三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

霧山城・北畠氏館・六田館(東御所)

2017-09-17 20:14:58 | 古城巡り

 

 


 

城名
 霧山城
住所
 津市美杉町下多気・八知・奥津
築城年
 康永元年・興国3年(1342)
築城者
 北畠顕能
形式
 山城
遺構
 郭、堀切、土塁
 本城と居館の間に詰城がある。
規模
 本城;東西150×南北270m
 詰城;東西60m×南北30m
城主
 北畠顕能-顕㤗-満雅-教具-政郷-材親-晴友-具教、
 天正4年の城代は北畠一族の北畠左衛門尉政成 政成は伊勢国司4代北畠教具の三男北畠政能の孫
本城;標高 560m 比高 237m
詰城;標高 411m 比高 88m
歴史
 興国3年(1342)伊勢国司北畠顕能(あきよし)が築いた。
 天正4年(1576)具教が三瀬御所で殺害されると信雄軍は白口峠、桜峠を突破し多気の城下に押し寄せ火を放ち、城にも登り霧山城は攻め落とされた。
 12月4日夕刻に城代・政成は櫓に火を放って、近親とともに自決し、壮絶なる最期をとげた。これによって多気御所と霧山城の武士80余人が討ち死に、玉砕した。
 兵火で焼失したが土塁などは往時のままで、峰を渡る風が歴史の悲歌をいまに伝えている。
経緯
 北畠顕能-顕㤗-満雅-教具-政郷-材親-晴友-具教、8代・240年間の本拠地。
書籍
 三重の中世城館
環境
 吉野へ65Km、伊勢へ40Kmに位置する美杉村下多気、標高570メートルの天険に残る北畠氏の本城跡。
 この城跡は、大和・伊賀・伊勢の国境に接する山間部ではあるものの、大和と伊勢平野とを結ぶ交通路上に位置する「多気(たげ)」の地に位置している。
一族
 北畠氏
現地
 多気の盆地の西山麓部、北畠神社に館跡がある。南の端には庭園が残る。
 川を越えた水田辺りは一族や家臣の居住区であった。六田(ろくた)の館跡はその境界線が良く残っている。
感想
 北畠8代、240年の本拠地の割には城の部分がひ弱な感じがする。麓の居住区に力が注がれていたのではないだろうか。公家の意識が強かったり、守り堅固の安心感があったり、戦いの少ないいわば平和な暮らしが長かったのではないだろうか。

 

城名
 北畠氏館
別名
 多気御所
住所
 津市美杉町多気
築城年
 康永元年・興国3年(1342)
築城者
 北畠顕能
形式
 居館
遺構
 庭園、石垣(埋め戻されている)
規模
 東西200m×南北420m
城主
 北畠顕能-顕㤗-満雅-教具-政郷-材親-晴友-具教、
 天正4年の城代は北畠一族の北畠左衛門尉政成 政成は伊勢国司4代北畠教具の三男北畠政能の孫
標高 323m 比高 5m
歴史
 天正4年(1576)具教が三瀬御所で殺害されると信雄軍は白口峠、桜峠を突破し多気の城下に押し寄せ火を放ち、城にも登り霧山城は攻め落とされた。
 12月4日夕刻に城代・政成は櫓に火を放って、近親とともに自決し、壮絶なる最期をとげた。これによって多気御所と霧山城の武士80余人が討ち死に、玉砕した。
書籍
 三重の中世城館 
環境
 吉野へ65Km、伊勢へ40Kmに位置する美杉村下多気、標高570メートルの天険に残る北畠氏の本城跡。
 この城跡は、大和・伊賀・伊勢の国境に接する山間部ではあるものの、大和と伊勢平野とを結ぶ交通路上に位置する「多気(たげ)」の地に位置している。
一族
 北畠氏
 田丸御所、大河内御所、坂内御所各兵一千(計三千)
 一志波瀬、岩内、藤方、木造各兵5百(計二千)
家臣
 軍兵15,000 
現地
 晴具の妻の父・細川高国が設計したといわれる庭園は貴重である。
感想
 8代、240年の伊勢国司の居館(注1)は今見ることはできないが敷地に限界が見えて何とも手狭である。
注1
 美杉故郷資料館において居館のモデルを見ることができる。

  

城名
 六田館
読み
 ろくたやかた
別名
 東御所
住所
 津市美杉町下多気
築城
 室町時代
形式
 居館
遺構
 郭、堀跡(堀田)
規模
 東西60m×南北80m
城主
 北畠政房(具教の子)
標高 322m 比高 0m
歴史
 一説には政成が自決した後、奥山信濃守(注1)が子の館に遁世して菩提を祀り「東御所金吾城」と称したともいう。
 また、雪姫(注2)伝説が伝わり桜と雪姫大明神と稲荷大明神が館跡にある。
環境
 多気城下古図の多くはこの辺りに家臣の屋敷を描いている。また、町の名前に職業名を付けたり遊女街があったり城下にはすべてのものがあったようだ。
 寺院の数も多く20か所の名が挙げられている。
一族
 北畠政房一族(左少将正義-政勝-政成)
感想
 堀の跡がよく残って他の城郭の見識に参考になる。
注1
 奥山信濃守;平氏金吾羽柴之末葉小森上野城主(北畠家臣団帳より)
注2
 雪姫;具教の四女で織田信雄に嫁いだ。

地図


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