北畠氏の情報伝達手段の一つにのろしがあったと考えられる。霧山城から、髯山のろし台、黒米城を経由して、阿坂城へ、そして最後には大河内城へ。
その一端として、松阪山城会ではのろし実験が行われている。のろしの実際はどうなのか、有効性は伝承のようにあるのか、ルートはどうだったのかなど明らかにしようとしている。
「松阪の城50選」にもそのことは取り上げられている。直線距離なら20Kmに満たないが如何せん、山間部と平野部でいくつもの山が連なり、想像以上に距離感がある。このことが解き明かされることを期待する。
のろし実験の様子
2017.2.16 第1回
2018.2.15 第2回
2019.2.7 第3回
2020.2.6 第4回
阿坂城にてのろしを揚げる予定。この時期、見晴らしの良い山頂で、のろしをまっすぐ高く揚げるのは気象条件からかなり確率が低い。
過去3回分の阿坂城におけるのろし実験の様子から、今回につなげられる注意点は何か探ってみる。
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