うちの近所はノラ猫が多い。
特に近所にお屋敷があって、そこには一族が生息しているようだ。
うちの大家さんが元気だったときも、猫たちの季節の恋愛の組み合わせや、子猫の様子など、よくしゃべりあったものだ。
猫たちにも、それなりの節操があって、塀の上とか、庭を横切るとかは
しょっちゅうだったが、こちらの領域にどっしり入り込むことはなかった。
今年、大家さんがいなくなった庭に、猫の親子が住み着いた。
それで、今はココのリードを放すことができなくなった。
子猫たちも日に日に成長してきて、時々滑り落ちながらも、紅い花をつけている百日紅(さるすべり)に上れるようになってきた。昨日は、高い木のマタに落ち着いて、こちらを見下ろしていた。
もうすぐココのリードを放せるかも、というところなのだが、この猫たちに餌付けをしている人がいるのか、それは謎なのだ。
近所の鳩森神社の猫は、確かにそういうことがあるらしく、「地域猫」と呼べる存在だと思う。
いつもより激しい台風が来て、ピークは午前3時だとテレビが報じている。
いったんベッドに横たわろうとしたが、猫たちのことが気になる。
夜10時ごろ、ココを連れて行った時は、軒のエアコンの室外機の上に親子三匹でうずくまっていた。
今夜、彼らは生きながらえるのだろうか、死なないまでも、極端に弱ってしまうのではないか。
軒下などでは、これからのピーク時の猛風雨にさらされるだろう。
午前一時、隣人をさそって、事務所にダンボールにタオルを敷き、バスタオルを持って大家さんの庭に行ってみた。
案の定、室外機の上に親子三匹うずくまっている。
三匹はキッと敵意を持って私たちを見つめて、三方にちらばった。無理もない、私はいつも彼らの天敵、ココを連れているのだから。これじゃ、追い散らかしているだけになる、としばらく佇んでから諦めた。
結局ずぶ濡れになってしまい、お風呂に入って寝た。
次の朝、さっそく庭に行ってみたら、室外機には無事親子三匹がいて、母猫は子猫をなめていた。私をみとめると、三匹揃って、キッとにらんだ。
おせっかいの私は、ほっとしつつ失礼した。
写真 (撮影・Yacco)
特に近所にお屋敷があって、そこには一族が生息しているようだ。
うちの大家さんが元気だったときも、猫たちの季節の恋愛の組み合わせや、子猫の様子など、よくしゃべりあったものだ。
猫たちにも、それなりの節操があって、塀の上とか、庭を横切るとかは
しょっちゅうだったが、こちらの領域にどっしり入り込むことはなかった。
今年、大家さんがいなくなった庭に、猫の親子が住み着いた。
それで、今はココのリードを放すことができなくなった。
子猫たちも日に日に成長してきて、時々滑り落ちながらも、紅い花をつけている百日紅(さるすべり)に上れるようになってきた。昨日は、高い木のマタに落ち着いて、こちらを見下ろしていた。
もうすぐココのリードを放せるかも、というところなのだが、この猫たちに餌付けをしている人がいるのか、それは謎なのだ。
近所の鳩森神社の猫は、確かにそういうことがあるらしく、「地域猫」と呼べる存在だと思う。
いつもより激しい台風が来て、ピークは午前3時だとテレビが報じている。
いったんベッドに横たわろうとしたが、猫たちのことが気になる。
夜10時ごろ、ココを連れて行った時は、軒のエアコンの室外機の上に親子三匹でうずくまっていた。
今夜、彼らは生きながらえるのだろうか、死なないまでも、極端に弱ってしまうのではないか。
軒下などでは、これからのピーク時の猛風雨にさらされるだろう。
午前一時、隣人をさそって、事務所にダンボールにタオルを敷き、バスタオルを持って大家さんの庭に行ってみた。
案の定、室外機の上に親子三匹うずくまっている。
三匹はキッと敵意を持って私たちを見つめて、三方にちらばった。無理もない、私はいつも彼らの天敵、ココを連れているのだから。これじゃ、追い散らかしているだけになる、としばらく佇んでから諦めた。
結局ずぶ濡れになってしまい、お風呂に入って寝た。
次の朝、さっそく庭に行ってみたら、室外機には無事親子三匹がいて、母猫は子猫をなめていた。私をみとめると、三匹揃って、キッとにらんだ。
おせっかいの私は、ほっとしつつ失礼した。
写真 (撮影・Yacco)
ゴローさんは私によろしく言っといてと言ってくれたそうです。
それを聞いた時、涙が出そうなくらいうれしかったです。憧れて、尊敬しているゴローさんからよろしくと言ってもらえた。一言でしたが、とても忘れられない言葉になりました。
ゴローさんは雑誌のインタビューでこう言っています。
「ゴローズの商品は、誰かが気に入って、身に付けてくれて初めて生命が宿るんだ。ボクはその人と一緒に生活したり、旅したりするんだ。」
私はゴローさんと会ったことはありませんが、毎日ゴローズのアクセサリーを身に付けているので、ゴローさんと一緒に生活したり旅をしている気持ちになります。
ヤッコさん、すばらしいエピソードありがとうございました
どこでどうご飯をもらっているのか、、、
しばらくみかけないと気になっちゃって。
私は、武庫川の友達の家に行く
ときに、子猫が車にはねられて
宙に舞ったのを目撃して足が
すくみましたが、
暖かい体を手で受けて、短い
命の哀れ。川沿いの公園に
手で掘って埋葬しました。
長い道を歩いていたら、震え
がまたやってきました。
あの温みが手に蘇ります。
その尊さと車の非情。