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⑮勤行・唱題は幸福の源泉−①

2023年02月09日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年12月 1日(第1066号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑮勤行・唱題は幸福の源泉

 

 ⚫勤行とは

 勤行とは、仏前において読経唱題することをいいます。

 本宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の「方便品」と「寿量品」を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。朝は五座、夕は三座を行います。

 唱題は、功徳の源となる根本の修行ですから「正行」といい、方便品と寿量品を読誦することは、題目の意義と功徳を助けあらわすものですから「助行」といいます。

 ⚫勤行・唱題の意義

 勤行は、私たちにとって信心の基盤となる修行です。

 第二十六世日寛上人は、

 「この御本尊には広大深遠の不思議な力がそなわっている。したがって、この御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるならば、祈りを成就し、過去の罪を消し去り、福徳を積み、真理を我が身にあらわすことができる」

  (意訳・観心本尊抄文段)

と仰せです。

 信心の目的である成仏という最高の境界は、御本尊を深く信ずる心と、御本尊に向かって勤行・唱題を実践することによって築かれます。

 朝夕の勤行は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行いましょう。

                              (法華講員の心得 四六㌻) 

 

 [信行のポイント]

 勤行

 毎日の勤行は、仏道修行の基本です。

 総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、

 「仏が法を説かれた元意は、一切衆生に修行をせしめるためである(趣意)」

  (六巻抄 一六一㌻)

と仰せられています。 私たちが仏の当体である御本尊様のもとで仏道を行じ、成仏の境界を得るところに、仏の出現の意義と目的が存するのです。

 この修行について、本文では「正行」と「助行」という二つの意義が述べられています。日寛上人は、

 「助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す」

  (同)

と、助行は正行の功徳を助け顕わすために行うことを仰せられています。

 例えば『方便品』と『寿量品』の読誦は、洗濯をするときに洗剤を加えて水の助けとしたり、調味料が食べ物の味を引き立たせるようなものとなり、毎日の勤行では、正行と助行を併せて実践するのです。

 その最も基本となる実践法が五座三座の勤行となります。 日寛上人の御教示に、「若し堪えられん人は本山の如く相勤むべし。若し爾らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし」

 (報福原式治状)

とあります。

 「諸流の勤行各々不同なり。(中略)然るに当流の勤行は但両品に限る。

(中略)但吾が富(ふ)山(さん)のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如く」

  (六巻抄 一九二㌻)

と御教示の通り、本宗では「方便品・寿量品」の両品読誦であり、この五座三座の勤行様式は、総本山御歴代の御法主上人によって脈々と御相伝されてきた化儀です。

 なお、「五座三座の格式」を「大聖人御在世とは異なる」と否定する異流義教団がありますが、『御義口伝』には、

 「六念の事 念仏 念法 念僧 念戒 念施 念天なり。

 御義口伝に云わく、念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり、念僧とは末法にては凡夫僧なり、念戒とは是名持戒なり、念施とは一切衆生に題目を授与するなり、念天とは諸天昼夜常為法故爾衛護之の意なり。末法当今の行者の上なり。之を思ふべきなり」

 (御書 一七九八㌻)

との御教示が拝せられます。

 念天とは初座の諸天供養、念法は二座の本尊供養、念仏と念僧は三座の三師供養、念戒は四座の広宣流布祈念が相当し、念施は五座の回向に当たりますので、「五座三座の格式」の「意義」は不変であることが明確です。そして、当宗の勤行様式は、この御教示にいささかも違うことなく定められ、かつ修されています。

 

 勤行・唱題の意義

 御法主日如上人猊下は、

 「『心の財』とは、心の豊かさであります。妙法蓮華経を信仰し、その功徳によって得た心の豊かさが(中略)自他共の幸せを築く最善の原動力である」

 (大白法 一〇〇八号)

と御指南くださっています。怠りなく勤行・唱題に励むことで、心中の仏性が啓(ひら)かれ即身成仏の大利益が我が身に顕現し、さらに、

「自行若し満つれば必ず化他有り」

 (御書文段 二一九㌻)

の道理ですから、自行の勤行・唱題に励むところ、必ず化他行の折伏・育成に至り、やがて広布の大願も叶うのです。

「勤行精進して、未だ曽(かつ)て休(く)息(そく)せず」

 (法華経 四二〇㌻)

とあるように、未来の法華講衆の範となるため、私たちも「休息せず広布を希(ねが)い、自行化他に精進してまいりましょう。

(次回は令和四年三月一日号に掲載予定)

 

 

 

 

 


⑭ 法華講について ④

2023年02月06日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年11月1日(第1064号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑭法華講について ④

 

⚫入講にあたって

 日蓮正宗の信徒となった人は、法華講組織に属します。 

 法華講組織への入講にあたっては、 指導教師や法華講の役員より、日常の信心のあり方や、法華講員としての心がまえについて説明を受け、 自分の所属する組織の担当役員を紹介していただきます。

 また、機関紙の購読や講費の納入なども必要です。機関紙は、私たちの信仰を深めるためのものであり、講費は、法華講の運営や活動に充てられるものです。 

                                (法華講員の心得 四二㌻)

 

 [信行のポイント]

  入信して、日蓮正宗の信仰を始めるに当たっては、日蓮正宗の末寺に所属し、その寺院を菩提寺として信心修行に励んでいくこととなります。それは、当該末寺の法華講支部の講員となることを意味します。 

 

 入信が決まってから

 折伏を受け入信を決意した方は、御授戒前後にビデオを視聴します。

このビデオは、

◯日蓮大聖人の教え、◯南無妙法蓮華経とは、◯他宗教の信仰をしない、◯勤行・唱題の実践、

◯御講参詣、など日蓮正宗の信仰について、また信仰を実践するために大切な内容を学びます。

 信心の目的は、 一人ひとりの一生成仏(絶対的幸福境界)を確立することであり、全世界の安寧を実現する広宣流布にあります。 そのために、日蓮正宗の教えを信受することと、なぜ謗法がいけないのかをよく理解せしめることが大切となります

 (本シリーズ第一回目参照)。

 本年の「令和三年度法華講講習会」 でも、

 「入信に当たっては、邪宗教の誤りを糾し、必ず仏像や神札など謗法の対象物を取り払って、入信した人が功徳を確信し、心から喜んで信心できるように折伏をしなければなりません。いい加減な折伏をしてしまうと、入信した方も不幸であり、折伏した方も罪になってしまいます。

 また新入信者には、宗務院からのビデオを必ず視聴し、リーフレットを確実に手渡して、信心の基本や心得等を、紹介者の方がしっかりと教え、確実な折伏を行うことが大切です」

 (大白法 一〇五六号)

と指導がありました。

 

 組織の妙味を発揮 育成は広布伸展の

 そして、正しく信仰を継続することは一人だけでは困難ですし、信仰の目的である広宣流布も一人では達成できません。

 新入信者(新入講者) は、講頭さんや役員の紹介を受け、さらに支部ごとに設けられている地区や班といった、小単位の組織で励まし合って信心修行をする同志とも合うでしょう。紹介者はもちろんのこと、この寺院・指導教師及び講中という、身近な信心環境の中で成長していくのです。

 御法主日如上人猊下は、

 「折伏と育成というのは、ともに化他行であります。ですから、折伏をしたままで放っておいたら、結局、元の木阿弥で、その人を本当に救うことができません。(中略)その一つのバロメーターと言えるのが、御講の参詣です。新しく信心を始めた人を、御講に参詣させるということが大事なのです。だから、折伏した人を、折伏しっぱなしにするのではなく、次の御講には必ずお誘いをする。(中略)講中がよく相談をして、育成係のような機関を作ってもいいと思いますし、また折伏した人が責任をもって必ず御講に参詣させ、さらに総本山へ御登山して御戒壇様にお目通りさせるというように、折伏したら育成をして、その方が折伏できるまで、きちんと育てていくことが極めて大事であります」

 (同 九三八号)

と御指南遊ばされています。

 新入信者が功徳を感じ、 自らも力強く折伏を行じていけるような育成をしていきましょう。 

 

 機関紙の購読と講中活動を支える講費について

 法華講連合会は、機関紙 『大白法』を発行しています。 原則として、法華講員はこの機関紙を購読するよう推奨されています。毎年の新年号では、一年の指針となる御法主上人猊下の「新年の辞」、法華講本部指導教師の御僧侶方と法華講連合会役員による座談会などが掲載され、 前年の十一月には、宗門から発表された「明年の年間方針」 や「登山会計画」などが掲載されます。これらをもとに、指導教師の御指導を受け、各支部は明年一年をどのように活動していこう、という計画を立てています。

 他にも、毎月の広布唱題会における御法主上人猊下の御指南、総本山の二大法要をはじめとする行事、末寺の落慶法要をはじめ法華講全体としての報道記事、指導会の他、信行の指針とも糧ともなる内容が掲載されています。

 入信後早い段階で講読を勧め、講中活動の様々な場面で活用していきましょう。

 また、各支部の活動を支えるため、支部ごとで名称は異なりますが、講費を納めます。 支部総会や、少年部をはじめ各部の活動など、講中活性化に資する行事を行うために使われます。

 

 

 

 

 


⑬ 法華講について ③

2023年02月02日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年10月1日(第1062号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑬法華講について ③

 

⚫支部組織について

 法華講の支部は、それぞれの寺院・教会を基盤として成り立っています。法華講員はすべて寺院・教会に所属し、住職・主管(指導教師)の指導のもと、信心に励んでいきます。

 各支部の組織には、指導教師の承認を得て宗務院から認証された役員として、講頭・副講頭・幹事・会計がいます。さらに、組織を運営していくうえで、各部の役員や、講員間の連携をはかる役員がいます。

 それぞれの役員は、指導教師の適切な指導のもと、正法広布と支部組織の発展のために尽力しています。

⚫法華講連合会について

 法華講連合会は、全国の法華講支部の連合体組織です。

 この法華講連合会は、

 一、総本山および末寺を厳護する

 二、日蓮正宗の教義を護持弘宣して、広宣流布達成に資する

 三、法華講支部の発展をはかる

 四、各支部講員の信仰増進に寄与することを目的としています。

 この連合会は、各地方ごとに地方部が組織され、各支部から選出された理事や幹事によって運営されています。

                               (法華講員の心得 四〇㌻)

 

[信行のポイント]

 日蓮正宗の信徒組織・法華講は、「総本山と末寺を外護し、講員が互いに信行を深め、日蓮大聖人の教えを広宣流布していくため」の組織です。この法華講に本部と支部があり、本部は総本山に置かれていることは前回学びました。

 そして、各寺院・教会に支部が置かれ、御住職・御主管が法華講支部指導教師となって、私たち所属信徒に指導してくださいます。

 支部には講頭を中心とした組織があり、実情に応じて選定された役員が御法主上人猊下の御認証を受け、支部の発展と講員個々の信心の向上のために責務を果たしています。支部内における役員の使命は、

 ①講中の同志の信心を守り育てること

 ②支部内の異体同心の和を築くこと

と、まことに重要です。

 また、壮年・婦人・青年・少年などの各部が設けられて、励まし合い、助け合いながら正しく信行に勤める環境があります。

 第二祖日興上人が『佐渡国法華講衆御返事』に、

 「この法門は師弟子を正して仏になり候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども無間地獄に堕ち候なり」

  (日蓮正宗聖典 七〇二㌻)

と仰せられるように、私たちは師弟相対の信心をもってこそ、功徳を頂戴できるのです。具体的には、大聖人が『生死一大事血脈抄』に、

 「日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」

  (御書 五一四㌻)

と仰せの通り、 宗祖日蓮大聖人以来の唯授一人の法体の血脈に連なる信心を受け継ぐことが肝要です。

 唯授一人の血脈を御相承あそばされる御法主上人猊下を本師と仰ぎ、御法主上人猊下の御任命による所属寺院の指導教師を直接の師匠と定め、講中一結・異体同心の信仰に励むことが、本宗伝統の正しい信心の在り方です。

 

 広布の基盤は各支部の充実・発展に

 「法華講支部を単位として地方部をこう構成し、各地方部を単位として連合会を構成する」

  (法華講連合会規約より)のが、法華講連合会です。

 「法華講」は大聖人が御命名された信徒組織であり、それぞれの地域・末寺で信仰活動が受け継がれてきましたが、昭和三十七年、総本山第六十六世日達上人は、広宣流布のために全国的な活動ができる法華講組織の必要性を慮(おもんばか)られ、法華講全国連合会の結成を御指南されました。

 前御法主日顕上人は、法華講連合会の意義について、

 「縦の糸に対して横の糸がきちんと備わって一つの立派な布を作ることができるように、また、唇(しん)歯(し)輔(ほ)車(しゃ)という語(ことば)もありますように、同じ目的のために互いに助け合って一つになり、その目的を達するという意味で必要である」

  (日蓮正宗法華講富士会館板御本尊入仏法要の砌  大白法  四五五号)

と御指南されています。この法華講連合会は結成から六十年の間に、当初の八地方部から発展的な分割、さらに一布教区一地方部制への移行により四十八地方部体制となり、現在に至ります。

 御法主日如上人猊下は、

 「大聖人様の仏法は、一人ひとりの幸せを、そしてまた一人ひとりの幸せから多くの人の幸せに、つまり点から線、線から面へ広がっていく、いわゆる広宣流布を目指していく仏法であります」

  (同  八三四㌻)

と、各講中挙げて自行化他の信心に励むよう御指南あそばされています。

 私たちは、御法主上人猊下の御指南に副(そ)い奉り、広布の基盤である法華講の発展を各指導教師の御指導のもとにめざし、法華講員の誇りを持って筋目を正した信心を貫いてまいりましょう。

 

 

 

 

 


⑫ 法華講について ②

2023年02月01日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年9月1日(第1060号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑫法華講について ②

 

法華講の目的と機構

 日蓮正宗法華講は、総本山と末寺を外護し、講員が互いに信行を深め 、日蓮大聖人の教えを広宣流布していくために、日蓮正宗のなかに定められた信徒の組織です。

 このことは、日蓮正宗の宗制(第五十八条)に、

 「本門戒壇の本尊を護持し、この宗の檀徒及び信徒相互の信行増進及び大法広布を図るため、この法人に日蓮正宗法華講を置く」

と記されています。

 また、日蓮正宗の宗規(第百六十四条)には、

 「日蓮正宗法華講は、本宗の寺院及び教会の檀信徒を総括したものをいう。

  2  法華講は総本山内に本部を置き、各寺院及び教会に支部を置く」

と記されています。

 法華講本部には、総講頭、大講頭などの役員が置かれています。

 このように法華講は、日蓮正宗のなかにある信徒組織ですから、けっして

総本山や末寺から離れて存在するものではありません。

  (法華講員の心得 三八㌻) 

 

[信行のポイント

 本文に示されるように、法華講の目的は、一つには本門戒壇の大御本尊を護持すること、二つには檀信徒相互の信行増進、三つには広宣流布の推進の三点に括られます。、

 

  大御本尊の護持

 一つ目の「本門戒壇の大御本尊の護持」とは、宗祖日蓮大聖人出世の本懐であり、総本山奉安堂に御安置の大御本尊を信仰の根本と仰ぐということです。

 大聖人は『本尊問答抄』に、

 「本尊とは勝れたるを用ふべし」

  (御書 一二七五㌻)

と仰せられています。

この「本尊」という言葉には、

・根本尊崇(法の根本であるから尊い) 

・本有尊形(もとのままの尊き姿)

・本来尊重(もとから尊ぶべきもの)

という三つの意義があります。

 大聖人はこれらの意義が具わる正しい本尊として大漫荼羅を顕わされました。この本尊が本門の本尊です。

 そして、大聖人が顕わされた多くの本尊の中で、弘安二年十月十二日に顕わされた大漫荼羅本尊こそ、究竟中の究竟とされる最も勝れた本尊であり、一切衆生を成仏に導く信仰の根幹となります。

 この御本尊は唯授一人の御付嘱の上から、二祖日興上人に御相承されました。そして今日、第六十八世御法主日如上人猊下に承け継がれています。

 この本門戒壇の大御本尊と血脈法水への清淨な信仰を持つ信徒の集まりが、法華講なのです。

 

 檀信徒相互の信行増進

 二つ目の「檀信徒相互の信行増進」とは、「日蓮正宗法華講 沿革と趣旨」に、

 「日蓮正宗法華講は、日蓮正宗の信徒全体によって日蓮大聖人の正法を護持し、各自の信行増進と相互の親睦を計り異体同心の実を挙げるために結成せられておる講中であります」

  (大白法 四号)

とあります。

 私たち一人ひとりの力は微々たるものでも、信心の同志全体が力を合わせて、正法を護持し、互いに信行を錬磨し、切磋琢磨していくことによって、異体同心の実を挙げることが、法華講の組織の大きな目的なのです。そのためにも一人ひとりが、講中の諸活動に積極的に出席、参加することが大切です。

 

 広宣流布の推進

 三つ目の「広宣流布を推進」するということは、大聖人の御遺命であり、正嫡たる日興上人の流れを汲む、 日蓮正宗僧俗の尊い折伏弘通の方軌です。

 このことは『日興遺誡置文』に、

 「一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」

  (御書 一八八四㌻)

との御教示に明らかです。

 また、昭和三十七年の法華講連合会結成大会の砌、総本山第六十六世日達上人は、第五十一世日英上人の御指南を引用され、

 「その題目を唱えて信心する第一は、この大法が広布する、大法広布を第一に祈れと書いてあります。すなわち広宣流布を第一にいのれ、それこそ自分の国は勿論、世界を安楽にし、この娑婆世界を寂光浄土にするところの根本であります。娑婆世界を寂光浄土にするということは、人のみならず、自分もともにその安楽の世界に住することが出来るのでございます」

  (大白法 一号)

と仰せです。

 私たち法華講衆は、常に広布前進の思いもって信行に励むことが大切です。

 日蓮正宗では、総本山を中心に、各末寺が存し、日蓮正宗の信徒は皆必ず、 その末寺に信徒として所属します。そして、各信徒所属の末寺の御住職・御主管が指導教師となり、講頭を中心とした法華講が組織されています。

 私たち法華講員は、指導教師の御指導のもと、講頭を中心に、法華講の組織を正しく認識し、広宣流布を実現するために折伏・育成に日々励んでまいりましょう。

 

 

 

 

 

 


⑪ 法華講について ①

2023年01月25日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年6月1日(第1054号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑪ 法華講について ①

⚫名称に由来

 「講」とは、本来は経典を講義したり、仏の徳を讃える法要のことでしたが、のちには、信仰する人々の集まりを指すようになりました。

 「法華講」とは、末法の法華経、すなわち、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の教えを信じて実践する人々の集まりをいい、大聖人自らつけられた名称です。それは、本門戒壇の大御本尊に、

 「願主 弥四郎国重 法華講衆等敬白」と認められていることからも知ることができます。

 第二祖日興上人のお手紙の中にも

 「さどの国の法華講衆」

と記されているように、宗門草創の時代から、本宗信徒は「法華講衆」と呼ばれていたのです。

⚫法華講の歴史

 法華講の起こりは、不惜身命の折伏と護法を貫きとおした富士熱原地方の信徒にあります。

 熱原の法華講衆は、入信してまもない人々でしたが、めざましい折伏弘教を展開しました。このため、法華講衆は、正法の興隆を妬(ねた)む者たちの策謀によって幕府の弾圧を受け、二十名が捕らえられて鎌倉に連行され、信徒の中心者であった神四郎等三人が斬首されるという事件が起こりました。これを「熱原の法難」といいます。

 熱原の法華講衆は、日興上人のご指導のもと、身命におよぶ迫害を受けながら異体同心して、日蓮大聖人の教えを護りとおしました。

 日蓮大聖人は、このような弟子・信徒の護法の姿をご覧になり、仏として世に出現した目的を果たすべき時を感じられ、弘安二年(一二七九)十月十二日に本門戒壇の大御本尊を建立されたのです。

 布教の自由が認められない封建時代でも、法華講衆は折伏弘教の信心に励んできました。その一端として、江戸時代中期から幕末にかけて、江戸・加賀(石川県)・尾張(愛知県)・八戸(青森県)・仙台・讃岐(香川県)などで、正法流布を阻止しようとする様々な弾圧と闘ってきた歴史があります。

 布教の自由が認められた現代にいたり、法華講は国内のみならず世界各国に日蓮大聖人の教えを弘め、民衆救済の波動を起こしています。

                              (法華講員の心得 三四㌻)

 

 [信行のポイント]

◯困難の中にも御命題成就

 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の本年、私たち法華講は御法主日如上人猊下の驥尾に附して、コロナ禍などの難局を乗り越えて法華講員八十万人体勢を構築することが叶い、未来広宣流布への大いなる礎を築くことができました。

 この八十万人の法華講員が、熱原法華講衆をはじめとする方々が示された不自惜身命の弘教精神を継承すれば、大聖人様の御遺命である広宣流布は必ず叶うのです。 

 いかなる時代にあろうとも法華本門下種三宝尊を信じ、時の御法主上人に随順してこの仏法を弘めていくことこそ、法華講の使命であり誇りです。私たち令和の法華講衆は、御法主上人の御指南のままに、指導教師の御道念に志を同じくして、折伏に励んでまいりましょう。

 

◯法統相続の大事

 広宣流布のためには、妙法の功徳によって活力あふれる法華講組織を充足することが必要不可欠となります。

 各講中において、信心の喜びが個々人から各家庭へ、各家庭から地域へと波及するよう、講頭を中心に支部活動を向上・充実させていくことが大切です。 

 特にコロナ禍の現在は行動が制約される状況が多々ありますが、その中で試行錯誤を重ね、今までにない創意工夫を凝らして最大限の活動を展開しましょう。

 さらには家庭内の信心を見直す機会ととらえ 各家庭の生活が信心を中心に充実していけば、それはそのまま講中に波及します。各家庭の法統相続が、そのまま講中の法統相続となることを思い、より堅固な一家和楽の信心を築いてまいりましょう。 

 

◯異体同心

 また、法華講の同志は、異体同心することが大切です。総本山第三十一世日因上人は、金沢法難の最中、金沢法華講衆に対し、

 「一結講中異体同心未来迄も相離れ申す間敷候。中に於て一人地獄に落ち入り候はば講中寄り合いて救い取るべし。一人成仏せば講中を手引きして霊山へ引導すべし」 

と、固い団結を御指南あそばされています。

 御法主日如上人猊下は、

 「この異体同心とは、ただ単にみんなが仲良くすることではなくして、大聖人様の御聖意を拝し、自分の心を御本尊様に任せ、広宣流布の一点に焦点を合わせて実践行動を同じくしていくことであることを、しっかり肝に銘じていかなければなりません」(大白法 九二五号)

と、異体同心の要諦は、広宣流布に焦点を合わせての信行の実践であることを御指南です。 

 私たち法華講員は、広宣流布への固い決意のもとに異体同心し、一人ひとりが広布の前進に取り組み、誇りと確信をもつ活気あふれる講中を築き、折伏を進める中にも未来広布の人材を育成していこうではありませんか。

 

 

 

 

 


⑩日蓮正宗への入信 ②

2023年01月23日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年5月1日(第1052号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑩日蓮正宗への入信    ②

 

⚫御授戒

 御授戒とは、一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の正法を信仰することを御本尊に誓う儀式です。その際は、日蓮正宗の数珠と経本を用い、人生の新たな出発にふさわしい心がまえで臨みましょう。

⚫御本尊下付

 御本尊下付とは、寺院より御本尊をお貸し下げいただくことをいいます。

 私たちは、総本山の本門戒壇の大御本尊を信仰の根源とし、所属寺院を信心の拠り所としていきます。さらに、勤行・唱題をはじめ日々の信心修行のため、私たちの家庭に、大御本尊のお写しである御本尊を下付していただくのです。

 御本尊のお取り扱いは丁重にし、自宅にご安置する際には、僧侶の導師により、厳粛に入仏式を行います。僧侶が出仕できないときは、その指示により、法華講役員などが導師をつとめます。

⚫勧誡式

 勧誡式とは、日蓮正宗に入信しながら、創価学会などの邪義に惑わされて正しい信心を見失った人が、日蓮正宗の信徒として再出発するために行われる儀式です。

 ここでは、再入信にあたって、二度と謗法をおかすことなく、信行に精進することを御本尊にお誓いします。

                             (法華講員の心得 三〇㌻)

 

 [信行のポイント]

 御授戒

 入信者は、謗法払いをした後、本宗寺院で御授戒は、一切の謗法を捨てて、日蓮大聖人様の御教えを信じ、三大秘法の仏法を受持信行していくことを誓う崇高な儀式です。

 大聖人様は、『教行証御書』に、

 「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(せ)り。此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持(たも)って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけん」(御書 一一〇九㌻)

と、妙法受持による大功徳を御教示です。 金剛宝器戒とは、文底下種の妙戒のことで、どのようなことがあってもこの妙戒は破られることなく、その人の生命に存続します。

 入信者は御宝前において読経・唱題の後、御僧侶から御本尊を頭の近くに頂戴して御授戒文を受けます。このとき、生涯にわたる精進をお誓いいたします。

 新入信者が厳粛な気持ちで御授戒に臨めるよう、寺院参詣の際に身なりを整えることを教え、当日は本人・ 紹介者共に、厳粛な儀式にふさわしい服装で参加するよう努めましょう。

 

 御本尊下付

 御本尊は、日蓮正宗の信仰をし、幸せになる上で最も大切な功徳の根源です。

 総本山第二十六世日寛上人は、加賀金沢の信徒・福原式治氏に与えた書状の中で、

 「本尊等願いの事之れ有るにおいては遠慮なく申し遣へし(中略)たとへ授戒候とも本尊なくは別て力も有(あら)ましく候」

  (福原式治への御狀)

と仰せで、御本尊をお受けすることの大事を御教示です。

 大聖人様は、四条金吾殿夫妻に御本尊を授与されるに際し、

 「其の御本尊は(中略)日蓮がたましひをす(墨)みにそめながしてかきて候」 

  (御書 六八五㌻)

と仰せです。御本尊を自宅に御安置申し上げることは、大聖人様が自宅に御出ましになることですから、家の中で最もよい場所に御安置し、常随給仕に努めましょう。

 紹介者は、信心の基本である勤行・唱題は申すまでもなく、お給仕の作法なども自ら手本を示して御本尊に自他の幸せを祈っていくことを教えて育成していくよう努めましょう。

 

 勧誡式

 仏が衆生を化導される在り方として、成仏・得道の教えを勧める勘門と、悪を誡め成仏・得道を促す誡門があり、勧誡とは、善を勧め、悪を誡めることです。

 勧誡式は、ひとたび当宗に入信しながら、正しい信仰を見失って退転した人が、再び謗法を犯すことなく日蓮正宗の信仰を貫くことを誓う儀式です。

 御授戒の際に立てた誓いを反(ほ)故(ご)にして、生涯懺悔なき者は、

 「少しも謗法不信のとが候はゞ、無間大城疑ひなかるべし」

  (同 九〇六㌻)

と諌められる通り、堕地獄の苦しみを必ず被るため、誡門を面(おもて)として折伏すべきです。

 しかし、謗法を悔い改める者に対しては、「謗法不信のあかをとり、信心のなはてをか(固)たむべきなり。浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」(同)

との御慈悲あふれる御教導に従って、勘門を面として、自行化他の信行に共に邁進し、大いに信心を励まして、互いに異体同心を心がけ成仏を期すべきです。

 信心の出発・再出発に臨む新たな地涌の眷属が陸続と輩出することを願い、このたびの大佳節に際し、折伏・育成に一層精進してまいりましょう。

 

 

 

 

 


⑨日蓮正宗への入信 ①

2023年01月22日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年4月1日(第1050号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑨日蓮正宗への入信 ①

 入信とは、誤った宗教を捨てて、日蓮正宗の信徒になることをいいます。

 入信にあたっては、謗法払いをしたのち、御授戒を受け、御本尊を下付していただきます。

再入信の場合は勧誡を受けます。

謗法払い

 入信に際しては、 他宗の信仰の対象物である本尊や神札、神棚や祠(ほこら)、念珠、経典、お守り、縁起物(だるま、熊手、破魔矢)などを取り払います。これを「謗法払い」といいます。この謗法払いは日蓮正宗の信仰を清浄に実践していくために絶対に欠かせないものです。(法華講員の心得 三〇㌻)

 

[信行のポイント]

 今回は日蓮正宗への入信にあたり、謗法の念慮を断ち、正直に信心を持つことの大切さについて学びます。

 

 正直に信仰に励むことが大切

 日蓮大聖人様は、

 「仏と申すは正直を本とす」(御書 三五九㌻)

と、仏法は常に「正直」を根本とすることを御教示されています。 

 法華経『方便品』には、

 「正直に方便を捨てて、但無上道を説く(法華経以前に説いてきた方便権教を正直に捨て、ただ真実無上の仏道である法華経を説く)」 (法華経 一二四㌻)

と説かれ、大聖人様はこの経文を引かれて、

 「法華已前の経は不正直の経、方便の経。法華経は正直の経、真実の経なり」(御書 九㌻)

と仰せられています。

 正直とは、嘘や偽り、ごまかしがなく、そのままにということです。仏法においては、仏の語そのままに方便権教を捨てて、最高真実の法華経の教えを素直に信じることをいうのです。

 では、具体的に私たちが信仰すべき正直な教えとは、一体何なのでしょうか。

 大聖人様は『当体義抄』に、

 「日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てゝ、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり」(同 七〇一㌻)

と、御教示です。 また総本山第六十七世日顕上人は、

 「南無妙法蓮華経を唱えることは、唯一の成仏の道である。故に、これに他の方便の教えによる様々なものを交えては、良薬に毒薬を混じえることになり、大きな誤りとなる。南無阿弥陀仏とか、南無遍照金剛その他、一切、邪義邪宗の偽仏の称号等を絶対に、心にも、口にも、身にも混じえないことが肝要である」(すべては唱題から 七八㌻)

と、誤った思想や信仰への執着を捨て、末法の御本仏・日蓮大聖人様の御(み)教えのままに、正直に純粋な信心で御本尊様に向かい、法華経の肝心である本因下種の南無妙法蓮華経を唱えることが成仏への方途であると仰せられています。

 

 謗法払い

 謗法とは、誹謗正法の略です。大聖人様は『真言見聞』 に、

 「謗法とは謗仏謗僧なり」(御書 六〇八㌻)

と、御教示です。これは正法を信じないこと、 正法を説く人を謗ることなど、日蓮大聖人の正しい教えに背く一切の教えや思想、行いのことをいいます。

 入信に当たっては、一切の謗法を捨てて、日蓮大聖人の教えを信じ、三大秘法の仏法を受持することを誓う授戒式を執り行います。これを「御授戒」といいます。また、過去に御授戒を受けたことがある再入信の場合は「勧誡式」を執り行います。

 入信の際には、それまで所持してきた他宗の本尊や仏像・神札・お守りなどの謗法物を取り払います。これを「謗法払い」といいます。

 謗法払いを行う理由は、正法の信仰を始めるに当たり、それまでの謗法への執着を決然と断ち切るためです。それら他宗の謗法物には、人を救うどころか正宗の信仰を惑わし、人を不幸にする魔の働きがあるからです。

 もし正法の信仰に謗法を雑えて修行するならば、正しい信仰の功徳は消滅して、かえって大きな罪業を積むことになります。

 大聖人様は、『曽谷殿御返事』に、

 「何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばい(杯)に蟹の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入、失本心故』とは是なり」(同 一〇四〇㌻)

と仰せられ、『新池御書』に、

 「いかなる智者聖人も無間地獄を遁(のが)るべからず。又それにも近づくべからず。与同罪恐るべし恐るべし」(同 一四五八㌻)

と仰せられています。

 紹介者はこれらの御教示を、これから入信する方の生涯を左右するのだと自覚し、懇切丁寧に説明、よく理解せしめることが大切です。

 入信前に、入信者が自ら謗法払いができるよう促しましょう。

 

 次回は、御授戒・御本尊下付・勧誡について学んでまいります。

 

 

 

 

 

 


⑧社会から信頼される人になりましょう

2023年01月20日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和3年2月1日(第1046号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑧社会から信頼される人になりましょう

 日蓮正宗の信仰は、けっして現実の生活からかけ離れたものではありません。

 日蓮大聖人は、

 「法華経を信仰する人は、世間の道理をも弁えることができる」

  (意訳・観心本尊抄)

と教えられています。

 私たちは、日蓮大聖人の仏法を信仰することによって、正しい人生観をもち、良識ある社会人として人格を磨いていくことができるのです。

 信仰によって培われる慈悲の心は、他人に対する思いやりとなり、仏を敬う真心は誠実な人格となってあらわれます。これらの思いやりと誠実な人柄は、おのずと周囲からの信頼を生むことになります。

 私たち法華講員は、信仰によって福徳を積むとともに人格を磨き、社会から信頼される人になるよう精進しましょう。

 (法華講員の心得 二六㌻)

 

[信行のポイント]

 生活の上に信仰を実践しよう

 一般に社会活動の目的は、人々がよりよい生活を享受し、精神的にも物質的にも安定した幸せを得ることにあります。そのために、それぞれの立場や能力に応じた役割を担い、様々な生活が営まれています。

 このことを一歩立ち入って考えてみると、本当に安心した生活、幸せで充実した人生を願うならば、個々人レベルでの心がけや姿勢だけでは足りないことが、現実の社会を見れば明らかでしょう。

 理想的な社会にしていくためには、 一人ひとりが日蓮大聖人の仏法を信仰していくことが大切です。

 本文には、『観心本尊抄』の、

 「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得(う)べきか」

  (御書 六六二㌻)

との御文が引用されています。

 この御金言には、 「空が晴れわたれば、大地全体が日に照らされて自ずと明らかになる。本因下種の法体たる妙法の大御本尊への確かな信仰に撤すれば、自ずと世法の全体を体得し、少しも迷うことがない」と御示しです。

 私たち凡夫は、正しい仏法に依って初めて、正しい心・正しい人格を築くことが叶い。世間の事象の本質を見極めることができます。法華講員は、 既に尊い仏法を教えていただき行ずることのできる立場にあります。 ですから、日々の信行によって培った生命力と人間性を発揮して、自他の幸福のために努力を惜しむべきではありません。

 大聖人は『檀越某御返事』に、

 「御み(仕)やづか(官)いを法華経とをぼしめせ。『一切世間の治生産業は皆実相と相違(い)背(はい)せず』とは此なり」(同 一二二〇㌻)

と御教示あそばされています。

 「御みやづかい」とは、仕事や学業などの実生活のことです。私たちの生活は、そのまま妙法の信仰の現われであり、功徳を実証する貴重な場となるのです。

 

  世の模範となろう

 法華講員が日蓮正宗の信仰を行ずる規範として『日蓮正宗法華講連合会規約』があります。この規約の第十二条の中に、

 「(3) 篤(あつ)く三宝を敬(うやま)い、日蓮正宗信徒たることを深く自覚し、四恩報謝の念を体し、もって世人の模範となること」とあります。日蓮正宗の仏法僧の三宝への清淨な信心を根本に、善業をもって人々に報い、また社会にはよき国民の務めを果たし、「世人の模範となること」は法華講員にとって大切な心得なのです。

 大聖人は『崇峻天皇御書』 に、

 「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」

  (御書 一一七四㌻)

御教示あそばされています。

 閻浮提第一の正法を信受し日蓮大聖人の弟子檀那として広布の大道に生きる者には、それにふさわしい生き方があります。具体的には、正しい信仰に裏打ちされた、品位と礼節を保ち、常識と節度ある言動を心がけること。また、誰人に対しても誠実に慈悲をもって接し、世の模範となることです。このことについて、総本山第六十七世日顕上人は、

 「広布の確実な進展とともに法界を浄化し、清気・清風を世に送り、国家社会の自他倶安同帰寂光の礎を建設」(大白法 四一四号)

と御指南されました。

  また御法主日如上人猊下は、

 「日頃の振る舞いこそが布教であります。(中略)多くの人々を正しく導くために、身口意の三業にわたる強盛なる信心に励み、もって不軽菩薩がそうであったように、人に説得力を持つ力を身につけていくことが肝要であります。そして、そのためには、たゆまない普段の仏道修行、日常の振る舞いが大事であることを銘記すべきであります」(大日蓮 七三九号)

と御指南されています。

 私たちは、自らが勤行・唱題の実践を重ね折伏に励む中で、妙法の振る舞いを行ずることが叶い、人格が磨かれていくのです。

 折伏相手から「あなたの言うことならば信頼できる。私も信心してみよう」と言ってもらえるような、社会に信頼される法華講員となれるよう、精進してまいりましょう。

 (次回は三月一日号に掲載予定)

 

 

 

 

 


⑦異体同心を心がけましょう

2023年01月12日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年12月1日(第1042号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑦異体同心を心がけましょう

法華講員はお互いに日蓮大聖人の仏法を信仰し、その教えを弘めていく信心の同志です。

 日蓮大聖人は、 「信心の同士が力をあわせて努力すれば、いかなる大事をもなしとげ、困難をも克服できる」

  (意訳・異体同心事)

と、異体同心の大切さを教えられています。

 日蓮正宗の信心において、同信の人たちが団結し、互いに励まし合い、助け合っていくことが何よりも大切な心がまえです。

  これに反して、同志の陰口を言ったり、些細な欠点をあげつらったりすることは、これまで積んだ功徳を失うばかりか、信心の組織を乱す大きな罰となりますから、厳に慎まなければなりません。

 私たちは、自己の成仏を願い、広宣流布を推進するためにも、異体同心の精神をもって信心に励んでいきましょう。

                     (法華講員の心得 二四㌻)



[信行のポイント]

 「異体同心」とは、人それぞれに異なる個性・特性、生活上の立場などを持ちながら、御本仏日蓮大聖人様の教えのままに団結し、信心の志を同じくすることです。

 

 三宝信順の信心で広布前進

 私たち凡夫は、三世の理法に暗く、謗法罪障の濁りにより根本の仏性を忘れて六道の命で生活しているため、煩悩が尽きません。 その迷いの命を中心とすることは、不幸の原因となります。したがって、異体同心は、単に凡夫が和合すればよいということではありません。

  御法主日如上人猊下は、

 「心を同じくするといっても、どこに心を合わせていくかが問題であります。

 もし、自分の心に合わせる、つまり自分の心にまかせて仏法を見るとすると、我見に陥り、真の異体同心は生まれません。自分の心を仏法に任せていくところに、真の異体同心が生まれるのであります」

  (大白法 八〇九号)

と御指南されています。

 真の異体同心とは、一切衆生を成仏に導かれる 下種三宝(本門戒壇の大御本尊、御本仏日蓮大聖人、第二祖日興上人以来の御歴代上人)の御心に同ずる信心を本義とするのです。

 仏法は、人間誰もが直面する苦悩を根本的に解決する道を説き明かしており、正しい仏法を信仰することによって社会は浄化されていきます。

 御法主日如上人猊下が、

 「大聖人様の仏法は(中略)一人ひとりの幸せから多くの人の幸せに,

つまり点から線、線から面へ広がっていく、いわゆる広宣流布を目指していく仏法であります」

  (同 八三四号)

と御指南される如く、日蓮正宗は、この世の生きとし生けるものすべての成仏・幸福を願い、一切の人々に対して日蓮大聖人が解かれた仏法を弘め、共に実践していくことを目的としており、 清淨にして安穏な世界平和を目指して精進しているのです。

 

 法華講先達の信心

 日蓮大聖人は、弘安二(一二七九)年十月十二日、一切衆生が尊(そん)敬(ぎょう)礼(らい)拝(はい)・信心口(く)唱(しょう)すべき根本究(く)境(きょう)たる、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされました。大御本尊御図顕の機縁として、日興上人のもと、熱原の法華講衆が不惜身命と護惜建立の志で異体同心の団結をもって、身命に及ぶ法難を乗り越えたことがあります。

 この本門戒壇の大御本尊の脇書には、

 「右現当二世の為に造立 件(くだん)の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白」と、「法華講」の名称を大聖人御自らが認められています。

 まさに法華講こそ、大御本尊への絶対の確信を持った、上(じょう)求(ぐ)菩(ぼ)提(だい)下(げ)化(け) 衆生の菩薩の集まり、広宣流布を願う講中です。

 大聖人は『生死一大事血脈抄』に、

 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」

(御書 五一四㌻)

と仰せです。先達の信行を継ぎ、異体同心して自行化他にわたる題目を実践するとき、三世に亘る成仏が叶うのです。

 また『兄弟抄』に、

 「この法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」

  (御書 九八六㌻)

と仰せのように、広宣流布への精進は正しく魔との闘いとなります。

 大聖人の、

 「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚え候」

   (御書 一三八九㌻)

と、異体同心の団結があれば、必ず法華弘通の大願は成就するとの御教えを実現すべく、また総本山第三十一世日因上人が『十箇条法門』で、

 「一結講中異体同心未来迄も相離れ申す間(ま)敷(じく)候。中に於て一人地獄に落ち入り候はば講中寄り合いて救い取るべし。一人成仏せば講中を手引きして霊山へ引導すべし」

と仰せのように、共に励まし合い、結果増をしながら成仏の道を志す、異体同心の信心を各位が興してまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 


⑥信心の道場である寺院へ参詣しましょう

2022年11月18日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年11月1日(第1040号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑥信心の道場である寺院へ参詣しましょう

 

 総本山大石寺は、本門戒壇の大御本尊が厳護され、日蓮大聖人の血脈が伝えられている仏法の根源の霊地です。

  その末寺も、御本尊が安置され、仏法僧の三宝が備わった法城であり、僧俗が和合して仏法を学び、日蓮大聖人の教えを弘めるための重要な道場なのです。 

 なお 末寺には、御法主上人の任命を受けた住職や主管が法華講員に対して信心の指導にあたっています。 

 私たちは、信心修行の道場である寺院へ常に参詣し、指導教師である住職・主管の指導のもとに信行に励むことが大切です。 

 (法華講員の心得 二三㌻)

 

 [信行のポイント]

  本宗の寺院には所属信徒にとって、 根本道場たる総本山の出城として、本門戒壇の大御本尊の写しである常住御本尊が安置された帰命(自らの命を仏に奉り帰依すること)依止(徳ある所に止住して離れないこと)の道場です。私たちは常に所属寺院に参詣し、僧俗和合して正法護持と地域広布のため精進していくことが肝要です。

 

 師弟相対の信心

 本宗の信仰の基本は、第二祖日興上人が

『佐渡国法華講衆御返事』 に、

 「し(師)で(弟)し(子)をたゞしてほとけ(仏)になり候」(歴代法主全書)

と仰せのように、御本仏(日蓮大聖人)と本師(御法主上人猊下)、 本師と小師(末寺の住職・主管)、小師と信徒という縦の筋目を重んじ、師弟相対の信心により、即身成仏の大功徳を成就することにあります。

 したがって総本山第二十六世日寛上人が『寿量品談義』に、

 「一足一足を積んで千里を行くが如く、日日に参詣して南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、一足一足の裏に寂光の都は近づくなり。一辺一辺に大山大海の如くなる仏身を、我が己心にこしらえ立つる程に随分に参詣唱題肝要なり」(同)

と仰せのように、師弟相対の信心修行の道場である寺院に常日頃から参詣し、 御住職・御主管より御法話を聴聞し、唱題に励んでいくことが、過去遠々劫以来の謗法罪障を消滅し、現当二世に亘る大願成就、即身成仏の大功徳を積む信行なのです。 

 また大聖人が『佐渡御書』 に、

 「此の文(ふみ)を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡(りょうけん)候ひて心なぐさませ給へ」(御書 五八三㌻)

と仰せられています。御在世当時の先達方のように、 どのような難局にあっても、 御本尊様のもとに寄り合い、 講中の同志と互いに切磋琢磨して、深い信心を起こすことが大切なのです。 

 

 諸行事への参詣

 寺院で行われる御会式や御報恩御講、年中行事等の法要は、仏祖三宝尊に対する御報恩の法要です。 

  これらの諸行事への参詣を通して、 大聖人の教えや御宗門の伝統、そして正しい修行の在り方を学ぶのです。

 また、私たちが先祖や縁ある故人を安穏な境地に導くためには、正しい仏法によって回向しなければなりません。そのためには寺院に参詣し、彼岸会、盂蘭盆会などの塔婆供養の際に塔婆を建立して故人の成仏を期することが大事です。 

 日蓮大聖人は『草木成仏口決』 に、

 「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(同 五二二㌻)

と塔婆建立の意義について示されています。

  追善の志をもって塔婆供養するならば、その功徳によって故人も成仏することが叶い、願主も大きな功徳善根を積むことができます。 こうした正しい追善供養ができるのは日蓮正宗寺院のみです。

 このように、寺院は自身の過去遠々劫の謗法罪障を消滅し、現在と未来に功徳を積み重ねていく信仰実践の道場であり、 また過去の諸精霊の追善の回向を正しく修する場なのです。

 

  未来広布へ向けて異体同心

  日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布は、僧俗の大目標であり、本宗寺院は各地におけるその拠点に当たります。 

  日蓮大聖人が『異体同心事』 に、

 「日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚え候」(同 一三八九㌻)

と仰せのように、私たちは常に寺院へ参詣し、僧俗共に異体同心して精進するところに、 広宣流布の大願も成就することを心肝に据えましょう。

 御法主日如上人猊下は、

 「本宗における寺院とは、それぞれの地域における弘通の法城として建立されるものであります。しこうして、寺院がその役目を果たしていくためには、

僧俗一致・異体同心の団結が絶対要件となります」(大白法 一〇〇六㌻)

と御指南されています。

 したがって、 自宅で自分なりに読経・唱題すれば良いというような姿勢では正しい信仰の筋道を歩んでいくことは困難です。

  努めて寺院に参詣し、指導教師のもと、お互いに励まし合い、異体同心の講中に身を置くことが大切なのです。





    次回は、弟子旦那への教導について触れられています。

 

 

 

 

 

 


⑤謗法をいましめ清浄な信心に勤めましょう

2022年11月08日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年10月1日(第1038号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ⑤謗法をいましめ清浄な信心に勤めましょう

 謗法とは、日蓮大聖人の教えに背くことをいい、災難や不幸の原因となり、成仏の妨げとなるものです。

 私たちが信仰していくなかでいましめなければならないことは、他の宗教に与同し、 お守りや神札を受けたり、他宗への寄付や布施をすることなどの謗法です。また、仏道修行を怠けたり、同志に対して恨みや妬みの心を抱いたり悪口を言うことも謗法になります。

 せっかく正法の信仰に入りながら謗法をおかすことは、正しい信仰の妨げとなり、功徳善根を消してしまうことになります。それは例えば薬と毒を一緒に飲むようなもので、薬の効き目が失われるだけでなく、かえって毒によって苦しむことになります。

 私たちは、謗法を寄せつけない、また自らも謗法を行わないという毅然とした心をもって、清淨な信仰に勤めましょう。(法華講員の心得二十一㌻)

 

 [信行のポイント]

 第二祖日興上人が、

 富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」

  (御書 一八八四㌻)

と御遺誡(ゆいかい)の通り、日蓮大聖人の正法は、今日まで唯授一人血脈相承(ゆいじゅいちにんけちみゃくそうじょう)によって、本宗に脈々と伝えられています。 

 この正宗の信仰に他の邪(よこしま)な宗教を交えるならば、正しい信仰の功徳を得られないばかりか、大きな罪業を積むことになります。誤った思想や信仰を断ち切り、三宝への尊信と不退転を貫くことが肝要です。

 

 謗法について

 大聖人が『顕謗法抄』に、

 「謗法とは法に背くという事なり」(同 二八六㌻)

と仰せのように、謗法とは正法に違背(いはい)し謗(そし)ることです。

 また『真言見聞』に、

 「謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(同 六〇八㌻)

と仰せられています。

 まさに衆生を救済する仏法僧の三宝(大白法 一〇三四号参照)を謗り軽んじることは、成仏の種子を断じることであり、地獄の因となる極めて重い謗法となります。

 また同抄に、

 「謗法は無量の五逆に過ぎたり」(同 六〇九㌻)

と、五逆罪(父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破る)といって、一逆罪ですら一劫という極めて永い間、無間地獄の苦しみを受けますが、それよりも謗法の罪のほうが重いことを御示しです。

 

 謗法を犯さず折伏に励もう

 私たちが、どんなに謗法を犯さないように心がけても、謗法が充満している世の中で生活している以上、謗法と無縁な生活を送ることは極めて困難です。

 『新池御書』には、

 「いかなる智者聖人も無間地獄を遁(のが)るべからず。又それにも近づくべからず。余同罪恐るべし恐るべし」(同 一四五八㌻)

と仰せです。たとえ自身の信仰において謗法を犯していなくとも、周囲の人々の謗法を認知していながらこれを放置することは、謗法を容認することになるのです。

 御法主日如上人猊下は、総本山第二十六世日寛上人の『如説修行抄筆記』の御文を引かれて、

 「心に折伏を忘れれば 心が謗法となり、口に折伏を言わなければ 口が謗法となり、本尊に向かわなければ 身が謗法となるとの御指南を拝する時、一生成仏を期す私どもの信心において、いかに折伏が大事であるかを知らなければなりません」(大白法 一〇一一号)

と御指南あそばされています。

 常に御題目を唱えて、その歓喜を示して折伏に励み続ける生活を送ることが大事なのです。

 

 十四誹謗

 また、『松野殿御返事』には、僧俗共に通じる謗法として、仏道修行を怠けたり、同志の悪口を言うなどの「十四誹謗」が説かれています。

 特に、「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(御書 三九㌻)

と、「不信(正法を信じない)」こそ最も誡めなければなりません。

 謗法厳誡の宗旨を持ち、自他の謗法を常に誡め清浄な信心を心がけてまいりましょう。




  十四誹謗

   ①憍慢 正法に対して驕り、あなどること。

   ②懈怠 仏道修行を怠ること。

   ③計我 正法を自己の考えで推しはかり、我見にしゅうか。

   ④浅識 正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。

   ⑤著欲 欲望に執着して正法を求めないこと。

   ⑥不解 正法を理解しようとしないこと。

   ⑦不信 正法を信じないこと。

 

   ⑧顰蹙 正法に対して顔をしかめ、非難すること。

    (ひんじゅく)

   ⑨疑惑 正法を疑うこと。

   ⑩誹謗 正法を謗ること。

   ⑪軽善 正法を信受する者を軽蔑すること。

   ⑫憎善 正法を信受する者を憎むこと

   ⑬嫉善 正法を信受する者を妬むこと。

   ⑭恨善 正法を信受する者を恨むこと。

 

 

 

 

 


④自行化他に励みましょう

2022年11月02日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年9月1日(第1036号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ④自行化他に励みましょう

 

 日蓮大聖人は、「自行化他にわたる信心」を教えられています。自行とは、自分が利益を得るための勤行や唱題をいい、化他行とは、正法を知らない人々に対して、不幸の原因が誤った宗教にあることを教え、日蓮大聖人の仏法に導くことです。この化他行を折伏といいます。

 この自行と化他は、修行の根幹であり、これらをともに実践してこそ、成仏という大きな功徳が得られるのです。

 私たちは、ゆるぎない幸せと、平和な社会を築くために、日々の勤行・唱題に勤めるとともに折伏に励んでいきましょう。(法華講員の心得 二〇㌻)

 

 [信行のポイント]

 私たちが朝夕の勤行で読誦する、『如来寿量品』の自我偈の末文に、

 「毎に自ら是の念を作さく 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと」 (法華経 四四三)

 とあります。仏は常に、衆生がどうしたらこの上なく優れた仏道を信じ成仏することができるかと思っている、ということです。この目的を果たすため、仏は法を説かれるのです。

 総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、

 「大覚世尊設教の元意は、一切衆生をして修行せしめんが為なり」(六巻抄 一六一㌻)

と御教示されました。仏が教えを説かれた真意は、 ひとえに、衆生に成仏するための修行をさせることにあるのです。

 修行とは、仏の教えを実践することです。そして、この頂で学ぶ自行と化他は、共に大切な信仰の実践です。

 自行とは「自ら行ずる」こと、つまり、自ら仏道修行をすることです。本文の通り勤行・唱題がこれに当たります。総本山や所属寺院に登山・参詣したり、寺院の掃除のお手伝いをすることも、自行となります。

 また、化他の「化」とは教化のことです。つまり化他とは、他人を教化して仏様の利益を得させることをいいます。

 「折伏」は、人々の幸せを祈り、謗法を破折し、正しい信仰へと導く化他行であり、報恩行・慈悲行ともなります。他にも、法華講員同士で寺院参詣の手助けをし合うことや、新しく入信した方に、勤行や唱題、御供養や登山の大切さを教える「育成」も、立派な化他行の一分といえるでしょう。

 「自分が幸せになりたい」「自分の願い事を叶えたい」という気持ちは、誰にでもあります。ですから自行の大切さは、理解がしやすいと思います。

では、化他の大切さについては、どのように理解したらよいのでしょうか。

 大聖人は『三大秘法禀承事』に、

 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書 一五九四㌻)

と、日蓮大聖人の唱え出だされた御題目は、自行と化他の両方を兼ね備えたものであると御教示されました。

 御法主日如上人猊下は、

 「世の中に一人だけの幸せというのは存在しないのです。みんなが不幸ななかで、自分一人だけが幸せということはないのです。何かしらの影響を受けて、自分は幸せなつもりでいても、結局、泥沼に入ることになってしまうのです。」(大白法 九七六㌻)

と御指南されています。自分一人だけの幸せを追い求める信心では、けっして自分自身も幸せになれないということであり、ここに化他の実践が大切な理由があります。

 自行と化他の関係について、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、

 「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段 二一九㌻)

と、自行の実践を真剣に重ねていくところには、必ず慈悲の心が生じ、化他の実践が伴うことを御教示されています。

 さらに、御法主上人猊下は、

 「唱題も折伏も一体であり、唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります」(大白法 七八一号)

と御指南されています。

 私たちにとって大切なことは、「自行化他にわたる信心」の実践です。自行と化他は、修行の根幹であり、「車の両輪」「鳥の両翼」にも例えられるように、どちらも欠かすことのできない重要なものです。

 自行である勤行・唱題を毎日怠ることなく真剣に行じ、確信を深め、その功徳によって勇気をいただいて、折伏と育成に取り組んでいくことが大切です。この折伏・育成によって、確信はさらに強固なものになり、自行の実践の力にもなっていくのです。

 大聖人は『持妙法華問答抄』に、

 「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書 三〇〇㌻)

と仰せられました。

 自行化他の実践のめざす先は、法華講員八十万人体勢構築の御命題達成と、広宣流布の実現です。その信心の道のりの上にこそ、自他共に幸せになるすばらしい信心の功徳があることを確信し、真剣な「我も唱え、他をも勧める」実践を重ねてまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 


③日蓮正宗の三宝に帰依しましょう

2022年10月27日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年8月1日(第1034号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ③日蓮正宗の三宝に帰依しましょう

 

 仏教では、仏法僧の三宝に帰依することを教えています。

 三宝とは、この世に出現した仏と、仏が説いた法と、その法を伝える僧をいいます、。この三つがそろって、はじめて、衆生は仏法の功徳に欲することができるのです。ですから、仏法僧を「宝」として崇めるのです。

 日蓮正宗では次のように三宝を立てています。

 

 仏宝・・・日蓮大聖人

 「大聖人」という呼び方は、

 「仏・世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号す」(開目抄)

と仰せられるように、仏の別号である「大人」と「聖人」を合わせた名称です。また仏は主師親の三徳を具えた方をいい、御自ら、

 「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(開目抄)

と仰せられ、日蓮大聖人こそ末法の人々を庇護し(主の徳)、教導し(師の徳)、養育される(親の徳)という三徳を具えた御本仏であることを明かされています。



 法宝・・・本門戒壇の大御本尊

日蓮大聖人は、末法の人々を成仏に導くため、久遠本仏としての御内証を御本尊として顕わされました。その御本尊とは、出世の本懐として弘安二年(一二七九)十月十二日に顕わされた「本門戒壇の大御本尊」です。

 「戒壇」とは、 御本尊を安置する処をいいます。日蓮大聖人は、広宣流布の暁に全世界の人々が参詣し、罪障消滅して成仏を願うために本門の戒壇を建立するようご遺命されています。この戒壇に安置される根源の御本尊ですから「本門戒壇の大御本尊」と申し上げるのです。

 日蓮正宗では、この大御本尊を法の宝として崇めます。



 僧宝・・・第二祖日興上人

 大聖人は、

 「仏宝・法宝は必ず僧によって住す」(四恩抄)

と仰せのように、仏の徳とその教えは、僧侶によって後世まで伝えられます。

 日蓮大聖人の仏法は、日興上人をはじめ血脈相承を受けられたご歴代上人によって、末法万年にわたり、すべての人々に正しく流れ通うのです。

 このゆえに、日興上人を随一として、総本山のご歴代上人を僧宝として崇めるのです。特に、その時代や衆生の機根に応じて日蓮大聖人の仏法を教導される当代の御法主上人に随順することが、正しく僧宝を崇めることになります。

 なお、広い意味で、宗祖大聖人の血脈に連なる日蓮正宗の僧俗も僧宝に含まれます。

 私たちは、日蓮正宗のみに立てられる正しい三宝を敬い、信仰に励んでいくことが大切です。

                             (法華講の心得 十六㌻)




 [信行のポイント]

 

 仏教各宗派の立てる三宝を見ると、その教えの内容によって、小乗・権大乗・迹門・本門等、それぞれ異なった三宝が立てられています。( 末表参照)

 これら文上脱益の三宝は、過去に釈尊より下種を受け、正法・像法時代に得脱とする本已有善の衆生が敬うべき三宝です。ですから、釈尊仏法による下種を受けていない、本未有善の末法の衆生を救済する三宝とはなりません。

 総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』において、

 「文上脱益の三宝に執着せず、仏法の根本である文底下種の三宝を信ずるべきである。これこそ末法の時に適った信心である。もしこの三宝の御力がなければ、どうして罪障の深い私たちが即身成仏することができるでしょうか(趣意)」(六巻抄 一九四㌻)

と御指南されています。文底下種の三宝とは、日蓮正宗で立てる三宝のことです。




 また、大聖人は『真言見聞』に、

 「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(御書六〇八)

と、謗法とは即、謗仏・謗僧であること。それは仏・法・ 僧の三宝が一体なる故であると教示されています。

 末法においては、文底下種の三宝を尊信しないことは謗法となるのです。

 私たちは、常に三宝一体の御本尊を受持して、三宝の恩徳を報ずるため、精進することにより、自他共に幸福な境界を確立することができるのです。







          

       仏宝      法宝       僧宝

 

小乗の三宝 インド応誕の釈尊 四諦・十二因縁  四果の聖人(声聞)・縁覚

 

 

権大乗の三宝  三十二相八十種好  六波羅蜜・三学  十住・十行・十回向・十地等の仏



法華経迹門の三宝   始成正覚の釈尊  理の一念三千   法華会上の声聞・縁覚・菩薩

 

         

法華経本門の三宝   久遠実成の釈尊  事の一念三千   本化の上行菩薩



文底下種の三宝  久遠元初の本仏・日蓮大聖人 南無妙法蓮華経・本門戒壇大御本尊  直授血脈付法の日興上人 

           






           (次回は9月1日号に掲載予定)

 

 

 

 

 


②日蓮正宗

2022年10月18日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年7月1日(第1032号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ②日蓮正宗とは

 

 日蓮正宗は、日蓮大聖人が、建長五年(一二五三)四月二十八日に、宗旨を建立されたことにはじまります。

 釈尊は、法華経のなかで、二千年後の末法という濁悪の時代に、悪業の衆生を救うべき法華経の行者が出現することを予言されています。

 宗祖日蓮大聖人は、その予言どおり末法に出現され、二度の配流や命におよぶ数々の法難を受けながら、一切衆生を救済するため、南無妙法蓮華経を弘められました。 そして、弘安二年(一二七九)十月十二日に、ご一代の教えの究極の法体として、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を顕わされたのです。

 日蓮大聖人はご入滅に際し、第二祖日興上人を後継者として定め、日蓮大聖人のご法魂である本門戒壇の大御本尊をはじめ仏法の一切を譲られました。これを「血脈相承」といいます。

 総本山大石寺は、この血脈相承を受けられた第二祖日興上人によって、正応三年(一二九〇)十月十二日に開かれました。これは日蓮大聖人の「本門の戒壇は富士の地に建立すべし」とのご遺命によるものです。

 この大石寺を総本山と仰ぐ日蓮正宗には、日興上人以来、代々の御法主上人によって、日蓮大聖人の教えが正しく伝えられてきました。

 現在、日蓮大聖人の仏法は、第六十八世日如上人に厳然と受け継がれています。

 日蓮正宗こそ、全世界の民衆に幸福と平和をもたらす唯一の教団であり、その教えを実践する信徒の集まりが法華講なのです。

 (法華講員の心得 十二㌻)

 

 信行のポイント

 日蓮大聖人が出現された鎌倉時代は、末法五濁乱慢の様相を示し、既成仏教の乱れと共に、様々な宗派が生まれました。

 当時、日本仏教の中心であり法華一乗を宣揚していた比叡山も、爾前権教の真言に誑惑されて、法華経の正意を歪めて真言の加持祈祷にのみ執していました。また新興勢力の禅・念仏は、釈尊の教説を否定するなど仏法の本義に背くものでした。

 これらの誤った信仰は功徳がないばかりか人々の悪業となり、引いては天変、地夭、飢饉、疫病などの災禍の根源となることが経典に説かれています。

 眼前に打ち続く災難を鎮めて、国と民衆を救済するため、日蓮大聖人は法華経の行者として数々の法難に遭われながら、法華経の真髄である南無妙法蓮華経の宗旨を建立されました。

 そして『立正安国論』において、金光明教、大集経、仁王経、薬師経など多くの経証を引かれた上で、

 「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書 二五〇)

と、 一刻も早く邪宗邪義の信仰を捨てて正法正義に帰依することを誡められたのです。

 この日蓮大聖人の御振る舞いこそ、釈尊が法華経『神力品』に、

 「如来の滅後において(中略)あたかも太陽や月の光が諸々の闇を照らすように、地涌の菩薩の上首・上行菩薩が末法に出現され、多くの人々の心の闇を照らし、救済される(趣意)」

 (法華経 五一六)

と予言されたものでした。

  上行菩薩の再誕について、大聖人は『百六箇抄』に、

 「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」

 (御書 一六八五)

と仰せられ、大聖人の御内証は、末法本未有善の衆生を救済される久遠元初自受用報身如来(御本仏)である深義を明されています。

  大聖人は、末法に流布すべき仏法について『高橋入道殿御返事』に、

 「末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗教・大乗教並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」

 (御書 八八七)

と仰せられています。末法の衆生は釈尊の説かれた文上の法華経では成仏することはできないのであり、上行菩薩が釈尊より委嘱された法華経の肝要の法のみよく衆生を救済することが叶うのです。

 その寛容とは、正しく大聖人の説き弘められた文底独一本門の南無妙法蓮華経であり、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊に極まるのです。

 この御本仏日蓮大聖人の仏法の一切は『日蓮一期弘法付嘱書』に、

 「血脈の次第 日蓮日興」(同 一六七五)

と示された通り、唯授一人の血脈相承をもって、第二祖日興上人に付嘱せられ、爾来七百有余年、血脈相伝の御法主上人によって伝持あそばされているのです。

 日蓮正宗は、大聖人の御正意である本門戒壇の大御本尊と唯授一人血脈法水を根本に、広宣流布の実現と真の幸福をめざして正法を弘める唯一の宗団なのです。

 

 

 

 

 

 


①私たちのめざすもの

2022年10月10日 | 法華講員の心得(一)

大白法 令和2年6月1日(第1030号)から転載

 妙法の振舞い

 『法華講員の心得』より

  ①私たちがめざすもの



 私たち「日蓮正宗」を信仰する者は、正しい仏法によって自分自身の幸福な境界を確立するとともに、真の平和社会を築いていくことをめざしています。

 仏教では、人間として真実の幸せは成仏するところにあると説いています。成仏とは、死後の成仏のみを願ったり、人間とかけ離れた存在になることではなく、現実生活のなかで私たち自身が、仏のような理想的な人格を形成し、安穏な境地にいたることをいうのです。

 仏には、法身・般若・解脱という三つの徳が具わっています。この三徳とは、清らかな生命と、物事を正しく判断する智慧、そして悩みや苦しみを克服する自在の境地をいいます。私たちも、正法を信仰することによって、自然にこれらの徳を身に具え、いかなる困難をも乗り越え、人生を力強く歩んでいくことができるのです。

 末法に出現された御本仏日蓮大聖人は、すべての人々に幸福をもたらすため、「南無妙法蓮華経」という正しい教えを説き明かしました。そして弟子・信徒に対して、この仏法を世界に弘めて真の平和社会を実現するようご遺命されたのです。このご遺命の実現を「広宣流布」といいます。

 このように、一人ひとりの成仏と広宣流布を目的として、日蓮大聖人の教えを正しく実践していくのが日蓮正宗の信仰です。



 信行のポイント

 今回から始まる「妙法の振舞い『法華講員の心得』より」では、冊子『法華講員の心得』から本文を紹介し、説明してまいります。

 

 第一回目の「私たちのめざすもの」では、日蓮正宗の信仰の目的である「成仏」と「広宣流布」の大切さについて述べられています。

 

        ◇     ◇

 

 「葬儀や法事の時以外は関係ない」

 「歴史的な名所を見ることができる」

 「スピリチュアルで心が癒される」

 これが、仏教寺院に対して多くの人が懐いているイメージの一例です。残念ながらいずれの見方も、衆生済度という仏教本来の目的を知らない偏見であり、ごく一面的な認識というべきです。

 「仏教」は、諸法実相(あらゆる存在の真実の相)を悟られた仏の教えで、「人間は何故存在し、いかに生きるべきか」という根本的命題を説き明かしています。

 中でも法華経は、その道理が正しく示されているので、仏の「出世の本懐」の経典とされています。出世の本懐とは、仏が世に出現した一大目的をいいます。

 御本仏日蓮大聖人は、この法華経の肝心が南無妙法蓮華経であると説き明かされました。そして、末法の人々を根本から救うために、南無妙法蓮華経の曼荼羅御本尊を顕わされました。

 私たちはこの御本尊を信じ奉り南無妙法蓮華経の題目を唱える時、御本尊と境智冥合することで、自らに内在している仏界の生命(仏性)が開き顕わされ、「成仏」という無上の功徳を成就することが叶うのです。

 この成仏の境界は、特別な世界で、限られた人だけが得るのではなく、御本尊を信じ、行ずるすべての人が等しく開くことができる境界です。常に御本尊を中心に成仏を願い、いつも自らの信心を磨き続けることで、幸福と不幸の因果を正しく弁える徳が私たちの生命に具わります。

 そして、実生活においては、それが無上の智慧となり、あらゆる艱難辛苦を乗り越えられる生命力となるのです。私たちは、細事に一喜一憂することなく、困難にも不動の信念を持って、信心を根本に喜びにあふれた人生を過ごしてまいりましょう。

 次に「広宣流布」は、日蓮大聖人の正法を全世界に流布させ、人々が本当の幸福を得て、真の平和な社会を築き上げることをいいます。

 日蓮大聖人は、立正安国の精神をもって、不幸の根源である誤った宗教を破折すると共に、国土社会の安穏と人々の幸福のために正法を弘通されました。

 そして今私たちは、御法主日如上人猊下の御指南のもと、令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年までに法華講員八十万人体勢を構築し、未来広布に資していくとの具体的な目標に向かって、異体同心して歩みを進めています。

 御法主日如上人猊下は、

 「周りの人が幸せにならなければ、本当の自分の幸せは絶対に生まれてこないのです。(中略)自分だけの幸せを願っていたのでは、いつまで経っても自分の幸せは来ません。自他共の幸せを願うことが、折伏の根本精神です。」(大白法 一〇二二号)

と御指南です。私たちは自らの幸せを求めるだけではなく、家族・友人をはじめ、すべての人の幸せを願って正法を弘め伝えていくことが大切です。

 今も世界中で、誤った思想・宗教によって、知らずに悪業を積み苦しみの原因を作っている人々が多くいます。

 正法を全世界に広宣流布し、自他共の幸せを実現することこそ、日蓮正宗を信仰する真の目的であり、私たち法華講員の使命と心得て、異体同心・勇躍歓喜し、常に精進してまいりましょう。