怠る他宗の僧侶を破折・区別するため

③他宗との相違を明確にし、信じる人は順縁を結び、誹謗する者にも逆縁を結ばせるため

④日蓮大聖人の門下としての自覚を持ち、他宗の僧侶との区別を明確にするため

と示されています。

 名字即とは、初めて仏法を聞き、信のみがある位で、大聖人は『四信五品抄』に、

 「信の一字を詮と為す(中略)信は慧の因、名字即の位なり」(御書 一一一二㌻)

と説かれています。

 つまり、末法の一切衆生は、ただ信をもって題目を唱えるだけで成仏を遂げることができます。

薄墨色の衣は、末法の成仏の位が名字即にあることを表わすものです。

 

 次に白袈裟を用いる理由は、

①初心の理即の位を表すため

②大聖人が白色の袈裟をかけられていたため 

③白蓮華を表わすため

とされています。

  理即とは、信心すらない、仏性があるのみの末法の一切衆生を意味します。

これも名字即と同様、末法の衆生が初心の理即の位から成仏することを表わします。

 白蓮華の意味について日寛上人は、白袈裟をかけた姿は当体蓮華仏を表すと共に、日蓮正宗の僧侶は大聖人の弟子として世間の法に染まることなく仏道修行に励み、正法を広める意義があると御指南されています。法華経『従地涌出品第十五』 には

 「不染世間法 如蓮華在水(世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し)」

  (法華経 四二五㌻)

という経文があります。 これは、白蓮華が汚泥の中で白く美しい大輪の花を咲かせるように、地涌の菩薩が濁世にあっても、汚れない浄く美しい心をもっているという、地涌の菩薩の徳を示した経文です。 

 この経文は、日蓮正宗の僧俗が、初めて御法主上人猊下から袈裟を賜る際、その袈裟に必ず染筆されています。

 

 数珠のいわれ

 日蓮正宗では、数珠を「三衣」の一つに数えます。その理由について日寛上人は法性の珠が百八の煩悩を覆い隠すためであると説かれています。

  本宗の数珠には、基本となる珠が一周で百八顆(玉)あり、その一つひとつが煩悩を表しています。

 日寛上人は『当家三衣抄』(六巻抄二二四㌻)に木患子経(もくげんじきょう)を引き、数珠は本来、自らの煩悩を断じるため、三宝を念じて一つずつの珠を過ごしていくものであると示され、本宗においては、仏宝たる日蓮大聖人、法宝たる本門戒壇の大御本尊、僧宝たる日興上人及び御歴代上人を念じ、一遍の題目を唱え、一つの珠を過ごすべきであると御教示です。

 すなわち、私たちが唱える一遍一遍の題目は、三宝への信心の念をもって唱えることが重要なのです。

 日寛上人は、数珠が、

 「下根を引接(いんじょう)して修行を牽課するの具(機根の低い衆生を導いて修行を推し進めていくための法具)」(六巻抄 二二四㌻)

であり、数珠を常に自ら身に随え、仏法僧の下種三宝に帰命する心構えで、一偏でも多く題目を唱えるよう御指南されています。 

 

 内心に衣を着す 

 このように、日蓮正宗の三衣には、法義の上から様々な意義が込められています。

 他宗では三衣は僧侶に限っていますが、日蓮正宗においては信徒も三衣の一つである数珠を所持しています。

このことについて日寛上人は『法衣供養談義』に、

 「他宗の僧は事相の髪を剃り衣を着ていても、心中の謗法の髪は剃り落としていない。

対して当宗の信徒は事相の紙髪は剃らなくても、内心の謗法の髪を剃り、さらに法華の衣を着ているから他宗の僧より勝れている(趣意)」

と仰せです。私たち日蓮正宗の信徒は、内心の謗法の髪を剃り落としているのですから、世間の諸悪に染まらず、心には常に法華の衣・忍辱の鎧を着ていることを忘れず、 折伏を行じていきましょう。



 

 

       次回は、「諸天善神」についての予定です。

 

 

 

 

 

 


(二)大小相対

2022年11月03日 | 日蓮正宗要義(一)

⑦日蓮正宗要義 改訂版からの転載

 第一章 日蓮大聖人の教義

 第一節 五綱

 第一項 教

  第一目 五重の相対

              (二)大小相対

 

   大は大乗、小は小乗であるが、普通、小乗とは、小根性の声聞・縁覚の人を運ぶための法門で、乗とは運載を義とする。修するところの教・理・行・果も、これを修する人の機もともに小劣であることをいう。これに対し、大乗とは小乗に対する言葉で、大根性の人の乗る法門である。大とは広大を意味し、菩薩を運んで菩提の彼岸に到達させる、自利・利他の法門を指すのである。

 大小の名義に関する大聖人の教示の中には、小乗三蔵経と諸大乗経との勝劣、あるいは倶舎等の小乗宗と大乗宗の相対を示される文のほかに、五重の相対のそれぞれの所対に大小の名を当てはめて用いられる文である。前者が通途の大小相対であり、後者は大小の名を通じて五重の各相対に当てられるのである。例えば、文底下種三段の文に、「一品二半よりの外は小乗教」(観心本尊抄・新編六五五)と仰せのごとくである。通途の大小相対は、むしろ御書の文としては少なく、あまり小乗対破を示されていない。これは既に印度における大小乗の交替の時代に概ね解決した問題であり、更に、中国・日本においてもこれを踏襲再破して、既に解決済みの問題であること、また当時は念仏・真言・禅等の権大乗の仏法が隆盛を誇っており、律を主張する者もその思想は厳密な小乗でなく、大小兼学的のものがあった。したがって、法義上、厳密な立場で大小相対に主点を置かれる必要があまりなかったものと思われる。

 故に小乗大乗分別抄、あるいは小乗小仏要文等に示される小乗の語は、それぞれの所対における外道・小乗・権大乗・法華迹門、あるいは文上本迹二門であって、広義に用いられていることを一言にしておく。その中に本来の大小相対の意も当然含まれているが、大小の名義に関する大聖人の使用は、 むしろ後者にあることが拝せられる。

  厳密な大小乗の勝劣に関しては、教機時国抄の中に

 「阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経より出でたり。 法華経には『一向に小乗を説きて法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべし』と説きたまふ」(新編二七〇)

と示されるに過ぎない。 また小乗大乗分別抄では、それぞれ五重の所対のうえから、小乗・大乗を論ぜられる第二重において

 「仏教に入っても鹿苑十二年の説、四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経に対して、小乗経と名づけたり」(新編七〇四)

 とのわずかに四十数字の説示を見るのみである。小乗小仏要文(新編四五八)では、華厳・阿含・方等・般若・無量義経・迹門十四品・薬王品以下の六品、普賢経と涅槃経を小乗とされており、 ただ本門八品のみを除いてあることは、それをもって大乗に当てられるものであろう。 本門の立場からの判釈であり、末法為正のうえから、付嘱の始終(八品)の文をとって大乗と示されるのであるが、これを付嘱の法体に当てはめれば、観心本尊抄の第五重の三段における正宗分・下種の一品二半、すなわち題目の五字に帰するものである。故に要文の大小の説示は、その実際の意味においては権実・本迹・種脱の相対に当てられている。

  故に開目抄の五重の相対の文段について、大小相対の文を挙げて一科とする者も多いが、これに対して日寛上人が、権実・権迹の二科とし、大小を省かれたわけは、むしろこの辺にあろうかと思われる。

 その他、釈尊一代五時継図等では阿含経をもって小乗教とし、説処は波羅奈国鹿野苑、内容は経律論の三蔵、説示は十二年間、 機は三乗の根性に対する漸機の中の誘引であり、宗としては倶舎・成実・律の三宗と示されている。

  経律論の三蔵とは、経は四阿含経、律は四分律・摩訶僧祗律・五分律等、論は六足論・発智論・大毘婆娑論等である。

  要するに大小の対立は、釈尊の滅後、その教えの伝習について、進歩的態度をとった大衆部と、保守的態度をとった上座部とに分かれたが、この進歩・保守の二派が更に二十部派までに分裂した。これは釈尊の入滅を転機として、教団の維持と存続の必要から、教法や律法について、文字どおりに解釈して伝統を重んずる者と、文字に拘泥(こうでい)せず、教律の信意を把握し、その精神を顕わそうとする者とが相対立し、前者は上座部となり、後者は大衆部となったのである。 この対立の中から次第に両者を止揚した思想的立場において、釈尊の正法と真意を顕彰しようとする思想が醞醸(うんじょう)され、 次第に大きな位置を占めるようになった。それが自らを大乗仏教と称し、それ以前の上座部系の仏教を指して小乗と呼ぶ形として現われてきたのである。

  小乗の上座部が保守的、伝統的、形式的、客観的であるのに対し、大衆部は進歩的、創造的、実質的、主観的な立場の相違があった。 しかるに大衆部は、大乗仏教の母胎となり、大乗興起の後は大部分、その中へ包括されたのである。故に根本仏教としての釈尊の教義が定まってより、上座部・大衆部の対立を経て興った大乗仏教は、まさにその総合の位置にあったといえる。 すなわち根本仏教より部派仏教へ移行するに従い、次第に上座部系統では、仏教以外の思想見解があった万有実有論・心不浄説等のごとき非仏教的見解を持つに至ったが、このような部派仏教そのものの中から反省し、進んで部仏陀の根本仏教へ復帰しようとする人々が現れた。それが大衆部から大乗運動を興した人々である。故に大乗仏教は従来の仏教に対し、新しい要素を加えて新たに生まれ出たわけではなく、部派仏教が自ら反省し、仏陀の教法である縁起論への復帰を志願したところに、新しい教学が興ったというべきである。

 換言すれば、仏教を単に教理として、伝承維持する態度が大乗的であり、これに対し仏教を自らの解脱の道として実践する態度が大乗的といえるのである。 菩薩の行、成仏の道もこれを客観的に眺めるのでなく、自らの実践の立場より見るとき、三世実有法体恒有の客観的実有観より相資相依の関係による縁起説をとることとなる。

つまり、上座部系統においては、一切の現象は各別の実体が存するという実有説を採るが、このような考え自体、仏陀の根本的思想と相違する。 上座部の註釈的・分析的な教法解明の方法による結果、いつとなく外道の哲学的思惟を採用して、その立場から仏教を理解し組織するに至った。故に根本仏教より大乗仏教に至るまでの、思想の全体を概観して正閏を論ずるとき、上座部系統はむしろ傍流で、大衆部こそ正流ということができる。その立場から止揚された大乗もしかりであって、むしろ大乗こそ仏陀の根本精神を伝えつつ民衆救済の実践に邁進したのである。

  したがって大乗非仏説のごときは、表面の相のみを見た軽率な判断といわざるをえないのである。

  また釈尊の説かれた四阿含の小乗経典は、幾多の因縁・譬喩を交えてその明かすところも広漠の感があるが、趣意とするところは四諦・十二因縁・八正道等を示し、これを空諦無漏の理念により説いている。 しかしいまだ大乗における当体即空の観念に及ばず、仮有建立を所具として中道実相を明かす三諦円融観には、遠く隔たる偏真の空理である。

  現実問題として考えるとき、小乗の苦と不浄と無常・無我の哲理をいかに習得しても、その人生観・世界観からは、 個人的な諦観と心の安らぎはあっても、人々とともにあらゆる困難を乗り越えて、三世にわたる真の幸福を切り開き、力強い生命を獲得していく教えを見出だすことはできない。 また今日の複雑な世界を指導し救済する大乗的理念が包蔵されていないことは明らかである。小乗教としての教理や行法に、現代における日本民族ないし世界民衆の繁栄と平和・幸福はまったく期待できないのである。

  今日は、既に至極の大乗である日蓮大聖人の仏法流布の時代に到達している。 故に昔の小乗に対する権大乗の立場ではなく、大聖人の如上の御書に示されるように、下種大乗仏教の立場から、いまだ釈尊仏教の小乗に迷う東洋諸国の人々をも、その見解を止揚せしめ、真の教法による幸福の道へ教導すべきである。

 

 

 

 

 


④自行化他に励みましょう

2022年11月02日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年9月1日(第1036号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ④自行化他に励みましょう

 

 日蓮大聖人は、「自行化他にわたる信心」を教えられています。自行とは、自分が利益を得るための勤行や唱題をいい、化他行とは、正法を知らない人々に対して、不幸の原因が誤った宗教にあることを教え、日蓮大聖人の仏法に導くことです。この化他行を折伏といいます。

 この自行と化他は、修行の根幹であり、これらをともに実践してこそ、成仏という大きな功徳が得られるのです。

 私たちは、ゆるぎない幸せと、平和な社会を築くために、日々の勤行・唱題に勤めるとともに折伏に励んでいきましょう。(法華講員の心得 二〇㌻)

 

 [信行のポイント]

 私たちが朝夕の勤行で読誦する、『如来寿量品』の自我偈の末文に、

 「毎に自ら是の念を作さく 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと」 (法華経 四四三)

 とあります。仏は常に、衆生がどうしたらこの上なく優れた仏道を信じ成仏することができるかと思っている、ということです。この目的を果たすため、仏は法を説かれるのです。

 総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、

 「大覚世尊設教の元意は、一切衆生をして修行せしめんが為なり」(六巻抄 一六一㌻)

と御教示されました。仏が教えを説かれた真意は、 ひとえに、衆生に成仏するための修行をさせることにあるのです。

 修行とは、仏の教えを実践することです。そして、この頂で学ぶ自行と化他は、共に大切な信仰の実践です。

 自行とは「自ら行ずる」こと、つまり、自ら仏道修行をすることです。本文の通り勤行・唱題がこれに当たります。総本山や所属寺院に登山・参詣したり、寺院の掃除のお手伝いをすることも、自行となります。

 また、化他の「化」とは教化のことです。つまり化他とは、他人を教化して仏様の利益を得させることをいいます。

 「折伏」は、人々の幸せを祈り、謗法を破折し、正しい信仰へと導く化他行であり、報恩行・慈悲行ともなります。他にも、法華講員同士で寺院参詣の手助けをし合うことや、新しく入信した方に、勤行や唱題、御供養や登山の大切さを教える「育成」も、立派な化他行の一分といえるでしょう。

 「自分が幸せになりたい」「自分の願い事を叶えたい」という気持ちは、誰にでもあります。ですから自行の大切さは、理解がしやすいと思います。

では、化他の大切さについては、どのように理解したらよいのでしょうか。

 大聖人は『三大秘法禀承事』に、

 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書 一五九四㌻)

と、日蓮大聖人の唱え出だされた御題目は、自行と化他の両方を兼ね備えたものであると御教示されました。

 御法主日如上人猊下は、

 「世の中に一人だけの幸せというのは存在しないのです。みんなが不幸ななかで、自分一人だけが幸せということはないのです。何かしらの影響を受けて、自分は幸せなつもりでいても、結局、泥沼に入ることになってしまうのです。」(大白法 九七六㌻)

と御指南されています。自分一人だけの幸せを追い求める信心では、けっして自分自身も幸せになれないということであり、ここに化他の実践が大切な理由があります。

 自行と化他の関係について、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、

 「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段 二一九㌻)

と、自行の実践を真剣に重ねていくところには、必ず慈悲の心が生じ、化他の実践が伴うことを御教示されています。

 さらに、御法主上人猊下は、

 「唱題も折伏も一体であり、唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります」(大白法 七八一号)

と御指南されています。

 私たちにとって大切なことは、「自行化他にわたる信心」の実践です。自行と化他は、修行の根幹であり、「車の両輪」「鳥の両翼」にも例えられるように、どちらも欠かすことのできない重要なものです。

 自行である勤行・唱題を毎日怠ることなく真剣に行じ、確信を深め、その功徳によって勇気をいただいて、折伏と育成に取り組んでいくことが大切です。この折伏・育成によって、確信はさらに強固なものになり、自行の実践の力にもなっていくのです。

 大聖人は『持妙法華問答抄』に、

 「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書 三〇〇㌻)

と仰せられました。

 自行化他の実践のめざす先は、法華講員八十万人体勢構築の御命題達成と、広宣流布の実現です。その信心の道のりの上にこそ、自他共に幸せになるすばらしい信心の功徳があることを確信し、真剣な「我も唱え、他をも勧める」実践を重ねてまいりましょう。