■鏡の背面/篠田節子 2019.1.14
『鏡の背面』 を楽しく読みました。
この小説の内容は、次の二点に要約されそうです。
「お酒をやめるというより、みんな、生き直したがっていました。私も同じ。生まれ直すことはできないけれど、生き直すことはできるんですよ。努力と、私自身が周りを見る眼差しを優しく変えるだけで」
そして「彼女」はすり替わったまま亡くなった。死者をむち打つな、というメディアに関わる者の倫理観はともかくとして、凶悪犯として週刊誌で名指しされ、警察にマークされ、一度は逮捕された女が、若い母親と赤ん坊のために、自分の命を犠牲にしたとすれば、その本性は善なのか悪なのか。
ミステリと考えると少しばかり無理な部分もあるような気もしましたが、篠田さんの経歴をみると肯けます。
wikipedia/篠田節子
YOMIURI ONLINE/『鏡の背面』 篠田節子著
依存症、家庭内暴力、貧困、人生の淋しさ、男と女の関係、詐欺、現代社会の抱える盛り沢山の問題が扱われています。
男と女。それに絡む金の話はリアル。
悔しがるより大切なのは、自分を知ること。
私を含めて、お酒とか薬とか悪い男の人に溺れるのは、その向こうの死に誘惑されているということなの。そんなとき人は死ぬことと仲良しになりたがっている。
「女性とのつき合い方というのはね、お嬢さん、いろいろあるものなんですよ」
口調が自慢気なものに変わった。
「女のタイプにはいろいろあるんだね、妻のように長く寄り添うタイプ、短期的に情熱をぶつけて燃焼しつくすタイプ、一夜限りの楽しみを共有するタイプもあれば、見守り育てて楽しめるタイプもある」
「女は寝てみないと分からないというけど、これは真実なんだね。離れがたい体っていうのがあるんだよ。いい女というより、男好きのする女。ウマが合うというのかな。何のウマかというのは、まあ、お嬢さんに向かってなんだけど、これは記者としての勉強のつもりで聞いてよ」と前置きすると、男女関係と女性器の形態と機能について、セクハラそのものの講釈を垂れ始めた。
人生、お金じゃないって言うけど、お金が無ければどうにもならないんだよ。あのときは長島さんの顔が一瞬、仏様に見えた。
「私たちの魂を浄めて高めていかなければ、悪いものはいくらでも寄ってきます。
彼女を惹きつける何かが心の内にあるからなのです。憎しみ、お金を惜しむ心、恨みや、人を疑う心もそうです。それから物事を悲観的に考える習慣も。邪なものたちにとってはどれも蜜のように甘くておいしいものなのです。だからこれからは、自分の内側からそういうものを追い払うことを心がけないといけませんね」
極貧の生活を強いられながらも、それでも失われない、子供たちの美しい瞳の輝きはどうしてなのか。
どんなことにも喜びをみつけ、その喜びを活力にして生きていく。それはなぜなのかしら。私たちが忘れたものを持っているから。
『 鏡の背面/篠田節子/集英社 』
『鏡の背面』 を楽しく読みました。
この小説の内容は、次の二点に要約されそうです。
「お酒をやめるというより、みんな、生き直したがっていました。私も同じ。生まれ直すことはできないけれど、生き直すことはできるんですよ。努力と、私自身が周りを見る眼差しを優しく変えるだけで」
そして「彼女」はすり替わったまま亡くなった。死者をむち打つな、というメディアに関わる者の倫理観はともかくとして、凶悪犯として週刊誌で名指しされ、警察にマークされ、一度は逮捕された女が、若い母親と赤ん坊のために、自分の命を犠牲にしたとすれば、その本性は善なのか悪なのか。
ミステリと考えると少しばかり無理な部分もあるような気もしましたが、篠田さんの経歴をみると肯けます。
wikipedia/篠田節子
YOMIURI ONLINE/『鏡の背面』 篠田節子著
依存症、家庭内暴力、貧困、人生の淋しさ、男と女の関係、詐欺、現代社会の抱える盛り沢山の問題が扱われています。
男と女。それに絡む金の話はリアル。
悔しがるより大切なのは、自分を知ること。
私を含めて、お酒とか薬とか悪い男の人に溺れるのは、その向こうの死に誘惑されているということなの。そんなとき人は死ぬことと仲良しになりたがっている。
「女性とのつき合い方というのはね、お嬢さん、いろいろあるものなんですよ」
口調が自慢気なものに変わった。
「女のタイプにはいろいろあるんだね、妻のように長く寄り添うタイプ、短期的に情熱をぶつけて燃焼しつくすタイプ、一夜限りの楽しみを共有するタイプもあれば、見守り育てて楽しめるタイプもある」
「女は寝てみないと分からないというけど、これは真実なんだね。離れがたい体っていうのがあるんだよ。いい女というより、男好きのする女。ウマが合うというのかな。何のウマかというのは、まあ、お嬢さんに向かってなんだけど、これは記者としての勉強のつもりで聞いてよ」と前置きすると、男女関係と女性器の形態と機能について、セクハラそのものの講釈を垂れ始めた。
人生、お金じゃないって言うけど、お金が無ければどうにもならないんだよ。あのときは長島さんの顔が一瞬、仏様に見えた。
「私たちの魂を浄めて高めていかなければ、悪いものはいくらでも寄ってきます。
彼女を惹きつける何かが心の内にあるからなのです。憎しみ、お金を惜しむ心、恨みや、人を疑う心もそうです。それから物事を悲観的に考える習慣も。邪なものたちにとってはどれも蜜のように甘くておいしいものなのです。だからこれからは、自分の内側からそういうものを追い払うことを心がけないといけませんね」
極貧の生活を強いられながらも、それでも失われない、子供たちの美しい瞳の輝きはどうしてなのか。
どんなことにも喜びをみつけ、その喜びを活力にして生きていく。それはなぜなのかしら。私たちが忘れたものを持っているから。
『 鏡の背面/篠田節子/集英社 』