goo blog サービス終了のお知らせ 

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

セントラルアパートは成長する

2005-01-08 | Weblog
セントラルアパートの地下にファッション・マーケットができた。
それは、ロンドンのアンテイーク・マーケットのようでもあり、日本のファッションビルの走りでもあった。小さな洋服屋さんがぎっしりと並んでいて、その迷路をすりぬけながら、右往左往するのが楽しかった。私は特に赤富士という古着屋が好きだった。
ニューヨークやロンドンで古着の魅力を知ってからは、日本でも、赤富士や、サンタモニカといった店によく通った。この頃はまだ状態のいい古着とめぐり合うことも多くて、資生堂の「インウイ」などのポスターに使ったりした。
ハリウッドの女優さんが着たような、サテンのスリップドレスなどを発見すると撮影の当てもないのに身銭をきってしまう。この習慣は今も続いている。

地下の店以外にも、もうひとつ、「ヘルプ」という、同じように若者向けの新しい店が立ち並ぶところがあった。そこには川久保玲さんが立ち上げたばかりの「コムデギャルソン」があった。私の記憶では、初期のコムデは、カラフルなマドラスチェックが多かった。モノトーンのものになってからも、初期はパリのリセエンヌのような、少女の香りがするものだったような気がする。

セントラルアパートはコの字型に建物が建っていて中央の部分が吹きぬけになっていた。そこは、長い間駐車場だったが、ある時期から飲食のスペースになった。吹き抜けの屋上とおなじ高さに開閉式のテントで屋根を造り、昼間の晴れている時は開けて、雨の日や夜は閉めて照明で明るくした。今ではあちこちにあり、ガラスの屋根がかかっているパティオ(中庭)の初めての使い方だった。
中央にテーブルと椅子が沢山並べられ、オーダーされたものをつくる設備がどちらかの片側にあった。
人のざわめきがウオーンと上の方まで響く。その賑わいを上から眺めるのが好きだったし、ときにはそのテーブルで果てしないお喋りをした。気分は現在のアジアン・カフェといったところだった。

写真(撮影・Yacco) 明治通り側からみたセントラルアパート。こちら側に「フランクス}という店があって、石原裕次郎さんが経営する(と聞いていた)「四谷フランクス」の姉妹店だった。裕次郎さんもよく来て
いらしたそうだが、彼が来るのは夜、私はランチタイムの安い時しか行かなかったから、会ってはいないけど。道を隔てたところにある国銀には、お客さんの名前をすべて記憶していて、入ってきたお客に即名前で声をかけてくる女子行員がいた。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
成長ですか (saimon)
2005-01-09 01:10:56
今回の写真ははっきりセントラルアパートが判ります。2日に「けっこう平凡な建物」と言っていますが、当時でも既に古い方の建物だったように思いますが、陰影が強くできる面立ちで、いまどき逆に無いビル(アパート)のように思います。地下のマーケットをうろうろして奥の階段から上がると光庭のカフェに出てくる様だったんじゃないですか?記憶が甦ってきますが、そんな風になったセントラルアパートはだいぶ後の方だったように思います。とにかく私も結構うろうろしていたんだなあと、少し恥ずかしいような思いもしています。
返信する
確かZOUZOUも…… (shiori)
2005-01-11 01:22:24
 コム・デ・ギャルソンもあのあたりにあったのですか。確かに私が中学・高校時代、リセンヌルックというのがちょうど流行の兆しを見せていて、憧れました。別珍のモスグリーンやクラレット色の小公女のようなデザインのワンピースの素敵だったこと!

 川久保さんとワイズの山本さんともうお一人、ZOUZOUというブランドで、デザイナーは山県清臣さん(間違っていたらごめんなさい)という方だったような……その3人が同じようなテイストの新しいスタイルとして、アンアンの巻頭特集で大きく紹介されていたのをかすかに覚えています。ZOUZOUの黒っぽいペザント風のチュニック……新鮮な印象でしたっけ。



返信する