大白法 令和3年12月 1日(第1066号)から転載
妙法の振舞い
『法華講員の心得』より
⑮勤行・唱題は幸福の源泉ー①
⚫勤行とは
勤行とは、仏前において読経唱題することをいいます。
本宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の「方便品」と「寿量品」を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。朝は五座、夕は三座を行います。
唱題は、功徳の源となる根本の修行ですから「正行」といい、方便品と寿量品を読誦することは、題目の意義と功徳を助けあらわすものですから「助行」といいます。
⚫勤行・唱題の意義
勤行は、私たちにとって信心の基盤となる修行です。
第二十六世日寛上人は、
「この御本尊には広大深遠の不思議な力がそなわっている。したがって、この御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるならば、祈りを成就し、過去の罪を消し去り、福徳を積み、真理を我が身にあらわすことができる」
(意訳・観心本尊抄文段)
と仰せです。
信心の目的である成仏という最高の境界は、御本尊を深く信ずる心と、御本尊に向かって勤行・唱題を実践することによって築かれます。
朝夕の勤行は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行いましょう。
(法華講員の心得 四六㌻)
[信行のポイント]
勤行
毎日の勤行は、仏道修行の基本です。
総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、
「仏が法を説かれた元意は、一切衆生に修行をせしめるためである(趣意)」
(六巻抄 一六一㌻)
と仰せられています。 私たちが仏の当体である御本尊様のもとで仏道を行じ、成仏の境界を得るところに、仏の出現の意義と目的が存するのです。
この修行について、本文では「正行」と「助行」という二つの意義が述べられています。日寛上人は、
「助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す」
(同)
と、助行は正行の功徳を助け顕わすために行うことを仰せられています。
例えば『方便品』と『寿量品』の読誦は、洗濯をするときに洗剤を加えて水の助けとしたり、調味料が食べ物の味を引き立たせるようなものとなり、毎日の勤行では、正行と助行を併せて実践するのです。
その最も基本となる実践法が五座三座の勤行となります。 日寛上人の御教示に、「若し堪えられん人は本山の如く相勤むべし。若し爾らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし」
(報福原式治状)
とあります。
「諸流の勤行各々不同なり。(中略)然るに当流の勤行は但両品に限る。
(中略)但吾が富(ふ)山(さん)のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如く」
(六巻抄 一九二㌻)
と御教示の通り、本宗では「方便品・寿量品」の両品読誦であり、この五座三座の勤行様式は、総本山御歴代の御法主上人によって脈々と御相伝されてきた化儀です。
なお、「五座三座の格式」を「大聖人御在世とは異なる」と否定する異流義教団がありますが、『御義口伝』には、
「六念の事 念仏 念法 念僧 念戒 念施 念天なり。
御義口伝に云わく、念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり、念僧とは末法にては凡夫僧なり、念戒とは是名持戒なり、念施とは一切衆生に題目を授与するなり、念天とは諸天昼夜常為法故爾衛護之の意なり。末法当今の行者の上なり。之を思ふべきなり」
(御書 一七九八㌻)
との御教示が拝せられます。
念天とは初座の諸天供養、念法は二座の本尊供養、念仏と念僧は三座の三師供養、念戒は四座の広宣流布祈念が相当し、念施は五座の回向に当たりますので、「五座三座の格式」の「意義」は不変であることが明確です。そして、当宗の勤行様式は、この御教示にいささかも違うことなく定められ、かつ修されています。
勤行・唱題の意義
御法主日如上人猊下は、
「『心の財』とは、心の豊かさであります。妙法蓮華経を信仰し、その功徳によって得た心の豊かさが(中略)自他共の幸せを築く最善の原動力である」
(大白法 一〇〇八号)
と御指南くださっています。怠りなく勤行・唱題に励むことで、心中の仏性が啓(ひら)かれ即身成仏の大利益が我が身に顕現し、さらに、
「自行若し満つれば必ず化他有り」
(御書文段 二一九㌻)
の道理ですから、自行の勤行・唱題に励むところ、必ず化他行の折伏・育成に至り、やがて広布の大願も叶うのです。
「勤行精進して、未だ曽(かつ)て休(く)息(そく)せず」
(法華経 四二〇㌻)
とあるように、未来の法華講衆の範となるため、私たちも「休息せず広布を希(ねが)い、自行化他に精進してまいりましょう。
(次回は令和四年三月一日号に掲載予定)