石橋みちひろのブログ

「つながって、ささえあう社会」の実現をめざす、民主党参議院議員「石橋みちひろ」の公式ブログです。

「沖縄ピース2012」三日目~基地視察と戦跡巡り

2012-06-25 23:36:41 | 活動レポート

今日は、情報労連主催「沖縄ピース2012」の最終日。基地視察と戦跡巡りです。

初日の崎原真弓さんによる「一人芝居」で沖縄戦の悲惨さを知り、昨日の嘉手納基地周回行動で沖縄の米軍基地問題の実相に触れ、そして今日の基地視察と戦跡巡りで知る行動の仕上げをする ---- 三日間の行動を通じて、全国から集まった参加者の皆さんも、あらためて戦争を悲惨さを、沖縄戦が一般市民にもたらした被害の実態を、そして戦後67年たった今もなお沖縄県民が直面する米軍基地問題の実情について理解を深めてくれたのではないかと思います。


朝、まずは再び嘉手納基地へ。道の駅の屋上に上って、嘉手納基地を一望しました。昨日は日曜日で、空軍機の離発着には遭遇しなかったのですが、今日は早速訓練が始まっていて、戦闘機が4機ずつ、爆音をとどろかせながら離陸していく様子を間近に観ることが出来ました。

私はこれで3回目の経験でしたが、始めて実際に離陸を観た参加者は異口同音に「こんなに爆音が凄いとは!」と絶句していました。「防音壁が申し訳程度に設置されているけれど、何の役にも立っていない」という説明にみんな納得・・・。私も、退職者の会沖縄県支部協の黒島会長からいろいろと説明をいただきながら改めて爆音の凄さを実感しました。


続いて、普天間基地近くにある嘉数(かかず)高台へ。ここの展望台から、普天間基地が一望出来ます。基地が宜野湾市の市街地と隣接している様子がよく分かります。
 


この嘉数高地は、沖縄戦で、16日間も一進一退の死闘が展開された場所。日本軍の死者は6万人以上と言われていますが、沖縄戦における軍人の戦死者数が約10万であることを考えれば、いかにこの嘉数高地の激戦が凄惨を極めたか分かります。

続いて、アブチラガマへ。ここは、沖縄本島南部にあるガマ(自然洞窟)で、沖縄戦の時、当初、住民の避難場所や、日本軍の陣地壕・倉庫として使用され、戦場が段々と南下してくると、傷病兵を運び込む陸軍病院の分室として使われたそうです。みんなでガマの中に入り、ライトを消して真っ暗なガマの中を体験しました。

(糸数アブチラガマの全容。出典:南城市ホームページ)

 

 そして、お昼に平和記念公園に辿りついたところで、私の行動は終わり。皆さんとの別れを惜しみながら、空港へと向かいました。

これで、戦後67周年、沖縄の本土復帰40周年の節目に、情報労連として20回目の開催となった沖縄ピース2012の行動が終わりました。私も、周回行動への参加を含めてフル参加を果たしたのは3年ぶり。議員になってからは初めての参加で、改めて政治の責任を感じながらの行動でした。

平和というのは、単に戦争が起こっていない状態を指すのではありません。市民が、国民が、明日への不安無く暮らせる状態こそが、本当の意味の平和です。その意味では、沖縄にはまだ真の平和が訪れていません。戦後67年、本土復帰40周年を迎えた今もなお、です。私たちは、沖縄の米軍基地問題の現実を、日本の問題、そして私たち自身の問題として、みんなでその解決に向けて議論し、歩を進めていく努力をして行かなくてはなりません。

今回の沖縄ピースでまた多くの仲間たちがそのことを実感し、地元に戻って伝え、そしてこれからの行動に加わってくれることを期待しています。私も、仲間の皆さんと一緒に頑張っていきます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。