■ライオンのおやつ/小川糸 2020.12.2
ミステリ以外、久しぶりの一冊です。
小川糸作 『ライオンのおやつ』 を読みました。
文章は、瀬戸内のキラキラと光輝く海を思わせる明るさなのですが、内容はちよっと切ない物語でした。
内容に深く立ち入った抜粋になってしまいました。ご一読下さい。
それと、こちらへいらっしゃる折りには、ぜひ船に乗ることをおすすめします。
今はもう、陸路でも来られるようになりましたが、船からの眺めは格別です。
穏やかな瀬戸内の風景を、どうぞ心ゆくまで味わってください。
これからの人生が、かけがえのない日々となりますよう、スタッフ一同、全力でお手伝いさせていただきます。
船の窓から空を見あげると、飛行機が、青空に一本、真っ白い線を引いている。
私はもう、あんな風に空を飛んで、どこかへ旅することはできないんだなあ。そう思ったら、飛行機に乗って無邪気に旅を楽しめる人たちが、羨ましくなった。明日が来ることを当たり前に信じられることは、本当はとても幸せなことなんだなぁ、と。
そのことを知らずに生きていられる人たちは、なんて恵まれているのだろう。幸せというのは、自分が幸せであると気づくこともなく、ちょっとした不平不満をもらしながらも、平凡な毎日を送れることなのかもしれない。
手紙にうんと顔を近づけて、文字の匂いを吸い上げた。
そうすれば、マドンナの言葉がそのまま私の体に入りそうな気がした。今、私か頼れるのはこの人しかいない。会ったこともないのにおかしいかもしれないけれど、私はすでにマドンナの肩にもたれて歩いている気分だった。
私は、自分の中に眠っているどう猛な部分を目覚めさせないよう、常に気を配り、おいしい餌を与え続けなくてはならない。
相変わらず、抑揚のない声でマドンナが続ける。
「毎週、日曜日の午後三時から、ここでお茶会が開かれます。前回は、みんなで芋羊羹をいただきました。ゲストのみなさんは、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることができます。毎回、おひとりのご希望に応える形でその方の思い出のおやつを忠実に再現しますので、できれば具体的に、どんな味だったか、どんな形だったか、どんな場面で食べたのか、思い出をありのままに書いていただければと思います。中には、イラストを描いてくださる方もおります」
おやつという言葉の響きには、独特のふくよかさというか、温もりがある。
ヘルパーさんが、シスターの顔を覗き込むようにして質問を重ねると、
「源太さん」
シスターはそう言って、甘酸っぱい飴でも口に含んでいるみたいに、恥ずかしげに顔を両手で覆い隠した。その様子はまるで、箸が転がっても笑いが止まらない十代の女の子そのものだった。
シスターにだって、もしかすると全く別の人生があったのかもしれない。
あの時、マドンナが私に何気なく言った言葉。人は生きている限り、変わるチャンスがある。
あれは、本当だった。私には、全然そんなふうには思えなかったけれど、もしかするとマドンナには、先生が自らの過ちに気づく姿が見えていたのかもしれない。いや、マドンナの中に確固として存在する先生を信じる気持ちが、彼の心の向きを変えたのかもしれない。
そしたら私、自分がどんなにうたうのが好きだったかを、ふと思い出したんです。おばあちゃんの枕元でうたえることが、嬉しくて嬉しくて。おばあちゃんも、それまで苦しそうに息をしていたのが嘘みたいに楽になって、最期、みんなに笑ってくれました。それから、家族全員が見守る中で旅立ったんです。
それで、うたうことは何も都会のステージの上じゃなくてもできるな、って気づいて。私が幸せならそれでいいや、って吹っ切れたんですよ。
ホスピスからの帰りの車の中で、父は言った。父の頬が、涙でてかてか光っていた。衝動的に、私はもう一度、雫お姉ちゃんに会いたくなった。もう一回ホスピスに戻ろうよ、という言葉が、舌の先まで出かかっていた。
でも、言えなかった。どうしてかは自分でもわからなかったけど。人生には、何回でもおかわりしていいことと、そうではないことがあるんだということが、わかったのだ。雫お姉ちゃんに会うことは、そうではないこと、に分類される方だった。一度おかわりをしてしまったら、際限がなくなってしまう。
私の役目は、ゲストの方の人生の最期を見届け、送り出すことです。
これまでにたくさんの方の死を看取ってきました。けれど、どんなに多くの方を看取っても、完璧ということはありません。あの時ああすればよかった、もっとこうしてあげればよかった、そんな後悔の念が必ず残ってしまうものです。
雫さんに対してもやはりそうで、特にあなたがもう一度食べたかっていた蘇を作ってあげられなかったことが、悔やまれます。悔やんでも仕方のないことだとわかっていても、悔やまれます。また食べたいなんて、あなたは一言も口にはしませんでしたけど。
おやつの時間をあなたが毎回とても楽しみにしてくれたことが、何よりの慰めです。おやつは、体には必要のないものかもしれませんが、おやつがあることで、人生が豊かになるのは事実です。おやつは、心の栄養、人生へのご褒美だと思っています。
あなたの最期を看取ってから、私たちスタッフ一同、とても心地よい空気に包まれました。
すべて、あなたのおかげです。ごちそうさまでした、って、あなたは確かにそう言いました。いかにもあなたらしい、情の深い、美しい言葉。きっと、あなたの人生そのものが、おいしかったのでしょう。本当に、見事なしめくくり、大往生でしたね。
人生というのは、つくづく、一本のろうそくに似ていると思います。
ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないのです。時には、あなたの生みのご両親のように、大きな力が作用していきなり火が消されてしまうことも、あるでしょう。
生きることは、誰かの光になること。
『 ライオンのおやつ/小川糸/ポプラ社 』
ミステリ以外、久しぶりの一冊です。
小川糸作 『ライオンのおやつ』 を読みました。
文章は、瀬戸内のキラキラと光輝く海を思わせる明るさなのですが、内容はちよっと切ない物語でした。
内容に深く立ち入った抜粋になってしまいました。ご一読下さい。
それと、こちらへいらっしゃる折りには、ぜひ船に乗ることをおすすめします。
今はもう、陸路でも来られるようになりましたが、船からの眺めは格別です。
穏やかな瀬戸内の風景を、どうぞ心ゆくまで味わってください。
これからの人生が、かけがえのない日々となりますよう、スタッフ一同、全力でお手伝いさせていただきます。
船の窓から空を見あげると、飛行機が、青空に一本、真っ白い線を引いている。
私はもう、あんな風に空を飛んで、どこかへ旅することはできないんだなあ。そう思ったら、飛行機に乗って無邪気に旅を楽しめる人たちが、羨ましくなった。明日が来ることを当たり前に信じられることは、本当はとても幸せなことなんだなぁ、と。
そのことを知らずに生きていられる人たちは、なんて恵まれているのだろう。幸せというのは、自分が幸せであると気づくこともなく、ちょっとした不平不満をもらしながらも、平凡な毎日を送れることなのかもしれない。
手紙にうんと顔を近づけて、文字の匂いを吸い上げた。
そうすれば、マドンナの言葉がそのまま私の体に入りそうな気がした。今、私か頼れるのはこの人しかいない。会ったこともないのにおかしいかもしれないけれど、私はすでにマドンナの肩にもたれて歩いている気分だった。
私は、自分の中に眠っているどう猛な部分を目覚めさせないよう、常に気を配り、おいしい餌を与え続けなくてはならない。
相変わらず、抑揚のない声でマドンナが続ける。
「毎週、日曜日の午後三時から、ここでお茶会が開かれます。前回は、みんなで芋羊羹をいただきました。ゲストのみなさんは、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることができます。毎回、おひとりのご希望に応える形でその方の思い出のおやつを忠実に再現しますので、できれば具体的に、どんな味だったか、どんな形だったか、どんな場面で食べたのか、思い出をありのままに書いていただければと思います。中には、イラストを描いてくださる方もおります」
おやつという言葉の響きには、独特のふくよかさというか、温もりがある。
ヘルパーさんが、シスターの顔を覗き込むようにして質問を重ねると、
「源太さん」
シスターはそう言って、甘酸っぱい飴でも口に含んでいるみたいに、恥ずかしげに顔を両手で覆い隠した。その様子はまるで、箸が転がっても笑いが止まらない十代の女の子そのものだった。
シスターにだって、もしかすると全く別の人生があったのかもしれない。
あの時、マドンナが私に何気なく言った言葉。人は生きている限り、変わるチャンスがある。
あれは、本当だった。私には、全然そんなふうには思えなかったけれど、もしかするとマドンナには、先生が自らの過ちに気づく姿が見えていたのかもしれない。いや、マドンナの中に確固として存在する先生を信じる気持ちが、彼の心の向きを変えたのかもしれない。
そしたら私、自分がどんなにうたうのが好きだったかを、ふと思い出したんです。おばあちゃんの枕元でうたえることが、嬉しくて嬉しくて。おばあちゃんも、それまで苦しそうに息をしていたのが嘘みたいに楽になって、最期、みんなに笑ってくれました。それから、家族全員が見守る中で旅立ったんです。
それで、うたうことは何も都会のステージの上じゃなくてもできるな、って気づいて。私が幸せならそれでいいや、って吹っ切れたんですよ。
ホスピスからの帰りの車の中で、父は言った。父の頬が、涙でてかてか光っていた。衝動的に、私はもう一度、雫お姉ちゃんに会いたくなった。もう一回ホスピスに戻ろうよ、という言葉が、舌の先まで出かかっていた。
でも、言えなかった。どうしてかは自分でもわからなかったけど。人生には、何回でもおかわりしていいことと、そうではないことがあるんだということが、わかったのだ。雫お姉ちゃんに会うことは、そうではないこと、に分類される方だった。一度おかわりをしてしまったら、際限がなくなってしまう。
私の役目は、ゲストの方の人生の最期を見届け、送り出すことです。
これまでにたくさんの方の死を看取ってきました。けれど、どんなに多くの方を看取っても、完璧ということはありません。あの時ああすればよかった、もっとこうしてあげればよかった、そんな後悔の念が必ず残ってしまうものです。
雫さんに対してもやはりそうで、特にあなたがもう一度食べたかっていた蘇を作ってあげられなかったことが、悔やまれます。悔やんでも仕方のないことだとわかっていても、悔やまれます。また食べたいなんて、あなたは一言も口にはしませんでしたけど。
おやつの時間をあなたが毎回とても楽しみにしてくれたことが、何よりの慰めです。おやつは、体には必要のないものかもしれませんが、おやつがあることで、人生が豊かになるのは事実です。おやつは、心の栄養、人生へのご褒美だと思っています。
あなたの最期を看取ってから、私たちスタッフ一同、とても心地よい空気に包まれました。
すべて、あなたのおかげです。ごちそうさまでした、って、あなたは確かにそう言いました。いかにもあなたらしい、情の深い、美しい言葉。きっと、あなたの人生そのものが、おいしかったのでしょう。本当に、見事なしめくくり、大往生でしたね。
人生というのは、つくづく、一本のろうそくに似ていると思います。
ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないのです。時には、あなたの生みのご両親のように、大きな力が作用していきなり火が消されてしまうことも、あるでしょう。
生きることは、誰かの光になること。
『 ライオンのおやつ/小川糸/ポプラ社 』
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