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妙法の四力

2023年02月28日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年6月16日(第959号)

 「 教 学 ノ ー ト 」 

     ㉝ 妙法の四力

 妙法の四力とは、私たちが祈りを叶え、成仏という幸福の境界に至るために必要な信力・行力・仏力・法力の四つの力用(働き・作用)を言います。 

 まず、「信力」とは、日蓮正宗の御本尊様以外に成仏の道はないと心の底から信じることです。 

 次に、「行力」とは、他の宗教の教えや爾前経(釈尊が法華経の前に四十余年かけて説いた方便の教え)の経文・教義を交えず、ただ日蓮大聖人様の御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを言います。

 続いて、「法力」とは、御本尊様の功徳が広大無辺であることを言います。 

 最後に、「仏力」とは、御本仏が御本尊様を顕わされ、大慈大悲の上から一切衆生を救済されることを指します。 

 このうち、 信力・行力は、正しく妙法を修行する人に具わる力(自力) であり、仏力・法力は御本尊様に備わる 力用 (他力)に当たります。 

 これらの妙法の四力の成就する過程について、総本山第26世日寛上人は、『観心本尊抄文段』に、蓮華と水と日光の譬えをもって、次ように御指南されています。 

 「蓮華の華は信力、蓮は行力で、水は法力、日光は仏力のようなものだ。蓮華が水から生長するように、私たちの信力・行力は必ず法力によって顕われる。(中略)水によって蓮華が生長するといっても、日光がなければ枯れてしまう。同様に、法力によって信力・行力が顕われても、仏力を得られなければ私たちは退転してしまう。しかし一方、蓮華が日光を得て大輪の華を咲かせるように、私たちも仏力を戴くことによって、信行が成就して、速やかに成仏できるのである(趣意)」(御書文段 228㌻) 

 このように妙法の四力とは、御本尊様の法力によって私たちの信力・行力が生じ、さらに仏力によって、四力が一つに合して、私たちの正しい信心が成就することを言うのです。

 しかし、いくら御本尊様に仏力・法力が具わるといっても、日蓮大聖人様が『日厳尼御前御返事』 に、

 「叶ふ叶はぬは御信心により候べし」(御書 1519㌻)

と仰せのように、私たちが勤行を怠けたり、真剣な信心修行に励まなければ、祈りは成就しません。私たちは御本尊様の広大なる仏力・法力を深く信じ、より一層の勤行・唱題・折伏という信力・行力の錬磨に励むことが大切です。 




🖊 ポイント

御法主日如上人猊下は、

「なぜ我々が頂戴する功徳に差が出てくるのか。功徳に差が出てくるのは、御本尊様の仏力・法力に差があるのではなくして、我々の信力・行力に差があるからなのです。やはり一生懸命、自行化他の信心に励むということが大事であります」(大白法 818号)

と明快に御指南されています。自行化他の実践ができているか、自分の日頃の信心を、今一度見つめ直してみましょう。

 

 

 

 

 

 

 


本門の題目

2023年02月27日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年5月16日(第957号)

 「 教 学 ノ ー ト 」 

     ㉜ 本門の題目

 本門の題目とは、三大秘法のうちの一つで、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを言います。 

 この本門の題目には、「信」と「行」の立て分けがあります。 

 信とは、本門の本尊を疑いのない心で信じることです。

 行とは、その信心をもって実際に御題目を唱えることです。

 日蓮大聖人様は、

 「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるがごとし」

  (御書 814㌻) 

と戒められています。

 御本尊様に疑いの心をもって御題目を唱えても、功徳を戴くことはできません。また、信じる心があっても、実際の行である唱題をしなければ、功徳を戴くことはできないのです。 

 したがって、本門の題目とは、御本尊様を強盛に信じ唱題を実践する、信と行を具えた御題目を言うのです。

  また大聖人様は、

 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」

  (同 1594㌻)

と仰せられています。

 そして大聖人様が、

 「日蓮は二十八年の間、ただただ妙法蓮華経の御題目を一切の衆生の口に入れようと励んできたのである(趣意)」

  (同 1539㌻)

と仰せになられ御自ら行じられたように、私たちも、常に信と行を具えた御題目を唱え、その功徳を体験し実感して、御本尊様への確信を深めることが大切です。

 そして、その功徳に歓喜した心を基として、大聖人様が教え導かれているままに折伏を行じ、他の人々に妙法の偉大な功徳を説いていくことが、末法における御題目の意義なのです。

 御法主日如上人猊下は、

 「大御本尊への絶対的確信と、断固たる決意を持って実践遂行する時は、必ずやあらゆる困難を乗り越え、所願を達成することができるのでありまして、その源泉こそが、まさしく唱題であります」

  (大白法 895号)

と仰せです。

 私たちは、本門戒壇の大御本尊様を固く信じて、信行具足の本門の題目を自行化他にわたって唱え、多くの人に教え、弘めていくことによって、大きな功徳、利益を受けることができるのです。



🖊 ポイント

御隠尊日顕上人猊下御指南

「題目は、自らも唱え、他の人々にも勧めることが大きな功徳を積むのである。人々の心は、様々な過去からの罪業と、現在持つ多大な煩悩で歪曲している。(中略)曲がった心は題目の功徳によって、自然にまっすぐになる。それには、法華経に説かれてある不思議な功徳を信ずることであり、経の説くままに素直に信じて唱えることにより、曲がった心もまっすぐになっていくのである」(三大秘法義 618㌻)

 

 

 

 

 


本門の戒壇

2023年02月26日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年4月16日(第955号)

 「 教 学 ノ ー ト 」 

     ㉛  本門の戒壇

 本門の戒壇とは、三大秘法の一つで、本門の本尊を安置する所を言います。 

 「戒」とは、 悪を捨て、善に進ませる戒法の徳、すなわち、「非道を防ぎ悪行を止めること」を旨とする仏道の徳を意味します。また「戒壇」には、仏に教えを信じて修行する者が、この戒を受け誓いを立てる場所という意味があります。

 奈良時代には、東大寺(奈良県)や薬師寺(栃木県) に小乗の戒壇が建立され、平安時代には、比叡山延暦寺に大乗の戒壇が建立されました。 しかし、これはあくまでも釈尊が説いた仏法の利益がある時代における戒壇です。 

 末法の今日においては、御本仏日蓮大聖人様が顕わされた本門の本尊を受持することに一切の戒の功徳が収まるため、本門の本尊を安置する場所がそのまま戒壇となり、その意義や功徳は他の戒壇とは大きく異なります。 

 本門の戒壇には、「亊」「義」 の二つの意義があります。 

 「亊」の戒壇とは、大聖人様が 『三大秘法稟承亊』に、

 「王法仏法に冥(みょう)じ、仏法王法に合(がつ)して、(中略)霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。亊の戒法と申すは是なり」(御書 1595㌻)と仰せられ、また『日蓮一期弘法付嘱書』に、

 「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同 1675㌻)

と仰せのように、この仏法が広宣流布した暁には、富士山に本門寺の戒壇を建立すべきであると説かれています。 

 また、総本山第二十六世日寛上人が『寿量演説抄』に、

 「未だ時至らざる故に直(ただき)に事の戒壇之なしと雖も既に本門の戒壇の御本尊在(ましま)す上は其の住処は即戒壇也」(歴代法主全書)

と仰せのように、広宣流布の時に至らなくても、本門戒壇の大御本尊が一念三千の当体であり広布の根源の法体であることから、本門戒壇の大御本尊様おわします所は、そのまま現時における亊の戒壇であるとされています。

 次に「義」の戒壇とは、その意義が亊の戒壇に通じるという意味です。末寺や、家庭に下付された御本尊御安置の場所を言います。

 私たちは、総本山大石寺に在す本門戒壇の大御本尊を根本として、大聖人様の御遺命である広宣流布と、本門寺の戒壇の建立に向かって、日々の信心修行に励み、一人でも多くの人にこの尊い教えを説いていくことが大切です。 




🖊 ポイント

大聖人様は、「三大秘法稟承亊」に、

「インド・中国・日本の三国並びに一閻浮提(全世界)の人が懺悔し滅罪する戒法であるばかりではなく、大梵天王や帝釈等の諸天善神までも来て礼拝すべき戒壇である(趣意)」(御書 1595㌻)

と仰せのように、世界の平和と幸福を確立するためには、本門戒壇の大御本尊を信仰すべきであると説かれています。

 

 

 

 

 

 

 


上野尼御前御返事

2023年02月22日 | 平成新編日蓮大聖人御書(一)
日蓮大聖人御書大石寺 『上野尼御前御返事』 全文です。
 

上野尼御前御返事                  弘安四年一月一三日 60歳

 (御書 一五五二頁)   

 聖(すみ)人(ざけ)ひとつ(筒)ゝ、ひ(堤)さ(子)げ十か、十(むし)字(もち)百、飴(あめ)ひとを(桶)け二升か、柑(こう)子(じ)ひと(一)こ(籠)、串柿十くしならびにく(栗)り給び候ひ了んぬ。春のはじめ、御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみ(満)たせ給ふべきよしうけ給はり了んぬ。

 抑(そもそも)故五ら(郎)うどのゝ御亊こそを(想)もいいでられて候へ。ちりし花もさかんとす、か(枯)れしく(草)さも(萌)ねぐみぬ。故五郎殿もいかでかか(帰)へらせ給はざるべき。あわれ無常の花とく(草)さとのやうならば、人(ひと)丸(まる)にはあらずとも花のもともはなれじ。い(嘶)ばうるこ(駒)まにあらずとも、草のもとをばよもさらじ。

 経文には子をばかた(敵)きととかれて候。それもゆ(謂)われ候か。梟(ふくろう)と申すとりは母をく(喰)らう。破(は)鏡(けい)と申すけだものは父をが(害)いす。あ(安)んろ(禄)く山と申せし人は師(し)史(し)明(めい)と申す子にころされぬ。頼(より)朝(とも)と申せしつわものは為(ため)義(よし)と申すち(父)ゝをころす。子はかたきと申す経文ゆわれて候。又子は財(たから)と申す経文あり。妙(みょう)荘(しょう)厳(ごん)王(のう)は一(いち)期(ご)の後無(む)間(けん)大城と申す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、浄蔵と申せし太子にすくわれて、大地獄の苦をまぬかれさせ給ふのみならず、娑(しゃ)羅(ら)樹(じゅ)王(おう)仏(ぶつ)と申す仏とならせ給ふ。生(しょう)提(だい)女(にょ)と申せし女人は、慳(けん)貪(どん)のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候ひぬ。されば子を財と申す経文たがう事なし。

 故五郎殿はとし十六歳、心ね(根)、み(容)めかた(貎)ち人にすぐれて候ひし上、男のの(能)うそなわりて万人にほめられ候ひしのみならず、をやの心に随ふこと水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。い(家)へにてははし(柱)らとたのみ、道にてはつ(杖)へとを(思)もいき。はこのたか(宝)らもこの子のため、つかう所従もこれがため、我し(死)なばに(荷)なわれての(野)ぼ(辺)へゆきなん、のちのあとを(思)もいを(置)く事なしとふかくをぼしめしたりしに、いやなくさ(先)きにた(立)ちぬれば、い(如)か(何)んにやい(如)か(何)んにやゆ(夢)めかま(幻)ぼろしか、さ(醒)めなんさ(醒)めなんとを(思)もへども、さめずしてと(年)しも又か(返)へりぬ。いつとま(待)つべしともを(覚)ぼへず。ゆきあうべきところだにも申しを(置)きたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくともも(唐)ろこ(土)しへもわたりなん。大地のそこにありときかば、い(争)かでか地をもほ(掘)らざるべきとを(思)ぼしめ(食)すらむ。

 やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使ひとして、りや(霊)うぜ(山)ん浄土へまいりあわせ給へ、若(にゃく)有(う)聞(もん)法(ぽう)者(しゃ)無(む)一(いち)不(ふ)成(じょう)仏(ぶつ)と申して、大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、し(塩)をはみ(満)ちひ(干)ぬ世(よ)はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ。恐々謹言。

 

正月十三日                                 日蓮花押

上野尼御前御返事

 
 

 

 

 

 
 
 

法華経について ⑨

2023年02月21日 | 法華経について(一)

「大白法」平成26年6月1日(第886号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 76

   法華経について ⑨

    『薬草喩品』

 今回は、『薬草喩品第五』について学びます。

 「薬草喩」とは、当品に説かれる譬喩に由来しており、特に声聞・ 縁覚の二乗を救済するための妙法という真の薬を説く意味が拝されます。

 譬説周述成段

 『薬草喩品』は、釈門正宗分で広開三顕一が明かされる三周の説法中、『譬喩品第三』の後半から始まる譬説周のうち、述成段(対告衆による領解の正しさを認め仏様がさらに説き示す部分)に当たります。

 『譬喩品』後半の譬説周正説段(仏様が正法を説かれる部分)において、釈尊は「三車火宅の譬え」を説き、これを聞いて中根の須菩提・迦旃延・迦葉・目連の四大声聞は、三乗方便・一乗真実という開三顕一の法理を覚知します。四大声聞は領解段(説法を聴聞した衆生が仏様に理解した内容を述べる部分)である次の『信解品』において、その理解した旨を「長者窮子の譬え」をもって釈尊に申し上げます。

 これを受けて『薬草喩品』では、釈尊が「長者窮子の譬え」は真実の功徳を顕わしているとして一応四大声聞の領解を納受して讃歎すると共に、功徳の甚大なることをさらに深く理解させるために「三草二木の譬え」を説かれるのです。

 

 三草二木の譬え

 この譬えは、仏様の実相は本来一味ですが、衆生の境界に差別があるために受ける功徳が異なることを示された上で、一仏乗によって、すべての衆生が平等に利益されることを説かれたものです。 

『薬草喩品』より三草二木の譬え

 「世界中の山や川、谷や大地には、様々な草木が生い茂っており、名前も形も異なっています。

 雨雲が遍く空を覆い。雨が一時に等しく降り注ぐと、その雨は、一切の草木に行き渡り、高木、低木、大・中・小の薬草それぞれに応じた潤いをもたらします。 草木は、それぞれの持つ特性に従って、雨による潤いを受け、生長して花果を結びます。草木は、同一の大地に生じ、 同一の雨に潤されますが、名前や生長していく姿には、それぞれ差があり違いがあるのです。

 仏様の教えもまた同じです。仏様が世の中に出現されるのは、大きな雨雲が涌き起こるごとく、説法が一切の人々に行き渡るのは、雨雲が遍く空を覆い尽くすごとくであります。

 そして、『私は仏であり、未だ仏道に至らない者を導き、未だ解了しない者を解了せしめ、未だ仏道に安んじない者を安んぜしめ、未だ涅槃に至らない者を至らしめます。私は今世・来世を見通した一切を知る者、一切を見る者にして、仏の道を知り、仏の道を開き、仏の道を説く者であります。皆この法華経を聴聞するためにここに集まりなさい』と説かれました。

 仏様は、集まり来たった十界の衆生に機根の差があることを観ぜられて、それぞれに相応して種々に法を説いて衆生を歓喜せしめ、善根を修めさせます。説法を聴聞した衆生は、今世は安穏にして後生は善所に生まれ、ようやく仏道に入ることができるのです。

 それはあたかも大きな雨雲が、一切の草木に雨を降らし、それぞれの草木に応じた潤いを与えて平等に生長させるようなものです。 

 仏様の説法は、一地・一雨と同じく、ただ一乗真実の教えを、一切衆生に平等に説くことにあります。 

 しかし、聴聞した人間・天上・声聞・縁覚・菩薩の衆生は、仏様の教えの通り受持・読誦の修行をしても、各々が功徳を別々に受け止め、仏様の教えが一相一味であることを知りません。種々の草木が自らの上中下の特性を知らないように、五乗七方便のそれぞれの衆生もまた自身の種・ 相・体・性を知らず、ただ仏様のみが五乗の因果と差別相を知り、衆生の心相も諸仏の教法も一相一味無差別であることを覚知されているのです(趣意)」

  (法華経 二一五㌻)

 譬えの中に示されるように、大きな雨雲は仏様、雨とはその教え、草木は一切衆生のことです。雨雲が平等に潤いの雨を降らせるとは、一切衆生を仏様の悟りの境界へ導く一仏乗たる法華経に譬えられたものです。 

 また種々の草木は、天台大師の『法華文句』に依れば五乗のそれぞれに当たり、小さな薬草が人間・天上、中くらいの薬草が声聞・縁覚の二乗、大きな薬草が蔵教の菩薩、低木が通教の菩薩、高木は別教の菩薩を譬えています。これら五乗の衆生は、草木が等しく大地より生ずるのと同様に、各々が本来等しく仏性を具えています。ですから、機根に応じて一仏乗の法を様々に聞いたとしても、草木の性質にかかわらず潤すところの雨が一味であるように、衆生の機根に五乗七方面の相違があったとしても、仏様は大慈悲の上から実相一味の法を施し平等の利益を与え無差別の義を示され、究境して一切衆生を仏様の境界へと至らしめるのです。

 

 現世安穏 後生善処

 日蓮大聖人が『御講聞書』に、

 「今末法に入りて日蓮等の類の弘通する題目は等雨法雨の法体なり。此の法雨、地獄の衆生・餓鬼の衆生等に至るまで同時にふりたる法雨なり。日本国の一切衆生の為に付嘱し給ふ法雨は題目の五字なり。所(いわ)謂(ゆる)日蓮建立の御本尊、南無妙法蓮華経是なり」

  (御書 一八四一㌻)

と御示しのように、末法の一切衆生に等しく降り注ぐ法雨とは、本門戒壇の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって戴ける大功徳に他なりません。

 御法主日如上人猊下は、妙法受持による三世に亘る功徳を説かれた当品の、

 「現世安穏 後生善処(現世安穏にして後に善処に生ず)」

   (法華経 二一七㌻)

との経文について、次のように御指南あそばされています。

 「我らにとって『現世安穏後生善処』の妙法を受持信行することこそ今生の名聞であり、現世に妙法弘通に励んだ因によって後生には必ず成仏に至ることができるのであります。

 よって我らは『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき』との御金言を心肝に染め、一意専心、自行化他の信心に励んでいくことが肝要となるのであります」

 (大白法 七三三号)

  この御指南に副(そ)い奉り、誓願貫徹に向けて精進してまいりましょう。 

 

 

 

    三草二木の譬えにおける五乗の衆生

 

     二            三

     木            草

     |            |

  |ーーーーー|    |ーーーー|ーーーー|

  高     低    大    中    小

  木     木    の    の    の

  |     |    薬    薬    薬

  |     |    草    草    草

  |     |    |    |    |

  別     通    蔵    声    人

  教     教    教    聞    間

  の     の    の    ・    ・

  菩     菩    菩    縁    天

  薩     薩    薩    覚    上

                  の

                  二

                  乗 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


法華経について ⑧

2023年02月19日 | 法華経について(一)

「大白法」平成26年5月1日(第884号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 75

   法華経について ⑧

    『信解品第四』

 前回の『譬喩品第三』に続いて、『信解品第四』について学んでいきます。

 初めに

 『信解品第四』は、三周の説法(法説周、譬説周、因縁説周)中、譬説周の領解段に当たります。

  (本紙八八〇号六面の図を参照)

 上中下根のうち中根に当たる四大声聞(迦葉・目連・須菩提・迦旃延)が、先に『譬喩品第三』後半の譬説周 正説段で説かれた「三車火宅の譬え」を聞いて、開三顕一の法門を領解したことを「長者窮子の譬え」をもって釈尊に申し上げます。

 この譬えは、親子の物語で、窮子(貧窮の子)が父の長者によって徐々に教化される姿を通し、四大声聞が釈尊一代の五時(華厳・阿含・方等・般若・法華)に分別して、一仏乗の教えを理解した旨を述べたものです。

 それでは当品の内容に入りましょう。

 まず初めに、四大声聞は、最高の儀礼をもって釈尊を拝し、次のように申し上げます。

 「私たちは、釈尊の弟子の中でも最上位の立場でありますが、小乗声聞の悟りに安住し、仏の真の悟りを進んで求めようとしませんでした。それは、大乗の菩薩のように、自在に国土を清め、人々を教導することを喜ばなくなっていたからです。しかし、今、声聞の舎利弗に成仏の予証が与えられたのを見て、かつてない喜びにあふれています。そして、さらに『三車火宅の譬え』のような類いまれな法を聞くことができようとは思いもよらないことでした。いわば、求めずして、無上の宝珠を得たようなものです。そこで、今度は私たち四人が、ただ今の教えについて信解したところを、譬え話をもって申し上げたいと思います」 

と言って、「長者窮子の譬え」を説かれました。

 

 長者窮子の譬え

 長者窮子の譬えとは、ある長者とその息子(貧窮の子=窮子)の話です。息子は幼い時に父からはぐれ、貧しい生活をしながら他国を数十年も放浪していました。一方、父親は大富豪の長者で、大邸宅を構え、倉には宝が満ち大勢の使用人がおりました。しかし、この父親は、いつも我が子を忘れられず、「もし我が子を探し出して財宝を相続できたならば、どれほど幸せか」と願っていました。

 ある時、息子は衣食を求めて各地をさまよいながら、たまたま故郷の父の家の前に立ったのです。中を覗くと、多くの使用人に囲まれ、辺りを圧倒する威厳を具えた長者の姿が見えました。父親のことを忘れてしまっている息子は、「まずい、これは王様か、もしくは王様のような権力者に違いない。ぐずぐずしていると捕らえられて強制的に働かされるかもしれない」と、その場から逃げ去ろうとしました。

 ところが、父の長者は、そのみすぼらしい男を見て、すぐに我が子と判ったので、側近の者に命じて連れ戻させようとしました。すると、窮子は驚いて叫び、恐怖のあまり、気を失って倒れてしまったのです。

 その姿を見た長者は、我が子の心が非常に卑しくなり、高貴な身分の者を恐れるようになっていることを知り、方便をもって徐々に誘引しようと考えました。そして、使いの者に「許してやるから、好きな所へ行け」と伝えさせたのです。

 すると、窮子は喜んで貧しい里へ、仕事を求めて出て行ってしまったのです。しばらくして、長者は、浮浪者のような貧相な男二人を窮子のもとに遣わし、長者の邸宅の汚物掃除の仕事を一緒にしないかと誘われました。窮子は喜んで長者の邸宅で働くことになりました。

 ある時、長者はわざと汚らしい服に着替え、汚物掃除の道具を持って、窮子に近づきました。そして、共に働いている人を励ましたりして、すっかり窮子を安心させ、親しくなっていきました。そうして、次のように述べました。「家にあるものは何でも使いなさい。私はもう年だが、お前はまだ若い。これからお前には、特に目をかけよう。だから、お前はもうよそへ行ってはならない。ここで働くとよい」。そして長者は、窮子に名前を付けてやりました。窮子はこの処遇に喜びましたが、まだ自分はよそからやってきた身分の低い使用人だと思っていました。このような事情から長者は、二十年もの間、今までと同じように汚物を掃除させました。

 その間、長者と窮子は、互いに信頼し合えるようになり、長者の所へも自由に出入りするようになりましたが、未だ粗末な小屋に住んで、元の環境を変えることはありませんでした。

 そのうち、長者は病気となり、死期が近いことを知ったので、いよいよ窮子に財産を継がせようと思いました。そして「私とお前は、もう心が一つになっている。私の財産の管理を命ずるから、財産を失わないようにしなさい」と言って任せたのです。窮子は、非常に喜びましたが、 少しの財産も自分で所有しようとしませんでした。自分は卑しい者だという意識を、捨てられなかったのです。

 しかし、窮子は次第に大きな心構えを持つようになりました。

 いよいよ長者も臨終の時となり、親族・国王・大臣等の一切を招集して、皆に向かい、出納係である窮子こそ実の我が子であることを告げ、自身の財宝の一切を息子へと相続するのです。

 この長者窮子の譬えは、総じて過去釈尊による下種より華厳・阿含・方等・般若の前四時を経て最後法華における開会の様を譬えているのです。

 つまり、初めに譬喩中の息子が父のもとを離れ落ちぶれていく様子は、過去に仏より下種を受けた四大声聞が、それを信受せず退転し、三界六道に沈淪したことを譬えています。そして次に父子が再会し我が子に気づいた長者が使いの者に跡を追わせ、窮子がそれに恐怖し煩悶したことは、今番出世の釈尊が華厳経を説き、聴聞した声聞衆が聾のごとく唖のごとく全く理解できなかったことを譬え(擬宜)、次に汚物掃除で満足していてはならないとするのが、長者のもとに誘い込むことは小乗・阿含経の化導を譬え(誘引)、そしていつまでも汚物掃除で満足してはならないとするのが、維摩経や阿弥陀経大日経などを説いた方等経の化導を譬えています (弾呵)。また財産管理をさせて今までの状況を卑しいと思わせ、大きな心へと淘汰させることは般若経の化導の譬え(淘汰)、最後に我が息子であることを示して、一切の財宝を相続することは、成仏の境界を開かせた法華経の化導(開会)を譬えているのです。

 そして、続く『薬草喩品』での述成を経て、『授記品』において四大声聞は、釈尊より未来成仏の記別を授かるのです。

 

 真の信解とは

 日蓮大聖人様は『開目抄』において、

 「いまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず」

   (御書 五三六㌻)

と御教示のように、迹門において説かれた諸法実相の妙理たる一念三千も二乗作仏も、共に久遠実成を明かされていないので、すべて本無今有、有名無実の失を免れられません。したがって、対境を迹門理上の一念三千とした信解では、真の成仏は許されません。

 真の信解の意義を拝しますと、本門『寿量品』が説かれた後、『分別功徳品』現在の四信中、一念信解に至ってその意義が充実されるのです。

 これを文底の御法門より拝しますと、釈尊在世の衆生の得脱(成仏)も久遠元初下種本仏の妙法による下種を信解したことによるのです。

 末法においては、久遠元初下種の本仏たる日蓮大聖人御所持の妙法を事の当体として顕わされた本門戒壇の大御本尊に対し奉る無疑曰信の信心こそ、真の信解の意義となるのです。

 

 

 



  長者窮子の譬えと五時教判の関係図

 

      五時    五味の譬え   長者窮子の譬え

                    (教導) 

 

  第一 華厳時 ーーー 乳味 ーーーー 擬宜

 

  第二 阿含時 ーーー 酪味 ーーーー 誘引

 

  第三 方等時 ーーー 生蘇味 ーーー 弾呵

 

  第四 般若時 ーーー 熟蘇味 ーーー 淘汰

 

  第五 法華時 ーーー 醍醐味 ーーー 開会

 

 

 

 

 

 


戒体即身成仏義

2023年02月18日 | 平成新編日蓮大聖人御書(一)

  『戒体即身成仏義』                   仁治三年 二一歳

 

                         安房国清澄山住人 蓮長 撰


 無量義経に云わく「四十余年未だ真実を顕はさず」云云。法華已前は虚妄方便の説なり。法華已前にして一人も成仏し、浄土にも住生してあらば、真実の説にてこそあらめ。又云はく「無量無辺不可思議阿僧祗劫を過ぎて、終に無上菩提を成ずることを得ず」文。法華経には「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。法華已前の経は不正直の経、方便の経。法華経は正直の経、真実の経なり。法華已前に衆生の得道があらばこそ、行じ易き観経に付きて往生し、大事なる法華経は行じ難ければ行ぜじと云はめ。但釈尊如来の御教の様に意得べし、観経等は此の法華経へ教へ入れん方便の経なり。浄土に住生して成仏を知るべしと説くは、権教の配立、観経の権説なり。真実には此の土にて我が身を仏因と知って住生すべきなり。此の道理を知らずして、浄土宗の日本の学者、我が色心より外の仏国土を求めさする事は、小乗経にもはづれ大乗にも似ず。師は魔師、弟子は魔民、一切衆生の其の教を信ずるは三途の主なり。法華経は理深解微にして我が機に非ず、毁らばこそ罪にてはあらめと云ふ。是は毁るよりも法華経を失ふにて、一人も成仏すまじき様にて有るなり。設ひ毁るとも、人に此の経を教へ知らせて、此の経をもてなさば、如何かは苦しかるべき、毁らずして此の経を行ずる事を止めんこそ、弥怖ろしき事にては候へ。此を経文に説かれたり。「若し人信ぜずして此の経を毁謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して疑惑を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん。地獄より出でて当に畜生に堕すべし、若しは狗・野干、或は驢の中に生まれて身常に重きを負ふ。此に於て死し已はって更に蟒身を受けん。常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く、余の悪道に在ること己が舎宅の如くならん」文。此の文を各御覧有るべし。「若し人信ぜず」と説くは末代の機に協はずと云ふ者の事なり。「此の経を毀謗せば」の毀はやぶると云ふ事なり。法華経の一日経を皆停止して称名の行を成し、法華経の如法経を浄土の三部経に引き違へたる、是を毀と云ふなり。権教を以て実教を失ふは、子が親の頸を切りたるが如し。又観経の意にも違ひ、法華経の意にも違ふ。謗と云ふは但口を以て誹り、心を以て謗るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。

  (御書 九・十㌻)

 

 

 

 


一生成仏抄

2023年02月17日 | 平成新編日蓮大聖人御書(一)

 『一生成仏抄』               建長七年 三四歳  

 衆生と云ふも仏と云ふも亦此くの如し。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば闇(あん)鏡(きょう)も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様にして磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。

  (御書 四六㌻)




 『諫暁八幡抄』              弘安三年一二月 五九歳

 天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向かヘリ、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長さ闇を照すべき瑞相なり。

  (御書  一五四三㌻)

 

 

 

 

 


法華経について ⑦

2023年02月15日 | 法華経について(一)

「大白法」平成26年4月1日(第882号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 74

   法華経について ⑦

 

 今回学ぶ『譬喩品第三』 は、前半が法華経迹門の正宗分の法説周であり、後半は同じく正宗分の譬説周の部分です。

 『譬喩品』前半では、前回の『方便品』の説法を受けて領解、述成、授記、衆観喜が説かれ、後半では有名な三車火宅の譬えが説かれます。

 ー前半ー

 舎利弗の信解と授記

 『譬喩品』に入ると、舎利弗は歓喜に躍り上がり、釈尊に従って尊い法を学んだことにより、喜びを懐いたことを申し述べます。 

 舎利弗は、今まで釈尊から教えを聞き、菩薩方へ未来の成仏の保証(記別または授記と言う)がされることを見てきました。一方で、菩薩方と同じ悟りを得ているつもりであった自分たちは、小乗の悟りによってけっして成仏できないとされています。それなので、なぜ釈尊が私たちを小乗の教えで導こうとされるのかと、疑いを懷いていたことを述べます。 

 しかし続いて、これは、自分たちが釈尊の方便を知らずに、小乗の悟りを本当の悟りであると思ったために生じた迷いであり、自らの過失であることを述べます。 

 また、法華経を聴聞して仏の真の境界と出世の本意をうかがい、たちまちに一切の疑いが消え、身も心も安穏の境地を得たことと、初めて真の仏子となることができ大きな喜びを得たことを申し述べました。

 この舎利弗の領解を聞いた釈尊は、遠い過去から舎利弗が教化してきたことを明かします。そして、舎利弗がその教化を忘れて小乗の法によって悟りを得たと思い込んでしまったと説かれます。そこで、舎利弗を本来の菩薩として無上の仏道に向かわせようと、この妙法蓮華経を説いたことを明かされ、舎利弗の領解を承認されたのです。

 その後、釈尊は、舎利弗がさらに無量無辺の時を修行した後に、大宝荘厳という時代(劫)に離(り)垢(く)という国土において、華光如来という名の仏になると述べられました。

 この舎利弗への記別は、それまで成仏できないとされてきた声聞や縁覚の人々が未来の成仏を保証されるという、大切な意義を持っています。これを二乗作仏と言い、法華経以外の経典にはけっして説かれていません。

 こうして舎利弗への授記が終わると、梵天帝釈をはじめとする一会の大衆が、皆我が事のように歓喜しました。

 次いで、記別を受けた舎利弗は、未だに疑いを懐いて迷っている声聞衆のために、さらに法を説かれるよう、釈尊にお願い申し上げたのです。

 

 ー後半ー

 三車火宅の譬え

 そこで釈尊は三車火宅の譬えを説きます。

 ある国に一人の大長者がおりました。長者は、たくさんの財産を持っており、たくさんの召使いを抱えていました。その邸宅はとても広いのですが、出入り口の門は、 狭くて小さな門が一つあるだけでした。この家には、五百人の人々と共に、長者の子供たち三十人が住んでいました。 

 ある時、長者の留守中に、突然、火が起こり、瞬く間に屋敷に広まりました。ところが、子供たちはまだ幼く、遊びに夢中になっていて火事に気がつきません。 

 帰ってきた長者は、子供たちの身を案じて、「お前たち早く外へ逃げなさい。火に焼かれてしまうぞ」と大きな声をかけましたが、子供たちは、父の呼びかけを聞かずにただ遊んでいるのでした。 

 長者は、子供たちを助けるために方便を設けました。「お前たちの好きな羊の引く車、鹿の引く車、牛の引く車(三車)が門の外にあるよ。早く外に出てくれば、お前たちにあげるよ」と告げました。

 この言葉を聞いた子供達は、挙って外へ走り出て、安全な所へ避難することができました。 その様子を見て、長者は安堵して、喜んだのです。

 子供たちは、父の長者に向かって、早く三車をくれるように願いました。そこで長者は、三車よりもはるかに立派で、 姿も能力もすぐれた大白牛が引く、大きく荘厳された車を、子供たちに平等に与えたのです。

 多くの財宝を持っている長者は、大切な我が子に劣った車ではなく。優れた車を等しく与えたのです。子供たちはこの大白牛車に乗って、未曾有の喜びを得ました。 

 譬喩を説き終えた釈尊は、舎利弗との問答を通して、三者ではなく大白牛車を与えた長者に虚妄(嘘)うその罪はなく、むしろ子供たちの命を救うために方便を設けられたことを明らかにします。

 そして釈尊は、仏も同じく一切衆生の父であり、無量の徳と智慧と深い慈悲を具えているからこそ、常に一切の人々を教化して利益を与えるのであると説かれました。如来の化導も同じように、一仏乗を方便をもって三乗に分別して説いたのであり、本来、父子は一体にして、一仏乗をもって衆生を救うことが本意であることを説かれたのです。 

 この長行に続いて偈頌が説かれ、「譬喩品第三」は結ばれます。

 

  一切衆生は仏子

 長者の家の火事は、 煩悩などが原因となって起こる苦しみの火です。火事になった長者の家のように、 

私たちの住むこの世界には、煩悩などによって起こる様々な苦しみがあります。これを『譬喩品』では、

 「三界は安きこと無し 猶火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」 

  (法華経 一六八㌻)

と説いています。この苦しみに満ちた世の中で、子供たちを導いた長者のように、仏様は私たち一切の衆生を救おうとされるのです。

 『譬喩品』 の偈(げ)頌(じゅ)に、

 「今此の三界は、皆是れ我が有なり 其の中の衆生 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処 諸の患難多し 唯我一人のみ能く救護を為す(今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護)」(同㌻)

とあります。この偈に仏様に具わる三つの徳が説かれています。 

 すなわち、「今此三界 皆是我有」は法界の一切が仏の所有であり、仏が一切の主君であるとする主の徳です。

 次の「其中衆生 悉是吾子」は、一切衆生は皆仏(ぶつ)性(しょう)を具えた仏の子であり、仏は父であるとする親(しん)の徳を現わしています。

 そして、「而今此処 多諸患難」とはこの世界に多くの苦しみがあることを意味し、最後の 「唯我一人 能為救護」は、仏が一切衆生を救済して真の浄土へと導く師匠であるとする師の徳を説かれているのです。

 火宅のように苦しみの多い世の中ではありますが、主師親三徳を具えられた仏様、すなわち御本仏日蓮大聖人様とその御金言を信じ、その教えのままに振る舞えば、必ずや安穏の境地に至ることができるのです。 

 

 以信得入と不信謗法

 このほかに『譬喩品』 では、法華経を信ずることの大切さと不信の罪とが示されます。

 信の大切さとしては、偈頌に、

 「汝 舎利弗 尚此の経に於ては 信を以て入ることを得たり」

  (同 一七四㌻)

と説かれ、当品前半における舎利弗の領解も、その根本が信ずることにあったと示されています。

 続いて不信については、同じく偈頌に、

 「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切 世間の仏種を断ぜん(中略)其の人 命終して 阿鼻獄に入らん」

  (同 一七五㌻)

と説かれています。 この経文を妙楽大師が釈して述べられたのが十四誹謗(別表参照)です。

 仏教における経典や論書には、多く信じることの大切さが説かれています。信なき修行は無益であり、いかなる修行にも、その根本に信がなくてはならないのです。

 私たちは、本門戒壇の大御本尊に対し奉る強い信を根本に、御法主上人猊下より賜った御命題を成就するため、唱題と折伏行に精進してまいることが大切なのです。 







十  四  誹  謗

 

 1、憍慢 正法に対して驕(おご)り、あなどること。

 2、懈怠 仏道修行を怠ること。

 3、計我 正法を自己の考えで推し量り、我見に執着すること。

 4、浅識 正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。

 5、著欲 欲望に執着して正法を求めないこと。

 6、不解 正法を理解しようとしないこと。

 7、不信 正法を信じないこと。

 8、顰蹙 正法に対して顔をしかめ、非難すること。

 9、疑惑 正法を疑い、惑うこと。

10、誹謗 正法を謗ること。

11、軽善 正法を信受する者を軽蔑すること。

12、憎善 正法を信受する者を憎むこと。

13、嫉善 正法を信受する者を嫉むこと。

14、恨善 正法を信受する者を恨むこと。

  


 

 

 

 


法華経について ⑥

2023年02月14日 | 法華経について(一)

「大白法」平成26年3月1日(第880号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 73

   法華経について ⑥

 

 前回は『序品』について学びましたので、

今回は法華経の第二番目、朝夕の勤行で読誦している『方便品』について学びましょう。 

 

 方便 

 「方便」とは、目的のための一時の手段・方法を示す言葉として世間で用いられますが、仏教においては仏が真実の法・悟りに衆生を誘引するために設ける便宜上の手段、またそれを用いる内容を意味します。

 この方便について天台大師の『法華文句』並びに妙楽大師の『法華文句記』では、 法用方便・能通方便・秘妙方便の三義に釈されています。

 第一の法用方便とは、「法」は種々の方法・手段、「用」はそれを利用することを意味し、仏が仏界に具わる九界の智慧を用いて衆生の機根に応じて導く随他意の法門を用いた方便のことを言います。爾前権経が方便とされるのはこのためで、声聞に四諦、縁覚に十二因縁を説くなどの化導法を指します。 

 第二の能通方便とは、法用方便と同じく衆生を導く手段ですが、仏の大慈悲より起こる、真実に導くための目的と意義を含み、 真実へ能く通じる「門」 を意味します。仏の智慧を含みつつも未だ九界の智慧をもって説かれます。 

 第三の秘妙方便とは、 深奥で知り難い仏の真実の境界を基として、直ちにその不思議の妙法によって衆生を導くことをいい、これこそが爾前権経に全く説かれていない法華経『方便品』の方便となります。 

 

 『方便品第二』

 法華経迹門の序分・ 正宗分・流通分の立て分けの上からまず序分として『序品』が説かれましたが、『方便品』からは正宗分としての釈尊による説法が開始されます。 

 そもそも迹門では開三顕一と言って、爾前経における三乗(声聞・縁覚・菩薩)方便の教えを開いて一仏乗の法が顕わされ、三周の説法が行われます。三周の説法とは、弟子の声聞衆の機根に応じて法説周・譬説周・因縁説周の説法を持って領解せしめることで、『方便品』はそのうち智慧第一と称される上根の舎利弗に対して説かれた、法説周(直ちに教法を説いて示す説法)の正説段に当たります。

 法華経では、釈尊が弟子に法を説いて未来の成仏を保証するに当たり、正説段・領解段・述成段・授記段の四つの段階を説示されています。仏が正法を説かれるのが正説、説法を聴聞した衆生が仏に理解した内容を述べるのが領解、その後仏が領解の正しさを認めてさらに説き示されるのが述成、最後に未来に仏と成る際の劫(時)・国・仏の名号等を明らかにされて成仏を保証されるのが授記です。

 無量義処三昧に入定されていた釈尊は安祥として立たれると、問われることなく自ら説法を開始し、諸仏の智慧が甚深無量・難解難入であることを賛嘆され、舎利弗に対して諸法実相・十如是を説き、一念三千の法門を明かされました。これが略開三顕一です。

 しかし、舎利弗以下の大衆はあまりに不可思議な法門に疑念を生じたため、舎利弗はさらに詳説されるよう三度釈尊に誓願し、許諾した釈尊によって、五千人の上漫の四衆が退座した後、『授学無学人記品』に至るまで広(こう)開三顕一の説法が展開されるのです。

 法説周の正説段に当たる『方便品』では五仏章として、総諸仏・過去仏・現在仏・未来仏・釈迦仏が説かれますが、最初の総諸仏の行化において、仏がこの世に出現する一大事因縁を示され、衆生に対する四仏知見(仏が一切衆生に仏知見を開かしめ・示し・悟らせ・入らしめんとする)にその目的があると説かれました。また、仏の教え(教)・修行(行)・ 修行をする人(人)・修行によって悟る真理(理)という教行人理の四つについて、無量の法門を一仏乗に開会することをもって仏の正意を示されました。

 続いて、過去仏、未来仏、現在仏、そして釈尊自身も、衆生を教化するためには初めに方便の三乗法を施して機根を調え、時が至った後に一仏乗の法華経を説示するという、五仏道同の義を述べられます。さらに、仏は五濁悪世の衆生を救うために出現し、三乗の方便を示すことを明かされつつ、仏の真実の化導は三乗等の方便に存することはなく、ただ一仏乗のみであることを説示されたのです。

 その後、比丘偈と称される偈頌において長行の再説がなされ、『方便品』の説法は結ばれます。

 

 一念三千

 一念三千とは、一念の心に三千の諸法を具足することであり、『方便品』 の経文をもとに天台大師が『摩訶止観』で説かれました。私たちの一念の心には十の法界が在し、その十界それぞれに十界が具わることで百界となります。そこにそれぞれの境界における用(はたら)きとしての十如是と、五陰・ 衆生・国土の三種の世間が具わることで三千世間となります。 

 諸法実相・十如是の文によって十界互具の理を観じ、凡夫の己心に具わる三千の妙理が明かされたことにより、九界の迷妄の生命にも尊い仏界の境界を具すという、一切万物に平等な理として十界皆成の道が説かれたのです。

 しかしこれは原理として顕わされたもので「迹門理の一念三千」と言い、説かれた釈尊も未だ本地を明かされておらず、インドで応誕し三十歳で成道した始成正覚の仏となります。

 大聖人様が『十章抄』に、

 「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」

  (御書 四六六㌻)

と仰せの通り、法華経『如来寿量品第十六』に至って久遠実成が説かれ、本因・本果・本国土の三妙合論が明かされなければ、真の一念三千の実体実義を成就することもありません。釈尊在世の衆生は三世常住の化導をもって「本門事の一念三千」を覚知できたのです。

 この点をさらに大聖人様の御法門より拝するならば『本因妙抄』に、

 「一代応仏のいき(域)をひかえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(同 一六八四㌻)

と示されるように、法華経の文上に説かれる一念三千はあくまでも釈尊の脱益の教法であり、迹門・本門共に理の一念三千となります。真の一念三千とは、『寿量品』の文底に秘沈された、久遠元初の御本仏が即座開悟された本因名字の妙法のことであり、末法出現の御本仏日蓮大聖人様の御内証である文底独一本門・人法一箇の事の一念三千です。

 大聖人様は、久遠元初の本法を末法濁悪の今に移され、末法尽未来際に亘る一切衆生皆成仏道の法体として、御身証得の妙法当体たる三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を建立されました。末法の荒凡夫である私たちは、大御本尊への絶対の確信のもと南無妙法蓮華経と唱えることによってのみ、仏界即九界・九界即仏界・境智冥合して即身成仏の大功徳を得られるのです。

 広大無辺な仏恩報謝のためにも、一天四海広宣流布の実現に向け、自行化他の唱題・折伏に励むことが肝要です。

 

 

 

 

 妙法蓮華経

 

      

     ー 序分 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 序品第一        

     |                           

     |     ー 略開三顕一 ーーーーーーーーー       

     |     |                方便品第二

     |     |           正説ーー                                                

     |     |           |領解ーー        

     |     |     ー 法説周ー|  |      

     |ー正宗分ー|     |     |述成ーー  

     |     |     |     |  ||

 ー迹門ー|     |     |     授記ーー

 |   |     |     |         |譬喩品第三

 |   |     |     |     ー正説ーー    

 |   |     |     |     |

 |   |        ※ー広開三顕一|     |領解ー信解品第四

|   |           |譬喩説周ー|       

|   ーー流通分ーー     |     |述成ー薬草喩品第五 

|         |詳    |     |        

華|         |細    |     ー授記ー授記品第六   

経|   ーー序分  |省    |               

 |   |     |略    |    ー正説ー化城喩品第七

 ー本門ー|ー正宗分 |     ー因縁説周|  

     |     |          |  ー五百弟子受記品第八

     ーー流通分 |          |  |

                      ー授記ー授学無学人記品第九

 

 

 

 

 

 

                                                                                                       ※広開三顕一(三周の説法) 

 

・法説周

 

 対告衆ーーー上根の舎利弗 直ちに教法を説いて示す



・譬喩説周

 

 対告衆ーーー中根の四大声聞(須菩提、迦旃延、迦葉、目犍連)

       譬喩(譬え話)を用いて示す



・因縁説周

 

 対告衆ーーー富楼那・阿難等下根の声聞

       釈尊と衆生との化導の因縁を説いて示す 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


法華経について ⑤

2023年02月13日 | 法華経について(一)

「大白法」平成26年2月1日(第878号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 72

   法華経について ⑤

 

 「日蓮正宗の基本を学ぼう」のコーナーは、前回から三カ月の期間が経ちましたが、引き続き、本年も法華経について学んでいきたいと思います。

 前回は、法華経の開経である無量義経について学びました。 

いよいよ今回から法華経二十八品の初めである『序品』に入ります。

 

 『序品第一』

 『序品第一』は、法華経全体の序文に当たっています。序文とは正意となる教法を説くための準備となる部分のことです。

 『法華経序品第一』に、

「仏、此の経を説き已(おわ)って、結(けつ)跏(か)趺(ふ)坐(ざ)し、無(む)量(りょう)義(ぎ)処(しょ)三(ざん)昧(まい)に入って、身心動じたまわず」

  (法華経 五九㌻)

と説かれたように、釈尊は無量義経を説かれた後、無量義処三昧という禅定に入られ、一言も説かれないまま、種々の不可思議な瑞相を示されます。

 

 通序と別序について

 この序品は、法華経全体の序分に当たることを述べましたが、 天台大師はその序文について、『法華文句』に、通序と別序の二つの意味があると釈しています。 

 まず通序とは一切経に通じている序分のことです。

 通序が一切経に通じるのは、諸経の冒頭には共通して、 釈尊が説かれた法を、私はこのように聞きましたという「如是我聞」の句があり、いつ、どのような仏が、どこで、どのような衆生にその法を説いたのかを表してから本題が始まるからです。

 法華経の『序品』冒頭では、

 「是(かく)の如く我聞きき。一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、萬二千人と倶(とも)なりき」

  (同 五五㌻)

と説かれ、信、聞、時、主、処、衆の六事が成就した通序となっています。

 一の信とは、仏が説かれた法に対し、信順の念を表わすことであり、

 二の聞とは、仏の説かれた法を聞き、能(よ)く持(たも)つ人をいいます。 

 三の時とは、仏が法を説かれる時を示し、

 四の主とは、法を説く主体者である仏を示します。

 五の処とは、教法の説かれた場所を言います。

 そして

 六の衆とは、仏は誰に対して法を説かれたのかを表します。

  この六事が成就し、初めて経が説かれるので、必ず諸経の初めにつけられるのです。

 次に別序ですが、それぞれの経に限っての序分のことで、法華経の『序品』においては、衆集・現瑞・疑念・発問・答問の五序の構成になっています。『序品』で起きた不可思議な瑞相は第二の現瑞序に当たり、その瑞相を細かく分類すると此土の六瑞と他土の六瑞になります。

 

 此土の六瑞と

 他土の六瑞について

 まず、此土の六瑞とは説法・入定・雨華・地動・衆喜・放光をいいます。

 第一の説法瑞とは釈尊が無量義経を説き、過去四十余年の経々が未顕真実であることを示したこと、 

 第二の入定瑞とは、釈尊が無量義処三昧という禅定に入られたこと、

 第三の雨華瑞とは、釈尊が無量義処三昧に入られたとき、天より四種の花が降り注(そそ)いだこと、

 第四の地動瑞とは広く仏の世界が六種に震動したこと、

 第五の衆喜瑞とは、これらの瑞相を見た会座に連なる大衆が、無量の喜びを心に生じ、一心に仏を拝(はい)仰(ごう)したこと、

そして

 第六の放光瑞とは釈尊の眉(み)間(けん)にある白(びゃく)毫(ごう)相(そう) から光が放たれ、東方の一万八千の国土を照らし出したことです。その光は、下は阿鼻地獄から上は阿(あ)迦(か)尼(こ)吒(だ)天(てん)に至り、東方万八千の国土に住する衆生の様子がありありと照らし出されました。

 それが、他土の六瑞です。

 

 第一に六趣=地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道に迷う衆生が見え、

 第二に諸仏を見ることができ、

 第三には、諸仏の説法が聞こえ、

 第四に仏道を行じる者たちの得道するのが見え、

 第五に菩薩たちが種々の因縁や、種々の理解に伴った信仰、そして種々の相貌によって修行するのが見え、

 第六には、諸仏の入滅する相が見えました。

 これらの不可思議な瑞相は、会座に連なる大衆に不思議な思いを生じさせました。 何のために仏はこのような瑞相を示されたのかという疑念です。しかし仏は三昧に入ってしまいお聞きすることができません。そこで、大衆の思いを感じ取った弥勒菩薩は一座を代表して文殊師利菩薩に質問します。それは文殊師利菩薩が、過去世において計り知れないほどの諸仏に親しく仕え、供養をしたことがあったので、文殊師利菩薩であれば、このような瑞相を見たことがあるに違いないと思ったからです。 

 文殊師利菩薩は、弥勒菩薩の質問に対し、この瑞相は釈尊がこれから大切な法をお説きになられる前触れであると答えました。なぜなら、過去世で種々の仏に仕えていたとき、このような不思議な現象を現出した後には、必ず大切な教えを説いたからである、と述べました。そして日月灯明仏が出現されたときの話を出しました。 

 それは、過去無量無辺不可思議阿僧祗劫という数えられないような昔の時代に日月灯明という仏が出現し、様々な衆生の求めに応じ、正しい法を説かれたこと、そして最初の日月灯明仏が入滅すると、次々に同じ名の仏が出現して二万にも及び、最後の日月灯明仏が説法を終え、三昧に入ったときに、今と全く同じ不可思議な現象が起きたことを述べました。そしてその後、仏が三昧を出られて法華経を説いたことを話し、釈尊も必ず法華経を説くであろうことを述べました。

 すなわち『序品』において、既(すで)に仏の因寿(久遠実成の由来)が密示されているのです。

 

 即身成仏の瑞相

 先ほど説明した此土の六瑞中、第六の放光瑞において、釈尊の眉間白毫相から放たれた光が東方万八千の世界を照らし、下は阿鼻地獄に至り、上は阿迦尼吒天に至ったことを述べましたが、大聖人様はこの瑞相について『御義口伝』に、

 「十界皆成の文なり。 提婆が成仏此の文にて分明なり。(中略)此の至(し)の字は白毫の行く事なり。白毫の光明は南無妙法蓮華経なり。上至阿迦尼吒天は空諦、下至阿鼻は仮諦、白毫の光は中道なり。之に依って十界同時成仏なり」(御書 一七二三㌻)

と仰せです。この白毫の光明の正体は南無妙法蓮華経であり、 この白毫の光明が下は阿鼻地獄まで至ることから十界互具が成就し、十界すべてが成仏したのです。そこから、特に『提婆達多品第十二』に説かれる、阿鼻地獄に堕した提婆達多の成仏が、実はこの『序品』の瑞相において即身成仏の相として密示されていると言われるのです。

 さらに末法における大聖人様の文底の立場よりこの瑞相を拝するならば『御義口伝』に、

 「今日蓮等の類を精霊を訪(とぶら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ」

   (同 一七二四㌻)

と仰せのように、私たちが先祖代々の諸精霊や有縁の精霊への追善回向のために、塔婆を建立し、大御本尊様を受持し至信に御題目を唱えるとき、諸精霊は、御本尊の光明に照らし出されて即身成仏の功徳に欲することがこの文によって明らかなのです。

 末法の闇夜を照らし出す大聖人様の仏法の根源、三大秘法総在の戒壇の大御本尊様の絶大なる功徳を信じ、御題目を唱え、化他行に邁進しましょう。そして正しい回向の在り方を実践するためにも寺院へ参詣し、積功累徳の信心に励んでまいりましょう。

 

 

 

 

 


法華経について ④

2023年02月11日 | 法華経について(一)

「大白法」平成25年10月1日(第870号)より転載

  日蓮正宗の基本を学ぼう 71

   法華経について ④

 

 法華経は日本有縁のお経典

 日蓮大聖人は、『曽谷入道殿許御書』に、

 「肇(じょう)公(こう) の翻(ほん)経(ぎょう)の記に云わく『大師須梨耶蘇摩、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什の頂を摩(な)でて授与して云はく、仏(ぶつ)日(にち)西に入って遺(い)耀(よう) 将(まさ)に東に及ばんとす。此の経典、東北に縁有り。汝(なんじ)慎んで伝(でん)弘(ぐ)せよ』云云。予(よ)、此の記文を拝見して両眼滝の如く、一身悦びを遍くす(中略)天竺に於て東北に縁有りとは、豈日本国に非ずや」

  (御書 七八九㌻)

と仰せられています。「筆公の翻経の記」とは、法華経を漢訳した鳩摩羅什の弟子である僧・筆による『法華翻経後記』と呼ばれる文章です。これによれば鳩摩羅什三蔵が、師の須梨耶蘇摩から法華経を授与されたとき、法華経が東北・丑寅の方角に縁がある経典であり、東北への流布を命じられたのです。

 大聖人様は、この後記の文を拝見し、正(まさ)しく法華経こそ日本の一切衆生を救う経典であると、確信を深められたのです。

 

 大聖人様が御所持された法華経

 そして、大聖人様は、法華経を釈尊の本懐のお経典であると位置づけられました。

 特に、『一代五時図』では、お経典を五時にしたがって配列し、釈尊一代における法華経の位置を弟子へ教授されました。

 さらにご自身所持の法華経には、その行間や見返し(表表紙の裏側)、 紙背(紙の裏)に、経典や註釈書の文を細かに書き込まれました。これが『註法華経』であり、御遺言により墓(む)所(しょ)の寺に保管して香華当番の際に拝見するように定め置かれたものです(現在は静岡県三島市の日蓮宗・妙法華寺に現存)。その御真蹟には、総数二千百七文の引用が記されており、法華経を重んじられて、多くの典籍から要文を集められたことが拝されます。

 この『註法華経』について、重要な御法門が第二祖日興上人へ口伝されており、『就(じゅ)註(ちゅう)法華経口伝(御義口伝)』として御書に収録されています。こうした重要法門の伝授の姿からは、

 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」

  (同 九二㌻)

との仰せが、いかに大切であるかを拝することができます。 

 

       ◇       ◇

 

 さて、いよいよ法華経の品々の概略について、学んでいきましょう。ただし、経典に記された流れを学ぶことに重点をおきますので、熟脱の仏法に止まる部分も出てまいりますが、ご了承いただきたいと思います。

 

 無量義経の内容

 まず開経の無量義経ですが、無量義経は『徳行品第一』『説法品第二』、『十功徳品第三』から成っています。

伝教大師の註釈によれば、『徳行品』が序分、『説法品』が正宗分、『十功徳品』が流通分に配されます。 

 

 『徳行品第一』

  釈尊は、霊鷲山で一万二千人の大比丘ら、八万人の菩薩ら、その他多くの人たちにこの経を説きました。

 まず『徳行品』では、 釈尊自身の説法はなく、菩薩たちによって仏の徳行を讃歎することが述べられています。

 その仏様の徳とは、

①煩悩の垢から離れて執着するところがなく、迷いの姿、迷いの心をことごとく断じていること

②仏の智慧は、凡夫の認識や価値判断を超絶していること

③自分自身の慢心を徹底して打ち破り、たいへん勝れた相好をお持ちになっていること

④深く広く六波羅蜜の行を行じて、自在の力と法を得られていること

などであり、こうした釈尊の徳が讃歎されているのです。

 

 『説法品第二』

 続く『説法品』では、釈尊に対して菩薩が速やかに仏道を成じるための法門を問われます。この質問に対して、釈尊は、

 「第一の法門有り(中略)是の一の法門をば名づけて無量義と為す」

  (法華経 一七㌻)

と答えられ、「無量義」という一の法門によって速やかに成道することを明かされました。

 そして、「無量義」を修学する心得として、

 「まさに一切の諸法は、過去・現在・未来にわたって、大とか小などの相待観念や差別を滅して、平等な空であり、対立差別するものはないと観察しなさい(趣意)」

  (同 一八㌻)

と説かれたのです。

 しかし、衆生は、「これ」と「あれ」、あるいは「これは得する」「これは損する」といったように、世間の事々物々を差別の相と見て、邪(よこしま)な考えを起こし、悪業を造って六道に輪廻しているのです。

 そのために仏は、衆生を救うために大慈悲心を起こし、性質や欲望などが様々である衆生のために、それぞれにあった法を説かれたことが明かされます。

 そして、説法が無量であれば、その顕わす義も無量となり、これを「無量義」と称するのです。この無量義とは、いわば法華経已前に説かれた華厳、 阿含、方等、般若等を指すのです。しかし、続いて、

 「無量義とは一法より生ず。其の一法とは、即ち無相なり」

  (同 十九㌻)

と述べられ、こうした無量義も「無相」の一法より生じることが明かされたのです。この「無相」とは、まだ法華経に至っていないためにこういった表現に止まっており、その実義は法華経に至って明らかになるのです。

 さてこの『説法品』では、

 「諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾(と)く無上菩提を成ずることを得ず」

  (同 二三㌻)

と説かれており、ここに「四十余年未顕真実」という有名なお経文が拝されます。

 釈尊が菩提樹の下で悟りを開いてより、この無量義経に至るまでの四十余年、様々な衆生のために、それぞれに合った様々な法、すなわち法華経已前の多くのお経典を説いてこられたのです。しかし、未だ真実の教えを説き顕わしていないことを、明らかに告げられました。この真実の教えこそ、無量義経の後に説かれる法華経を指すのです。

 

 『十 功徳品第三』

 最後の『十功徳品』では、法華経の開経として、十種の不思議な功徳を無量義経が有していることが明かされます。

その一、二を挙げれば、

①発心していない者には菩提心を起こさせるなど、衆生に、修行のための清淨な心を起こさせる功徳

②この経を聴聞した人は、たとえ一偈一句でも受持することにより、無量の義に通達することができる功徳

などが挙げられています。

 無量義経は、法華経の直前の説法に位置します。そして「四十余年未顕真実」の文によって、法華経已前の爾前経を方便、後に説く法華経を真実と断定しているお経なのです。

 しかし一方で、無量義を生じる一法については、「無相」(無相不相、不相無相)とあるものの、その実体実義は明らかではありません。そしていよいよ、法華経の会座へと入るのです。

 

        ◇       ◇

 

 大聖人様の御法門では、同じく法華経といっても、爾前経の権教に対する真実としての法華経、迹門と本門の異なり、そして文上脱益と文底下種という重々の相対があります。

 つまるところ、末法に生きる我々は、御本仏日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊に深く帰依し奉り、血脈付法の御法主上人猊下の御指南のままに信心していくことが肝要であります。

 

 

 

 

 


八相成道

2023年02月10日 | 仏教用語の解説(四)

大白法 令和2年12月16日(第1043号)からの転載

 仏教用語の解説 ㉞

  八 相 成 道

「八相成道」とは、仏が衆生を救済するために世に出現し、入滅するまでに現わす八種類の相(すがた)をいいます。 八相は、その中心が悟りを開く成道にあるため、 八相成道といい、また八相作(さ)仏(ぶつ)ともいいます。

 八相とは

 八相には諸説ありますが、天台大師は、

①下天(兜率天より衆生の世界に下ること)、

②託胎(母胎に入ること)、

③出生(母から生まれること)、

④出家(道を求め出家すること)、

⑤降魔(障りとなる魔を降すこと)、

⑥成道(悟りを得ること)、

⑦転法輪(説法教化すること)、

⑧入涅槃(入滅すること)、

の八種類を立てます。

 法華経『如来寿量品第十六』に、

 「我仏眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を観じて、応(まさ)に度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き、亦復、現じて当に涅槃に入るべしと言い」

  (法華経 四三一㌻)

と、仏は久遠の昔から、衆生を成仏させるために、いろいろな場所、いろいろな名前で、姿を変えて世に出現し、その都度、八相成道を示して衆生を導いてきたことが説かれています。

 さらに、その時に示した出生、入滅などの相はすべて仮のもので、 本来は常住であることが明かされます。

  (法華経四三三㌻趣意)。

 釈尊の八相

 三千年前のインドに出現した釈尊も、その時の衆生を導くため、八相成道を示されました。

①下天

  衆生の機根を感じ、娑婆世界のうちのインドに下ること。

②託胎

  釈尊の母である摩耶夫人の胎内に宿ること。

③出生

  インドのルンビニーの花園(現在のネパール南部)において、四月八日、伽(か)毘(ぴ)羅(ら)衛(え)城

  (じょう)の城主・浄(じょう)飯(ぽん)王(のう)の子・悉(しつ)達(たる)多(た)として降誕すること。

  この時、七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられる。

④出家

  十九歳の時、王宮を出て修行の道に入ったこと。

⑤降魔

  悟りを開こうとした時、心身に涌(わ)き起こる様々な魔を降伏せしめたこと。

⑥成道

  三十歳の年の十二月八日の早暁、伽耶城近くの菩提樹下において悟りを開き、仏となったこと。

⑦転法輪

  五十年間、説法教化し、衆生を導いたこと。

⑧入涅槃

  八十歳の二月十五日、拘(く)尸(し)那(な)掲(が)羅(ら)の沙(しゃ)羅(ら)双(そう)樹(じゅ)の林において入

  滅したこと。

 八相成道の根源は妙法蓮華経

 日蓮大聖人は『総勘文抄』に、

 「釈迦如来五百塵点劫の当(その)初(かみ)、凡夫にて御(お)坐(わ)せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめて即座に悟りを開きたまひき。後に化他の為に世々番々に出世成道し、在々処々に八相作仏し、王宮に誕生し、樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知れしめ」

  (御書 一四一九㌻)

と説かれています。つまり、仏は五百塵点劫の当初(久遠元初という遥か昔)に、妙法蓮華経を悟り、それによって、世世番番(様々な国土に時々に応じて)に八相成道を示し、 衆生を導いてきたのです。

 さらに 『南条殿御返事』には、

 「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり、」

  (同 一五六九㌻)

とも説かれています。つまり、大聖人の胸の中には、一大事の秘宝である妙法蓮華経があり、その妙法蓮華経は、仏が八相成道を示す、根源の法なのです。

 したがって、自らの胸、舌、喉 、口など、大聖人の一身は仏の八相成道の場所であり、自らのいる場所は霊山浄土にも劣らないと教示されています。

 日蓮大聖人の八相

 総本山第二十六世日寛上人は、末法の御本仏、日蓮大聖人が示された八相について、「蓮祖義立の八相」に説かれています。

①下天

  末法の衆生の機根を感じ、安房国の漁夫である父・ 三国大夫と母・梅菊女の子となることを選んだ                 

  こと。

②託胎

  梅菊女の胎内に宿ったこと。この時、母は比叡山に腰かけて琵琶湖の水で手を洗う夢を見、父は虚

  空蔵菩薩から、末法の大導師たる上行菩薩を汝に授けると言われた夢を見たと伝えられる(産湯相承  

  事・御書 一七〇八㌻趣意)。

③出胎(出生)

  貞応元(一二二二)年二月十六日に、善日麿との名前で誕生されたこと。この時母は、富士山の頂上に  

  登る夢を見、近所の海中からは青蓮華が現れたと伝えられる。

④出家

  十二歳にして清澄寺に登り、十六歳の時、是生房蓮長として出家し、さらに建長五年(一二五三)  

  年四月二十八日に宗旨建立されたこと。

⑤降魔

  宗旨建立以来、様々な難に値い、それを忍ばれたこと。

⑥成道

  文永八(一二七一)年九月十二日、竜口法難において、久遠元初の自受用身として発迹顕本を遂げ  

  られたこと。

⑦転法輪

  竜口法難の後、佐渡以後において、『開目抄』・『観心本尊抄』などをはじめ、数々の重要御書を著さ  

  れたこと。

⑧入涅槃

  第二祖日興上人に、唯授一人の血脈相承をあそばされ、弘安五(一二八二)年十月十三日、池上に  

  おいて入滅されたこと。

 大聖人は久遠元初の自受用身

 『百六箇抄』には、

 「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」

  (同 一六八五㌻)

と、大聖人が最も尊く優れた仏である、久遠元初の自受用身の再誕であることを示されています。

 大聖人は凡夫の御姿のまま八相成道を示されましたが、 これは、久遠元初の自受用身そのままの御姿なのです。

 明年は、日蓮大聖人御生誕800年の年にあたっています。正法に縁する私たちは、最も尊い仏である大聖人の御出現を慶祝するため、いよいよ信心堅固に精進してまいりましょう。

次回は、五時について予定です。


⑮勤行・唱題は幸福の源泉−①

2023年02月09日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年12月 1日(第1066号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑮勤行・唱題は幸福の源泉

 

 ⚫勤行とは

 勤行とは、仏前において読経唱題することをいいます。

 本宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の「方便品」と「寿量品」を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。朝は五座、夕は三座を行います。

 唱題は、功徳の源となる根本の修行ですから「正行」といい、方便品と寿量品を読誦することは、題目の意義と功徳を助けあらわすものですから「助行」といいます。

 ⚫勤行・唱題の意義

 勤行は、私たちにとって信心の基盤となる修行です。

 第二十六世日寛上人は、

 「この御本尊には広大深遠の不思議な力がそなわっている。したがって、この御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるならば、祈りを成就し、過去の罪を消し去り、福徳を積み、真理を我が身にあらわすことができる」

  (意訳・観心本尊抄文段)

と仰せです。

 信心の目的である成仏という最高の境界は、御本尊を深く信ずる心と、御本尊に向かって勤行・唱題を実践することによって築かれます。

 朝夕の勤行は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行いましょう。

                              (法華講員の心得 四六㌻) 

 

 [信行のポイント]

 勤行

 毎日の勤行は、仏道修行の基本です。

 総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、

 「仏が法を説かれた元意は、一切衆生に修行をせしめるためである(趣意)」

  (六巻抄 一六一㌻)

と仰せられています。 私たちが仏の当体である御本尊様のもとで仏道を行じ、成仏の境界を得るところに、仏の出現の意義と目的が存するのです。

 この修行について、本文では「正行」と「助行」という二つの意義が述べられています。日寛上人は、

 「助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す」

  (同)

と、助行は正行の功徳を助け顕わすために行うことを仰せられています。

 例えば『方便品』と『寿量品』の読誦は、洗濯をするときに洗剤を加えて水の助けとしたり、調味料が食べ物の味を引き立たせるようなものとなり、毎日の勤行では、正行と助行を併せて実践するのです。

 その最も基本となる実践法が五座三座の勤行となります。 日寛上人の御教示に、「若し堪えられん人は本山の如く相勤むべし。若し爾らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし」

 (報福原式治状)

とあります。

 「諸流の勤行各々不同なり。(中略)然るに当流の勤行は但両品に限る。

(中略)但吾が富(ふ)山(さん)のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如く」

  (六巻抄 一九二㌻)

と御教示の通り、本宗では「方便品・寿量品」の両品読誦であり、この五座三座の勤行様式は、総本山御歴代の御法主上人によって脈々と御相伝されてきた化儀です。

 なお、「五座三座の格式」を「大聖人御在世とは異なる」と否定する異流義教団がありますが、『御義口伝』には、

 「六念の事 念仏 念法 念僧 念戒 念施 念天なり。

 御義口伝に云わく、念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり、念僧とは末法にては凡夫僧なり、念戒とは是名持戒なり、念施とは一切衆生に題目を授与するなり、念天とは諸天昼夜常為法故爾衛護之の意なり。末法当今の行者の上なり。之を思ふべきなり」

 (御書 一七九八㌻)

との御教示が拝せられます。

 念天とは初座の諸天供養、念法は二座の本尊供養、念仏と念僧は三座の三師供養、念戒は四座の広宣流布祈念が相当し、念施は五座の回向に当たりますので、「五座三座の格式」の「意義」は不変であることが明確です。そして、当宗の勤行様式は、この御教示にいささかも違うことなく定められ、かつ修されています。

 

 勤行・唱題の意義

 御法主日如上人猊下は、

 「『心の財』とは、心の豊かさであります。妙法蓮華経を信仰し、その功徳によって得た心の豊かさが(中略)自他共の幸せを築く最善の原動力である」

 (大白法 一〇〇八号)

と御指南くださっています。怠りなく勤行・唱題に励むことで、心中の仏性が啓(ひら)かれ即身成仏の大利益が我が身に顕現し、さらに、

「自行若し満つれば必ず化他有り」

 (御書文段 二一九㌻)

の道理ですから、自行の勤行・唱題に励むところ、必ず化他行の折伏・育成に至り、やがて広布の大願も叶うのです。

「勤行精進して、未だ曽(かつ)て休(く)息(そく)せず」

 (法華経 四二〇㌻)

とあるように、未来の法華講衆の範となるため、私たちも「休息せず広布を希(ねが)い、自行化他に精進してまいりましょう。

(次回は令和四年三月一日号に掲載予定)

 

 

 

 

 


三大秘法の整足

2023年02月07日 | 日蓮大聖人の御生涯(四)

大白法 令和3年12月1日(第1066号)から転載

 日蓮正宗の基本を学ぼう 150

  日蓮大聖人の御生涯 ㊱

    三大秘法の整足

 

 前回学んだように、門下の外護により、 十間四面の立派な大坊が建立され、身延の寺域は整ってきました。

 しかし大聖人は、次第に体調を崩されていたのです。

 

 病の兆候

 弘安元(一二七八)年六月二十六日付の四条金吾に宛てた御手紙には、 

 「日蓮が下(くだり)痢(はら)去年十二月さん卅(じゅう)日事起こり、今年六月三日四日、日々に度をまし月々に倍増す。定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来、日々月々に減じて今百分の一となれり」

  (御書 一二四〇㌻)

と仰せであり、また、池上宗長に宛てられたお手紙にも、

 「は(下)らの(痢)けはさ(左)ゑ(衛)もん(門)殿の御薬にな(治)をりて候」

  (同 一二四一㌻)

と仰せになっています。

 大聖人は、建治三(一二七七)年の暮れよりお腹の病気を患い、次第に病状が重くなっていました。しかし、医学に通じた四条金吾の処方薬により快方に向かわれていたのです。こうして御体調は、弘安三(一二八〇)年まで小康状態にありましたが、弘安四年に入ると再び病状が悪化されました。

 弘安四年五月二十六日に認められた『八幡宮造営事』には、

 「此の法門申し候事すでに廿九年なり。日々の論義、月々の難、両度の流罪に身つかれ、心いたみ候ひし故にや、此の七八年が間年々に衰病をこり候ひつれども、な(斜)のめにて候ひつるが、今年は正月より其の気(け)分(ぶん)出(しゅつ)来(たい)して、既に一期 をわりになりぬべし。其の上 齢(よわい)既に六十にみちぬ。たとひ十に一つ今年はすぎ候とも、一二 をば いかでかすぎ候べき」

  (同 一五五六㌻)

と仰せのように、宗旨建立以来、度重なる法難に大聖人の心身は疲れ、一期の命も今年か来年までであろうと吐露なされています。

 弘安四年十二月八日の『上野殿母尼御前御返事』 には、

 「今年は春よりこの やまい をこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほと(殆)をどと(止)ゞまりて候上、ゆ(雪)きはかさなり、か(寒)んはせめ候。身のひ(冷)ゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさ(酒)けは(煖)たゝかにさしわ(沸)かして、かっかうを、はたとく(食)い切りて、一度の(呑)みて候へば、火を胸にたくがごとく、ゆに入るににたり。あ(汗)せにあ(垢)かあらい、しづ(滴)くに足をすゝぐ。此の御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなん(涙)だをうかべて候」

  (同 一五七九㌻)

 この年の春に病が再発し、秋を過ぎて冬になるにつれて病状が重くなり、 特にこの十日余りの間は食事もままならない。その上、身延は雪が積もり極めて寒く、身体は石のように冷えてしまい、胸は氷のように冷たいと、 体調をひどく崩されていたことを述べられています。

 こうした厳しい生活のところに、尼御前からの御供養であるお酒を飲まれて、湯に浸かったように胸が暖かくなり、汗で体の垢も洗い流され、汗の滴で足も清潔になると述べ、尼御前の御供養の志をたいへん喜ばれたのです。

嬉しさのあまり涙されたとの御言葉に、当時の窮状を知ることができます。  

 

 『三大秘法稟承事』の御述作 

 大聖人は、年が明けて弘安五年(一二八二)年四月八日、病の身を押して下総の壇越であった大田金吾宛に、『三大秘法稟承事』 を認められました。

 本抄は、三大秘法について詳しく明かされ、特に、これまで明確にされなかった本門の戒壇の意義・内容について述べられた重要な御書です。

 本抄の最初に、『神力品』における結要付嘱の文を挙げ、その要言の法とは久遠当初の釈尊の証得したものであることを明かし、続いて付嘱の儀相より本門の本尊、題目、戒壇の一つひとつを詳述されます。

 そして、

 「此の三大秘法は二千余年の当(その)初(かみ)、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替(か)はらぬ寿量品の事の三大事なり」

  (同 一五九五㌻)

と仰せになり、地涌の菩薩の上首、上行菩薩がその付嘱を受け、末法に大聖人として出現されたのであると共に、その御身の当体とその御振る舞いにこそ、三大秘法が顕われていることを明かされました。

 さて大聖人の御一期の御化導を拝すると、本門の題目については、宗旨建立において妙法五字七字の題目を唱え出だされましたが、それは後の本迹相対、種脱相対による御本尊の開示から、本門の題目であったことが確定できます。また本門の本尊については、竜口法難の発迹顕本以後に御図顕すると共に、その実義を教示し、その究竟として弘安二年十月十二日に本門戒壇の大御本尊を建立なさいました。しかし、本門戒壇については、これまで『法華取要抄』や『報恩抄』等に名目は示されましたが、その意義内容については明確にされていません。

 本抄の末文に、

 「予年来己心に秘すと雖(いえど)も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒(ざん)言(げん)を加ふべし。其の後は何と悔(く)ゆとも叶ふまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺(のこ)し候」(同)

と仰せです。

 ここにある「門家の遺弟等」との言葉より、大聖人御自身が入滅間近であることを踏まえ、門下一同に本門の戒壇を含め、三大秘法の深義を正しく御教示される意義が存すると拝されるのです。 

 

 本門戒壇建立の御教示

 本門戒壇の建立について、

 「戒壇とは、王法仏法に冥(みょう)じ、仏法王法に(合)して、王臣一同に本門の三秘密の法を保ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃(む)住(かし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅(ちょく)宣(せん)並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ、事の戒壇と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり」(同)

と仰せです。

 すなわち、王臣一同に妙法に帰依し、一閻浮提(世界中)の人々が信仰した時に、霊山浄土のような最勝の地に、本門寺の戒壇を建立すべきことを御教示されています。

 この「最勝の地」とは、後に第二祖日興上人への相承書である『日蓮一期弘法付嘱書』に、

 「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

  (同 一六七五㌻)

と、明確に富士山であることを御教示されています。

 また、日興上人は「富士一跡門徒存知事」に、

 「爰(ここ)に日興云はく、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢(おわ)んぬ。仍(よ)って広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり」

  (同 一八七三㌻)

と示されています。

 以上のように、大聖人は御一期の御化導の最後になる弘安五年四月八日の『三大秘法稟承事』において、本門の戒壇建立について御教示し、同年九月の『日蓮一期弘法付嘱書』をもって日興上人を血脈付法の大導師と定めると同時に、富士山に本門の戒壇を建立すべきことを御遺命されたのです。

 この御遺命の意に基づいて日興上人は富士上野の地に大石寺を創建されたのです。