■宝島/真藤順丈 2019.4.22
2019年版 このミステリーがすごい!
国内篇 第5位 宝島
第160回 直木賞受賞 『宝島』 を読みました。
真藤さんの作品を読むのは、今回が初めてです。
「ずっと“戦果アギヤー”ではいられん、お頭を弾丸に貫かれたらそれまでさ。地元の連中にもてはやされても、とどのつまりは泥棒でしかあらんがあ」
歌謡と魂の島、心のふるさと沖縄。米軍統治と貧しさ。島の現実に翻弄されながらも、たくましく生き抜く青年たち。
登場人物は、誰もが印象深く、会えば忘れられなくなる人々ばかり。
チバナなんて脇役ではあるが、実に魅力的に描かれています。
この物語はp541、たっぷりと楽しめます。
この物語からは、悲惨な沖縄の歴史が浮かび上がってきます。
今なおなおざりにされた、厳しい沖縄の現実が頭をよぎります。
「われら沖縄人はみんな、いまのわたしやおまえとおなじ。呼吸もできずに青ざめている。だがもっとたちが悪いのは、われわれが慣れる生き物ということでな。選択の自由のなさにも、海の底のように息苦しい生活にも慣らされて、地上に顔を出せばうまい酸素があふれていることも忘れてしまう。大切なのは、なにも疑問を持たない状態におちいらんことさ」
オンちゃんのこと。
青々と空は澄みわたり、潮騒の響きが鼓動の音と同化する。ヤラジ浜にやってきた島民たちはそれぞれに思い出を語りあい、戻ってこないものの重さを咀嚼しながら、長い歳月をまたいでようやく思い残しにけりをつけようとしていた。
「ありがとう、ありがとう」
宗賢のおじいが喪主のようにふるまっていた。
「こんなに大勢の人が、あれのことを憶えていてくださったなんて」
あれからもうすぐ十年、節目にこうして別れの儀式ができたことがありがたいとおじいは深々と頭を下げた。だれもがすぐに帰らずに、惜別の言葉をかわしながら実感を深めているようだった。当時の空気がよみがえってくる。その男の生涯は輝きに満ちていた。コザの誇りであり、恩人であり、雄々しい沖縄の魂そのものだった男。英雄の物語はここで終わった
「だけどなあ、そのときどきですきっ腹を満たして、足りないものをちまちまと集めてるだけじゃ、肝心なところはなにも変わらん。おれたちも命を張るなら、もっとここいちばんってところで張らんとなあ」
この時代の、この島ならではの申し子ってわけさ。世の中のあらゆるものは深いところでつながっていて、歳月や距離を超えてたがいに共鳴しあう。魂のきれはしが風に乗り、照明弾の明かりに浮かされて海の祖霊も踊り出す。たぐいまれなる荒々しさと、息を呑むような神秘をそなえた島の中心には、オンちゃんがいたんだよ。
グスコ、レイ、ヤマコ、三人にとってもオンちゃんは唯一無二の存在だった。
それぞれが自分のなかに、自分だけのオンちゃんの居場所を持っていた。
われらがオンちゃんは、あのアメリカに連戦連勝しつづけた英雄だった。
「ここで待っちょけ。おれが迷わないように」
おれの灯台になれってか、あひゃー気障! グスクが言ったら赤っ恥にしかならない科白も、オンちゃんの口から出れば格好がつくんだからずるいよな。オンちゃんめ、実はシークワーサーみたいなでべそのくせに。腕なんて毛むくじゃらのくせに。
グスク、レイ、ヤマコのこと。
ちゃらんぽんなお調子者で、それまでの十九年間を流されるままに生きてきた男だけど、それでもグスクは沖縄の若者だ。ほかでもない“鉄の暴風”を生きぬいた若者だよ。だからよく知っているのさ。この島の宴会の多幸感を。おのずと手と足が動き出す幸福な一体感を。喉が渇ききったときの水の美味さを。二度寝の気持ちよさを。島の娘たちの肌がどんなに熱くて柔らかいかを。にぎわう市場から静かな海辺へ移ったときの、あの心地よい魂の揺らめきを
暴動中毒のレイはあてにならない。
「女房とはもう何年も会っとらん」
「子どもは?」
「この坊主ぐらいのが、本土になあ」
「あいつはこの沖縄が嫌いでなぁ。こっちに戻ってくるときもついてこようとしなかった。」
「そんな女房なんてさっさと忘れて、あんたも好きにやったらいいのに」
「ようやく刑期がかたづいて、まとまった金ができたら今度こそ島を出る」
「向こうで復縁をせまるのか、やりなおしてくれって? ずいぶん未練がましいね」
「さて、会ったらなんと言うかな……」
身の上を話しすぎたことを恥じるようにタイラは口をつぐんだ。これまでさんざん後悔や葛藤にさいなまれてきたんだろうな、そのさまは暴風の季節を耐えしのぶ立ち木のようだった。帰郷してすぐに投獄され、はからずも故郷に閉じこめられるかたちになったタイラは、人生をやりなおすため、失われた歳月を取り戻すために、幸福な家族の幻想を追いかけている----この人のことは嘲笑(わら)えないかとレイは思った。離ればなれになった身内の面影を振りはらえずにいるのは、タイラだけでもなかったから。
「たっくるせんなら、おれを愛してくれ」
落ちたナイフも拾わずに、レイは言葉ですがった。
「たっくるせんなら、おれを好きになるんだな」
そんなふうに面と向かって、思慕を伝えるのは初めてだった。ひとおもいに抱きすくめたヤマコはすべてが想像どおりだった。
このぐらいなんでもない、泣くな、おれたちはまだひとりになったわけじゃないと約束してくれるようなその手の力強さが、指が白くなるほどの握力が、肌の感触が、脈打つ命の温度が、ヤマコのなかにいっぺんに流れ込んできてヤマコの組成を替えてしまった。そのときつないだ手は過去と未来の、死と生の、絶望と希望の交わる結び目だった。自分からも手をにぎりかえしながらヤマコは、生まれて初めて、時間が止まるような感覚を味わった。
グスクもレイもヤマコも沖縄の闘志ですが、心優しい若者達です。
グスクとレイは息を凝らして、とぎれとぎれのジョーの言葉をすくい集めた。
たしかになにかを語ろうとしている。あるいは末期に瀕した人間の性なのか、問われるままに、反射のように、自分が生きた証しを現世に置き残そうとしているようだった。震える瞼のひだを押し開けて、薄い膜のかかった瞳で見返してきた。
作品読了後、この部分を読み返すとウタの寄せた切ないおもいが痛い。
「あんたも知ってるさ、戦果アギヤー。すきっ腹でまともな家もなくて、それでも生きる糧をもぎとるために基地にもしのびこんで、米兵に追っかけられても走って走って走りぬいた英雄がいたのさ。死んでもかまわんなんて言うのは男やあらん。陰で闘志を燃やしながら、生きる道を探すのが男さぁね」
高ぶっていたウタの表情にかすかな戸惑いのような、不思議な翳りが生まれた。
感じやすいその魂が、ヤマコの言葉でわなないていた。それはストライキの狂騒から隔てられた空間に、独りぼっちで孤絶しているような眼差しだった。
「その人がちゃー言いしてたのよ、“逃げたやつはまた戦える”って。とにかく無意味に暴れたらならん。そんなことをさせるために連れてきたんじゃない」
「そんなにオンちゃんが恋しいなら、もっと三人で話したらいいのに。オンちゃんを偲ぶ会で隔月で集まったらいいのに」
…………
「あたしが、知らないことがあるでしょう」
ウタの眉尻が震えた。睫毛が震えた。顔をそらして奥歯を噛みしめる。
それにしても、ウタとキヨには泣ける。
ここまで読んで下さったあなたも、ぼくも心優しい気持ち、持ち続けたいものですね。
この世のニライカナイを見つけるのか、元いた場所に戻るのか。
『 宝島/真藤順丈/講談社 』
2019年版 このミステリーがすごい!
国内篇 第5位 宝島
第160回 直木賞受賞 『宝島』 を読みました。
真藤さんの作品を読むのは、今回が初めてです。
「ずっと“戦果アギヤー”ではいられん、お頭を弾丸に貫かれたらそれまでさ。地元の連中にもてはやされても、とどのつまりは泥棒でしかあらんがあ」
歌謡と魂の島、心のふるさと沖縄。米軍統治と貧しさ。島の現実に翻弄されながらも、たくましく生き抜く青年たち。
登場人物は、誰もが印象深く、会えば忘れられなくなる人々ばかり。
チバナなんて脇役ではあるが、実に魅力的に描かれています。
この物語はp541、たっぷりと楽しめます。
この物語からは、悲惨な沖縄の歴史が浮かび上がってきます。
今なおなおざりにされた、厳しい沖縄の現実が頭をよぎります。
「われら沖縄人はみんな、いまのわたしやおまえとおなじ。呼吸もできずに青ざめている。だがもっとたちが悪いのは、われわれが慣れる生き物ということでな。選択の自由のなさにも、海の底のように息苦しい生活にも慣らされて、地上に顔を出せばうまい酸素があふれていることも忘れてしまう。大切なのは、なにも疑問を持たない状態におちいらんことさ」
オンちゃんのこと。
青々と空は澄みわたり、潮騒の響きが鼓動の音と同化する。ヤラジ浜にやってきた島民たちはそれぞれに思い出を語りあい、戻ってこないものの重さを咀嚼しながら、長い歳月をまたいでようやく思い残しにけりをつけようとしていた。
「ありがとう、ありがとう」
宗賢のおじいが喪主のようにふるまっていた。
「こんなに大勢の人が、あれのことを憶えていてくださったなんて」
あれからもうすぐ十年、節目にこうして別れの儀式ができたことがありがたいとおじいは深々と頭を下げた。だれもがすぐに帰らずに、惜別の言葉をかわしながら実感を深めているようだった。当時の空気がよみがえってくる。その男の生涯は輝きに満ちていた。コザの誇りであり、恩人であり、雄々しい沖縄の魂そのものだった男。英雄の物語はここで終わった
「だけどなあ、そのときどきですきっ腹を満たして、足りないものをちまちまと集めてるだけじゃ、肝心なところはなにも変わらん。おれたちも命を張るなら、もっとここいちばんってところで張らんとなあ」
この時代の、この島ならではの申し子ってわけさ。世の中のあらゆるものは深いところでつながっていて、歳月や距離を超えてたがいに共鳴しあう。魂のきれはしが風に乗り、照明弾の明かりに浮かされて海の祖霊も踊り出す。たぐいまれなる荒々しさと、息を呑むような神秘をそなえた島の中心には、オンちゃんがいたんだよ。
グスコ、レイ、ヤマコ、三人にとってもオンちゃんは唯一無二の存在だった。
それぞれが自分のなかに、自分だけのオンちゃんの居場所を持っていた。
われらがオンちゃんは、あのアメリカに連戦連勝しつづけた英雄だった。
「ここで待っちょけ。おれが迷わないように」
おれの灯台になれってか、あひゃー気障! グスクが言ったら赤っ恥にしかならない科白も、オンちゃんの口から出れば格好がつくんだからずるいよな。オンちゃんめ、実はシークワーサーみたいなでべそのくせに。腕なんて毛むくじゃらのくせに。
グスク、レイ、ヤマコのこと。
ちゃらんぽんなお調子者で、それまでの十九年間を流されるままに生きてきた男だけど、それでもグスクは沖縄の若者だ。ほかでもない“鉄の暴風”を生きぬいた若者だよ。だからよく知っているのさ。この島の宴会の多幸感を。おのずと手と足が動き出す幸福な一体感を。喉が渇ききったときの水の美味さを。二度寝の気持ちよさを。島の娘たちの肌がどんなに熱くて柔らかいかを。にぎわう市場から静かな海辺へ移ったときの、あの心地よい魂の揺らめきを
暴動中毒のレイはあてにならない。
「女房とはもう何年も会っとらん」
「子どもは?」
「この坊主ぐらいのが、本土になあ」
「あいつはこの沖縄が嫌いでなぁ。こっちに戻ってくるときもついてこようとしなかった。」
「そんな女房なんてさっさと忘れて、あんたも好きにやったらいいのに」
「ようやく刑期がかたづいて、まとまった金ができたら今度こそ島を出る」
「向こうで復縁をせまるのか、やりなおしてくれって? ずいぶん未練がましいね」
「さて、会ったらなんと言うかな……」
身の上を話しすぎたことを恥じるようにタイラは口をつぐんだ。これまでさんざん後悔や葛藤にさいなまれてきたんだろうな、そのさまは暴風の季節を耐えしのぶ立ち木のようだった。帰郷してすぐに投獄され、はからずも故郷に閉じこめられるかたちになったタイラは、人生をやりなおすため、失われた歳月を取り戻すために、幸福な家族の幻想を追いかけている----この人のことは嘲笑(わら)えないかとレイは思った。離ればなれになった身内の面影を振りはらえずにいるのは、タイラだけでもなかったから。
「たっくるせんなら、おれを愛してくれ」
落ちたナイフも拾わずに、レイは言葉ですがった。
「たっくるせんなら、おれを好きになるんだな」
そんなふうに面と向かって、思慕を伝えるのは初めてだった。ひとおもいに抱きすくめたヤマコはすべてが想像どおりだった。
このぐらいなんでもない、泣くな、おれたちはまだひとりになったわけじゃないと約束してくれるようなその手の力強さが、指が白くなるほどの握力が、肌の感触が、脈打つ命の温度が、ヤマコのなかにいっぺんに流れ込んできてヤマコの組成を替えてしまった。そのときつないだ手は過去と未来の、死と生の、絶望と希望の交わる結び目だった。自分からも手をにぎりかえしながらヤマコは、生まれて初めて、時間が止まるような感覚を味わった。
グスクもレイもヤマコも沖縄の闘志ですが、心優しい若者達です。
グスクとレイは息を凝らして、とぎれとぎれのジョーの言葉をすくい集めた。
たしかになにかを語ろうとしている。あるいは末期に瀕した人間の性なのか、問われるままに、反射のように、自分が生きた証しを現世に置き残そうとしているようだった。震える瞼のひだを押し開けて、薄い膜のかかった瞳で見返してきた。
作品読了後、この部分を読み返すとウタの寄せた切ないおもいが痛い。
「あんたも知ってるさ、戦果アギヤー。すきっ腹でまともな家もなくて、それでも生きる糧をもぎとるために基地にもしのびこんで、米兵に追っかけられても走って走って走りぬいた英雄がいたのさ。死んでもかまわんなんて言うのは男やあらん。陰で闘志を燃やしながら、生きる道を探すのが男さぁね」
高ぶっていたウタの表情にかすかな戸惑いのような、不思議な翳りが生まれた。
感じやすいその魂が、ヤマコの言葉でわなないていた。それはストライキの狂騒から隔てられた空間に、独りぼっちで孤絶しているような眼差しだった。
「その人がちゃー言いしてたのよ、“逃げたやつはまた戦える”って。とにかく無意味に暴れたらならん。そんなことをさせるために連れてきたんじゃない」
「そんなにオンちゃんが恋しいなら、もっと三人で話したらいいのに。オンちゃんを偲ぶ会で隔月で集まったらいいのに」
…………
「あたしが、知らないことがあるでしょう」
ウタの眉尻が震えた。睫毛が震えた。顔をそらして奥歯を噛みしめる。
それにしても、ウタとキヨには泣ける。
ここまで読んで下さったあなたも、ぼくも心優しい気持ち、持ち続けたいものですね。
この世のニライカナイを見つけるのか、元いた場所に戻るのか。
『 宝島/真藤順丈/講談社 』
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